2006年3月アーカイブ

高田残景

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ここは豊島区の高田です。高田というと、高台を想像しますが、ここは神田川沿いの低地です。にも関わらず「高」という字がついているのは、「タキ(タカ)」が急傾斜地を意味し(注1)、昔は、現在の目白通りから下る傾斜地にも田畑がつくられていたところから、高田と呼ばれるようになった、というのが有力な説のようです。
ま、地名のことはさておき、問題はこの風景です。地上げの爪跡がありありです。僕は、こうしてスカスカになる前の高田を見たとこがありませんが、この一帯には、写真に写っているような長屋が密集していたことは想像に難くありません。きっと、濃密な路地が這い回っていたことでしょう。それが、もやは裸同然の姿を晒していました。
この風景が目の前に拡がったときの違和感はかなり強烈でした。妙に広々としているのですが、実に寒々としています。なんだか北国の港町の風景でも見ているような気がして、思わず上空を見上げ、トビの姿を探してしまいそうでした。昔は水田だったという土地柄ですが、なぜかそんな匂いは感じませんでした。感じたのは確実に潮の匂いでした。なぜか...。

ところで、ついでですが、神田川沿いの土地は、けっこう地名が入り組んでいます。神田川の北側一帯が高田かと思うと、意外にも、新宿区の西早稲田が食い込んでいたりします。不思議だな...と思っていたのですが、以下の現在・明治期・江戸期の地図(注2)を比較すると、その理由が分かります。説明するまでもありませんが、蛇行していた神田川を直線的に改修したことが原因で、飛び地ができてしまったのですね。


【追記】iGaさんが、多摩地区を流れる境川流域の「飛び地」などに関する記事をエントリーなさっています。
【追記】(1) 『地べたで再発見!「東京」の凸凹地図 』[技術評論社]のP117を参照しました。
 (2) 『三層 江戸・明治・東京 重ね地図 』[(株)APPカンパニー]より。

【場所】豊島区高田1丁目あたりです。

神田川の夜桜

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冷たい風の吹く寒い日でしたね。その寒さにもめげず、夕方、豊島区の高田を歩いていました。が、既にあたりがだいぶ暗くなっていましたので、「ここからどうして帰ろうか?」と思い、昨日から持ち歩くようになった文庫サイズの地図をひろげ、最寄り駅をチェックしました。すると、神田川を越えれは、すぐに都電荒川線の駅があることが判明。「これだ!」と思い、歩きはじめました。そう言えば「神田川の桜が満開」という記事をどなたかのブログで目にしたな〜と思いながら…。
ほどなく、神田川に架かる橋が見えてきました。そして、橋のうえに立ってみてビックリ。なんとまあ見事だこと…。いやはや、お恥ずかしい話ですが、神田川の桜並木がこんなに凄いとは、今日の今日まで知りませんでした。ま、偶然通りかかったとは言え、とにもかくにも、ほぼ満開の見事な桜並木を目の前にしたのですから、とりあえず、写真に収めておくことにしました。
しかし、この桜の花というヤツは、意外に白々とした色で、それだけに上空の色を映してしまいます。今日は、薄い雲が多く、上空は青味の強い色をしていました。したがって、何度シャッターを切っても、モニタで確認すると、あまり嬉しい色にはなっていません。ちょっとがっかりです。
ところが…、太陽が沈む頃になって、上空に浮かぶ雲がピンクに染まりはじめました。そして、その色が桜の花にも影響を与えはじめます。雲がレフ板になって、ピンクの光を桜に当ててくれたようなものです。しかも間接光ですから、ほとんど陰ができません。その様子は、桜の花が淡いピンクに発光しはじめたかのようでした。そんなときに撮ったのが、左の写真です。
右の写真は、その後、上空の雲がピンクからブルーに変わり、さらに濃い群青色になった頃に撮ったものです。

【場所】新宿区西早稲田1丁目あたりです。

ガマ池への路地

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狸坂と呼ばれる坂を下りきったところに、存在を知らなければ、間違いなく通り過ぎてしまいそうな、細い路地の入口があります。その路地は、ガマ池の谷戸まで、約100メートルほどつづいています。
明治期の地図を見ると、ガマ池の北東から水路が描かれ、その先が狸坂まで伸びているのが分かります。おそらくは、その水路(ドブ川?)を暗渠化したのがこの路地だろうと思います。
今日の写真は、路地の入口から、左手のマンション敷地の擁壁と、右手の新築らしいマンションの間を抜け、いかにも谷戸の底らしい風景に出会う位置から撮ったものです。ここから先は、突き当たりの擁壁まで、右手に長屋などがつづき、左手は沼を整地した公園になります。
ここは、きわめて細い路地ですが、通行する人をニ、三人見かけました。地元の人は、通路として利用しているようです。
とは言え、この先は、ご覧いただけるような細さです。不用意に歩いていると、肩やバッグが家の壁にすれてしまう程です。部外者であれば、いつの間にか、息を殺し、忍び足になっている…そんな秘密めいた感覚にさせてくれる、濃密な空気に満ちた路地です。こんな路地が潜んでいるガマ池の谷戸。なかなか懐が深いです。

【場所】港区元麻布2丁目あたりです。

元麻布の路地

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昨日に引きつづき、元麻布にあるがま池の谷戸からです。
この谷戸の底には、長屋などが密集して建っていますが、この土地は、台上にある本光寺の所有になるそうで、建物はすべて、借地の上に建っているのだそうです。本光寺というお寺は古く、300年以上の歴史があります。したがって、この谷戸の土地も、宅地と利用されるようになってから、かれこれ100年以上にもなるそうです。
また、沼地に近い状態の土地を整地して宅地にしたからでしょうか、昔は、この土地が「新開地」と呼ばれていたそうです。が、いまや「新」どころか…というところですね。
この谷戸には、まだ高い建物がありません。最近建て替えられたばかりの家を除いては、平屋と2階建てばかりが並んでいます。最近は、何処の路地を通っても、何軒かが補修され、新建材の塊状態になっていたり、路地の先に高層ビルがそびえていたりして、興ざめすることが多いのですが、この路地にはそれがありません。
両側の長屋も、一部補修こそされていますが、無愛想な淡色の新建材の塊にはなっていません。そして、突き当たりは波形トタンの2階家です。路地の先端が、その家に上がるための階段になって消えています。さらにその奥に見えるのも樹木と空。しかも、前景には、ブリキの煙突まで見えます…。
ここまで条件が揃っている路地というのは、最近ではほとんど目にすることができません。ほんとうに貴重な、完璧に近い下町の路地風景ですね。ま、実は…、ここでも、振り向くと、視線の先に高層マンションがそびえているのですが…。

【場所】港区元麻布2丁目あたりです。

長屋バラックの逸品

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25日にエントリーした、元麻布・がま池の谷戸にひっそりと棲息していた長屋の一画です。なんという素晴らしさなのでしょうか…。見た途端に惹き込まれてしまいました。
相当な風化が見られます。そして、あちこちに継ぎ接ぎした部分が見られます。それらが職人の手になるものではないことは、ひと目見れば分かります。同時に、そのどれもが、丁寧に気持ちを込めて作業されているということも、ひと目で分かります。そのせいか、各部の輪郭が実にシャキッとしています。雨樋なども完璧に機能を果たす状態に維持されています。コンクリートの塊のような土台や、そこから立ち上がっている、銀色に塗装されたトタン板は、木部とは異質過ぎて、違和感を感じさせてもよさそうですが、この場合は、建物に迫力を添える役割を果たしているように見えます。全体的に無駄もなくタイト。もう完璧です。端正とか凛々しいという言葉をあてても良いくらいです。
ところで、この分厚いコンクリートの土台ですが、これは、この地が湿地であり、「大雨が降ると、路地に水が溜まり、ぬかるんだ」ということから、その水を避けるため、少しでも床を高くしようとの、苦肉の策なのでは?と推測しています。
それにしても、元麻布に、こんな逸品が潜んでいようとは思ってもみませんでした。やはり歩いてみないことには…ですね。

【追記】「東京人」2005年2月号 37ページに、この長屋の前に立つ松本隆さんの写真が掲載されていました。
【場所】港区元麻布2丁目あたりです。

ガマ池スリバチ

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スリバチ学会@麻布界隈に参加してきました。コースは『広尾駅前 → 有栖川宮記念公園の谷戸つり堀「衆楽園」→ ガマ池&スリバチ → 麻布十番 → 根津美術館庭園の池』です。
各ポイントともに興味深いものがありましたが、なんと言っても、今回の収穫は「ガマ池スリバチ」でした。右の写真が「ガマ池」。左の写真が、その「ガマ池スリバチ」の全景です。

踏切のある路地

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本郷から文京区の関口周辺や豊島区の鬼子母神周辺へは、思いの外交通の便が悪く、行こう行こうと思いながら、なかなか足を運ぶことができませんでした。モペッドを入手して行こうか?とも思っていたのですが、それもなかなか叶わず、いつまでたっても僕にとっての未踏の界隈になっていました。
で、今日、エイと思い立ち、都電を利用して鬼子母神に行こうと、家を出ました。まずは地下鉄丸の内線で、新大塚まで行き、そこから都電荒川線の向原駅まで歩き、鬼子母神駅で下車する予定でした。
ところが...です。向原駅に向けて歩いていると、つい気になる建物や風景に出くわしてしまいます。それらに引きずられるようにして、写真を撮りながら歩いていると、いつの間にか、向原駅を通り越し、東池袋5丁目に迷い込んでいました。そうなると、もう予定は未定。なし崩し状態です。日出商店街なる通りを中心に、踏切を越えたり戻ったりのシグザグ行進の始まりです。
この辺りは、戦災を潜り抜けた地区とのことで、戦前の建物がまだ残っていたりします。したがって、高い建物は少なく、路地も多く、かなり濃密です。驚くことに、突如として、まるで農村のような一画が現れたりもしました。
そんな行進をしているうちに、あっという間に、辺りは暗くなり、ポツリポツリと雨粒まで落ちてきました。「さ、今日はもう引き揚げよう」と思い、もう勝手知ったる(^^;日出商店街に出て、来た道を辿るようにして歩きはじめました。当然のことながら、商店街には明かりが灯っています。来たときとはまた違った雰囲気です。そんな状況下で、ふと気になったのが、前方に踏み切りが見えるこの路地でした。向こうに見える高層ビルは、言うまでもありませんが、池袋のサンシャインシティです。
ここでは、カメラを構えるとすぐに警報機が鳴り始めました。ファインダーから目を離さずに待っていると、間もなく都電が視界を横切っていきました。都電が遠ざかり、警報機の音も消えると、商店街だと言うのに、あたりには静寂が戻ってきます。昔は、この時間、人でごった返したに違いない商店街なのに...です。

【場所】豊島区東池袋5丁目あたりです。

東神田の路地景

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ここは住所表記でいうと東神田。秋葉原からは南東の方角になります。このあたりは洋服関連の材料などを扱っている問屋さんの多い、または多かった町のようです。
このあたりは、もう建物の建て替えが進んでいて、どこを見ても中規模の素っ気ないビルが並んでいます。が、そんな町にも、おや?と気になる長屋と園芸路地が残っていました。
この写真は、そんな路地の中程で撮ったものです。右手の建物は長屋になっていて、表側は洋服関係の店舗になっています。そして、裏手には、写真でお分かりいただけるように、床屋さんや小料理屋さんが並んでいます。残念ながら、もう閉じたままのお店もありましたが…。

ところで、ここに写っている路地ですが、直線で伸びているので想像もつきませんでしたが、昔は川(堀割)だったのだそうです。この細い路地の右側が東神田、そして左側が岩本町になっているのも道理です。
では…というので、いつものように「三層江戸明治東京重ね地図」を立ち上げてみると、なるほど…です。

江戸切絵図(左)では、隅田川からつづく川が、東神田の手前で西に折れていますね。が、明治期の地図(中央)になると、その川がはっきりと神田川まで描かれています。さらに、昭和21年刊の地図を参照してみたのですが、それにも川は描かれています。
ということは、どうやら、明治期に切られた(延長された)堀割が、昭和の戦後になって再び埋め立てられ、そこにこの建物が建てられた、ということのようです。こちらでご商売なさっている方によれば、この建物は昭和26年頃に建てられた…と仰っていましたので、どうやら説明がつきます。しかし、かなりめまぐるしい変化ですね〜(^^;

【追記】この辺りの歴史についてお話をしてくださったのは、この建物の一画で、スカジャンを製作していらっしゃる"Hoshihime"のご主人でした。ご親切に、ありがとうございました!
【場所】千代田区東神田1丁目あたりです。

ここは本郷の菊坂に残る素晴らしい路地のひとつです。先日、菊坂近くの真砂図書館に行ったついでに、いつものように、菊坂をまわりました。静かな菊坂散策は、ほんとうに良い気分転換になるからです。
その日は、小雨が降っていたせいもあり、人影はありません。お風呂屋さんに行く人や、風呂から上がり帰る人の姿がちらほらと見える程度です。こういうのを路地浴とでも呼ぶんでしょうか...。安らぎます。
と、そんな調子で歩いていたのですが、その気分が一瞬にして破られる場面に遭遇してしまいました。それが左の写真です。なんと、東京でも有数だと思っていた路地の一画にポッカリと穴が空いていたのです。またも長屋の取り壊しです。
今年になって、古い家屋が次々と取り壊されています。その傾向が加速しているように感じられてなりません。なんだかそんなエントリーばかりしているような気さえします。いったいどうしたことなんでしょう...。
この路地は、お住まいの方々が、植物や草花を大切にお育てになっていたせいで、季節ごとに表情を変え、僕たちの目を楽しませてくれていました。ですから、その季節ごとの良い表情を必ず撮っておこう...という思いもあって、菊坂にはよく足の伸ばしてきました。が、春から夏にかけての、強い光が射していても涼しげな路地の表情を捉える前に、路地の一部が、いや大半が消え去ってしまいました。とても残念です。
そんなわけで、この愛すべき路地の晩秋と冬の表情だけを、思い出としてアップすることになってしまいました。言うまでもありませんが、中央と右がその写真です。

【追記】ご近所の方にうかがったかぎりでは、ここには、マンションではなく木造3階建ての住宅が建つようです。この路地が復活するような建物であると良いのですが...。
【場所】文京区本郷4丁目あたりです。

彼岸景

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今日は、お彼岸の中日。暖かい日でしたね。お墓参りをなさった方も多いことと思います。僕ですか? 僕は、先日、急に暖かくなった日にひいてしまった風邪が直りきらず、いまだにゴホゴホとやっているため、お墓参りは家人にまかせ、家でくすぶっていました。で、今日は、なんとなく彼岸を感じさせる風景をアップすることにしました。と言っても、僕だけが勝手にそう思い込んでいるだけかも?ですが...。
左の写真は、入院中の義母の様子を見に行った帰りに、ふと気になった景色です。ここは黒目川の河岸と言えるところです。まだ畑や果樹園なども残っていますが、この写真を撮ったあたりは、すでに宅地造成され、多くの住宅が建てられています。そのなかに、どういう事情なのか? ポツンと空き地になっている区画があり、そこに梅の木、しかもかなり老木と思える梅の木が4本(5本かも?)生えていました。この写真は今月11日に撮ったものですが、この日は、よく晴れて、陽射しの強い日だったと記憶しています。それが、午後になると、光が、黄みを増し、和らぎ、白梅をふわっと浮き上がらせるように照らしていました。花の盛りは過ぎているようでしたが、なんとも艶やかで、風に揺れ、宙で舞っているかのようでした。そして、手前に埋められている石が妙に気になりました...。
右の写真は、昨日、用あって秋葉原へ行き、その帰りにちょっと回り道して撮ったものです。神田川に架かる美倉橋のたもとから撮ったものです。神田川も、この辺りまでくるともう下流で、先方に見える橋の先で右方向に曲がり、その先で隅田川に合流しています。ここでは、河岸に咲く紅梅がひときわ目につきました。この、たった1本の梅がつけた花の存在が、いつもは殺風景なこの風景を、まったく違うものに見せています。本末転倒な言い方ですが、空も水も生気を取り戻しているようです。ちょっとだけ浄土に近づいたような...。川だけに、此岸と彼岸がありますしね(^^;

【場所】左=埼玉県朝霞市東弁財2丁目 / 右=千代田区東神田2-3丁目あたりです。

江戸東京博物館へ、「昭和モダニズムとバウハウス - 建築家 土浦亀城を中心に」という展示を見に行ってきました。
土浦亀城という人の経歴(ライトの弟子)や自邸(工業製品としての家)については、ネット上に多くの情報がありますので、省略し、検索してもヒットしない情報、特に、傳八ビルの図面などを写真に収めてきましたので、それらをアップすることにしました。
まずはトップ写真ですが、左の写真は、土浦亀城邸 (第1)で撮影されたもので、右から土浦亀城・信子夫人/谷口吉郎/前川國男/五井孝夫の諸氏ということです。右の写真は、土浦亀城デザインによるパイプフレームの椅子と化粧台です。これらは現在でも使用されているもので、今回の展示のために貸し出されているそうです。
そして、今回の、僕にとってのハイライトは、何と言っても、傳八ビル(三原橋センター)の設計図でした。展示してあるかな?と、ちょっと心配しながら展示室に入ったのですが、ありました! なんだか建築家 秋山さんのご親戚にでも出会ったような嬉しさ(^^; ま、ちょっと勘違いのような気もしますが...(^^;
というわけで、その図面たちです。ただし、展示されている図面は、平らに置いてありますので、写真に撮ると先つぼみになります。それをエイヤッとパースペクト修正してありますので、タテヨコ比などには多少のズレが出ています。その点をご了承ください。では、以下をクリックなさってみてください。平面・断面図 (1) / 平面・断面図 (2) / 立面図です。
これらの設計図は1952年 (昭和27年)に描かれたものなんですね〜。しかも、あの傳八ビルのルーツのホンモノです。これを見ただけでも、なんだか感動を覚えました。行ってよかったです。

【追記】僕は、つい先日まで、土浦亀城 (つちうらかめき)という方のお名前すら存知あげませんでしたが、過日、建築家 秋山さんに同行させていただいて三原橋の傳八に立ち寄る機会があり、そんなことから秋山さんのブログのエントリーを拝読し、土浦亀城という名前に初めて出会ったという次第です。
その後、傳八ビルの写真を拙ブログに掲載しましたが、そこにコメントをお寄せいただいた作家 館淳一さんの徘徊日記BBS(2006/03/06) でも土浦亀城に関する記事が掲載され、そのなかで、上野西郷会館も彼の設計になる建物であることや、今回の展示会が行われることが記載されていました。そんな経緯があって、今回、両国まで足を運んだというわけです。次ぎは、上野の西郷会館ですね(^^;

【場所】墨田区横網1丁目あたりです。

総板張建築

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このところ、平屋の看板建築に惹かれます。ん? 昨日の書き出しと同じですね(^^; ま、実際、そうなんです。看板建築に限らず、平屋が気になっています。
そこで、今日は、ずっと頭から離れない平屋看板建築の写真をアップすることにしました。この建物は、過日、下北沢を歩いているときに出会ったものです。
看板建築と言っても、全体が板張りです。相当に風化が進み、痛みも出ています。もう植物にも絡まれています。見るからに、廃屋かな?という状態です。が、この写真を撮った時点では、この裏側にある窓から、電球の明かりが漏れていました。現役の建物なんですね。
ところで、手前の自動販売機が邪魔と言えば邪魔ですよね。が、この場合、販売機を覆うテントの形が、真四角なこの建物の外形を引き締める役割を果たしているように感じます。ここは、道路が左下がりになっていて、なおかつ、自動販売機の左側が手前にくるように設置されているため、テントが左上方に一直線に伸びているように見えます。その伸び方に、なんとなく力感がありませんか? そして、右側の窓のあたりの四角と、このテント部分がうまく拮抗しているようにも感じます。風化の具合といい、なんだかカッコ良く感じるんですね〜、この建物。

【場所】世田谷区代田5丁目あたりです。

このところ、平屋の看板建築に惹かれます。しかも、コテコテとした技巧派ではなく、あっさりしたもの…。理由は、「控えめ」とか「ひっそり感」、そして何と言っても「愛らしさ」といった表現がぴったりくるところです。
この建物は、平屋看板建築とは言え「あまりひっそりでも控えめでもないじゃないか」と言う声も聞こえてきそうですが、佃島にあるカフェです。その名もエバーグリーン。ま、見るからにグリーンで、分かりやすいですね(^^;
こちら、元々は電気工事会社が使っていた建物だそうですが、その後空き家になっていたところを、現在のご主人が借り受け、カフェに改装なさったのだそうです。3年ほど前のことだそうです。
ところで、この建物、左右のバランスをちょっと崩してあるにも関わらず、とても据わりが良く、こぢんまりとした安定感がありませんか? そして、右上を這うダクトや、左側の黄色い手摺りの階段などが、妙に良いアクセントになっているように感じます。
こうなると、店内が気になりますよね。では店内の写真もご覧になってください。エバーグリーンというのに、店内はブルー一色という感じです(^^; とりたててどうこう言う内装ではありませんが、あまり頑張っていないところが良いですね。適度にテキトーなところが…。こちら、実際に行ってみないと分からないかも?ですが、どこか中近東を想わせる雰囲気があります。そして、店内に流れている音楽が、アース・ウィンド&ファイアなのです…。う〜ん、ここ佃ですよね…。なかなか不思議な空間があるものです。すっかり気に入ってしまいました。

【場所】中央区佃2丁目あたりです。


玉井さんのブログにエントリーされた路地 と「路地の再生」を読ませていただくと、どうしても、いま曳舟駅前で行われている再開発を思い浮かべずにはいられません。ということで、今日は、その様子をアップすることにしました。

【写真左】京成線の窓から再開発地区を撮ったものです。左手を走っているのが東武線。右前方に見える建物が東武曳舟駅ビルです。このスペースには、低層の古い工場が建っていました。
【写真右】まだ取り壊されずに残っている建物群です。ここは次期工事の時に取り壊されるようです。

タトル商会

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開店する本屋さんがあるかと思うと、閉店する本屋さんもありますね。昨日、神保町を歩いていると、こんな貼り紙を目にしました。その貼り紙がしてあったのがこの建物です。貼り紙には「東京ランダムウォーク神田」とありますが、この建物は、洋書店「タトル商会」として知られていました。すくなくとも僕はそう思っていました。

ま、それはともかく、貼り紙を見ると、なんとなく訳ありげですが、無期営業停止ということです。ということは閉店なんでしょうね。それにしても、ここは、銀座にあった洋書店「イエナ」に次いで親しみを感じていた洋書店だっただけに、最近はあまり利用してはいなかったものの、この貼り紙にはびっくりしました。

人によりけりではありますが、僕らの世代は「洋書」という言葉に特別の響きを感じます。洋書店は、先端文化や異文化の宝島であり、その時代の出島のようでした。
話がタトル商会から逸れますが、昔は、銀座にあった洋書店「イエナ」に行くのが楽しみでした (T作君、読んでる? よくイエナに連れてってくれたね)。木枠にガラスが嵌め込まれた扉を開けて、一歩店内に入ると、そこは吹き抜けになっていました。そして正面には幅の広い木の階段があり、その階段が中2階につながっていました。そこから、こんどは振り向いた方向に、短い階段があり、それが2階に通じていました。いまから思うと、避暑地にあってもおかしくないといった感じの、とてもお洒落な書店でした。
そこで、海外の雑誌や音楽書、写真集などをパラパラやっている時間は、海外にでも居るような感覚に包まれていました。お小遣いを貯めて、イエナで洋書を購入した時の、あの嬉しさは、いまでも忘れることができません。そうやって手に入れた洋書は宝物のようでしたね〜。高校生の頃、友人に無理矢理(^^;買わされた "How to play the 5-string Banjo" by Pete Seeger などは、いまではホンモノの宝物になっています。

いやいや、話が逸れすぎですが、多くの人に親しまれた「タトル商会」が閉店した、という報告でした。トップの写真は、2004年の夏の終わりに撮ったものです。

【場所】千代田区神保町1丁目あたりです。

僕のブログ巡回コースには「退屈男と本と街」が入っているのですが、昨夜、いつものようにお邪魔してみると、気になるエントリーが目に飛び込んできました。その記事によれば、神保町交差点の近くに、古本カフェ「ブック・ダイバー」なるものが出現した…とあります。
古本カフェだけでもかなり「うぬ」という感じですが、店名が「ダイバー」となると、もういけません。「おお、アースダイバーを呼んでいる〜(^^;」とばかりに、本日、雨のなか、突入してまいりました。
退屈男さんの記事中には、「衝撃的」「プレオープンとはいえおもしろすぎる」「あ、いや、フツウではない」「ものすごい手作りな」「置いてる本はけっこうイイのが多い」などという言葉が並んでいて、これまた刺激的。期待が膨らみます。が、実際に現地に行ってみると、その期待は裏切られません。どころか、十分に期待に応えてくれます。「こいつぁイイ!」という感じ。その店内は、まだ仕込み中ではありますが、こんな感じ(1)こんな感じ(2)です。

町屋の黒い路地

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ここは京成町屋駅の近くにある路地です。左側の黒いシルエット部分は、京成線の高架と高架下の店の裏手です。右側は、もう民家です。高架との間の隙間は、人がやっとすれ違える程度の幅しかありません。が、こういった狭い路地に限って、空間を使い尽くすため、建物の2階部分が路地側にせり出していることが多く、ここでも、その傾向が見られます。そのせいもあって、昼間でも薄暗い路地空間になっています。
ここを初めて通ったのは、午後の3時頃だったと記憶しています。その時は、「うわっ狭くて薄暗い」とは思いましたが、それ以外には、特に印象に残るものを感じませんでした。が、町屋の町を歩きまわり、夕方、ふたたびこの場に戻ってみると、路地の様相が一変しています。路地の暗さも増し、両側が黒々としたシルエットになっています。そして、その黒々としたシルエットの隙間から、眩しいほどに光り輝くネオンサインが見えています。しかも、まるでオーダーメードしたかのように、その隙間に嵌り込んでいます。あっと驚く光景でした。誰かが意図してデザインしたものではないのですが…。偶然というのは天才ですね(^^;

【場所】荒川区町屋1丁目あたりです。

陽炎町京島 (7)

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ラブガーデンさんに入荷したというTシャツが気になり、京島へ行ってきました。店内に入ると、ありました、ありました。右手の棚の上や天井に、グレイトフルデッドのTシャツが...。
そうでなくとも、「ここ何のお店?」状態のラブガーデンの店内に、カラフルなタイダイ(絞り染め)のTシャツが並んでいるわけですから、いよいよもって、何のことやら分からなくなっています。ま、僕などは、その辺り、実は、1本筋が通っているのがよ〜く分かるのですが...。
そんなわけで、夕方は京島を歩いていました。今日の光は、なかなか雰囲気がありました。明るいようでもあり、暗いようでもあって、カメラで言えば、露出が狂いやすい光具合です。あまり濃い影ができないわりには明るい部分がしっかり明るいといった感じです。こういう時は、とかく遠近感も弱められ、目の前の風景が、現実ではなく、投影された映像のように見えることがあります。
ここは、以前に陽炎町京島 (1)で紹介している場所です。この風景には、ひと昔前の下町の要素が濃縮して詰め込まれています。ここに立つと、何とも言えない気分がしてきます。そこに前述の光です。シャッターボタンを押さないわけにはいきませんでした。

【場所】墨田区京島2丁目あたりです。

すごい郵便箱 (2)

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今日は「すごい郵便箱」シリーズ第二弾です。これは、我が家の近くで見かけたもので、お稲荷さんテイストの郵便箱です(^^;
最初は、朽ちて妙に渋くなった赤色に目が行き、「ホホー」という感じだったのですが、周囲を固めるパーツに気づくと、「やややっ!」という感じです。なかでも、左右に配された溶岩に大注目でした。これはもう作為以外の何物でもありません。冨士講の匂いがプンプンしますね。それに気づくと、左の門柱にもなっている石柱や、右の青い鉄柵、後方の石碑(?)などからも、同種の匂いが漂ってくるのを感じます。これはどう見ても、お稲荷さんの祠と郵便受けが同居しているようにしか見えません。焼き物のおきつね様不在なのが不思議なくらいです。もしや、反対側から見ると、祠になっているのかな?とも思いましたが、さすがにのぞき込むわけにはいきませんでした。
郵便受けというのは、フェチ(^^;を生むほどに、個性豊かなものですが、これはちょっと「飛びきり級」ですね。郵政公社の赤はこの赤じゃないだろう!という感じです(^^;

【場所】文京区本郷あたりです。



京成町屋駅あたりの高架下は、一部が、線路の向こうとこちらを往来するための通路として残されていますが、それ以外は全て住居や工場として利用されています。その様子は見事なものです。それぞれに「よくもまあ」という工夫がなされていて、「必要は発明の母」という言葉を実感します(^^;
このバラック群が何時ごろ造られたのか?ということは、取材不足で分かりませんが、経年変化ぶりからすると、かなり古いものであることは間違いありません。朽ち果て、とても使用に耐えない状態になっている箇所もあります。が、多くは、いまでも現役で頑張っている様子でした。
しかし、この高架下のバラック群も、立ち退きを迫られているようです。既に、取り壊されたバラックもあり、そこでは、露出した支柱や高架底部(元は天井)に、貼り紙や塗装、照明器具の跡などが残っていました。
取り壊し作業は、町屋駅から離れた場所から始められたようで、今日紹介した、駅近くのバラック群はまだ残っていましたが、なかには静かに取り壊しを待っていると思われる箇所もありました。こういった風景も、もう風前の灯火のようです。

【場所】荒川区荒川7丁目あたりです。




佃島では今も大規模な再開発が進んでいますが、その波が及んでいない場所には、まだまだ素晴らしい路地が残っています。今日の写真は3枚とも、その佃島で撮ったものです。
左写真は屋根付きの路地です。屋根付きの路地は、佃でもここにしか無いと思われます。中写真は雨の路地風景。なんとなく、先を行くのは荷風さんかな?と想わせる風情がありませんか…。そして、右写真は雨上がりの夕暮れ時の路地です。この路地には、なんと起伏まであります。両側は軒下園芸で埋めつくされ、それは素晴らしい路地空間です。
そんな佃島を、先日、諸先輩方と歩いていました。集団で歩くとなると、歩く速度を、集団でのペースに合わせる必用があります。が、僕はとかくそれが守れず、気になる被写体が目に入ると、つい、あっちへウロウロこっちへウロウロとしてしまいます。いつも最後尾のそのまた後方で、やっと着いて行くという有様です。
が、今回、佃島では、歩きはじめて早々に、僕の、さらに後方に着けていらした方がお一人。玉井さんでした。新築の高層マンションのそばに立ち、じっと何かに目を凝らしていらっしゃるご様子です。何か?と思い、引き返してみると、玉井さんの視線の先にはこんな看板が立てられていました。
その看板が、屋根付き路地の写真(左写真)に写り込んでいます。前方の自転車の右側に見えるのがその看板です。その看板の右に見えるのが再生された路地なのでしょう…。玉井さんと顔を見合わせて、思わず苦笑したのは言うまでもありません。

【場所】中央区佃2〜3丁目あたりです。

既にAKiさんiGaさんのブログで、それを追ってtamさんのブログでも報じられているように、昨日(3月2日)、関西からwakkykenさん、関東からnatsuさんをゲストに迎え、次回アダイの打ち合わせを口実にした「ビール・ホッピーを浴びながらAKiさんの独演を楽しむ会(^^;」が、銀座「傳八」で行われました。そこに、いつものように、僕もチャッカリ同行・同席させていただきました。
関西からわざわざwakkykenさんがいらっしゃるわけですから、この独演会は、佃島から築地場外あたりをミニ・ダイブするという付録付きになりました。そのコースについてはこちらをご覧ください。結構歩いています。全長約6km。所要時間は1時間45分、内移動時間が約1時間、停止時間が約45分間というデータを得ました。小雨が降ったせいもあり、多少急ぎ足になっていたのか? 移動時の平均時速は約5km/h、全体平均時速が約3.2km/hと、なかなかのハイペースのダイブになりました。
ところで、今日の写真は、言わずと知れたAKiさんがデザインされた、三原橋「傳八」です。いまさら…という感じではありますが、これは「この写真には、クルマも通行人も写ってないぞ〜」という自慢エントリーなのです(^^; それにしても、この両サイドがカーブした横長のデザイン、それを助長するかのような横長のスチール製の窓枠、カッコイイですね。その傳八で、大笑いしっぱなしのアースダイニングが行われた、という報告でした。

【場所】中央区銀座4丁目あたりです。

高架下の青果店

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京成線の高架下にある青果店です。最寄り駅は町屋です。京成線の高架下のスペースは、様々に利用されていて、その様子を見て歩くと、こんな使い方もあるのか…」と感心するばかりで、見飽きることがありせん。空きスペース利用の良いお手本を見る思いです。
こちらの青果店さんは、そもそも京成線が開通する前から、この地でご商売をなさっていたと言います。その後、高架線が敷かれてから、現在の形態にしてご商売をつづけていらっしゃるそうです。
昔は、この前の通りの中程にどぶ川が流れていたそうです。しかも結構な川幅があったようです。この向かい側にあるお米屋さんのご主人の話では、なんでも3〜5mくらいはあったということでした。
この川は、矢田川(藍染川)を、道灌山下あたりから分岐させ、下水の排水路として整備されたもので、そこを流れた水は三河島汚水処理場に導かれ、そこで処理した水を隅田川に流す仕組みになっているそうです。そのため、この青果店の前を通る道は、藍染川通りと呼ばれています。藍染川と言うと、根津・谷中ばかりを思い浮かべますが、人工の川とは言え、荒川区でも親しまれた名前だったんですね。
ところで、この高架下は、面白いことに、高架の東側は荒川区荒川、西側は荒川区町屋になっています。高架下のスペースの多くは、1区画を1軒で使っているため、表側が荒川7丁目なのに、裏側は町屋1丁目になっています。これって、1軒の家に住所が2つあることになります…。おそらくは、表側の住所が現住所になるのでしょうが、本当のところどうなんでしょう…。これ、伺うのを忘れてしまいました(^^;

【場所】荒川区町屋1丁目or荒川7丁目あたりです。



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