常盤台の防空壕

| コメント(20)






これは何かと言うと、板橋区常盤台のあるお宅の庭に残る、防空壕と研究室です。こうしてひっそりと残っていました。都内では、長屋でも、床板をはねると、その下に防空壕が…なんて例を見たことがありますが、それらの多くは埋め戻され、まだ使える状態の防空壕を目にすることは、そうそうありません。
昨日(6月24日)、スリバチ学会@板橋で、常盤台を歩いていたときのことです。お年は召していらっしゃるものの、きれいにメイクなさり、黒いドレスを身に纏い、これからホテルでお食事でも…という感じのご婦人に出会いました。どうやら、我々、年齢も人種も不詳な集団が、住宅街をぞろぞろと歩いているのにご興味をお感じなったようで、「あなた達、何してるの?」と…。が、警戒といった雰囲気は皆無です。まるで、子供が、興味津々で訊ねてきたといった感じなのです。そこで、「これこれ」と手短に、町歩きしている理由をお答えすると、ご婦人の口から「ここに防空壕が残ってるんだけど、興味ある?」と…。
よもや、高級住宅地である常盤台で、防空壕なんて言葉を耳にしようとは思ってもいませんでしたので、意表をつかれ、もう腹を空かせた犬状態です。「わんわん」と尻尾を大振りして応えてしまいました(^^;
で、まずは柵の外からお庭を覗き込むようにして、防空壕を見ていたのですが、そのうち、ご婦人の口から「なかに入って見てったら」との有り難いオファーが…。またも尻尾を振って「わんわん」です(^^; というわけで、なんとスリバチ学会員20人前後が、お庭に入れていただき、そこで防空壕鑑賞会(^^;ということに相成ったわけです。
が、今回は、防空壕を見たに留まりません。その後、そのご婦人が、実は、国立音大で講師もなさっているピアニスト・滝澤三枝子さんであることが判明したのです。ま、どうりで…と言っては何ですが、笑顔の絶えない、素敵な可愛らしい感じの方なんです。お話も面白い! そして、もうひとつ驚くことに、滝澤さんのお父上は、昔、陸軍燃料厰のトップにいらした方で、この常盤台のお庭の中央に建てられた小さな離れ(と言っても、内部は総檜造りだそうです)に籠もり、日夜、爆弾の研究をなさっていたと言います。う〜ん、世の中、分からないものですね〜。で、空襲などの危険が迫ると、左右にある、防空壕への入口から地下へ避難なさっていたということです。いや〜しかし、とんだ歓迎すべきハプニングでした。

というわけですから、今日はもう、写真ひとつずつの説明は必要ありませんね。以上の話と絡めてご覧いただければ、お分かりいただけますよね?

【場所】板橋区常盤台あたりです。

コメント(20)

いや〜、人の出会いは不思議なものですね。それにしても保存状態の良い防空壕です。

本郷も菊富士ホテルが焼け落ちた、東京大空襲の時、菊坂の近隣の皆様は、以前取材した「菊坂下の防空壕」に非難したそうです。菊坂下は名残りだけです。羨ましい・・。いい記録が出来ましたね。では、

>お年は召していらっしゃるものの、きれいにリメイクなさり…
???って読んでしまい、もう一度良く読んだらメイクでした〜(^^;
犬も歩けば式にすごい事例にあたりなんとも羨ましいスリバチ学会でしたね〜。

masaさん、こんにちは。私のばあい、文章を拝見するまで、「防空壕という文字があるのに、お庭で撮影会か?・・・でもなんだか雰囲気は違うな〜」と最初は思ってしまいました!!だって、中央のポーズをとった女性にむかって、しっかり一眼レフのカメラをかまえている男性がいらっしゃるものですから(写真をとっているmasaさんを加えると2名の男性になりますが)。ひょとして、一眼レフの主は、GG-1さんですかね・・・(^0^)。それはともかく、滝澤三枝子さんの「まるで、子供が、興味津々で訊ねてきたといった感じなのです」といった様子は、お庭の写真の雰囲気からも伝わってきますね〜。

>菊坂の与太郎さん
こんにちわ。この防空壕ですが、「これは、立派だ」と思いましたが、防空壕マニア(^^;でも何でもないために、チェックポイントが分からず、せっかくの機会なのに、ただ眺めるだけ…というのが惜しい気がしました。

>aiさん
わははは、滝澤さんに頭をゴツンとやられそうです(^^;
しかし、やはり大学で若い方々との交流に慣れていらっしゃるせいでしょうか、お話しているうちに「そんなんだったら、私もスリバチに参加させて」なんて仰ってました。

>wakkykenさん
言われてみれば、そんな感じもありますね。滝澤三枝子さん撮影会って感じですか(^^; ご指摘のとおり、一眼レフの主はGG-1さんです。写真から雰囲気が伝わったようですが、ほんとに大笑いしながらの、和やかな防空壕鑑賞会でした。しかし、こんなものを自宅の庭に掘るような時代って、想像もできませんが、こんな時こそイマジンしなきゃ!って思いましたよ〜。

masaさん、こんにちは。僕は、しばしば東京のことを知らないと叱られたりするわけでして、この常盤台ってところが高級住宅地だってこともぜんぜん知りませんでした。Googleマップをみると、楕円形の周回道路のようなものがきちんとある。何箇所かにロータリーもある。一軒あたりの敷地面積も広い。計画的に住宅開発された感じがある。で、防空壕ということは、戦前の段階で住宅開発されたのだろうかなどと想像して、ネットで調べてみると、きちんと「常盤台まちづくり」というサイトがあって、そこには「常盤台のおいたち」なんて説明もあり、昭和11年に分譲が開始されたことを知りました。「鉄道経営(東武東上線)&住宅開発」というパターンだったのですね、ここも。勉強になりました。で、武蔵野台地の端っこの「台」のうえに確かに存在していること、あらためて再確認いたしました(←あまりに当たり前のことを書いてますけど(^^;))。そういえば、この話題に関しては、すりばち学会の石川さんが、ご自身のブログの「hills everywhere」というエントリーで取り上げておられましたね。開発した住宅地に「〜台」とか「〜丘」ってつけるようなになったのって、いつ頃なのでしょうね。時間があれば調べてみたいものです。「鉄道会社&住宅開発」のパターンと関係しているのかなと、想像しています。私の住んでいるあたりは、近鉄が京阪奈丘陵を開発した住宅地が広がりますが、登美ケ丘だとか松陽台なんて地名があります。
http://fieldsmith.net/bslog/archives/2006/03/hills_every.html

すりばち学会って、そういう形状の地形を研究していらっしゃるんですか?
...板橋区までいらっしゃるとは。
それにしても常盤台に防空壕が残っているとは知りませんでした。
駅のデザインが当時としてはモダンで有名になったそうです。ごらんになりましたか?

masaさん、
防空壕の階段を8/9段降りた辺りの二つに割れた白い物体は?なんでしたか。

はたまた、その奥の立体の物はなんですか・・?
まさか爆弾研究の残骸だとか・・・。

というわけで危険な物も中には残っていることがあるとか防空壕研究は十分、お気を付けください。
南部式拳銃の残骸があったとか、不発弾があったとか聞いた場所もありましたが。

ハハハハハ 当方も防空壕マニア(^^ではありませんヨ。 では・・・・・ 与

>wakkykenさん
「東京を知らない」だなんて…。それは僕のことです。しかし、ほんとに深く調査研究なさってる方って、いらっしゃいますね〜。常盤台のことも、「歩いてきたぞ〜」というだけでして、まだ何の調べものもしていません(^^; が、あっという間に概略を書き込んでいただき、「あ、そうか」と納得している次第です。ありがとうございます(情けないですね〜)。しかし、この常盤台という地区は、地図からもハッキリと「他とは異なる」というのが分かりますね。楕円形の周回道路ですが、この道路の中央に木が植えてあり、緑道となっていました。また、歩いてみて面白く、他では見られないものとして「クルドサック(袋小路)」というものがありました。これは単に行き止まりではなく、突き当たりがロータリーになっています。これは、現在の法律では造るのが困難なものだそうです。

>あ88 さん
スリバチ学会についての説明が不足でしたね。失礼しました(過去に何度かエントリーしてますので、つい省略してしまいました(^^;)。学会という名称ですが、これは冗談でして、実際には「地形趣味人クラブ(^^;」といったところです。が、会長・副会長をはじめ、実は、地形に関しては、相当に実力のある方々が主催・参加なさっています。
スリバチ学会については、http://blog.livedoor.jp/suribachi/ を参照なさってみてください。主旨説明もされています。もしや参加なさいませんか?
駅も見てきましたよ。なんとなく和洋折衷という感じなんですね。そして駅前もロータリーと…ロータリー好きには堪えられない町のようですね(^^;

>菊坂の与太郎さん
実は、この防空壕のなか、真っ暗闇でして、距離も目測、ストロボ発光という状態で撮ったものでして、僕も写真を見るまでは、「手前が階段だ」という以外、いっさい確認できませんでした。したがって、白いものが何なのか、他のカットもチェックしてみましたが、やはり不明です。
しかし、考えてみますと、防空壕というものは、保存状態が良ければ良いほど、注意しなければならないものなんですね。もしも内部が明るかったら、ホイホイと階段を下りてしまうとこでした(^^;

こんにちは。
貴重な体験をされましたね〜。
防空壕がまだ残っているなんて〜びっくりです。
ドラマや祖母の話の中でしか登場しない防空壕がうちからもかなり近い場所にあるなんて見てみたい気持ちになりました。出逢いってすごいですね♪

>Naoさん
こんばんわ。いや、ほんとに、町を歩いていますと、犬も歩けばなんとやら…を実感します。で、また深みにハマってしまうのですが(^^; とにかく、この防空壕にはびっくりでした。

このところなんだか落ち着かなくて書き込みできませんでした。スリバチ学会のご紹介有難うございました。面白そうですね。建物や路地、地形...街を見る目が変わってきそうです。

>あ88さん
スリバチ学会の町歩き(フィールドワーク)は、まずは地形、なかでも谷戸(スリバチ)に注目していきます。これって、同じ山坂好きでも、坂道マニア(^^;とはちょっと視点が違います。確かに、街を見る視点が増えるような気がします。機会がありましたら、ぜひご参加なさったらいかがでしょうか?

私の叔母は昭和13年、六本木から十番に下る饂飩坂の途中の米屋に嫁ぎました。子供も三人授かりました。空襲が日に日に激しくなったので上二人は米沢に疎開させまだ乳飲み子の次男のみは手元に。
昭和20年5月ある日の空襲サイレンが鳴り叔母と子は家と背中あわせのお屋敷の防空壕へ。
厚いコンクりート造りで中が広く十人以上入れたそうです。B29からの爆弾が落とされたあと、暫らくして警報解除となり町のあちこちから人々が出てきて片付け始める。気が付いたら中々その壕から出て来ない、変だと開けてみたら中で人々がガス中毒で失神していた。
入口近くにいた人は間もなく息を吹き返しましたが一番奥にいた叔母たちは亡くなりました。
遺体を焼く燃料もお骨の入れ物も役人は「そちらで」といったそうです。
防空壕というものが東京にも日本にも世界のどこにもない時が早く来て欲しいものです。
いつまでも「元」防空壕で。

>norizoさん
そうでしたか…。norizoさんにとっては、蘇らせたくない記憶を呼び覚ますようなエントリーになってたんですね。防空壕というものは、戦争という殺人行為と密接な関係にあるものですから、その単語から、同様の思いをなさる方は他にもいらしゃるのでしょうね。こういう場合は、そのあたりまで配慮して書かなくてはいけませんでした。よく書き込んでくださいました。ありがとうございます。

>masaさん
いえ「蘇らせたくない記憶」ではありませんよ、「忘れてはいけない」と思っている事でして。
じつは私の叔母に対する興味は町歩きを始めてから出てきたのです。
それまでは単なる「逢った事もない亡くなってしまっている親戚の一人」でした。
あの辺りを歩いた日の夜、母に「叔母さんがお嫁に行った家はどの辺だったっけ?」と訊いてからなのです。
戦後残された叔父は丸の内の会社員となり、椎名町に引越し、後添えを得ました。
さらに三人の子供もできて記憶は遥か遠くに。

そういう意識が出てから(特に)江東、墨田、台東を歩くと戦禍が見えてきてしまいまして。

なくなって欲しいのは「現役の防空壕」「使われる予定の防空壕」でして「元・防空壕」はいつまでも残してもらいたいんです。

(三筋に焼け焦げたまま「そこで保存されている電柱」もありました。)

むしろどんどんエントリーして頂きたいです。
このような事を書かせていただき感謝いたします。ありがとうございました。

>norizoさん
重ねてコメントをありがとうございます。確かに、戦争は、僕たちのたった一世代前の出来事ですが、それを風化させ、遠い昔または他国の出来事のようにしてはいけないですね。僕の叔母も戦争未亡人で、生涯独身をとおし、一家の犠牲となるような部分を背負って生きていました。歳とともに、その叔母を想うことが多くなりましたが、同様の感覚でいらっしゃるのかも?と思いました。



ninepeace.jpg




月別アーカイブ(Archives)



Photo Gallery

写 真 集


おすすめ




おことわり

エントリー、コメント、トラックバックにつきましては、管理者の判断により削除させていただく場合があります。予めご了承ください。
Powered by Movable Type 4.22-ja





copyright © 2004-2016 masa