新潟晩秋景

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晩秋の新潟を訪ねてきました。この写真は、はじめての新潟の左の写真を撮ったのと同じ場所です。新潟は、過去に二度訪れていますが、いずれもお天気には恵まれませんでした。が、今回は、穏やかな晴天に恵まれ、美しい光に照射された穀倉地帯の風景を満喫することができました。
前回訪れたときは、ここは、穂をつけるかつけないか、という状態の稲の海原だったのですが、今回行ってみると、既に稲は刈り取られ、水の退いた田に残った株から新たに芽吹いた葉が20センチほどに成長していました。背丈を揃えたかのように伸びた稲の新葉に覆われ、芝生のように見える田があるかと思うと、すでに耕耘機で耕され、凸凹とした田もあります。緑一色の海原だった場所が、今回は、巨大なモザイクのような文様を見せてくれました。
それにしても、新潟の穀倉地帯は広大です。ぐるっと360度が地平線という環境のなかで空を見上げていると、巨大なドームのなかにでも居るような...という本末転倒な感覚に陥ります。
夕方、サンセットを見ようと、この場に行ってみると、目の前の田を、耕耘機で耕しているところでした。一瞬、「あ、邪魔が入ってるな...」と思ったのですが、トコトコと動きまわる耕耘機を見ていると、コロッとした姿も良いですし、健気な感じがしてきます...。なんだか、かなり可愛いのです。邪魔どころか、こいつを撮らねば...と、予定変更。そんな訳で出来上がったのがこの写真です。

【場所】新潟県新潟市です。

コメント(23)

おお!!新潟って感じがしません。中国の西域にでも行かれたのかと思いました!!仏教には、西域でうまれた、日没をみつめる「日想観」という瞑想行があるのですが、写真を拝見した途端にそのことを連想しました。でも、クリックして拡大すると、手前にいらっしゃるのは、馬や駱駝ではなくてトラクターですね(^^;)。本当に、可愛いですね〜。akiさんがお持ちのゼンマイ駆動のブリキのオモチャみたいな雰囲気もあります(^0^)。

>wakkykenさん
こんばんわ。「日想観」なるもの、知りませんでした。が、夏至、冬至、春分・秋分の日の、日の出日の入りの位置は、昔の人々の生活やまつりごとの道標ともなっていたわけですから、壮大なスケールのサンセットを目の前にしたときなどは特に、そういった習慣があってしかるべき…と思います。しかし、このトラクター(耕運機とは呼ばないのでしょうか?(^^;)、日本製なのでしょうが、おっしゃるように、オモチャのような可愛さがありますよね。それに引き替え、街を走っているクルマは醜いのが多いですよね(^^;

日想観ということば、初めて聞きました。日本では、どちらかといえば日の出を拝む方が多いですよね。ぼくも、日の出を見る機会の方が圧倒的に少ないからでしょうか、夕日にこころを動かされることが多いように思います。そういえば、ミレーも日没の時に祈っているし、星の王子様も夕日が好きで、小さい星にいた時には一日に何度も夕日を見るんだといいましたね。
トラクターも、高圧線の鉄塔も、みんなあるがままにいいんだよ、じゃあまたあしたなと、太陽が言ってくれているようです。・・・・が、これは太陽の高さやトラクターの位置を待った瞬間であることはわかっていますよ。

>玉井一匡 さん
こちらにもコメントくださいまして、ありがとうございます。僕は、しばらく南の島に住んでいましたが、年に何度もない圧倒的なサンセットを目の当たりにしますと、それはもう神々しく、自然に祈ってしまう…という感じでした。が、それはとかく、やや荒々しいまでの神々しさでした。それに引き替え、この日の新潟のサンセットは、とても温和でした。
ちょっと脱線しますが、このトラクター、実は、なんだか可愛く、カッコ良く見えてきまして、「運転してみたい!」と思ってしまいました。

masaさん、玉井さん、こんにちは。「日想観」ですが、大阪の上町台地にある四天王寺では、お彼岸の日に、「日想観」がおこなわれています(まだ、未経験)。お寺だけど、西の鳥居があって、そこに日が沈んでいきます。夕陽の沈む彼方に西方に浄土の世界を見ようとしてきたとのこと。ということは、「死」を前提にしているので、大昔の人びとにとっても、朝日を拝むのとはまたことなる心境や心理であったのではないかと想像します。http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200509/news0924.html#09241
ところで、玉井さんのミレーというのはそうですね。たしかに。あの絵のなかの光には優しさがありますね。それと比較して、masaさんは、南の島は「やや荒々しいまでの神々しさ」でしたとお書きになっていますね。これって、緯度に違いによるものなのでしょうかね・・・。

>wakkykenさん
「日想観」って、興味を感じますね〜。ところで、西の鳥居に陽が沈むように、神社を配置した…というところが、そもそも非常に興味深いですよね。「日想観」といったものを前提として建造物を配置している、とも言えますから。
南の島のサンセットショウは、ダイナミックレンジ(^^;が広いです。やはり緯度の違い(太陽との距離の違い)なんでしょうね。

ひゃー、カッコいいです!映画「ストレイト・ストーリー」のじいさんみたいです。
このお方は、もう何十年もの間 秋の稲刈りが終わると耕運機に乗り、暗くなるまで耕しているのでしょうね。なんだかジーンとくる素敵なお写真ですね〜。
永遠にこの風景の中にヘンテコな高層マンションなどが現れないことを願うばかりです。

masaさん、wakkykenさん ぼくは、西方に沈む夕日にも、死後の世界より、またやってくる明日という、時間の連続性とセットアップのようなものを感じます。だから、自分の子供たちにそんな名前をつけました。
西方の補陀落山を目指して船に乗った僧が、死にたくなくて船から脱出しようとする小説を、井上靖が書いているそうですね。しかし、仏教でも西方浄土をめざすことが、現世で可能だとする考えがあってもよさそうですが。

yukiりんさん ストレイト・ストーリーをamazonで探したら、すてきなジャケットのDVDがあった。これなんだなと、わかりましたよ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HP4P

masaさん、こんばんは。masaさんは、以前にもなにかのエントリーのコメントで、神社とその方角等についてご関心をお持ちでたしよね。こういう本があります。『神社の系譜 なぜそこにあるのか』という新書がありますが、ご存知でしょうか。すでにお読みになっていたら、おせっかいで申し訳ありません。http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334033512 「自然暦」という考え方は興味深く思いましたが、最後は物足らなさを感じました。アマゾンのカスタマーレビューの★ひとつの方のコメントに、少し近いものを感じたのです。しかし、読んでも損ではないと思いますし、とりあえず、masaさんの問題意識に関連してくるのではないかと思っています。繰り返しますけど、お読みになっていまたしらご容赦ください。

masaさん、玉井さん、こんばんは。玉井さんのお書きになった小説とは『補陀落山渡海記』というやつのようですね。ところで、「仏教でも西方浄土をめざすことが、現世で可能だとする考えがあってもよさそうですが」という点については、仏教に関する勉強が足らないので、自信をもってうまくこたえられません。ただ現代人の感覚からとらえるだけでなく、古い時代に生きた人が、どのような当時の状況を生き、何ゆえ浄土思想を受け入れ、浄土思想を通して何を願ったのかということを考えると、「死」の意味も違ってみえくるのかもしません。それは、「死」と「生」とを二項対立的にとらえるような近代的な発想とは別の考え方だと思います。うまく説明できなくてすみません。ところで、もうじき中国に出張するのですが、出張先の浙江省には、舟山列島の普陀山というところがあります。ここは補陀落山の信仰の地です。昨年、訪問してきました。チベットのラサにあるポタラ宮は、ポータラカ=補陀落からきているという話しも聞いたことがあります。

wakkykenさん おっしゃるとおりです。生と死は対立するものでないはずだと、ぼくも思います。即身成仏というものもただの自殺ということではなく、生を最後まで自分の意志にもとづいて全うするという、究極の生の行為だと思います。西行は、「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」とうたったその通りに死んだそうですが、それは、偶然ではなく、みずからの意思で春に死ぬようにしたのだという説がありますね。
 ぼくがそうするよう直接に言ったわけではありませんが、「もんしぇん」は、生まれること・老いること・死ぬことが、生命の劣化というものではなく、ただ生命のありかたの変化にすぎないのだということを表現してほしいと思っていました。
ところで、そんなところに仕事で行くwakkykenがうらやましいなあ。補陀落山渡海の痕跡を発掘してきてください。

>yukiりんsan
こんばんわ。お返事遅れてスンマセン! 玉井さんも書いていらっしゃいますが、ストレイト・ストーリーのジャケットよろしいですね〜。これは観てみたいです。紹介ありがとうございました。もう、トラクター運転するための長靴探ししよっと…(^^;

>玉井一匡 さん
ストレイト・ストーリーのURLありがとうございます。お返事が遅れています…(^^;

>wakkykenさん
『神社の系譜 なぜそこにあるのか』は、僕は、非常に興味深く感じながら読みました。が、確かに、神社や寺院というものが、すべて「自然歴」にのっとって位置決めされているのか?というと疑問ですし、「だから何…だからどうした」という部分の欠落は気になりました。
しかし、その一方で、太陽信仰というのは世界的なものでしょうから、「自然歴」というものを世界にあてはめてみるとどうなるのか?という興味も出てきます。

>玉井一匡 さん、wakkykenさん
なになに…補陀落山…。いい歳してますが、そんなもん知りません(^^; お二人のやり取りを拝読していますと、実に勉強になります。ありがとうございますm(__)m

masaさん、失礼しました。やはり、すでにお読みになっていましたですね・・・m(--)m。宇宙や自然のリズムをうつしとるといいますか、そのあたりは、一般性のある話しですよね。太陽暦と同様に、月の満ち欠けを一ヶ月とする太陰暦などもそうですし、少し違いますが、山の雪が融けて、山の斜面に様々な残雪のパターンが現れる雪形(ゆきがた)なんかも、農事暦に利用されています。かつては、まわりの自然の移り変わりを、敏感に感じ取らないときちんと生きていけなかったわけですが(特に、農山漁村では)、僕が話しを聞いてきたかぎりでは、戦前まではまだ残っていました。ただし、自分自身の経験でいえば、高度経済成長期とともに、都市の郊外で成長してきた僕のまわりには、もはやありませんでした〜。

補陀落山渡海の痕跡を発掘してきてください>玉井さん。ええと、考古学者じゃのないので、本当の発掘はしませんけど、文化の痕跡ならば。中国には、死生観の調査にいくのですが、簡単にいえばお葬式の調査ですね(^^;;。調査にいく浙江省は、とても仏教の影響の強いところなんです。昨年いった、普陀山というところは、今は観光地化しているのですが、以前拙ブログでご覧いただいた伏見稲荷ほどではないにしろ、やはり民衆の信仰のパワーを感じる場所でした。

>wakkykenさん
あ、雪形については、耳にしたことがあります。wakkykenさんのブログでもとりあげていらっしゃいませんでしたか? 先日、新潟で、玉井さんと、「趣味で釣りをするのに魚群探知機を使うなんて…」などと話をしていたのですが、現代人は、そういった自然を感じとる触角を失う環境に、自らを追いやっているように思えますね。僕もGPS受信機捨てようかな〜(^^;

masaさん、だめですよ、GPSは。僕も、これから購入する予定ですし・・・。

>wakkykenさん
あ、わかりました。了解です(^^;

masa 様  こんばんは。
わァ・・・キレイなPHOTOですネ。
空気感が伝わってくるようです。。。。

ふと、ミレーの『晩鐘』、『落穂拾い』が頭に浮かびました。
こういうすばらしい一瞬の時を味わえるって、・・・最高デスネ(*O*)。
ワタシは散歩をしていると、こういう「あ。」と思う一瞬?に出会う事が多く、
やめられないのかもしれません(*O*;)。。。

>O-TSUKAッ子さん
ずっと遡ってご覧くださっているようですね。ありがとうございます。この風景が目の前に展開したときは、僕も、全く同様にミレーの作品を思い浮かべました。トラクターが横切っているにもかかわらず…です。
このところずっと東京を撮っていますが、こうした、自然の美しさに振れますと、やはり、良いものだな〜と思います。
そして、おっしゃっているとこ、わかります。例えば、南の島のサンセットショーの前では、誰の口から出る言葉も「うわ〜」とか「おぉ〜」だけですよね(^^; その瞬間…ですね。



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