北品川の幻景

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何でこんな写真を?と、疑問にお感じになると思います。確かに、単に駐車場として利用されている空き地です。近所の方の話では、30年ほど前から空き地のまま…ということでした。が、ということは、30年ほど前までは、ここに建物が在った…ということになります。そして、それがどんな建物だったのか?が問題です。
ここは北品川です。江戸期には品川宿が在った場所です。と言うと、もうピンときた方もいらっしゃると思いますが、そうなんです、ここには遊郭があったのだそうです。
近所にお住まいの、年配のご婦人の話では、「あさひ楼と言ったかな、この辺りでは、(改修していたため)いちばん新しい建物でしたよ」とのこと…。また、狭い路地1本隔てたところにお住まいの、やはり年配のご婦人からは、「通りに面した部分が3階建てで、後方は平屋。周囲には、女郎さんが逃げないように、高い塀が巡らされていましたね。女郎さんはいつもお腹を減らしていたので、私の母などは、よく、塀の隙間からパンを差し入れしてあげてました。それは可哀想でしたよ」との話を伺いました。
その前に、実は、この風化した石垣が気になって、写真に撮っていたのですが、そのご婦人の話では、この石垣が、ここにあった遊郭の唯一の名残だ…ということでした。妙な迫力を感じて撮っていたのですが、まさか…でしたね〜。この話、聞いたのは良かったのですが、その後、ズシ〜ンと響いてきました。この地の霊は、まだ眠りについていないだろう…なんてことを、本気で考えてしまいました。かなり重いですね。

【場所】品川区北品川2丁目あたりです。

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こんばんは、masaさん

大阪にも有るのです、同じようなところが。
ちょっとした用事でそこに迷い込んでしまったのです。
でも、いかにも そこから出られそうなところに行っても その地域から出られなくて
妹と車でうろうろしたのを覚えています。
数年前ですが 当時でもまだ お商売をしていました。

寒い冬なのに 玄関が開けられ
ライトを浴びて 若い女性が殆ど裸状態で座っています。

横には やり手婆と言うのでしょうか?
そのような方が座っていました。

苦しい思い出です。

>光代さん
こんばんわ。光代さんのコメントから察しますと、大阪のその場所は、おそらく、東京の吉原と対比させられる場所かな?と想像しています。吉原は、いまでも営業していますので…。しかし、キツイ話ですね〜。そういう土地柄って、なかなか変わるものではないようですね。一方で、言われなくては分からないほど変わっているところもあります。やはり、裏で、大きな力が働いているのを感じますね。
僕も、話を聞いてから…ですが、ここに立っているだけで、気なのか体なのか…が、ドーンと重くなるのを感じました…。

由来はともかく・・・(というのも大変い失礼ですが・・・)手前の自転車と人物の配置が絶妙ですね!うちのムスメが一目みて「木村伊兵衛風じゃん」とつぶやきましたです。

>だねかsan
こんばんわ。コメントをありがとうございます。ここは無人でごく平凡に撮るつもりだったのですが、ファインダーに、この人影の組み合わせが入った途端、化学反応が起きるのを感じ、シャッターを切った次第です。お嬢様の評、僕にとっては、ある意味で、最大限の褒め言葉です。何かご褒美(^^;を差し上げねば…です。大阪での個展、素敵なものになりそうですね。

「あさひ楼」というのが良いですね。
浅川マキが歌った「朝日の当たる家」の日本語の歌詞で
「あさひ楼」というのが出てくるのを思い出しました。
昨年の暮れの吉原ミニダイブ以来
遊廓というものに胸騒ぎを感じるようになりました。(^^;

>fuRuさん
こんにちわ。僕は、遊郭やその跡を積極的に歩くことはしませんでしたが、「吉原御免状」騒動(^^;以来、ちょっと感じ方が変わりました。しかし、ここでは、近所の方の口から出てくるのは、女郎さんの悲惨な生活のことばかりでした。新小岩の南に位置する松島の女郎屋さんの事情に詳しい方からも、やはり同様に悲惨な話を聞きました。昔の吉原は、「吉原御免状」を信じるかぎり、非常に特殊な例なんでしょうね。



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