千石谷の洋裁店

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え〜と、千石谷とタイトルに書きましたが、そんな地名があるわけではありません。ここは、小石川を通る千川通りと千石を通る不忍通りの交差点のすぐ近くです。
その交差点を、千石側から眺めると、こんなふうに見えます。写真でお分かりいただけますように、交差点は、この辺りで最も低い位置にあります。前方左手に車が停まっていますが、その辺りに昔は川が流れていて、猫叉橋という橋が架かっていたそうです。そこから、この下り坂が猫叉坂と呼ばれるようになったと言います。その石橋の一部は、記念碑として、いまでも保存されています。
で、この洋裁店ですが、この交差点を左に折れてすぐの所、この辺りでは最も低い土地に建っていることになります。そこで、勝手に、千石谷とした、というわけです。アースダイバーにとっては、土地の高低は重要ですからね(^^;
この洋裁店が面している千川通りは、しょっちゅう通っていた道なのに、車で通ってばかりいたせいか、先日、歩いて通りかかるまで、この洋裁店の存在に気づきませんでした。ここで惹かれるのは、何と言っても、建物の小ささと、この看板ですよね。昭和のはじめ頃の懐かしい雰囲気を残しています[戦後かな?]。この手の看板は、本当に少なくなりました。
なんだか、柔らかさがあって、優しい看板ですね。そして、「婦人服」が赤で書かれ、「紳士服」が青で書かれているところが、何とも微笑ましく感じられます。それも時代ですね。ま、眼を射るような看板がヨシとされる今日では、これを時代遅れと言うのでしょうが、こういった穏やかさに救いを感じる今日この頃です。
しかし...です。正面の引き戸がアルミサッシに変えられてから、そう日が経っているようには見えません。その前に見ておきたかったな〜と、それが残念でしかたありません。

【追記】不忍通り[この坂部分]が開通したのは1922年(大正11年)だそうです。また、明治末の地図には、まだ川が書き込まれていました。
【場所】文京区千石2丁目あたりです。

コメント(26)

masaさん。こんにちは。「こんなふうに見えます」の写真。そのあたりの地形の雰囲気、とってもよくわかります。/さっそく、Googleのマップ機能で「文京区千石2丁目」あたりを探してみました(大塚小学校のあたりですか??)。そして、手元にある『アースダイバー』の後ろに入っている「Earth Diving Map」をひろげてみました。2つの地図を重ね合わせ、masaさんの写真を拝見すると、「その辺りに昔は川が流れていて、猫叉橋という橋が架かっていたそうです」とお書きになっていることがリアルに理解できます。/最近の看板は、人びとの消費の欲望を刺激するようなものばかりで、こういった「質実剛健・職人技術のプライド(それ以外余分なものはなし)」的看板は、あまり見なくなりましたね。/丁寧にかけはぎなどなさる高齢の職人さんが、あの引き戸の向こうで仕事をされているのではないかと、想像しました。

>wakkykenさん
コメントをありがとうございます。写真で言いますと、大塚小学校(この学校をはっきり見たことはありません)は、交差点の右手前方になります。撮っている位置は、坂を少し下ったところです。この坂をすこし戻った所に、先日アップしましたお稲荷さんのあるお宅があります。
この日は、日曜日でした。平日であればカーテンが開かれるのか?どうしてもそれを確認せねば!と思っています。現役でいて欲しいと思わされます。

画面左の青波トタンに映る影は、撮影者のmasaさん、ですね。風景の一部として観察者が文字通り影を落としているんですね。肩のラインがあったかいです。
右の建物もいまは看板がないけれど、これも看板建築ですよね。
味のある写真ですね。

>じゃらん堂さん
こんばんわ。コメントありがとうございます。この影ですが、誰の影か?は企業秘密(^^;です。じゃらん堂さんのように、この影に気づいてくださり、想像を膨らませてくださる方がいらっしゃるかも?と思い、もっとはっきり「人の影だ」と分かるカットもあるのですが、このチラリ影のカットを選択したんです〜。ご指摘のように、右も平屋の看板建築です。この辺りは、こんな小さな可愛い看板建築や長屋が軒並み連なっていたのだろうな〜と、想像します。

いや待てよ。この影、ひとりじゃなくて、ふたり??
左は髪が長い・・・。
ということは・・・・??
いやあ、masaさんの思うつぼにはまって、想像力が膨らんじゃいます!!
(いつもこの手の脱線系レスで恐縮デス。)

>じゃらん堂さん
でしょ、でしょ。光が射している方向さえよく分からなくなってきますでしょ? 影の素(^^;が一切写り込んでいないため、トリッキーになってるんだと思います。正解はメールでお送りしま〜す、なんて(^^;

どうしてもそれを確認せねば!>masaさん。そうですよね、ぜひにも確認していだきたいと思います!! (お稲荷様、確認したいです。ホントに。)/ 画面左の青波トタンに映る影は、撮影者のmasaさん、ですね。>じゃらん堂さん。
そうか、そうですよね。影をきちんと見ていませんでした。ご指摘をもとに確認して、「あ!」とびっくりしました。/もっとはっきり「人の影だ」と分かるカットもあるのですが、このチラリ影のカットを選択したんです〜>masaさん。う〜ん、さらに、あえてチラリを選択されたことに、・・・う、う、うなっています。 

>wakkykenさん
こんばんわ。先に頂いたコメントへの僕の返事ですが、いま読み返してみますと、なんだかピンボケな感じですね〜。お分かりいただけましたでしょうか?
このお店については絶対に確認しておきます。
ところで、この影については、こうして話題になるとは思っていませんでした。僕なりには、気にしてたのですが、ま〜フツー気になる人はいないよな〜、でも自己満足の世界だから…って感じだったんです。嬉しい誤算ってやつですね。

お分かりいただけましたでしょうか?>masaさん。あの〜、たぶん最初からわかっているつもりなのですが・・・(^^;)。大丈夫です。/影の話ですが、僕はフツーなので、まったく気がつきませんでした。ですから、それに気がついた、じゃらん堂さんは、めっちゃスゴイと思い、そのようなフツーでない(鋭い)反応に対して、それもきちんわかったうえで、あえてこの写真とmasaさんが選択されたことが、僕には驚きでした・・・。/自分でも、なぜ驚いたのかよく説明できませんが、単純に驚いています。「見える人には見えて、見えない人には見えない」というと、当たり前の話しかもしれませんが。

>wakkykenさん
あ、よかったです。なんせ僕の場合は文章に問題ありですので…。影につきましては、僕は「手品の種を手元に置いている」ようなものですから大したことないんです。やはり、じゃらん堂さんの眼でしょうか。じゃらん堂さんは、ご自身も、とても良い写真をお撮りになってますので、それだけ写真にも興味を持っていらっしゃるのだろうと想像しています。それから、僕にはいつも目をかけてくださってる、ということもあります(^^;

やはり、じゃらん堂さんの眼でしょうか。>masaさん。そうだと思います。写真に限らず、いろんな分野で、そういうことってありますものね。で、やはり写真にも「手品の種」のようなものがあるのですね。そうか。そうですか〜・・・。なんだか、まともなコメントではありません。ごめんさない。でもね・・・(←マジな気持ちです)

>wakkykenさん
あ、「手品の種」って、そんな大袈裟なものではなくて、単に、「幾つかのカットがあって、自由に選択可能な状態にある」というだけです(^^; wakkykenさんをはじめ、皆さんが「豊富な知識から、適宜選択なさって記述に使用」なさるのと何ら変わりありません。って、「だた幾つかのカット」と「豊富な知識」では、そ〜と〜に差がありますけど…(^^;

masaさん。えっ・・・、僕にかぎっていえば「豊富な知識」なんてとんでもないですよ(常識ないですし・・・)。/ 「下田洋裁店」っていう大きな看板のほうばかりに注目してしまって、モノのようには存在していないけれど、確実に“存在”しているに「影」に気がついていなかったのですから。/ 意図的に視線を変えて、「影」のようなもの(存在しているけれど、普段は見えていないもの)に注目すると、世の中違ってみえてくるのでしょうね。東京の街のなかで、「土地の高低」に注目すると、違ってみえてくるのと同じですね。原理的には。

>wakkykenさん
いえいえ、エントリーした途端にいただくコメントに含まれる情報量のすごさには感服いたします。ほんとに良い勉強をさせていただいてます。そして感謝しています。
しかし、こういうのって、細部に気づく場合もありますし、気づかない場合もある。それで良いように思います。その細部が効果的なものであるならば、それが人の無意識に働きかけ、画面に引きつける効果を生んでいると思うんですね。ですから、特にお気づきにならなかったとしても、ヒッカカリを感じていただき、コメントを残していただけたということは、それに感応していただけたのだと思います。
おっしゃいますように、写真って、一枚のなかに、幾つもの構図が重なっていないと、つまんないですね。

写真って、一枚のなかに、幾つもの構図が重なっていないと、つまんないですね。>masaさん。そうか、「幾つもの構図が重なっていないと」というところに、自分の仕事にもヒントをいただきました。ありがとうございます(^_-)-☆。構図、あるいは解釈の重層性とでもいいますかね。

>wakkykenさん
う〜ぬ、「解釈の重層性」なんて言葉は、そうポンと出てくるものじゃありませんよね〜。文字系で言いますと、俳句とか短歌というのは、実に写真に通ずるものを感じます。重層性という面からも…。

俳句とか短歌というのは、実に写真に通ずるものを感じます。>masaさん。僕のばあいは、特に俳句にそのことを感じます。でも僕は、ぜんぜん、俳句も短歌もやってこなかったんですよ(自分にとっては、短歌のほうがまだましか・・・)。詩的な文章というのは、読者に、いろんなインスピレーションを与えますからね。それが豊かさに通じていると思います。

>wakkykenさん
あ、いえ、僕も、俳句も短歌もぜんぜんです(^^; 勘で言ってることですので…(^^; 僕の場合、これがいけません。wakkykenさんのおっしゃることは、きちんと裏が取れている、という感じです。
追:ところで、今日、この洋裁店の前を通りました。残念ながら、平日の今日もカーテンは閉じたままでした…。

残念ながら、平日の今日もカーテンは閉じたままでした…。>masaさん。そうですか〜。僕は、ガラガラッと入り口の戸をあけると、首にメジャーをぶら下げて、老眼鏡を越しに、こちらのほうジロッと見て、微笑みもなく、「いらっしゃい」とぶっきらぼうにいうような、けして商売上手でない、頑固な職人さんがいたりして・・・なんてステレオタイプなことを考えていました(^^;)。リタイアされたんですかね。

>wakkykenさん
こちらは気になりますので、まわりの人に話をうかがったりしてみようと思います。おそらく、もう住まいとして使っていらっしゃるのでしょうが、この看板は捨てられなかった、ということのような気がします。そうだとすると、ちょっと切ないですね。

そうだとすると、ちょっと切ないですね。>masaさん。そうですか、、、。そういう職人の人たちが元気に活躍されていた時代を、僕などはよくわかっていません。お話しを伺われたら、概要でけっこうですので、ぜひ、こちらのBlogでご披露ください。

昨晩は東京泊だったので、サイトチェックをしてないうちに、ずいぶん盛り上がってますね。
正解のメール、まだ届いてないよ〜ん。
でも、正解はまだ知りたくない気も・・・・。
もうちょっと想像を楽しんでみます。

>wakkykenさん
どうも、自分で書いた文章を、後で読んでみますと、舌っ足らずでいけません。「この看板は捨てられなかった」と短く書いていますが、これは、「この家は、明かに、割と最近改装・改築した跡がありますが、この看板は、自分の生活・人生を支えてくれた仕事の証でもあり、心の支えにすらなっていて、改装時に捨てようにも捨てきれなかった」のかな?と想像する、ということを言いたかったのです。もちっとちゃんと書かなきゃいけませんね。

>じゃらん堂さん
こんばんわ。あれ、東京泊だったんですか〜。もしや、抜け駆けでバクテー食べてらっしゃいませんか?(^^;

masaさん。「この看板は、自分の生活・人生を支えてくれた仕事の証でもあり、心の支えにすらなっていて」の部分、グッときました。こういうの弱いんです、僕。

>wakkykenさん
お、wakkykenさんのツボというわけですね。メモっておきます。



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