東神田の路地景

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ここは住所表記でいうと東神田。秋葉原からは南東の方角になります。このあたりは洋服関連の材料などを扱っている問屋さんの多い、または多かった町のようです。
このあたりは、もう建物の建て替えが進んでいて、どこを見ても中規模の素っ気ないビルが並んでいます。が、そんな町にも、おや?と気になる長屋と園芸路地が残っていました。
この写真は、そんな路地の中程で撮ったものです。右手の建物は長屋になっていて、表側は洋服関係の店舗になっています。そして、裏手には、写真でお分かりいただけるように、床屋さんや小料理屋さんが並んでいます。残念ながら、もう閉じたままのお店もありましたが…。

ところで、ここに写っている路地ですが、直線で伸びているので想像もつきませんでしたが、昔は川(堀割)だったのだそうです。この細い路地の右側が東神田、そして左側が岩本町になっているのも道理です。
では…というので、いつものように「三層江戸明治東京重ね地図」を立ち上げてみると、なるほど…です。

江戸切絵図(左)では、隅田川からつづく川が、東神田の手前で西に折れていますね。が、明治期の地図(中央)になると、その川がはっきりと神田川まで描かれています。さらに、昭和21年刊の地図を参照してみたのですが、それにも川は描かれています。
ということは、どうやら、明治期に切られた(延長された)堀割が、昭和の戦後になって再び埋め立てられ、そこにこの建物が建てられた、ということのようです。こちらでご商売なさっている方によれば、この建物は昭和26年頃に建てられた…と仰っていましたので、どうやら説明がつきます。しかし、かなりめまぐるしい変化ですね〜(^^;

【追記】この辺りの歴史についてお話をしてくださったのは、この建物の一画で、スカジャンを製作していらっしゃる"Hoshihime"のご主人でした。ご親切に、ありがとうございました!
【場所】千代田区東神田1丁目あたりです。

コメント(4)

この堀割跡は知ってます。以前、この地図の下、小伝馬町の隣の大伝馬町にある総合商社の仕事をしていたので、打合せやらでよく行きました。東日本橋と大伝馬町の間も写真と同じような雰囲気の場所が残っていたと記憶してます。そういえば江戸通りと交差する堀割跡は何となく橋詰の面影が残っていたような感じはありましたね。その頃、仕事で一段落する度に地図の小伝馬町15にある、うなぎの近三の2階座敷で会食するのが定番でした。(因みに近三は元ヴェルディ監督・松木の実家。)

>iGaさん
さすがによくご存じですね〜。僕は歩いている限りでは、ピンときませんでしたが、「昔は川」と聞いてからは、「あ、なるほど川臭いな(^^;」と気づく、という具合でした。地図で見るかぎり、この埋め立て跡(路地)は、神田川から新大橋通りまで辿れるようですね。こんど歩いてみようと思います。
しかし、松木さんがうなぎ屋さんのご子息とは知りませんでした。彼については、堀越高校卒、くらいしか知りませんでした(^^;

masaさん、こんにちは〜。帰国しました。また、よろしくお願いいたします。地図で確認しましたが、このエントリーに取り上げられている掘割跡、もうめちゃくちゃ長〜いですね。久松小学校(中央区日本橋久松町)のあたり、googleローカルでみると、小さなブロックがたくさんならんでいます。おそらくは木造住宅・店舗なのでしょう。この掘割にそのような建物が集中していることがおもしろいです。そのさき、隅田川のほうにいくと、すでに建物はなく緑地帯や高速道路への出入り口になっています。地図でみると、じつに不思議な感じがします(きっと理由があるのでしょうが)。この掘割跡が、埋め立てられて以降の変化と、千代田区と中央区の過去の都市計画でどのように位置づけられてきたのかを、知りたいと思いました。きっと、なにか見えてくるんでしょうね。ちょっとだけ調べてみましたが、千代田区のほうは、都市計画マスタープランのなかで、この掘割跡の1本東(北東側)の通りが、「商業施設の賑やかさとコミュニティを育むふれあいの歩行空間を整備する通り」になっていました。ちなみに、緑地帯や高速道路の入り口になっている中央区のほうは、なんだかよくわかりません。全体に中央区のほうは、とっつきにくいホームページです(^^;;。
http://www.city.chiyoda.tokyo.jp/plan/master_p/tiiki/izumi.htm

>wakkykenさん
お帰りなさい! お疲れさまでした。こちらこそ、また宜しくお願いいたします。
この堀割跡、細いわりに、ほんとに長いでしょう。ご指摘の問題、僕はそこに頭がまわっていませんでしたが、言われてみると、たしかに興味深いですね。区界も、微妙に出入りがありますので、その辺りも理由を知りたいところです。また、1本東側の通りは、昔、その辺りの人たちは「堤通り」と呼んでいたそうです。



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