新潟残照景

| コメント(13)

その後、夕陽が地平線に触れた頃、耕耘機はあぜ道に上がり、自走して帰ってゆきました。それに呼応するかのように、時々、農作業を終えて家に向かっていると思しき軽トラが、砂埃を上げながら、あぜ道を走ってゆきます。が、それも3、4台といったところ...。犬の散歩をする人の姿がいつの間にか見えなくなると、その後は、あたり一面、人影すら見あたりません。
太陽が地平線の向こうに姿を隠すと、さすがに晩秋です。一気に気温が下がり、ジャケットのボタンを首まで留めても、まだ肌寒いくらいです。「もう戻ろう...」と思って振り返ると、白いシャツを着た人の姿が見えます。近づいてみると、すぐ近くにお住まいで、農業を営んでいらっしゃる作一さんという方でした。昼間お会いするときは、いつも、麦わら帽にゴム長という姿ですから、一瞬、作一さんとは気づけなかったのですが...。作一さんは、昔から玉井家に出入りなさっているそうで、玉井さんとはとても親しくしていらっしゃる方です。その玉井さんの知人ということで、僕にも、とても親切にしてくださいます(役得ってやつですね(^^;)。にこやかで円満、良い人の代名詞のようなお人柄です。
その作一さんとお話をしながら歩いていると、こんどは、向こうから玉井さんのお姿が...。3人になり、なんとはなしに、話題が昔の新潟の水田に飛ぶと、それなら...と、作一さんが、家から当時の水田の様子を収録した本などを出してきて見せてくださいます。その写真を見ながらまた話が膨らみ...などとやっているうちに、どっぷりと日が暮れ、あたりは真っ暗です。が、ふと太陽が沈んだ方向に目をやると、上空が照り返しで淡く明るいピンクに染まっています。「ややっ」とばかりに、ふたたび元の場所に戻ります。すると、赤、黄橙、藍と変化するグラデュエーションが...。建物のシルエットが絡まない、このグラデを目にするのは、本当に久しぶりです。しかも、大自然の名残が残っている土地では、このように、沈んだ太陽が、地中に潜った姿まで見えるようです(^^; 世界初の決定的瞬間ですね(^^; [追:間違っても本気にしないでください(^^;]

【場所】新潟県新潟市です。

コメント(13)

masaさん、こんばんは。僕のようなやつがいることを気遣ってくださり(^^;;、[追:〜]を書いてくださったんですね。ありがとうございます。文章が比較的長めなので、読み終わるまでの時間「えっ・・・」という気持になっていました〜(^0^)。本当に、グラデーションですね〜。夕日が空の「底」に沈殿しているようです。ところで、「世界初の決定的瞬間」の写真は別にして、今日のエントリーで注目したのは、やはり作一さんという方のことでしょうか。実際にお会いしたことはないにもかかわらず、お書きになっている「昔から玉井家に出入りなさっているそうで・・・」なんてところから、すごく作一さんの人間像が具体的に頭のなかに浮かんできているんです(←まあ、勝手な想像なんですけど(^^;;;)。

>wakkykenさん
こちらにもコメントをありがとうございます。作一さんですが、ほんとうにもう素晴らしい方です。いかにも大地に育まれたといった感じのお人柄です。今回も、玉井さんがお泊まりになることがわかると、いそいそと畑に入り、枝豆を数本引き抜いてくださる…といった感じです。それを直ぐに茹でて、お相伴にあずかりましたが、コリコリとして実に美味しかったですよ。もうご飯の代わり…といった感じでパクパク食べてきました。

太陽を相手にしても、いつものように、実物より美しい写真。晴れていれば、いつもこんな夕日が見られるから当たり前だと思ってしまいがちなのに、わざわざそれを見に出てくるのは、このあたりでは作一さんともうひとりくらいです。ところで作一さんは、僕に対してだけでなく、だれにも親切な人ですから、masaさんが通りすがりの人だったとしても、同じようにしてくれたでしょう。いい人であるだけでなく、何でも知っている。農業について、植物について、このあたりのことについて、知らないことはないくらいです。ということを、このあたりのだれもが知っている。
メディアなしにそういうことがあるのは、とてもすてきなことですね。

>玉井一匡 さん
こんばんわ。コメントをありがとうございます。ほんとうに作一さんという方には魅力を感じます。ところで、新潟では、家は、東京都心ほど小さくはありませんが、作一さんの生活のあふれ具合を見ていますと、"タイニイ"のスケールは相対的なものなのかな…と思うようになりました。それにしても、文字からではなく、自力で自然から学んだ知識というものは力も説得力もありますね。

masaさん、玉井さん、こんにちは。玉井さんがお書きになっている「何でも知っている。農業について、植物について、このあたりのことについて、知らないことはないくらいです。ということを、このあたりのだれもが知っている。」の部分の、特に最後の「だれもが知っている」というところにとても惹かれました。作一さんは、お幾つぐらいの方なのでしょうか?玉井さんがお小さい頃、もうすでに大人だったような年齢の方でしょうか。なんとなく、そんな気がします。「篤農」という言葉が頭に浮かんできます。「自力で自然から学んだ知識」(masaさん)をお持ちの「篤農」ってお呼びしてもよい農家の方って、少なくなりました。

>wakkykenさん
そうだ、「篤農家」って言葉がありましたね。これ、死語になってはいけないですね〜。

作一さんは、このごろの基準でいえばさほどのお年ではなく、70歳くらいだったと思います。もともと、お父さんの代は、金魚の養殖を生業にしていましたから、本人も新潟鉄鋼に勤務する兼業農家でしたから、たとえば米つくり一筋というふうなかたちの「篤農家」ではありません。しかし、それだけに、かえっていろいろな新しいもの、たとえばズッキーニだのゴーヤをさっそく自家用につくってみるから頭を使わざるを得ない。そして、そのやりかたをみんなしっかり自分のものにしているというタイプです。今は営業用には蓮が中心です。たとえば、左上手右前みつをとったら一気の寄りを極めた名力士というより、四十八手のうち使わなかったもののないというような舞の海タイプですね。
ほかに、現在では新潟でも珍しい親子三代みんなで米専業という人もいます。毎年、いつどこにどんな肥料をやったか、などのデータをずっとノートに記録しているんだという話をきいたことがありますが、彼のほうが「篤農家」という呼び名にふさわしいかもしれません。

どうも、どこかで聞き覚えのある名前だと思ったけれど、もしかして、あの近藤正臣の役は作一さんの名前を頂戴したのかな?

iGaさん 前にその話をしませんでしたっけ。そうなんです。この作一さんから名前をいただいたんです。小林はると同じように、直接的にはキャラクターが重なるわけではないのですが。
「作一さん、映画にでていただくことにしたんですよ」と夕海が言うと、もちろんなんのことやらはじめは分からずに「はあ」と、当惑とちょっとうれしそうな表情が入り交じっていました。
公式ウェブサイトからダウンロードして映画を見せてあげようと思っていたのに、Macにはダウンロードできず、まだ見せられません。チラシは、もちろんあげましたが。

>iGaさん
な、なんと、作一さんの名前に反応なさるとは…。本当にすんごい記憶力と勘ですね〜。驚きました。僕なんか、ま、比べてもしょうがないですが(^^; 玉井さんに言われて、「あ、そうだったかな」という程度でした(^^;

>玉井さん
きっとまたお邪魔させていただきますから(^^; 今度は、VAIOでダウンロードして、作一さんにご覧いただきましょう! 画面に見入る作一さんの表情…なんとなく想像がつきます…。

>玉井さん
小林はるは最後の長岡瞽女から頂戴した名前だと、あの焼鳥屋で聴きましたが、作一さんの由来は憶えてませんでした。
>masaさん
そんなに記憶力は良くないので、研ちゃんのブログで見て、あーそうか、と気付き、公式サイトでキャストを確認した次第です。どこかに記憶の断片が引っ掛かっている程度なので、それを引き出すには何かのアイテムが必要です。

>iGaさん
いえいえ、記憶の断片から「あーそうか」とお気づきになる時点で、もうスンゴイです。どうも脳の成分が違いそうです(^^;



ninepeace.jpg




月別アーカイブ(Archives)



写 真 集


おすすめ




おことわり

エントリー、コメント、トラックバックにつきましては、管理者の判断により削除させていただく場合があります。予めご了承ください。
Powered by Movable Type 4.22-ja





copyright © 2004-2017 masa