ステルス型トタン家

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今日は、先日歩こうと思いながらも未着に終わった大田区の南東部を歩いてみました。京急蒲田駅で下車。西糀谷から東糀谷を経て、羽田旭町まで…というコースです。
この辺りの標高は、マイナスこそ見られないものの、1〜3メートルといったところで、大田区でも低地帯になります。そこを呑川という川が流れていていますが、僕が歩いたのは、呑川の南側ということになります。
西糀谷あたりは、住宅街のあいだに商店が点在していたり、閑古鳥の声が聞こえてきそうな、古い商店街があったりと、よくある町並みがつづいていますが、東糀谷あたりに入ったころから、町工場の姿が目につきはじめます。その数は、東(海方向)に行くにしたがって増え始め、その規模も大きくなってゆきます。ま、これもよくあるパターンではありますが…。
今日の写真の家は、東糀谷…工場の数が多く見られるようになる地区…に残っていたものです。ちなみに、この家のすぐ左隣りは、金属加工の工場で、この写真を撮ったときも、金属を削るグラインダーから火花が飛んでいるのが見えていました。この辺りまで歩いてくると、「もうこの先は工場だらけだな」と思うにいたる雰囲気でしたので、この家を目にしたときは、かなり意表を突かれた感じです。
しかし、この家、敷地面積はけっこうあるようなのですが、平屋で、とにかくフラットです。なんだか、地面にめり込んだ…という風にも見えます。そして、印象的だったのが、左右に一直線にピンと伸びたヒサシです。これが翼っぽく見えるんです。屋根の傾斜も緩やかで、そこがコクピットに見えてきます。なんだか、柱を立てて、その上にブルートタンで製造したステルス戦闘機(^^;を置いた…という感じがしませんか? ま、そう見えるにせよ見えないにせよ…です。この家のシャープさ、大いに気に入ってしまいました。

【場所】大田区東糀谷5丁目あたりです。

コメント(12)

低! 竪穴住居か半地下か、それともダルマ落としで上屋だけ残ったのか、これは尋常ではないですね。

>iGaさん
横幅が一人前にあるだけに、よけいに低く感じました。フツーは、家を撮るときは背伸びしますが、このときは背を曲げましたから…。しかし…ダルマ落とし説には気づきませんでした(^^;

masaさん、こんばんは。右に置いてある自転車と比較するとよくわかります。たしかに、これは尋常ではありません。京都の伏見で、このような「現象」を見たことがあります。もともと、農地にそのまま住宅(バラック)を建てた後、周囲が開発されていき、開発の過程で盛り土をしたらしく(農地のままだと水につかりやすい?!)、もともとあった住宅は地面のなかにあたかも潜りこんだような形になってしまった・・・、とまあそういうことのようです。はたして、こちらのお宅のばあいは、どうなんでしょう??

>wakkyken さん
こんばんわ。確かに! 自転車の高さと比較すると、建物の低さが一目瞭然ですね。仰るように、尋常じゃないんですよ。でも、どうしてこうなったかは、聞き取りもできず、全く不明です。申し訳ありませんm(__)m ただひとつ思い浮かぶのは、このすぐ近くに川が流れていたようです(現在は緑地公園)。この家の位置は、その土手から下ったあたり(河から少し離れる)になりますので、もしかすると、そんなところに原因があるのかも?と思います。

masaさん、こんにちは。三重で地震があり、自宅のある奈良もけっこう揺れました〜(*0*)。さて、「ステルス型トタン家」のお宅、Google Map で、およその位置(たぶん、こちらのお宅に違いない・・・が違うかも)が確認できました。そこで、戦後、米軍撮影の空中写真(1947〜48年)と比較してみました。この比較、最近のマイブームなんです(^^;;;。現在、公園になっているところは、masaさんがお書きになっているように川です。もっといえば、「堀」ですね。10000分の1の縮尺の写真をダウンロードして拡大してみても、正確にはよくわからないのですが、以前エントリーされた「築地川岸のバラック」の過去のように、川端にはバラックが並んでいるように見えます。また、小さな船らしきものも、たくさん確認できます。ただし、この米軍の空中写真では、まだ、こちらの「ステルス型トタン家」は確認できません。もうちょっと先にある、大田区羽田にまでいくと、現在でもアナゴやアサリを獲っている漁師さんがいらっしゃるようですし、この南前堀緑地も、「堀」だった時代は漁船が停泊する船溜まりの機能も果たしていたのかもしれませんね。

>wakkykenさん
こんばんわ。お返事が遅れ、申し訳ありませんでした。地震、かなり強かったようですね。かなり被害も出ているようですが、ご無事でなによりです(^^)
早速、この辺りの素性調査(^^;してくださいまして、ありがとうございます。確かに、GEですと、この家がはっきり確認できますね。やはり凄いもんですね〜。
ところで、航空写真、僕も閲覧してきました。で、チラと感じたのですが、この堀の上流が妙にくねっているのと、呑川とこの堀との分岐点から先の、呑川のストレートさ加減が気になりませんか? これも人工的な感じですね。ま、もう2、3回歩いて、機会があれば聞き取りし、その後にでも資料にあたってみることにします。

masaさん、こんにちは。ついつい、建物そのものへの関心よりも、その背景にある事柄への関心が強くなってしまい、細かなコメントになってしまいました。で、僕は、堀の名前、間違っていますね。ごめんさない。「ステルス型トタン家」は、「北前堀緑地」沿いにあって、「南前堀緑地」はもう少し南側ですね。いつものことながら、申し訳ありません。で、masaさんがお書きになっている「呑川」というのは、「北前堀」のほうですか、それとも「南前堀」ですか。「南前堀」のほうは、「T」字の縦棒のように南に分岐しています。現在、首都高速のところです。現在ある緑地の名前からして、首都高速の下の堀は、「六間堀」とよばれていたようですね。「北前堀」のほうも、もともとあった自然河川を掘削して堀にした感じがしますし、水路や運河が発達していたんでしょうかね?地理勘や歴史勘(?!)は、まったくゼロの地域ですが、masaさんのエントリーとともに、こんどは東京の南部にも興味が出てきました。東急空港線の穴森神社のさらに南にいくと、そこは羽田。小さな路地や袋小路の道がたくさんあって、「白魚稲荷神社」「鴎稲荷神社」なんて神社もあるし、漁港がありますから、かつての漁村ですね。おそらくは、古い時代のレイヤーを容易に感じ取れるのではないかと想像しています。ああ、歩いてみたいな〜(^^;;。

>wakkykenさん
こんにちわ。僕が呑川とだけ書いているのは、新呑川です。ちゃんと書かなくてはいけませんね。ところで、この家が建っているのは、仰るように「北前堀緑地」沿いです。この辺りで、気になっているのは、「北前堀緑地」と「旧呑川緑地」が、途中で途切れていますが、その本来の姿、および「新呑川」の関係です。これらの素性については、鈴木理生さんの著書をざっと見たかぎりでは、述べられていないようです。
この東京南部も、低湿地のひとつと言えなくもないと思い、歩いてみることにしたわけですが、やはり、荒川放水路周辺とは、違いを感じますね。いまは、漠然と「人の営みの跡が濃い」としか言えませんが…。

masaさん、こんばんは。早々にお返事をいただいておきながら、すみません。北前堀緑地が現役の「掘」だった頃、この堀のさきの小河川は、現在の蛇行する道沿いに流れていたのか、あるいは現在暗渠になっているのか、そういうことなんでしょうか。推測しますに、蛇行する道は、東急蒲田のあたりから分流れして北前堀になっていたようですね。このあたり、まったくわからないので、少し調べてみると、なんと「呑川だよりホームページ」というのがみつかりました。すごい!!ここに呑川の歴史が解説されています。地元の団体のホームページです。http://home.m00.itscom.net/nomigawa/ このホームページの「現在の呑川」では、「第一京浜国道にかかる夫婦橋の少し下流で、旧呑川は北東の方向へ蛇行しながら流れていたが、現在はこの河川敷は埋め立てられて緑道になっている」と書かれています(呑川の歴史が細かくはありませんが、およそ理解できます)。北東というのは、おそらく、東蒲中のあたりから北東なのではないかと思います。少し先にある北糀谷幼稚園のあたりから、また道が蛇行していますが、どうも旧呑川跡のようですね〜。その先は、旧呑川緑地ですから。改修された河川の直線的な部分と、陸地の残された旧河川の蛇行している部分の対比が興味深いです。いや〜masaさん、またまた、良い場所を発見なさいましたね〜(^0^)。なんだか山師のようで怪しいのですが、僕的には勘にピンとくるところがありますよ(^^;;。Googleで北前堀を検索してみると、こんな面白い記事がみつかりました。http://www.dokokyo.or.jp/ce/kikanshi0004/cover.htm いや〜、まあ、どれだけの方が面白いと思ってくださるかは別問題ですけど(^^;;。またまた「グレ塊」、申し訳ありません。

>wakkykenさん
はい、お察しいただいた通りです。検索していただいたページ、素晴らしいですね。まだチラチラっとクリックしただけですが、なんとカシミールを使ってあるじゃありませんか…。これは、連絡をとって、お話を伺ってみる価値がありますね。
旧呑川については、僕も、wakkykenさんと同様の想像をしています。直線部分とクネクネ部分の組み合わせが、なんとも不可解ですよね。また、北前堀についても、その想像上の上流を辿りますと、いかにもそれらしい、クネクネ道(歩いているときにいかにも暗渠か?という感じでした)が、旧呑川同様に、東蒲中のあたりまでつづいています。そこにきて、"新"呑川という呼び名です。もしや、幾筋か(3筋)に分かれて流れていた川のうちの1本の川幅を広げたり、新たに掘削して広い川をつくり、他の流れを、埋めるか暗渠化して道にしたり、緑地化した…という、かなり途方もない想像をしているわけです(^^; ま、資料にあたる前ですから、こうして想像を巡らせれば、散策がまたひとつ楽しくなるわけですから、お許しください(^^; ところで、このやり取りを、まともに読む人は、もうお1人くらいのものでしょう(^^;

はい!ちゃんとグレ塊解読させていただいおります。
ステルス型トタン屋と言う名でエントリーされたことから川筋の埋め立てまで話が発展するなんてそうざらにはありませんよ。
家康が江戸に幕府をおくことになってから、海岸や河川の埋め立てをすすめ、江戸城や駿府城などの普請にかりたてられたのは周知のことですが、各大名だったこと。それも戦をする余力を削いてしまおうという考えが根底にあったというのは、何か今の地球にあてはめて考えたらどうよ?と思ってしまいます。砂漠の緑化や温暖化で海底になってしまいそうな海岸の埋め立て工事などすることは沢山ありですね。核兵器やステルス戦闘機などを作り続ける費用をそちらに充てたられないもの?と思ったりします〜。

>aiさん
やや、伏兵現る(^^;です。よもやaiさんから関連コメントをいただこうとは…。しかし、僕の場合は、まずは裸眼状態で歩いてみて、"棒"に当たれば、後追いで、ノロノロと、それに関して調べてみる…というスタイルなのですが、そこに学識者の目が絡むと、加速感が違ってきますね(^^;
しかし、仰いますように、兵器にかかる費用を人命のほうに向ける…なんて当然のことのように思いますが、ダメですね〜。これも、世界・国家に期待するのではなく、FON精神(^^;で切り崩す以外に無いのかな?なんて思います。



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