2005年6月アーカイブ

早速ですが、昨日のエントリーで触れた蔵前の古書店さんです。が、実を言いますと、僕は、この古書店のことを何も知りません。通りがかりに写真を撮ったというだけで…。またしても「これは、すごいです!」というだけのこと(^^; 本来は、時間のある時にでもこちらを訪ね、書棚に並んだ本の傾向や印象、ご主人にうかがうなりして、創業年などを調べてからエントリーしたいのですが、そう思うと、なかなか実現しないのが常です。と、言い訳しながら、えいやっとエントリーです。
さて、この浅草御蔵前書房さんですが、日本橋から駒形を経て浅草へ抜ける江戸通りに面して建っています。この道は、江戸時代の切絵図にも記載のある古い通りです。
ところで、このピンクの下見張りの壁面、相当に風雨にさらされた感がありますよね。凄みがあります。ちょっと怖いくらい(^^; そして、これが建物全体 & もうすこし引いた図ですが、この1階部分の低さと言うのか、2階部分の異常な高さと言うのか…、とにかくこのアンバランスさに目を奪われます。まるでトップハットでもかぶっているよう…。まわりには新しいビルがニョキニョキと建ち並んでいますが、それらウドのようなガキどもを、見上げながらも鼻でせせら笑っているような貫禄があります。しかしこの2階部分はいったいどうなっているのでしょう。もしや、看板(建築)部分だけが高くなっていて、中身は普通の二階家なのでしょうか? 興味津々です。

【場所】台東区蔵前3丁目あたりです。

バラック系の古本屋

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ここは、場所を正確には憶えていませんが、まだ、曳舟駅からそう遠くはない位置にたっていたと思います。決して裏通りではなく、いわゆる目抜き通り沿いにたっています。
ご覧の通り、総トタン造りの古本屋さんです。すごいです。タイトルを「すごい古書店」にしようかな?と思ったくらいで...。こちらは、建物もすごければ本の陳列もさるもので、両者が見事に引き立てあってます。意図があっては、こうは行かないという見本のようです。
しかもこの建物、かなりのタイニーハウス。しかも相当にハ薄です(^^; 塀下の三角形の土地の形そのままに継ぎ接ぎして建てたもののようです。右側のウイング部なんて、本棚専用ハウスのようです。次回は、どんな本が置いてあるのか、必ずチェックしなくては...。しかしこの古本屋さん、波形トタンの魅力爆発。実にカッコイイですし、引力もすごいですね。蔵前にある古色蒼然古書店さん(いずれアップします)といい勝負かもしれません。

【場所】墨田区京島3丁目あたりです。

線路脇園芸

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軒下園芸、軒先園芸、路地園芸などなど、園芸にもいろいろありますが、線路脇園芸ってジャンルがあることには、京島を歩いてみるまで気がつきませんでした。
線路脇での生活というのは、聞くと雰囲気ありますが、いざ生活してみると、電車が通過するときの騒音や金属ホコリなどで大変だろうと想像します。生活環境という面からは、条件の良くない場所ということになるのでしょう。線路沿いには、間違っても立派とは言えない家がかなり建っています。ところが、そんな家の前にかぎって、緑や花で溢れていることがあります。悪い条件を中和するかのように…。
左の写真は、曳舟駅前の再開発地区の外れにある小さな家です。すでに空家になっていて、猫の額より手狭な線路脇の庭は、主人を失い、もうかなり荒れていました。が、ご主人が立ち去るまでは、踏切で電車の通過を待つ人々の目を楽しませる、小ざっぱりとした園芸空間であったようです。その面影は十分に残っていました。
右の写真は、道1本を挟んで、京島3丁目の向かい側にある場所です。ここは、線路で突き当りのように見えますが、実は、右に曲がると、線路沿いに細道がつづいていて、お隣の長屋まで歩いて行けるようになっています。線路脇って、なんとなく暗い感じがするかもしれませんが、実際には、線路の幅の空き地があるようなものですから、陽当たりも良く、明るいんですね。園芸にはもってこいの環境だったりするんです。

【場所】左:墨田区京島1丁目、右:墨田区文花3丁目あたりです。

陽炎町京島(6)

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これまで、京島の風景をいくつかアップしてきましたが、個人の趣味とはいえ、いささか経年変化たっぷりの場面に目を向けすぎのきらいがありました。そこで今日は、お花満載の美しい京島の風景をお届けにあがりました(^^;
左の写真は、京成線沿いに広がる空き地です。墨田区の管理下にある土地で、主に外来種の草花が植えられ、公園とも何ともつかない場所になっていました。昔の写真を見ると、この手前には板塀があり、かなりな邸がたっていたように見えます。詳しいことは不明ですが、相続にあたり墨田区に物納でもしたのかな?という感じ、それとも…。そんな想像をするからなのか、この花の感じ、なんとなく哀れを感じさせませんか(^^;
右の写真は、大切に住みつづけられた感じのする普通の民家です。遠くからも軒下園芸がきれいで目にとまったのですが、近づいてみると、習字を教えていらっしゃるのでしょうか、お弟子さんたちのものとおぼしき作品が表に貼りだしてありました。習字も昔に比べると下火ですから、こんな光景は、もう滅多に目にしませんね。こうして見ると良いものです。同じ貼り物でも、場所を構わずベタベタと貼りまくられた政治家のポスターは、下町風景の破壊者とでも言うべきものですね。あれは嫌です。写真を撮っていると特に…。

【場所】墨田区京島1丁目(左)・2丁目(右)あたりです。

暑い日でしたね〜。そんななか、上野動物園に行ってきました。はい、言うまでもありませんが、孫のお供です(^^;
しかし、お爺さんは、実は、上野動物園行きを結構楽しみにしていたのです。というのは、この鳥、コウノトリ系のハシビロコウに会えるからです。
こいつは、動きがほとんどなく、今日も、入園者が「これ置物?」と、不思議がる声を何度も耳にしたほどです。僕も初めて見たときはそう思いましたから...。
しかし、こいつ、いくら長い時間見ていても飽きません。禅の修行中か?と思うほどピタリと動きを止め、じっと遠くを見据えるような眼を見ていると、「こいつ、相当深淵なことを考えているな」と、ついつい思ってしまいます。哲学鳥とでも命名したくなるほどに...。
こいつ、トボけた顔をしていますが、時に、睨み付けるような怖い眼をします。しかし、頭の上にぴょこんと飛び出した毛に愛嬌があり、結局、その睨み付ける眼も愛嬌のうち。見れば見るほど惹かれてしまいます。いわゆるハマるってやつですね。
お爺さんは、上野動物園に行って、ハシビロコウの追っかけになったとさ(^^;

[>loveminus0さん、先日は、こいつに関する情報をありがとうございました]

【場所】台東区上野動物園です。

足軽長屋

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久々に京島を離れ、本郷・真砂町に足を伸ばします。
先日からフィルムスキャナというおもちゃが手元にあるため、やはりこれで遊んでみたくなります。そこで、昔撮った写真のフィルムをちょこちょこと引っ張り出しては眺めていると、「あ、これだよ〜」という写真や、「え、こんなの撮ってた?」という写真が出てきます。そんなことをしているうちに、以前から紹介したいな〜と思っていた古い長屋の写真も出てきました。
これは、すでに何度がエントリーしている足軽長屋と呼ばれていた長屋です。が、今日の写真の長屋は、以前紹介した長屋ではなく、その近くに建っていた別の棟です。以前紹介した長屋は、改修が進み、原形をあまり留めていませんでしたが、今日紹介する棟は、昔の原形・面影を強く残していました。江戸時代末期に建てられたと言われると、なるほどそうだろう、と納得できる姿です。これなら、この手の屋根がずらりと連なった図を頭のなかに描き、江戸時代にタイムスリップできそうですね。
今日は歴史的な背景も手短に。この長屋のある真砂町は、江戸時代には、高崎藩主松平右京亮の中屋敷だったそうです。そして、明治16年測量の参謀本部陸地測量部の地図に、この長屋らしい建物が記入されています。これらの事実から、この長屋が江戸末期の建物であると推定されているようです。
あ、そうそう、言い忘れるとこでした。この長屋の2階部分の高さですが、陽炎町京島(5)の長屋同様に、かなり低いですよね。なんと、これが言いたくて、このエントリーを用意したのでした(^^;

歴史的なことや詳細について興味がおありの方は、文京歴史的建物の応用を考える会(たてもの応援団)による旧本郷真砂町 足軽長屋 調査報告書をお読みになると、面白いと思います。谷根千で購入できます。

関連エントリー:■築100年超の長屋/■足軽長屋の解体始まる/■グッバイ 足軽長屋

【場所】文京区本郷4丁目あたりです。

今日はaki's STOCKTAKINGに御礼参りをしたかったのであるが、時間に追いつめられ、仕込みができなかったのである。ひじょうに残念なのだ。しかし、敬愛する方に遊んでいただけるということは、とても光栄なことなのである。昨夜はパソコンの前で、飽かず画面を眺めていたのだ。そのせいで仕事が全くはかどらなかったのである。いかん(^^; [AKiさん、本当に身に余りますm(__)m]
というわけで、ってどういうわけか分からないのですが(^^; 今日は、軽めに、京島のちょっとユニークな風景です。僕が立っているのは、空き地になっていて、そこに砂利を敷き、駐車場として使われている場所です。きっと、この写真に写っているような建物が何棟か並んでいたのではないだろうか?と思わせる状況です。この右側が道路なのですが、その道路から見ると、この小さな家は、真っ直ぐにたっていて、とてもしっかりしているように見えます。それが、一歩駐車場に入って横から眺めると、どうでしょう、こんなに傾いています。もう人が住んでいるとは思えませんでしたが…。しかし、なんだかこの建物、後方(写真では左)の建物と互いに寄り添っていて、かなり傾いているわりには安定感があります(^^; うまくバランスしてしまったようですね。この両者の微妙な角度、きっと計算からは生み出せないんでしょうね。お見事と言うほかありません。
しかし、この日は快晴で、光がとてもきれいだったこともあってか、この風景、なんとなく日本離れして見えるのですが…。そして、ちょっとユーモラスで、ちょっと微笑ましくも見えませんか?

【追記】この写真のどこかにスイスが潜んでいることが判明しました。答えはここです。
【場所】墨田区京島3丁目あたりです。

陽炎町京島(5)

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今日もひきつづき、昔の京島の断片です。左の写真が、探していた2階部分が低い長屋です。今回、この長屋は見つかりませんでした。おそらく取り壊されてしまったのでしょう。こうして改めて眺めると、確かに2階部分が異様に低いのですが、1階部分が一般的な長屋より高くなっています。そのしわ寄せで2階部分が低くなったようにも見えます。が、それを差し引いても、やはり2階部分は標準的な長屋よりも低いように見えます。これは、いずれ紹介しますが、本郷・真砂町に残っていた江戸時代末期に建てられた長屋にも見られた、古い長屋の特徴です。この京島の長屋は、スレートやサイディングなどで相当に補修されていますので、なんとなく古くなさそうに見えますが、実はかなり古い建物だったのではないか?と、いまになって考えています。残念ながら、それを確認するのは大変困難になってしまいましたが…。
右の写真は、本日の付録というところです。魚屋さんで、こんな炭火コンロを用意して、魚を焼いて売っていました。こんな光景は、探せばあるのかもしれませんが、もう滅多に目にすることはできません。この当時(十数年前)ですら「珍しい!」と思って撮ったくらいですから…。このコンロ、貫禄がありますよね。これももう姿を消してしまったようで、見かけませんでした。

【場所】墨田区京島あたりです(番地不明)。

陽炎町京島(4)

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京島は、東京でもあまり知られた町ではありません。僕も、迷い込んで住所表記を見るまでは、この町の存在すら知りませんでした。しかし、いったん足を踏み入れてからというもの、この町の名は忘れられないものになりました。その理由は、繰り返しになりますが、東京にも土着感覚で住む人達が居るのだということを強烈に教えてくれた町、ということです。
が、そう書きながらも、京島の現在の写真を添えるのでは、伝えたいものがいまひとつ伝わってないな〜と、歯がゆい思いでいました。そして、ついに、当時の京島の写真をアップしなければ、ブログが先に進まないような気さえしてきました。
そこで、今日、昔撮ったフィルムから京島の写真を探し出し、なんとかスキャンしてみました。
十数年前に僕が迷い込んだ京島という町には、こんな風景がいたるところに残っていました。圧倒的で、何度もその場に立ちつくしてしまったことを思いだします。

【場所】左:墨田区京島(番地不明)。右:墨田区京島3丁目あたりです。

日曜日には、秋葉原の中央通りが歩行者天国になるってことは知っていましたが、"秋葉がホコ天"になってるってことは知らなかったのである。これは我が輩の失態であった。なんとなんとオモシロイ。というわけで、その紹介です。「いまごろ言ってんの〜」ってバカにされそうですが、これはオトーサンのための雑学講座です(^^;
今日、フィルムスキャナを購入すべく秋葉原に行ったのですが、人だらけの中央通りのあちこちに、それに輪をかけたような人だかりが出来ています。何だ?と思えば、その輪 [正確には半円] の中心に、若い女の子や女性が、自分たちの思い思いの衣装をつけて、歌ったり踊ったりしています。それを、携帯やデジカメ、ビデオなどを手にしたオニーサン、オジサン、オトーサンたちが取り巻いているのです。異様だけど面白い。
そんななか、群を抜いて目立ってたのが、この写真の女性シンガー。Uzumeさんというらしい。アニメソングをレゲエのリズムに乗せてラフに唄い語るスタイル。アニレゲというらしい。これが、レイドバックという言葉があの世から蘇ったようなルーズさでゴキゲンでした。しかも、なにしろカッコイイ。もう、それだけて良いのですよ、ほんとは(^^; あるジャズ喫茶店主兼評論家が「美人ジャズヴォーカル」なるジャンルをでっち上げてますが、それでヨロシイのでございます。このUzumeさん、典型的な美人アニレゲシンガーなのです。みんなで応援しましょう!(^^;
ところで、Uzumeさんはmixiやってるそうです。僕はブログだけて精一杯なので参加してませんが、mixi参加してる人、どなたかチェックしてみてください。んで、ここで紹介してるぞ〜と伝えてくださ〜い! ませんか?

【場所】千代田区外神田あたりです。

京島路地探訪

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そもそも僕が今回京島を訪ねたのは、昔訪ねた路地がどうなっているのか?という興味からでした。東京にも土着感覚で住み着いている人達が居るのだということを感じさせてくれた路地です。
京島は、震災と戦災ともに潜り抜けたため、被災した地区のように直線的な道が縦横に通されているのではなく、暗渠だろうと思われるくねくねと曲がりくねった道が1丁目から2丁目にかけて1本、1丁目から3丁目にかけて1本通、その間に人工的な直線の道が十文字に通されています。そして、それらの主要な道を、細道や路地が、けもの道感覚で、様々な角度や形で繋いでいます。したがって、地図なしで歩くと、方向感覚がとても掴みにくい町です。
そんな道事情の町を、昔も今回も地図なしで歩いたわけですから、探している路地が、およそどの辺りという目安さえありませんでした。だめで元々。運が良ければ、何か感じるものがあるだろうと思いながら、とりあえず歩いてみたというのが実情です。手がかりは「古い型の自転車が置いてあった」ということだけでした。
初日はその匂いすらしませんでした。2日目は、あるとすればこの辺りかな?と思える場所が2、3カ所見つかりました。が、やはり探せません。そして3日目。そのなかの1カ所で、どうやら「探していたのはここだろう」とおぼしき路地が見つかりました。最初は確信が持てません。しかし、ある家のタオルの干しかたとその空間との関係を見た時に、一種のデジャヴ感覚に陥りました。そして路地をすこし進むと、トタン造りのスモール蔵とでも言うしかない建物があり、これが古い記憶を呼び起こしてくれました。完全に忘れていましたが、徐々に、昔見た記憶が蘇ってきます。さらに、隣りの軒下には自転車が放置されていて、それが完全に錆びついています。どうやら昔見た自転車のようです。
僕が探していた路地に違いなさそうです。ほぼ間違いなく…。ここです。僕の路地歩きの出発点となったのは…。

【場所】墨田区京島2丁目あたりです。

陽炎町京島(3)

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京島の2丁目を東武亀戸線沿いに歩いていると、いたる所で踏み切りに出くわします。それも、路地の延長のような可愛い踏切に…。そして、その踏切を渡ると、住所表記が「押上」に変わります。亀戸線が京島2丁目と押上3丁目の境になっているんですね。
どの踏切も、それぞれ特徴があり気に入ったのですが、今日はこの踏切です。踏切に接して建っているのはいわゆる仕舞屋です。2階の雨戸を収納する部分[戸袋]の板を見ると、相当に朽ちています。外壁が補修されていて見えませんが、中味は相当に古そうです。この辺りは、線路を境に、戦災による延焼を免れたということですから、この建物は昭和初期またはそれ以前に建てられたものでしょう。補修で若作りしていますが、歳は隠せないようです。が、この輪郭を見ると、背筋をすっくと伸ばした老人のようで、一種の風格を感じます。

【場所】墨田区京島2丁目あたりです。

陽炎町京島(2)

ここは、京島と文花の境でもある十間橋通りと呼ばれる通りから、一本裏の通りへ抜ける路地です。路地と呼ぶにはちょっと広いかな?という道幅ですが、両側には、昭和初期に建てられたと思われる長屋が連なっています。トタン屋根の建物もありますが、多くは瓦屋根の長屋です。これだけしっかりした古い長屋がまとまって残っているのは、京島でも、歩いたかぎりでは、ここだけでした。
写真にはテントしか写っていませんが、左手は金属加工の工場で、電動の機械がギッコンギッコンと音をたてていました。この辺りでは、他にもこじんまりとした機械工場を目にしましたので、そうした工場が集まる理由があるのでしょうが、残念ながら取材不足で、理由は不明です。
余談ですが、このすぐ近くに、昭和10年に創業なさったという古い薬局がありました。そちらのご主人の話では、この左隣りの区画に、大正末から昭和初期にかけて阪東妻三郎 [田村正和さんの父上] が映画製作に使った吾嬬撮影所があったということです。

【場所】墨田区京島3丁目あたりです。

陽炎町京島(1)

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京島を訪れてはみたものの、曳舟駅前の再開発に気をひかれ、本来の町歩き写真の掲載が遅れてしまいました。で、とりあえず第一弾を。
十数年前にこの地を初めて訪れ、路地裏長屋での人々の生活を目にして以来、京島という地名が頭から離れなくなっていました。その理由をひと言で言うなら、「京島には東京に土着したように住んでいる人たちが居る」ということを強烈に感じさせられた、ということです。
失礼を承知で書いてしまえば、この辺りの長屋の多くは粗末な造りをしています。そして、話をした住人の口からは「ここしか無いからね」と消極的ともとれる言葉が漏れてきます。しかし、その言葉は、腹の据わった覚悟のようなものを響かせながら僕の耳に入ってきます。そして脳に届く頃には、「私にはここしかないの。ここが好きで、死ぬまで動く積もりはないね」と意味を変えていました。
翻って、僕自身はどうなのか、自問が始まりました。僕はいったい何処かの土地に「住んだ」と言えるのだろうか?と…。幼い頃から引っ越しを繰り返し、学生時代にはほとんど住所不定状態をつづけ、その後も引っ越しつづきだった僕には、そんな土地が思い当たりません。
ある土地に滞在したことはあれ、住んだことはなかったことに、この時、気づかされたのです。はっとしました。それ以来「住む」ということが、僕にとっての重要な問題でありつづけています。今回、京島を訪れたのは、それに気づかせてくれた路地探しでもあったわけです。
今日の写真は、その路地が潜む町、京島2丁目と3丁目の通りです。昭和初期に建てられた商店や大正期の建物では?と思える長屋がまだ残っています。この町を歩いていると、なぜか「陽炎(かげろう)」という文字が頭に浮かびます。

【追記】右の写真に写っている長屋は、上記の「粗末な造り」の長屋ではありません。
【場所】墨田区京島2丁目(左)・3丁目(右)あたりです。

人無町景色(4)

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自分が住んでいる町でもないのに、京島の再開発地が気になりはじめ、今日も京成線に乗ってしまいました。そして真夏を想わせる陽射しのなか、テクテクと再開発地の見回り(^^;をしてきました。
実は、前回・前々回とここを訪ずれた時は、どんよりと曇っていました。それはそれで撮って歩いたのですが、「これは晴れた日にも撮っておきたい」と思う風景もあって、それには絶好の日だというのも、腰をあげた理由です。
しかし、現地に着き、目的の建物に近づくと、なんとまあ、もう白いシートで隠されています。残念無念。そういえば今日は月曜日。工事が進行しても不思議はないんですね。あまり曜日と関係なく生活している僕は、世の中が動いていることを忘れていました。ま、こればかりは仕方ありません。とりあえず、その様子をカメラにおさめてきました。
白いシートの向こう側では、家屋が取り壊される、バリバリメキメキという音が響いていました。工事は想像以上に急ピッチで進められているようです。

【場所】墨田区京島1丁目あたりです。

人無町景色(3)

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久々に京島を訪れ、予期せず出くわしたのが、既に着手されていた曳舟駅前の再開発計画でした。十数年前に歩いた路地探しも気になりますが、もうじき消滅する風景を記録しておきたいという気持ちも強く、今日、ふたたび再開発地区を歩きました。二三の写真でその全貌を伝えるなんてことは到底無理ですが、ま、とりあえず…。

左の写真は、京成曳舟駅を出て、線路沿いの細い道をちょっと歩いた地点から見た風景です。正面に見えるバラード音楽院が再開発地のひとつの角にあたり、ここから左右向こう側にかけて取り壊されます。右方向には同様の店舗ビルが何棟かありますが、もうシャッターが下りていました。左手の線路沿いにはバラック状の建物が連なっています。それらも全て取り壊しの対象です。
中央の写真は、再開発地の中央部分です。バラック状の建物が集中していますが、もう大半は無人です。この奥には、濃密な空気が漂う複雑な路地があります。ほとんど人には出会いませんが、時折、近所の人が近道として通り抜ける姿を見かけました。
右の写真中、左手にある工場も取り壊しの対象で、すでに操業を停止し、閉鎖されていました。右手に連なる飲食店もすべて閉店しています。お店の看板が取り外された跡がお分かりいただけるでしょうか。こちらはまだ住まいとして使われているようで、二階には布団が干してありました。先方に見える東武のボーリング場[東武曳舟駅]の手前までが取り壊しの対象です。

【場所】墨田区京島1丁目あたりです。

人無町景色(2)

先日言及した貼り紙ですが、やはり、このお店の表情は残しておこうと思い、一部しか写っていませんが、その写真をアップしておきます。
左の写真が、貼り紙のあった「きらく」という中華料理店の看板です。肝腎の看板が、エアコンの室外機で隠れているというのがご愛嬌ですが、ま、看板なんて必要なかったということですね。それだけ、この界隈では親しまれ、固定客が通っていたであろうことが想像できます。貼り紙によれば、この土地で46年間営業を続けてこられたということですから、このお店が生まれたのは昭和33年頃ということになります。この看板とテントが、まさかその当時のままということは無いでしょうが、相当な年月を感じさせます。このお店が営業なさっていらした頃は、この看板がどんな風に見えたのでしょう。貼り紙が出されたのが3月31日。まだ2ヶ月ほど前のことです。その2ヶ月で、こうも廃屋感が出てしまうものなのでしょうか。人の気配というものはパワーがあるものだと、改めて感じさせられます。

【場所】墨田区京島1丁目あたりです。

Ginza 2005.06.11

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所用で、また一瞬銀座へ。どんよりと曇り空で、いかにも梅雨って感じでした。蒸してましたしね。こんな時は、夕暮れてから亜細亜な食堂あたりでバクテーなんぞ食すべきか?などと思いつつ、ソニービルの前に立つと、目の前に米倉涼子さんのデカ写真垂れ幕が…。ま、お名前に「涼」が入ってるので、梅雨時には適切なキャスティングか?と(^^; しかし、おじさんは、むしろ、ちょっと熱くなりましたが…(^^;
今日の銀座は、妙に外国人観光客の姿が多かったですね。大型観光客船でも入港したのかな?って感じでした。いや〜本日は実に他愛もないエントリーでオソマツですm(__)m それを補おうと、写真サイズだけはデカくしてみました(^^;

【場所】中央区銀座5丁目あたりです。

人無町景色(1)

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十数年ぶりに墨田区の京島を訪ねてみました。トタン屋根の波打つ庶民の町という印象が頭を離れず、そこが今どうなっているのか、ずっと気になっていたのです。昔のままの姿を残しているのか、または一変しているのか。
最寄り駅である曳舟駅に降り立ちました。結果は、後者でした。再開発が進んでいるようで、特に駅周辺には、かなり規模の大きい高層のマンションが何棟も建っています。
もうダメかな?と思いつつも、せっかく来たのだからと、とにかく歩きはじめました。すると、古い記憶を掘り起こしてくれるような建物や風景が断片的に残っています。十数年ぶりに再会するというのは、相手が建物であれ、感慨があります。そうした断片にできるだけ出会おうと思い、歩きつづけているうちに、ある踏切の脇に、きわめて低いトタン屋根の家が見えてきました。そこには細い路地が伸びていて、奥のほうにも同種の建物が建っているようです。ちょっと入りにくい路地でしたが、足を踏み入れてみました。
いやに静かです。なんだか様子が変です。洗濯物が干してあったりするのですが、人の気配を感じません。さらに奥に進むと、ベニヤ板などで窓が覆われ、はっきりと廃屋状態であることが分かる家も現れてきます。ここまで来るとさすがに状況がつかめてきます。ここは再開発されるのだろうということが…。その状況は路地を抜けても変わりません。そして、あるお店のドアにこんな貼り紙がしてあるのを見つけました。「恙なく皆様の暖かいお交宜に支えられ良い時代でした」という下りが胸に来ます。
この路地を歩きながら、所々に人が住み着いたゴーストタウンを歩いているような錯覚に陥っていたのですが、その感覚は正しかったようです。

【場所】墨田区京島1丁目あたりです。

墨田区の京島に、2階部分が低い昔の長屋を探しに行ってきました。ところが、最初に僕の目に飛び込んで来たのが、この驚くようなカラフルなお店。なんだか「ここ、京島?」と、夢でも見てるような気分です。店先に花の鉢が並んではいるものの、最初は何のお店なのやら分からず、しばらくお店の反対側に立って眺めていました。すると間もなく、ご主人かな?という感じの人が、鉢を入れたボックスを抱えて店内に入っていきます。
その姿を追って僕も店内へ。お話をうかがうと、ご主人は生まれ育ちともに京島で、7年前にこのお店 "Love Garden" をスタートさせたのだそうです。中心はガーデニング。とは言っても、庭造りから内装まで、生活空間に関することであれば、何にでも相談に応ずるという営業方針のようです。したがって、このお店はショールームを兼ねているようです。
ふと気がつくと、店内にはライ・クーダのスライドギターの音が流れていて、飾ってあるCDジャケットもバーズ「スイートハート・オブ・ロデオ」とボブ・ディラン「ナッシュビル・スカイライン」。壁のあちこちには、荒野に放置され錆びたVWビートルの写真が貼ってあります。ガーデニングのお店は多々あれ、ちょっとこういった感覚のお店は無いんじゃないですかね。そして、こちらのご主人、もしやネイティブ・アメリカンの血が流れてるのかいな?という顔立ちです。ひじょうに雰囲気あります。営業臭さゼロなのが玉にキズか?ってくらい(^^;
ところで、この一見派手に見えるドアを見てすべてを判断してはいけません。しばらく話をつづけるうちに、ご主人が「トタン・古い木材・錆好み」であることが判明。実はこれ、経年変化を見越した派手地味な世界のようです。日本の庭の世界にも、こういう感覚の人が生まれてるんですね。しかしこのドア、どこをどう切り取っても絵になってしまいました [写真1] [写真2]。

【追記】こちらのご主人ですが、鎌倉のKamakura Loco Mart & Gardenで修行なさったのだそうです。そういえば天井にサーフボードが置いてありました。もしやこのブログを訪れてくださる湘南在住の方のなかにお知り合いがいらしたりして...。

Love Gaeden:墨田区京島1-20-12 / 03-5247-1068 / 10:00am - 7:00pm

【関連エントリー】LOVE GARDEN / LOVE GARDEN 06.02.18

グレイトフルデッドのコンサート録音をダウロード購入できるようになりました。まだ2つのショウだけですが…。ダウンロード先は Grateful Dead Store と iTunes Music Store。後者ではまだ販売が始まっていませんでしたが、前者では既に購入可能な状態になっています。
購入できるファイルも3種類あり [MP3(128bps)/MP3(256bps)/FLAC] 、ファイルの種類によって値段も違っています。ダウンロードしてiPodに転送して聴くもよし、CDに焼いて高音質で聴くもよし、ということなんですね。
ところで、僕は早速購入しようと思ったのですが、どのファイルにしようか迷ってしまい、まだ購入していません。人柱なしのポストで申し訳ありません。
PS:いっそ、30年分のデッドショウとスライドショウを収録したデッドスキンgPodでも発売してくれないか?と考えてしまいます(^^;

■Grateful Dead Store:http://www.gdstore.com
■FLAC(Free Lossless Audio Codec):http://flac.sourceforge.net/index.html

下谷区の名残り

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ここは台東区の下谷です。金杉通りを挟んで根岸と向かい合っている町です。根岸の3丁目と同様に、戦災で焼失しなかったため、いまでも道の両側に2階建ての長屋が連なる、いかにも下町という風景を残しています。

そうは言っても、ちょっと眼をうえにやると背景には高層のマンションというのが現実です。この四軒長屋も例外ではなく、背後にはビルがそびえています。こういった風景も、もう風前の灯火といった感が否めません。

しかし、下谷と言えば、昔は下谷区という区が存在したほどの地名です。下谷神社の御輿も千貫御輿として有名です。それだけ担ぎ手が多かったということは、昔から栄えた町だったということになります。

勉強不足で、その基幹産業が何だったのかは知りませんが、細やかな風情を感じさせる根津や谷中に比べると、明らかに大味で粗野な印象があります。が、それは悪い印象ということではなく、それぞれの町がそれなりに特徴を感じさせるという意味です。

しかし、地名が変わったのを追いかけるようにして風景も変わり、すごい速度でその特徴が失われていくことに、一抹の淋しさとともに、危うさのようなものを感じてしまうのですが...。

【場所】台東区下谷2丁目あたりです。

今日は本郷三河稲荷神社のお祭りでした。氏子はお隣の町会、元一町会と元二町会です [旧町名が元町1丁目と2丁目]。初夏の陽射しのもと、思いの外(と言っては失礼千万)威勢の良い御輿が、助っ人神田囃子に先導され、町内を練り歩きました[写真1][写真2]。
神田明神や根津権現とは比べものにならない規模ですが、祭りは規模ばかりではないという見本のような祭り。御輿を担ぐ人、見る人、神酒所で世話にあたる人、誰もが「あ、あの人」という布陣で、こじんまりと和気あいあい。しかし、要所には、江戸助六太鼓の流れを汲む壱岐坂和太鼓の面々が陣どり、御輿が近づくとばちを振り回しての乱れ打ち。この御輿プラス和太鼓という組み合わせは非常に迫力がありました。このときばかりは興奮度が天下祭りを超えるか(^^;という勢い。なかなかのものでした。
小一時間しか観ることができませんでしたが、その間にも、知り合いの奥様に「食べてってよ」とスイカをいただいたり、ビールを勧めていただいたりと...、ご近所のお祭りって良いものです。
ところで、今日の写真は、ちょっと外して、担ぎ手が神酒所で休んでいる時間にふと目にした光景です。祭り伴纏[シャツ?]を着て、午後の陽射しのなか、地面にぺたりと腰を下ろしてスイカを食べている少女の後ろ姿が、なんとも言えず印象に残りました。

【場所】文京区本郷1丁目あたりです。

屋上に設置されたこの奇妙な構造物は何だとお思いになりますか? これは、東大キャンパス本郷地区のいちばん農学部寄りにあります。農学部と本郷地区とは、言問通りのうえにかかる歩道橋でつながっています。農学部からその歩道橋を通って本郷地区に渡ると、正面に、この八角形をした構造物が見えてきます。正面から見ると筒状の部分が見えないため、最初は朽ちた巨大な看板に見えます。そして、そばまで歩いて行くと、筒状の部分が見えはじめ、やっと「何だ?このドデカいホーンは?」ということになります。
この下でモーターサイクルの調整をしていた学生さんらしき人にたずねてみましたら、これは、航空工学の風洞実験用装置の一部なのだそうです。これが吸気口なのか排気口なのか分かりませんが、これが作動すると、ものすごい風が吹くのではないか?と思い、それもたずねてみましたら、「風はそうでもないが、音がもの凄い」ということでした。
疑問はすぐに晴れましたが、まさかこんな物が本郷キャンパスにあろうとは思いもしませんでした。ちなみに、このホーンの反対側はこうなってました。

【追記】この写真は、広角レンズで見上げるようにして撮っているため、肉眼で見るよりもホーンが小さく見えます。
【場所】文京区本郷東京大学構内です。

路地で人待ち

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ここは、谷中の初音あたりから谷中銀座まで、かくかくと折れ曲がりながらつづく細い路地の出口です。そこにコーギーを2頭連れた女の子が人待ちをしていました。先に見える明るい通りが谷中銀座です。その明かりが、その様子を暗がりに浮き上がらせています。誰を待っているのでしょうか? この子のお母さんでしょうか? 明かりの方向に釘付けになったコーギーの「もう待ちきれない」という姿勢がなんとも可愛いです。
谷中って、住人が普段着で歩いても、ちょっとお洒落をして歩いても、それなりにうまく背景になってくれる生活の場という感じがします。良い町です。

【場所】台東区谷中3丁目あたりです。

はん亭

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このところ、なにかと多忙で、散歩に出ることができません。で、結局、あまりやりたくない、"アリネガ"からのエントリーがつづいています。最後に歩いたのが浅草でしたから、いつの間にかトップページが浅草からの写真ばかりになってしまい、なんだかザワつき過ぎになっているのに気づきました。
そこで、自分でも、ちょっと落ち着きのある図が欲しくなり、今日は、久々に根津からです。
ここは木造3階建ての建物でも有名な串揚屋さん「はん亭」です。お店の通りに面した位置に、こうして、額に入った季節の品書きが出ています。かなりモダンですが、古風な背景と引き立て合っているように思います。やはり、こんな一画を見ると、ほっとします。いいですね、根津って...。

【場所】文京区根津2丁目あたりです。

この建物は、仲見世と交差して伸びる道沿いに建っています。もう使われていないようです。もしかすると、右側だけが改修に入っているのかな?という状態です。
ここは他にも面白いバラック状の建物が多くある場所なので、特に特徴もないこの建物は見落としがちになると思います。しかし、よく見るととても興味深い建物です。看板こそありませんが、看板建築の外形そっくりに造られています。
ここで特徴的なのが、2階部分の低さです。看板建築は、とかく2階部分の外壁を必要以上に高くすることが多いのですが、これは異様に低いですね。この低い2階部分というのは、古い長屋に見られる特徴で、京島や本郷の古い長屋にも、1階と2階がこれと同じような高さ比率を持つものがありました。そんなことを思いながら、改めてこの長屋を見ると、相当に愛嬌があり、しかもシンプルですっきりしたデザインですね(^^;
しかし、この建物、いったいいつ頃建てられたものなんでしょう? 看板建築の多くは、震災後から昭和初期に建てられていますが、この2階部分の低さ、そしてこの建物の大家が浅草寺(立ち入り禁止の立て看板から判断)であろうことを考えると。もしや震災前ではないだろうな?という興味津々な疑問が湧いてきます。例えば、最初は町屋風長屋で、その後、看板を巻いたのでは?といった疑問です。浅草寺周辺は、震災による延焼を免れているようですし、戦災をも潜り抜けた場所があるようですので…。

【場所】台東区浅草2丁目あたりです。



ninepeace.jpg




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