2006年7月アーカイブ

鳥屋野潟畔の家

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新潟に行っていました。そして、今日の深夜、日付が変わる頃、東京に戻りました。今回の新潟行きは、日程的には強行軍だったのですが、お天気に恵まれたせいもあって、新潟の風景のなかにかなり長時間居た、という気がします。
新潟市南部に広がる水田地帯の北端に、鳥屋野潟 (とやのがた) という大きな潟があります。見た目には湖です。その潟畔には、アルビレックス新潟の本拠地であるサッカースタジアム「ビッグスワン」を核にした、広大な公園があります。一方で、この潟畔は、風光明媚なデートスポットでもあるようで、そのせいか、いわゆる連れ込みホテルのメッカにもなっていました。
今日の写真は、そんなホテル群の間に、身を隠すようにして横たわっていた家を撮ったものです。もう使える状態ではなく、人は住んでいないようです。取り壊さずとも、いずれ、潰れるだろうな…という感じでした。もしや、新潟の大地震で被害を受け、修復不可能とみて捨てられたのかな?とも思える状態です。
しかし、この地域は、どこまでもフラットで、背後に山などもないため、こうして、ひとつの世界がポツンと浮かんでいるように見えるのでしょうか…。その感覚に、強烈に惹きつけられてしまいました。この浮遊したような感覚は、もしや、この地も潟であったから…かもしれない…なんてことを思わせます。

【場所】新潟県新潟市です。

京島暮色

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ちょっとした寄り合いがあり、京島へ…。いつものように、ご迷惑をかえりみず、LOVE GARDENさんを拠点にさせていただきました。
ひと仕事終え、シャワーを浴びてすっきりとしたcenさんがお店の奥で待っていてくださいました。しばし談笑。そこへ、若く素敵な美人看板娘兼奥様 yukiりんsan登場。「もう、今日は、お店はいいな?」などと言うcenさんの言葉に、「バカモノ、営業はしっかりヤルんじゃい」という表情をチラつかせながらも、yukiりんsan 、優しそうな笑みを浮かべ「そうよね」と…(^^;。こ、こわっ(^^; ま、いつもスミマセンです。
てなところへ、はるばる関西から、学会への道すがら、映画「もんしぇん」の試写会に駆けつけてくださったwakkykenさんが登場。開口一番「おじさん達なに言ってるの…。よく分かるじゃん、あの映画…」。「はい、すんません。アタシ年寄りで悪かったね〜。フン」などと応酬するも、相手は弁舌にかけてはプロ。いけません。形勢圧倒的不利とみた僕は、「ちょっと京島歩きます?」などと、話題をすり替えます。最近、カメラをデジタル一眼に切り替えられたwakkykenさん。見事に入れ食い状態。ハーハー言いながら僕についてきました。うひひ。
そんなわけで、勿体をつけて撮影についてのご託(これがウソが多い(^^;)を並べながら、しばらく一緒に京島の路地をウロウロ。そんなところに携帯が鳴り、どなたか?と思えば、なんと玉井さんです。「いま曳舟に着いた」とのこと…。最近は「付人必要状態」の玉井さんす。「じゃ、曳舟までお迎えに上がりましょうか?」と、とりあえず(^^;言ってみましたが、「いや、ひとりでも行けると思うよ」とのこと。(当たり前じゃい(^^;(^^;(^^;)
で、どうやら無事に合流できました。いや〜、このところ、すっかり玉井さんに懐いてしまい、こんな失礼なこと書いてますが、初めてお目にかかった頃は、まっすぐにお顔も見れないほどに緊張したもんなんですよ。あ、話が逸れてますね。そんなわけで、トリオ「チト・アヤシゲーズ」が成立。そのトリオで、改めて、短時間でしたが、京島の町を散策いたしました。そして、日が暮れて、締めは、皆で、京島・大仙の「もんじゃ」。後味のよい時間が過ぎてゆきました〜。
今日の写真は、そんな時間の流れのなかで撮った、京島の夕暮れ時の風景です。登場人物の皆様、文中での失礼、お許しくださいませm(__)m

【場所】墨田区京島2丁目あたりです。

今日は、曙ハウス関連の、たいへんに喜ばしい報告をさせていただきます。今年の2月に、惜しまれつつも解体された曙ハウスですが、その後、ハウス入口にかかっていた「あのプレートはどうなったの?」という声が、曙ハウスファンのみならず、多くの友人や近隣の方々からも上がっていました。あの建物と同様に、あのプレートは、想像以上に多くの人たちの記憶に焼き付けられていたようです。
実は、あのプレートは、建物解体と同時にゴミになる運命でした。それを何としても阻止したかった僕は、ある古物商さんに、かなり無理なお願いをして、プレート(+手摺り支柱) を取り外し、保管していただいていました。
それが、あれこれと紆余曲折はあったのですが、先月末、ついに、文京ふるさと歴史館に収蔵されることが決定しました。そして、本日、ふるさと歴史館より、「収蔵の最終手続きが終了した」とのお知らせをいただいたのです。もう、これは、このブログを始めて以来、最もうれしい出来事です。これで、あの曙ハウス・プレートは、半永久的に公的機関で保存されることになります。曙ハウスファンにも「最善である」と感じていただける結末ではないでしょうか...。

古物商さんがどなたであるかは、ご商売に差し支えなどがあってはいけませんので、明言しませんが、とにかく、一本気な方で、僕の気持ちを汲んでくださり、ねばり強く誠実に事を運んでくださいました。心から感謝したい思いでいます。
また、以前のエントリーでは、僕は、「ふるさと歴史館あたりが乗り出すべきだ」などと書いてしまいましたが、実は、今回、プレート収蔵に向けて動いてくださった学芸員さんは、そのエントリーをご覧になり、心痛めていらっしゃったことを、後になって知った次第です。曙ハウス解体時には、ふるさと歴史館では企画展準備などに追われ、気になりながらも一歩も動けない、という状況だったということです。また、今回の曙ハウス・プレート収蔵についても、ふるさと歴史館内で賛否両論があり、担当学芸員の方が相当にご努力してくださった結果、なんとか...という状況だったようです。担当学芸員の方には、この場をかりて、お詫びと御礼を申し上げたい気持ちです。
今日の写真は、言うまでもありませんが、文京ふるさと歴史館の倉庫に収まった、曙ハウスのプレートと手摺り支柱です。まったく痛んでいません。久々に会えて、ほんとうに懐かしい思いがしました。
なお、この曙ハウス・プレートなどは、来年2月10日〜3月18日に予定されている企画展「文京まち再発見 II - 近代建築 街角の造形デザイン (仮称)」で、初お目見えすることになりそうだ...ということです。

【場所】文京区本郷4丁目あたりです。

本郷 元町公園

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わきた・けんいち さんの Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」でも取り上げられていますが、文京区本郷の神田川沿いに、関東大震災・復興公園で唯一当時の姿を残すと言う、元町公園があります。その裏手には、元町小学校がありますが、この小学校は、真砂町にある本郷小学校に統合され、現在では、田中千代服飾学校の仮校舎として使われています。
さて、この元町公園と旧・元町小学校ですが、実は、文京区では、ざっと言うと「元町公園に体育館を建設し、旧・元町小学校を解体して公園にする」という計画を立てているようです。ま、詳しくは関連ブログなどをご覧いただくとして、とにかく、今日、その元町公園に行って、写真を撮ってきました。以下に、写真の説明を記します。
【左写真】元町公園の入口です。神田川に沿ってはしる外堀通りに面しています。小ぢんまりとした控えめなデザインに好感を持ちます。
【中写真】入口の階段をのぼると、途中から、階段が左右に分かれます。その左右の階段をのぼったところ(公園の中二階orパティオという感じのスペース)に、それぞれ、このようなドッシリとした藤棚があります。ここからは、木々の間から、神田川の向こう岸 - お茶の水方面 - が見渡せます。
【右写真】公園の中二階orパティオのようなスペースと2階部分(いわゆる広場のある公園部分)をつなぐ階段です。その中央には、このように立派なプランターがあります。これは片側だけにあります。

銀座の路地裏で

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今日の銀座は、気温はさほど高くありませんでしたが、湿度が高く、いつものようにスンナリとは胸に入ってこないような、じっとりとした空気に覆われていました。用事を済ませ、そんな銀座のはずれを、地下鉄の駅に向かって歩いていました。すると、以前にもエントリーしたことのある路地のそばを通りかかりました。銀座にしては、ひっそりとした感じの路地です。すでに看板にも明かりが灯っていますが、それすら、なんとはなしに侘びしげに見えます。時折ぱらつく雨に濡れたその路地に、黒猫がちょこんと座っていました。きっとどこかの飼い猫でしょう。僕がカメラを向けても、そう動じる様子もありません。が、お店とのあいだに置いた微妙な距離や姿勢に、妙な緊張感のような…または孤立感のような…そんなものが感じられます。きっと、自分自身のなかの何かを、この黒猫にダブらせているだけ…なのでしょうが…。

【場所】中央区銀座1丁目あたりです。

Psalm@光源寺

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もう一昨日の21日(金曜日) のことになりますが、Psalm(サーム)による、映画「もんしぇん」公開記念ライブが催されました。会場は、団子坂と白山の間にある光源寺でした。Psalmというのは、映画「もんしぇん」の音楽も担当した音楽集団のことです。メンバーは、玉井夕海さんと中川果林さんが核となり、時と場合に応じて自在に変動するとのことです。この日は、前半が2人(左写真)、後半はバイオリン(松尾嘉子さん)とビオラ(大澤史郎さん)のお2人が参加し、4人での演奏(右写真)になりました。
Psalmでの夕海さんの担当はヴォーカルです。が、ヴォーカルと言っても、単にうたをうたう...のではなく、声帯や呼吸器そして身体全体を使ってうたを表現する...と言ったほうが、よりイメージが伝わるような気がします。そして、中川果林さんですが、こちらは珍しい25絃琴(or 箏) の奏者です。なんとなく、琴奏者というよりも琴プレイヤーと書いたほうが雰囲気が伝わるかな?という感じです。

作字ってなんだ?

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このところ、活字と聞くとクラクラっとする体質(^^;になっていますが、先日、再び中村活字さんに行ってきました。つい先日、名刺を100枚印刷していただいたのですが、その評判が上々で、それに気を良くしてホイホイと配って(^^;いるうちに、あっという間に底をついてしまい、追加をお願いしてあったのです。
お店の戸を引いて、インターホンのボタンを押すと、ご主人が、いつものにこやかな表情を浮かべて、奥から出ていらっしゃいました。もう最近では、なんだか、かなり以前からお付き合いがあるような感覚です。その表情は「ヤアヤア遅いじゃない」という感じ...。もうお会いするのが楽しみです。
そんなわけですから、出来上がった名刺をいただいて「それでは...」という感じになるわけがありません。ご主人は、拙ブログをご覧くださっているようで、開口いちばん、「こないだの活字直彫りってのは凄かったね〜」です。いや、参ります。最近では、自分でも、話好きかも?と思っている僕です。もう完全にその話題に入りこんでしまいました。
すると、ご主人が、突然、奥のほうに戻ってゴソゴソ...、そして、何やら活字らしきものを取り出し、僕に見せてくださいました。「うちでも直彫りはやってもらってたよ。そして、これは作字(さくじ)ってんだけど...」と、差し出されたのが、写真に写っているものです。なんと、活字の「へん」と「つくり」などを、リンカク切りと呼ばれるカッターで切り離し、それらを組み合わせて、新たに活字(文字)を作り出していたのだそうです。それらが「作字」と呼ばれるものなのだそうです。う〜ぬ、活字直彫りも凄まじいですが、この作字にもシビレますね〜。いやいや、活字の世界というのは、なんと奥が深いのでしょうか...驚きます。
しかし、活版で名刺を作ったことから、こんなことを教えていただく機会を得ようとは思ってもいませんでした。世の中わかりませんね〜。それにも驚きます。

【追記】中村活字さんのホームページはこちらです。
【場所】中央区銀座2丁目あたりです。

新潟T氏邸の断片

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新潟滞在中は、ついに晴れ間がのぞくことがなく、泊めていただいていたT氏邸内での時間がかなりありました。そこは、新潟市街から南にくだった水田地帯のなかにあります。地所は相当に広く、その一画は深い森になっています。その森を庭に見る位置に、その家は建っていました。元々が派手さを抑えた上質な日本家屋ですが、それをT氏ご自身が、縮小なさり、改修も施されています。その結果、物理的にも精神的にも、和と洋が割とラフなかたちでぶつかり合い、独特の匂いを発しています。が、それが、実に「足が地に着いている」のです。どこを見ても、ひと味ふた味違います。それが重なると、全体としては大違い…といったところです。
T氏邸は四方を木々に囲まれています。なかでも、ダイニングと和室は、目の前まで森が迫っており、そこから窓の外の濃い緑を眺めていると、まるで高原の別荘にでも居るような気分です。この時は、緑が雨に濡れて鮮やかさを増し、周囲が暗いにも関わらず、緑が目に沁みるようでした。
今日の写真は、そのT氏邸内をウロウロしながら脈絡なく撮った写真です。特に、どこをどう紹介しよう…などと考えて撮ったわけでもなく、どういった匂いを感じさせよう…などとも考えず、ただただカメラがあったから、ファインダーをのぞき、ついでにシャッターも切ったという写真のなかからピックアップしたものです。したがって、この4枚だけでT氏邸のイメージを固定なさらないでください。実際のT氏邸は、落ち着きのある素敵な表情を、もっともっと備えていますので…。

【場所】新潟県新潟市です。

新潟旧市街で

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下エントリーの地図をご覧いただくとお分かりいただけるように、新潟の市街地は信濃川でふたつに分断されています。それに加え、昭和40年代に関屋分水路が完成したため、信濃川の北側部分が完全に切り離され、島状態になってしまったというわけです。
新潟に到着してからというもの、ついに晴れ間ののぞくこともありませんでしたが、多少の雨くらいはなんのその...ということで、古い町並みが残っているという新潟島へ向かいました。中心部に入ると、さすがにビルが建ち並び、人も交通量もそこそこ多く、いわゆる地方都市といった表情を見せます。当然のことながら、路上駐車などできそうもありません。そこで、まずは海側の丘のうえまで車を走らせ、そこにある無料駐車場に車を停め、そこから歩いて旧市街を目差した次第です。が、歩きはじめてしばらくすると、雨が強まり、ちょうど通りかかった新潟市美術館(前川国男氏設計・前川国男展開催中でした)のコーヒーショップに飛び込み、そこでしばし雨宿り、ということになりました。
右の写真は、その新潟市美術館の近くで撮ったものです。低地から海沿いの丘に向かって撮っています。ここは、傾斜地にびっしりと家屋が建ち並んでいて、なんとなく、尾道を想わせる(尾道はよく知りませんが...)ようで、惹きつけられました。家々の間には、細い路地や階段路地が這っていましたが、袋小路になっているものもあり、なかなかの迷路状態でした。機会があれば、ぜひもう一度歩いてみたい場所の筆頭です。ここでも、東京の凸凹を歩いて感じるのと同じ感覚を覚えました。やはり高台には高級感のある住宅が並び、低地になるほど湿度が高まり、生活臭が強くなります。しかし、手前には、もう再開発待ち...といった雰囲気の空地利用の駐車場が見えています...。
左の写真は、いよいよ旧市街地に入ってから撮ったものです。繁華街の中心部は、もっともっと人通りも多く、賑わっています。しかし、中心部をちょっと離れると、もうこんな感じです。はっきり言うと寂れています。正面右奥に見えるビルも、じきに取り壊しにでもなるのか...ほんの一部のお店が営業をしているだけで、主要な看板は取り外され、すでに廃墟臭い匂いを発していました。その手前右側の看板建築も、同様に再開発を待っている、といった表情です。こうして、車も人もいないタイミングでシャッターを切ると、街全体から、廃墟に近い匂いが漂ってくるのが分かります。
旧市街からしばらく南下した辺りには、水田を埋めた広大な土地が拡がり、そこには工業団地や大型スーパー、郊外型レストランなどがズラリと建ち並んでいます。どうやら、そちらに客足を奪われた結果が、旧市街に、こうした風景を生む背景になっているようです。

【場所】新潟県新潟市です。

新潟市凸凹地図

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昨日まで新潟に滞在してはいたものの、新潟の歴史的背景も地理的背景もまったく知りませんでした。そこで、とりあえず地形だけでも…と思い、新潟市中心部の凸凹地図(800x800)を制作してみました。それをアップしておきます。一昨日のエントリーで「新潟島」と呼んでいるのは、信濃川と分水路で切り離され、島状態になった区画のことです。
この地図で見ますと、南に拡がる水田地帯には大きな「潟」があり、その周囲にも、水色の、いつ「潟」になっておかしくない低地が散在しているのが分かります。これが「新潟」という地名の元だと言います。
また、北端の海岸線の間際が、小高い丘になっているのがはっきり分かります。新潟島内の丘で、最も標高の高いところは、新潟大学ちかくの丘(標高23m)でした。
もう少し新潟島に寄った地形図(680x680)も制作しましたので、ご興味おありの方は、こちらをクリックなさってください。

【追記】凸凹地図は、カシミール3Dで五万分の一地形図を表示させたものです。0m=淡青、1m=淡緑、2m=淡黄緑、3m=淡黄茶、4m以上は茶系のグラデにしてあります。

はじめての新潟

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既に、前エントリーのコメント欄に書いていますが、実は、やんごとなき事情により(^^; 一昨日より、新潟に滞在しています。どうして、急に新潟を訪ねることになったか?という理由も、やはり前エントリーのコメント欄に、玉井さんが書いてくださっていますが、ま、唐突と言う以外にない理由で(^^; とにかく、玉井さんの車に同乗させていただき、ズーズーしくも、新潟の玉井邸に泊めていただいています。
到着した日も今日も、雨が降っていますが、そんなものは関係なし…いや〜快適です(^^; 玉井さんのお宅などにつきましては(いまはまだ、玉井さんが近くで鼻歌を歌いながらウロウロしていらっしゃる状態ですから(^^;)、東京に戻ってからアップしてやろう(^^;と思っています。
で、とにかく、「おい、どんな様子なんだ?」とお思いの方もいらっしゃるか?と思い、とりあえず、新潟で撮った写真をアップします。
左の写真は、玉井さんのお宅から歩いて行ける距離のところです。見渡す限りが水田です。そのなかほどに、けっこう広い農道が直線で、どこまでも伸びています。視界を遮るものなど一切なく、実に広々としていて、居るだけで、のびのびとしてとても気持ちが良くなります。ここに行ったときに、たまたま、玉井さんと親しいおじさんが枝豆を抜いていらっしゃるところに遭遇したのですが、その方から、引き抜いたばかりの枝豆をドサッといただきました。帰ってすぐに水洗いし、茹でて食べましたが、そりゃ力強い味がしました。この味って、単に豆の味だけじゃないってところが、何とも言えませんね。
右の写真は、新潟のマンハッタン島状態になっている、通称「新潟島」の海岸から撮ったものです。お天気が良くありませんでしたので、ド〜ンと重い感じがします。「やはり日本海だな〜」と言うとこにもっていきたくなる感じです。玉井さんは、ここで「泳ごうぜ!」とおっしゃるんですからね〜。お元気と言いますか無鉄砲と言いますか(^^; 「ま、勝手におし!(^^;」というところでした。ところで、向こうにうっすらと見えているのは佐渡です。佐渡を見るのも初めてでしたから、やはり「お〜、あれがあの佐渡か〜」という感じでしたね〜。しかし、海岸線は、ダーッとテトラポットが並べられ、それがやや興ざめなんですが、海岸ちかくの古い町並みは、古い、侘び錆び系の建物の宝庫状態…。多少のことは許してしまいましょう、って感じでした。その建物につても、追々紹介させていただきます。
ま〜とにかく、新潟島の古い町には優れた物件が多く、これはまた来なくちゃな〜!という感じです。玉井さんからお邸の鍵をお預かりしようかな?(^^;

【場所】新潟県新潟市です。

月夜の京島で…

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先日、京島のLOVE GARDENさんにおじゃまし、そこを拠点にして遊んでいました。そうこうするうちに、夕方になり、お店を閉める時間が近づいた頃、なんとはなしに「もんじゃ焼きを食べに行こうか…」ということになり、皆で大仙さんへ向かうことになりました。そんなわけで、両手でお子さんの手を引いて先を行くご主人cenさんの後を追うようにして、歩きはじめました。
LOVE GARDENさんの前の道は、昼間でも、さほど交通量は多くありません。それが、夜になると、輪を掛けて少なくなります。そのせいかどうか分かりませんが、この町の住人の常識には「道は人が歩くところ」と書かれているようです。僕などは、道を歩くときに、自動的に、路肩を、建物に貼り付くように歩いてしまうのですが、両手にお子さんの手を引いたcenさんは、ずっと中央寄りの、「そこは車道だよ」というあたりを、フ〜ラリフ〜ラリと歩いて行くのです。些細なことのようですが、実は、僕は、その光景を見てハッとしました。きっと、cenさんには、「店前の道路はうちの庭」的感覚が残っているでは?と感じたのです。そして、「なんだか、それって、良いな〜」と、妙に羨ましくも感じたのです。
僕は、マンション暮らしで、自宅のドアの向こうは、もう完全に「お出かけ域」になります。部屋着でドアの向こうに出たことはありません。これって、けっこう窮屈なものです。それに引き替え…と思ったのです。
ま、そんなことを感じながら、歩きはじめたのですが、ふと気がつくと、低い位置に月が浮かんでいました。大きな印象的な月でした…。月夜の京島の町を、おばあちゃんが切り盛りするもんじゃのお店に向かって、そぞろ歩いている…。ま、京島に住む人にとっては、ごくフツーの日常でしかないのでしょうが、僕にとっては、実に特別な出来事に感じられました。京島って、人間臭い町です。そして、住んでる人が良いです。月並みですが、何かが心に沁みた夜でした。

【場所】墨田区京島2丁目あたりです。

先日、ゆりかもめに乗って東京ビッグサイトに向かっているときに、車内から撮った写真です。この日は、いかにも梅雨どきという、街全体が雲のなかに突入したような、湿気の多い、はっきりしないお天気でした。
お台場に代表される東京ベイエリアは、特に若者の人気スポットのひとつに数えられています。が、僕は、なにか催しでもないかぎり、行くことはまずありません。特に、こんな日に「お台場に行こう」なんて思うことはあり得ません。が、そんな日にここを通ることになったのですから、裏を返せば、見る可能性のきわめて低い風景を見た、ということになります。ま、そう思えば「お、ラッキー」ってことにもなりますね(^^;
ここは東京湾の奥、日の出埠頭です。ゆりかもめの駅「日の出」があるところです。埠頭という名が示すように、荷揚げする岸壁に沿って倉庫が並んでいます。その向こうには、対岸の晴海や豊洲、有明などに建つ建物が、薄いグレーに霞んで見えています。なんとなく蜃気楼のように見えなくもありません。そして、手前の倉庫も、なんだか紙に描いて切り抜いたのか?と思うほど、立体感がありません。きっと、このお天気のせいで、影らしい影がほとんど見あたらないからなのでしょう。…影が薄い…ってのはこういうことを言うのでしょうね(^^;

【場所】港区海岸2丁目あたりです。

活字直彫り

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今日は、7月6日から東京ビッグサイトで開催されていた東京国際ブックフェアの最終日でした。実は、この二、三日というもの、これがムチャクチャに気になっていました。と言いますのも、またも実は...先日、根津のCafe NOMADに立ち寄ったのですが、ふと壁を見ると、こんなイラストがかかっていたのです。なんと「最長老 活字鋳造機」とあります。つい先日、中村活字さん三英印刷さんで活字インフルエンザに感染したばかりの僕です。完全に反応が出てしまいました。
Cafe NOMADのご主人にうかがうと、「"本と書斎の解剖図"展の一部だ」ということです。しかも、その日が初日で、作者がいらっしゃるとのこと...。その方に声までかけてくださいました。奥から出ていらした作者に差し出された名刺を見てビックリ。その方は内澤旬子さんでした。で、しばらくお話をしているうちに、「もうすぐ始まるブックフェアで、活字直彫りの実演がある。ぜひ観ておいたら...」とお勧めいただたのです。そんな経緯があり、最終日の今日、午後になって東京ビッグサイトに駆け込んだ次第です。長い前フリになりましたが、そんなわけで、どうやら大日本印刷のブースに辿りつき、活字直彫りの様子を写真に収めることができました。






バック・フロム・ザ・ブートそしてバック・フロム・ザ・ブート 初日と、2回にわたり、オックスフォード大美術校の学生3人によるアート展を紹介させていただきましたが、それが、本日、最終日を迎えました。広報なしでの日本初上陸としては、各界の多様なお客様にご覧いただくことができ、成功裏に最終日を迎えることができた、言えるように思います。拙ブログをご覧くださって、足を運んで下さった方もいらっしゃいました。このアート展をブログに転載してくださった方々の記事をご覧になり、足をお運びいただいた方々もいらっしゃいます。お名前をすべて挙げることはいたしませんが、この場を借りて、当事者に成り代わり、深く御礼いたします。ほんとうにありがとうございました。若い3人がさぞ勇気づけられたことと思います。

新富町B&W景

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今日のお昼は、ちょっとした用があり、新富町に居ました。新富町は、文明開化の音がした頃、築地の外人居留地をあてこんだ、新島原遊郭のあったところだそうですが、その遊郭が新吉原に移転したことから、新島原と大富町をあわせて新富町とした、と言います (新島原の隣り町が大富町だったため、新大富町という意味で新富町とした…という説もあり)。
そんなことから、新富町は花街として発展し、料亭や割烹旅館の多く集まる、黒塀のつづく町だったようです。ところが、官庁街にやや遠いことや、関東大震災の被害などにより、賑やかさが他所へ移り、徐々に生彩を欠くようになったと言います。いまでは、ほとんどその名残を目にすることはできません。しかし、今でも、黒塀の料亭が一軒だけ営業をつづけています。が、それについては、いずれまた…です。
ということで、今日の写真は、その料亭ではなく、黒塀はあるものの、住居として使われている感じの家です。「昔は料亭だったに違いない」という匂いを発散していましたが、どう見ても営業はしていません。しかも、写真のとおり、かなりヤレたフィアット500が、黒塀から鼻先を突き出すようにして、ちょこんと駐まっています。新富の黒塀とチンクエチェントという組み合わせ…。これは写真を撮らずにはいられませんでした。微妙なバランスの崩れがカッコ良くて…。

【場所】中央区新富2丁目あたりです。

比留間青果店の脇が入口になっていた路地です。まだ比留間青果店が健在だった頃は、この辺りまで進むと、もう路地のなかほどで、表通りとははっきりと違う、私的な空間だな〜という感じがしていました。
この写真は、先日、梅雨の晴れ間に、比留間青果店が解体された跡地の様子を見に行ったときに撮ったものですが、左手後方あった比留間青果店の建物がもう在りませんから、僕の立っている位置が、ほぼ路地の入口ということになってしまいました。そして、右手前方、街灯が立っている辺りも、実は空き地になっています。そこには国有地であることを知らせる看板が立っています。相続時に物納された...と聞きます。
まだ現役の井戸があり、路地の奥には階段、その先は崖で行き止まりです。この素晴らしい条件を備えた菊坂の路地も、比留間青果店が解体されたことにより、ほぼ半分が消えてしまった、という状態です。この表情をいつまで目にすることができるのか...心細い話ですね。

【場所】文京区本郷4丁目あたりです。




バック・フロム・ザ・ブートが、いよいよスタートしました。初日の今日は、レセプションを兼ねていましたので、午後5時半から...。とは言え、もっと早い時間からいらしてくださったお客様も多く、「はい、では開場です」といった感じは皆無です。気がつけば、いつの間にやら、開場は各界からのお客様でいっぱい...という感じでした。
僕は、5時ちょっと前に開場に到着したのですが、着いたとたんに、まずはゴトー・タカヒロさんのご両親から、予期せぬご報告をいただきました。「Cezanneさんという方のご友人がいらしてくださった。そしてお土産までいただいた」と...。これにはビックリするやら嬉しいやらです。後になって判ったことですが、いらしてくださったのは、こちらの方でした。akisaienさんには、関係者になりかわり、この場をかりて深く御礼いたします。
という嬉しいハプニングで幕をあけたバック・フロム・ザ・ブートですが、今日は、撮った写真をざっとチェックしただけで、もうゼーゼーいってますので、アーチスト1人につき1点だけ紹介させていただきます。

銀座路地裏景

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午後、所用で、銀座を歩いていました。パラバラと雨粒が落ちていましたが、傘をさすほどではないな〜といった程度。
まずは、先日、突然に、シャッターボタンを押してもいないのに、ダダダーッと勝手にシャッターが作動する症状が現れ、修理に出していたカメラを受け取りに...。そして次ぎに向かったのは、一昨日紹介したバック・フロム・ザ・ブートの3人が、展示の準備をしている画廊です。進行状況が気になり、立ち寄ってみました。まだ準備が始まったばかりだったようで、画廊のなかはまだガラーンとした感じでしたが、3人は、それぞれに、ノコやドリルなどを使い、作業に余念がないといった感じでした。きっと明日には、かなりなカタチになるのでは?と思います。
そして、画廊を後にし、地下鉄の駅に向かったのですが、表通りを通るのは面白くありません。で、いつものように裏通りへ...。そして目についたのが、この風景でした。今日は土曜日で、営業をする店と休む店があるのか? ところどころ、ネオンの灯が消えています。それが、なんとなくうら寂しさを醸しだし、いかにも裏通りという、ニホンゴのシャンソンかタンゴでも聴こえてきそうな雰囲気を漂わせていました...。飲めないのに、なんだか、酔いつぶれるには良い場所かな? なんて思いながらシャッターを切った次第です。

【余談】実は、つい先日、1台のカメラ(Canon 20D)が故障し、修理に出していたのです。アナログカメラを使っていた頃は、「カメラは壊れないもの」なんて思っていましたが、デジタルになってからというもの、画像素子の清掃などはしょっちゅうですし、どうやらカメラを過信してはいけないようですね。かなり世話が焼けます。修理の内容はシャッターユニット(3,000円)の交換で、料金は技術料が加算され 15,435円 でした。
【場所】中央区銀座8丁目あたりです。



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