北砂の古老家屋

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今日も砂町からです。砂町銀座という東西にのびる商店街がありますが、その北側に、この、いかにも古そうな家が残っていました。正面から見ると、こんな感じです。
2階部分の天井の低さなどから、なんとなく、江戸末期あたりに建てられた長屋に雰囲気が似ています。が、1階部分を見ると、表に面したところに廊下があり、それらとはちょっと造りが違います。また、こういった家屋は、とかく、長屋だったものを切り離したために一軒家になった…というケースが多いのですが、そういった場合は、通常、側壁面がトタンなどで覆われています。が、この家の側壁面は、押縁下見張りで、もうかなりの経年変化が見られます。ということは、元長屋…ではなく、建った当時から一軒家だったようです。というわけで、なんとも素性が想像つかず、不思議に思っていました。
それが、この家の前を何度目かに通りかかったときに、こちらのご主人とお話する機会を得ました。早速、この家の素性を伺うと、この辺りは、戦災で焼け野原になり、戦後、バラックが建ち並んでいたところ…ということでした。この家も、元々は、そんなバラックの一軒だったものを、改築・改修・増築を重ね、最終的にこういう姿の家になった…ということでした。したがって、意匠などとは全く無縁であり、偶然にこうなっただけだ…と仰っていました。
が…です。それにしては魅力のある形をしています。いや、それだからこそ…なのかも知れません。キチンと設計して造られたように見えますが、そこに、素性…バラック感覚…が見え隠れするからなのかも?ですね。しかし、よくぞ残っていてくれたものです。偉い!(^^;

【場所】江東区北砂3丁目あたりです。

コメント(6)

ちわっ!(^^;
改築・改修・増築を重ね、最終的にこういう姿になった……なんだか「人」にも繋がりますね。色々な経験がその「人」のもつ味となり魅力のある形を作っていく…。バラックも車も人も似ているなぁと思いました。
それにしてもよくぞこのバラックに気がついたものですねぇ、さすがだわ〜偉い!(^^;

masaさん、こんにちは。真打登場という感じですね!!地面に砂利がしかれ、そこに敷石が埋め込まれていること少したって気がつきました。これも、低湿地問題と関係しているのでしょうかね〜。で、本題。こちらのお宅のご主人のお話し、興味深いです。意図したものではなく作為でもなく、長い時間暮らし続けることの結果として生み出される「美(のようなもの)」、てな感じがします。なんともギコチナイ言葉なんですが、うまく思いつかないものですから。それは、「いも・ここ」の瞬間は超越しているけれど、抽象化したあちら側の世界にいってしまうのではなく、あくまで具体的なこちら側に世界にとどまっているものですね。そういう「美(のようなもの)」を、「砂町の断片」でも感じます。ところで、頭のなかでmasaさんが撮影された立ち位置を整理すると・・・、脱帽です(^^;;。

>yukiりんsan
いえね、この家ね、歩けば誰でも気がつきます(^^; せっかくお褒めいただいたのに何ですが(^^; ところで、経年変化って、味&魅力につながるのに、つなげていない状況って多いですよね。そういった意味も含め、cenさん、yukiりんsanの活動に大声援で〜す!

>wakkykenさん
こんにちわ。庭…という感じではないスペースに敷かれた飛び石は、砂利とともに、やはり、低湿地であることを暗示していますよね。この辺り、雨の後にも訪ねてみたいものです。
で、この家ですが、意図して作り上げたものではないわけですが、例えば、飛び石の配置を見ても、見事に湾曲していますよね。ということは、こちらのご主人は、何か改修・補修などなさるときに、確実に神経を使って作業なさっていたに違いありません。その積み重ねが生んだ造形である点も見逃せないと思います。
そんで、僕の立ち位置ですが、wakkykenさんは現地の様子をご存知なだけに、ま、確かに…ですね(^^; でも、僕の場合はご主人に見逃していただいてますので(^^;

masaさん、こんにちは。「いま・ここ」なのに、「いも・ここ」ですって←1人突っ込み。すみません。先日のアースダイビングで焼き芋屋さんに出会ってしまったせいです・・・(^^;)。
「確実に神経を使って作業なさっていたに違いありません」というのは、その通りだと思います。積み重ねられた作業なくしては、この家は存在していないでしょう。このお宅を維持していこうとするとき、おそらく、ご主人は年次計画とか、将来的にはこうしよう、などという長期的な意図はお持ちではなかったと思います。むしろ、このお宅の価値とは、生活の必要から行なわざるを得なかったひとつひとつの作業が、意図せざる結果として生み出したものなのでしょう。そのような価値(たとえば、経年変化の味&魅力)は、それを受け止める側の視点(価値を理解する視点)とも相関しています。随分以前のことですが、玉井さんが拙ブログのあるエントリーへのコメントで、次のようにお書きくださいました。「経年変化って、味&魅力につながるのに、つなげていない状況」という部分を読んで、思い出しました。
「建築には、時間軸に沿って劣化を進めてゆく側面がありますが、じつは時間の経過とともに価値を向上させる側面があり、人間の側からすれば、それを読み取る力を身につけること、同時に、建築の側あるいは建築をつくる側からは、そういう価値をそなえた建築をつくり、あるいはそういう価値を育てるよう手を加え続けてゆく。こうした振舞いを導くような文化を実現することができるかどうかが、これから人間がこの地球で生き続けられることの成否を分けると思います。」
建築に関するリテラシーや生活文化の問題ですね。じゃ〜、自分なりに、自分のスタンスからはどうするのか。そのあたりが、暗中模索状態です。

>wakkykenさん
あ、やはり「いま・ここ」でしたか。しかし、wakkykenさんのことですから、「ケ・ハレ」のような、特殊な言葉である可能性もあるな…と、コメント待ちしていました(^^;
ところで、「受け止める側の視点(価値を理解する視点)」ですが、僕も、それがとても重要だと思います。今日も、実は、あるシンポジウム後の懇親会で、そんなことが話題になりました。観光資源を磨き創出することも大切だが、それに反応する琴線が備わっていなければ、資源が資源とならない…といったことです。まさに共通するところですよね。



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