萩城跡からの眺め

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これは、萩城の外周に巡らされた石垣の切れ目から、浅い湾を挟み、対岸の鶴江台を眺めたところです。この石垣の上には、昔は、土塀が築かれていて、そこに点々と四角い窓が開けられていたそうです(現在、部分的に再現されていました)。その開口は、敵が海から上陸を試みた際に、弓矢を放つために設けられたものだそうです。
ま、実は、それは後で分かったことで、この写真を撮ったときは、「あ、砂浜に草が生えてて、なんとなく海外のビーチ風でもあるな〜。そこに石垣があって、面白い」と思っていました。しかし、撮った後になって、けっこう考えさせられることになりました。
ご覧いただければお分かりか?と思いますが、この写真には、現在を特定できるものが全く写り込んでいません。写っているものと言えば、石垣と砂利道、草と海、対岸の緑と台地、上空の曇り空…だけです。
萩城(指月城とも呼ばれる)は、慶長9年(1604年)から12年(1608年)にかけて築城されたそうです。ということは、1608年ころには、砂浜にこんなに草が生えたままではなかったかもしれませんが、ほぼ今日と同じ風景が存在していた、ということになります。
したがって、当時から今日まで、この場所に立った人の目にはこの風景が映っていた、ということになります。が、「いったい、当時の人に、この風景がこんな風に見えたのかな?」ということを考え始めてしまったのです。なにしろ、当時の人と現代人とでは、脳にインプットされている情報がまるで違うはずです。それが、風景を見るときに、影響を及ぼさないわけがありません。
最初に僕は「…海外のビーチ風に感じた…」と書きましたが、昔の人がそんな風に感じるなんてことはあり得ないと思われます。そう考えると、同じ風景でも、見る人によって、映り方はかなり違ってくるんですね。写真って、簡単なだけに、やはり難しいですね〜。

【場所】山口県萩市です。

コメント(22)

確かに時代が判りませんね。天候の所為かちょいと寂しげだなあ。当時の内側からの眺めは、上陸阻止が目的ならコレでホンマに防げるかなんていう、感情以外の計算しか感じなかったかもしれませんね。生命財産が脅かされる危険性の前では、叙情的な感情では眺めにくいのではと考えます

思わず2001年末に萩に行ったときに撮ったデジカメ画像でこの場所を照合してしまいました(^^;)
山の形から「海外のビーチ風」のところで撮った写真があることが判明。
ちょっとそれをアップしてみたい気にもなりますが、400年分の想像力をぶち壊すことにもなりかねないので、それは控えておきまする(^^ゞ

masaさん、おはようございます。この風景は萩ではないみたいです。見る人によって映り方は違ってくる・・・。確かに・・・・です。
でも撮る人によって足を止める場所もかなり違ってくるのですね。萩の風景の特徴は撮られつくしたような感がありますが、masaさんの触角にかかれば、まだこんなところがあった・・・そんな写真が次々に生まれてくるようですね。

ごぶさたしてます、shinです
指月からの、なつかしい風景です。萩には叔母が住んでいます、「対岸の鶴江」の回転橋(今あるのでしょうか)のたもとです。菊々浜で泳ぎはじめ叔母の家まで「海〜川」と行くことも出来ました。従兄弟達は結婚し「山縣・・子」などありがたい苗字に変わっています。鶴江台は確か一面夏みかん山でした。

>GG-1さん
ね、時代を特定するモノが写ってませんでしょう。そのことすら、なんだか凄いですよね。今や何処を撮っても、とかく電線やら車やらが入り込んできますもんね。
当時の人が、主に、計算に気が行っていたというのはあるでしょうね。確かに、ここは要塞ですから…。が、叙情的な感情では眺められなくても、なんと言うのでしょうね〜、今で言う「時代劇のいち場面」的に映っていたのか?といったようなことですね。

>m-louisさん
そうでしたね。萩にいらした後、その件でお話したことがありましたよね。今回は、僕も、長い間会っていなかった、叔母を訪ねるために行ってきました。
同じ場所の写真、アップしちゃいませんか? いろいろな映り方があるのだ…というのが分かって面白いですよ。ぶち壊すのは、ある意味、m-louisさんらしくて(^^;

>Cezanne さん
こんにちわ。山口に行っても、Cezanneさんにお会いする機会って、なかなかつくれませんね〜。
ところで、萩の風景ですが、僕が外しまくっているだけかも?です(^^; 逆に「これが萩、誰が観ても萩」っていう写真を撮るのって難しいですからね〜。でも、Cezanneさんのお言葉ですから、素直に受け入れて、これからの糧にさせていただきます。

>shinさん
こんにちわ。コメントをありがとうございます。実は、僕の叔母も萩に住んでいます。こうして見ますと、人の繋がりというのは意外にあるものですね。
鶴江台は、宮本常一「空からの民俗学」にもとりあげられ、「いちめんのみかん畑の境に防風のために木が植えられていて、その木々が、下から見あげたときに緑豊かな台に見せている」といったことが書かれていました。それを見に行きたかったのですが、それは次回…ということにあいなりました。
余談ですが、山縣家のご長男は、高校時代に同級生でした(^^;

masaさん
お久しぶりです。
海好きの私はこの風景を人目見て不思議なところだと思いました。
そしてmasaさんの文章で思ったのですが、本当に見る人によって感じる風景も違いますよね。都会から郊外へちょっと旅しただけでも場所をどう認知するかが自分の中でも変わりますし、ローカルの人とお話すると違いを感じます。道を運転するときの目印をどうたとえるかだけでもかなり違いますものね。
風景写真は難しいですし、どれをとっても同じにはならないのはやっぱりそこに感じる人の切取り方の相違があるから多様なんでしょうか……。
いろいろ思いました。

「.......山縣家のご長男は、高校時代に同級生でした....」いやはや人のつながりは不思議です。もっとも従兄弟の嫁ぎ先は恐らく本家筋ではないと思われまが......masaさんもしかしてやはりH高ですか?

masaさん、こんにちは。写真は、「撮影する人の脳にインプットされている情報」と、それを「鑑賞する人の脳にインプットされている情報」との組み合わせで、解釈は何通りも存在することになるのでしょうね。僕としては、多様な解釈が可能なほうが楽しいなとは思いますが、『Kai−Wai散策』のばあいは、masaさんの文章が添えられているおかけで、写真を鑑賞する私たちは一定程度、解釈の方向性を示唆していただけます。その結果、ある種の感動を共有できるわけですね。今回のばあい、「当時から今日まで、この場所に立った人の目にはこの風景が映っていた、ということになります」とお書きになっていること、とてもよく理解できました。現代の風景をあるフレームで切り取ると、そこには時間を超越した風景が見えてくるというのは、なんだかワクワクしますね。こちらのサイトで教えていただいた杉本博司さんの『苔にむすまで』を読んでいるためでしょうか、杉本さんの「時間を超越する存在」にむれらける眼差しのことを連想しました。

>mitsubakoさん
こんばんわ〜。最近ブログにアップなさった2点(ポラブルーと錆)、うなりながら拝見してました(^^;
写真って、フレームのなかは、そこそこに見方が限定されるように思いますが、フレームの外については、完全に見る人に委ねられますよね。その辺りから、個々人による見え方の違いが生まれるでしょうし、それが、時代が異なるとなると、とんでもない違いになるのかな?ならないのかな?なんて考えてしまったんです。羽織袴帯刀状態の人には、この風景、僕とはかなり違ったものに見えるに違いない…どんな風に見えるのかな〜?という感じだったんです。

>shinさん
ほんとうに人のつながりって不思議ですね。ここにコメントくださっているm-louisさんの父上様も萩のご出身だったはずです。それもブログでのお付き合いが始まってから判明したことですが…。高校は、東京のM高校でした。こんなところにお名前を出してよいものやら?ですが、玉井さんや漂泊のブロガー(いのうえsan)と同窓になります。

>wakkykenさん
いつも舌っ足らずな部分を補足・補強しながらのコメントをありがとうございます。そうしていただくことにより、モヤっていた考えが明確になっていくようです。多謝です。
写真に添える文章についてですが、僕は、ほんとうは文章を添えたくないようなんです。が、写真集ってやつは、どれをとっても、いまひとつ面白味に欠けるな〜と、ずっと思っていました。短くてもよいから、撮影者の言葉がちょっと添えてあると、写真が、見ている側にグンと近づいてくれるように感じていました。しかし、それが、見方をガチガチに限定するようじゃしょうがないな〜とも…。その辺りのバランスが難しいですね。
杉本さんは、ご自身が超越した存在(^^;ですから、引き合いに出すのも憚られますが、仰る通りです、僕も、杉本さんの眼差しについて考えていました。それに近いことが、大上段に構えなくてもできるかもしれない…などとも…。

明日、金沢に出張する予定なので、もう寝なくっちゃというギリギリの時間帯です。お待ちしたかいがありました!!「その辺りのバランス」についてですが、こちらの『Kai-Wai散策』では、うまくバラスがとれているような気がしますけど。masaさんが、言葉を添えているのだけれど、ぜんぜん違う見方をする方のコメントがたまにある・・・そのあたりが、よいのではないでしょうかね。といいますか、そうあってほしいな〜と思います(コメントを書いていて、「大塚の亜細亜風アパート」2005年09月13日http://kai-wai.jp/000640.html でのコメントを思い出しました)。さて、杉本博司さんについてです。今回のエントリーの写真は、ちょっちとジオラマシリーズっぽいものも感じていました。おそらくは、天候(少し曇り?)のせいもあるとは思いますが。「大上段に構えなくてもできるかもしれない」というのは、そうだと思いますよ〜。おっと、寝なくっちゃ・・・masaさんが東京に戻られて、こちらも調子があがってきました。

>wakkykenさん
いや〜お忙しいですね。とりあえず、お気を付けて行ってらしてください! お返事は後ほど…です(^^;
========
wakkykenさんから「大塚の亜細亜風アパート」2005年09月13日に頂いたコメントは以下の内容でした:
masaさん。個人的な見解ですが、それぞれの方が、ご自分の関心から、地図や資料、そして文献を用意して、masaさんのエントリーに重ね合わせていったほうが、こちらの「Kai-Wai散策」、さらに広がりのあるBlogに発展していくような気がします。/個々のエントリーは、masaさんのオリジナルな作品ではありますが、いろんな方たちの立場から多様に解釈され、作品のもっている多様なポテンシャルがさらに顕在化されていくほうが、なんだか楽しいですよね〜。/一般論ですが、Blogは、管理者の意図を超えて、たくさんの人びととのやりとりのなかで、生き物のように成長発展していくところが、ひとつの長所なのではとも思っています(まじめに書きすぎました)。/ですから、これまでのやり方のとおり、おやりになってください。毎日、たいへん楽しみにしています。[引用終わり]

これって、まさにブログのひとつの特徴であり力ですよね〜。僕は、「ブログってコックリさんみたい」なんて表現してますが、ほぼ同じことのような気がします。
文章につきましては、写真の見方を強制したりねじ曲げるようなことのないよう気をつけているつもりですが、時には、それらしきことがあるかも?です。ま、そう計算通りにはいきませんから、上のコメントの終わりに助言いただいているように、これまで通り…ってことになりますね(^^;
写真についてですが、この写真は、僕にちょっとヒントをくれたような気がしています。ただ、もう少し考えをまとめなくては…です。

萩城、短時間ですが行ったことがあります。
こういう光景があるのですね!
知りませんでした。
観る人によって捉え方が違うのは面白いことですね。
ところで、写真に文章を添えるか否かの件ですが、
私の場合、添えたいときに添えています。
僭越ですが、お気楽に考えて宜しいのではないでしょうか。
「文章を添えるか否か」、判断することも含めて、作品校正だと思いますので。

>greenagainさん
こんばんわ〜。コメントをありがとうございます。
ほんとに、何人かで同じ時間・場所で写真を撮っても、それぞれに見てるところが違うんですよね〜。ほんとに、写真って鏡のようなところがあります。怖いです(^^;
文章につきましては、greenagainさんの仰るとおりですね。添えたければ添えれば良い…まさに!です。が、拙ブログでは、スタート時に編集者(僕)が、カメラマン(僕)に「文章も書け」と指示を出してますので、文章を添えるというのは、もう決まりごとなんです。「じゃウダウダ言うな〜!この〜っ」って怒られそうですが(^^; そうなんです。基本的に文章が得意じゃないから、ウダウダ言いたくなっちゃうんですね〜。ま、ゆらぎながらもね〜、なんとかさ〜、なんて感じなんですよ〜(^^;

masaさん、こんにちは。「ブログってコックリさんみたい」というのはおもしろいご指摘ですね〜。でも、僕って、コックリさんのことをわかっているようで、よくわかっていないようです。コックリさんって、2人でやる占いのようなものですよね。よろしければ、もう少し「ブログ=コックリさん説」の展開をお願いします(^0^)。

>wakkykenさん
え〜と、コックリさんはですね〜、テーブルの上に、ある問いへの返答に相当する文字を幾通りか書いておき、その中心に10円玉などを1個だけ置きます。そして部屋を暗くし、複数の人が10円玉に指を添えます。その準備が整ったた、誰かが「コックリさん、コックリさん、お入りください、…をしたのは誰なのかお教えください」(ちょっと記憶が曖昧ですが)などと祈祷します。すると、しばらくすると、10円玉が、テーブルの上をグル〜リ ズズーッと動きはじめるんです。そして、ある文字の上でピタリと止まるですね〜。ま、そんな風な趣味の悪い遊びなんですが、「何人かの力により、思わぬ方法に向かうことがある」という点だけを取り出したのが、「ブログ=コックリさん説」ということになります(^^;

masaさん、お手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした。「何人かの力により、思わぬ方法に向かうことがある」→「ブログ=コックリさん説」理解できました〜!!「ブログの力」ですね〜、やっぱり。

>wakkykenさん
コックリさんなんて、ちょっと例えが悪いですが、僕にはピッタリ!って感じもありまして…(^^;



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