東糀谷の夕暮れ

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一昨日のエントリー「ステルス型トタン家」を撮ったのと、ほぼ同じ位置から撮った写真です。時間はちょうど6時頃でした。薄雲に覆われた太陽が、やわらかい光を放ちながら、町工場に挟まれた道の向こうに落ちてゆくところでした。
このあたりでは、どうやら、このくらいの時間までに、仕事を仕舞いにするのか、ここまで歩いてくる間にも、作業着を着た男たちが、バイクに乗り、軽トラックに乗り、あるいは徒歩で、家路につく姿が散見されました。
この金属加工の工場も、この直前までは、グラインダーが火花を散らしていましたが、あたりがかなり暗くなり、外での作業も難しくなったのか、金属を削る音が止まり、「そろそろ仕舞いだな」という雰囲気でした。外にひろげた材料や道具などを片付け終わる頃には、太陽は、もう工場街の向こうに沈み、あたりは真っ暗になるのだろうな…などと思いながら、ここを後にし、羽田の見える突堤に向かって歩きはじめました。
大田区の金属加工業は、まさに斜陽産業と言われていますが、何があろうと、実直に黙々と働きつづける男達の後ろ姿には、タフさと同時に、なんとも言えないもの悲しさのようなものを感じさせられます。夕陽は、人を感傷的にする傾向がありますが、この光景には、かなりジーンとくるものがありました。

【場所】大田区東糀谷5丁目あたりです。

コメント(14)

masaさん、こんばんは。「ステルス型トタン家」の件で、地図をみたりいろいろ調べていると、写真の見え方が違ってきました〜・・・。ジ〜ンときますね。僕のばあい、もともと東京のことなど丸っきり知らなかったのですが、ここしばらくの間で、六本木のようなTOKYOではなくて、こういう低湿地帯の様々な風景が心に刷り込まれてしまっています(^^;;。

>wakkykenさん
こちらにもコメントをありがとうございます。写真って、確かに、見え方がひと通り…ではないですよね。なんせ写真には、鏡のような性格がありますから…。
ところで、東京って、とかく繁華な街というイメージがありますが、そんな繁華な区画って限られてるんですよね。あとはフツーに町してますね(^^;

このたびの主役は人ですね。masaさん、こんにちは。「家族に何か残してやれるように・・・」世のお父さんは、常にそう思って働いている・・・。私も2児の父である以上、敏感にこの写真に反応してしまいまいました。なんだか日常生活の反復性・・・それまでもこの夕日が如実に語っているような気がします・・・。たまにはその反復に飽きたり、息切れを感じたりしますが・・・ね。・・・うわっ・・・masaさんのおっしゃるとおり、まさに写真は鏡ですね。

mansaさん。こんにちはお世話になっています。今、なんだか懐かしい写真をみたような気分です。
自分の育った町にも以前はあった風景です。
何も考えずただぼーっとしてみていました。
でも、どんどん何かを探そうと、写真の奥をのぞいている自分がいました。
もしかしたら、父の後ろ姿を探していたのかもしれませんね。
ちょっと、しんみり   トホホ・・・・・!!

長〜い休止中のグログです。

http://tastingparty.blog89.fc2.com/

>Cezanneさん
こんにちわ。仰る通りなんですよね、写真って…絵でも何でも同じでしょうが…見る側の状況によって、違うものになるんですよね。それで良いのだと思いますが…。だから、写真に文章を添える場合、見方を限定してしまうものであってはいけない…と、いつも思います。が、つい自分の心情をこれに重ね合わせて、「ジーンときた」なんて書いてますね(^^;

>yukoさん
こんにちわ。どなたか?と思えばyukoさんじゃありませんか〜。お世話になっていま〜す。夕暮れ時の、すこし前屈みになった職人の背中…これはいけませんですね(^^; 反則です。グッときちまいますよね〜。でもね、ここで「ハイ、オジサーン、写真撮るからこっち向いて〜、ニッコリね!」なんて気分にゃなれませんでした。アッタリマエですね(^^; というわけで、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
ところで、ちっとはブログの更新をいたしましょう(^^; 今後は、お手伝いさせていただきます!(^^;

masaさん、こんにちは。こんな記事がありました。内田樹さんという哲学者(フランス現代思想)のブログにあったものです。この記事を読んだとき、masaさんの写真とすぐに重なり合いました。http://blog.tatsuru.com/2007/04/30_0519.php

>wakkykenさん
こんにちわ。URLの記事、拝読してきました。ところで、大田区の町工場ですが、昭和10年に、南北に伸びる産業道路が通され、港区芝あたりから、主に軍需産業を支える工場が移転したのがはじまりのようです。当時の町工場の主たちは、高学歴のお金持ち…と相場が決まっていたといいます。したがって、町工場という語の響きとは全く異なるイメージのものであったようです。なにしろ、大森芸者をかこった町工場主が多く居たといいます。URLの記事に書かれた雰囲気は、軍需が衰えた後の、町工場の2代目主以降…なのでしょうね。

masaさん、僕が貼り付けたURLですが、おそらくは、昭和30年代から40年代にかけての様子だと思います。あっ、そうだ、この記事に出てくる「平川君」というのは、masaさんとほぼ同い年の方ではないかと思います。「平川君」は、masaさんがお書きになつているようにお金持ちの工場主の息子(「社長の坊ちゃん」)で、記事のかなにあるのは、現在の平川さんが回顧した、その工場地帯で働いている一般の労働者の皆さんのかつての生活の描写ことですね。

>wakkykenさん
平川さんという方、僕と同世代ということは、ちょうどそんな感じか、その間にもう1世代入るか?という感じですね。近くに羽田(中島飛行機を連想しますよね)があって、軍需産業の匂い…。荒川・江戸川沿いの町工場とはまたひと味違うようで、このあたり、そうとうにダイブしがいがありそうですね〜。

masaさん、こんばんは。平川さんていう方は、記事を書いている内田さんが1950年生まれで、その同級生の方のようです。でも、この記事に描かれているような町工場地帯の職人的労働者のライフスタイルのようなものは、昭和10年以降、軍需産業の下請けとして出発し、その後、高度経済成長期にいたるまで、一定のパターンのようなものが持続していたのではないかと思います。荒川・江戸川沿いの町工場と雰囲気が違うのは、どうしてでしょうね〜。東京という都市の拡大や近代化とともに形成された町工場街(荒川・江戸川沿い)と、国策とともにある種意図的に、急激に形成された町工場街の違いかもしれません。また、町工場とはいっても、そのつくっているモノに差異があるのかもしれませんね〜。まったくの推測=妄想ですけど(^^;;。地域産業形成史のような資料があればいいんですけどね。調べてみると、面白そうですね。東京の外延にあたる地域が近代以降に、どのように形成されてきたのか、その形成の出発点やプロセスのようなものが、風景のなかに現れていると、「僕的」にはですが、とてもおもしろいです。ダイブしたいですね〜。ドボン、、、、ズブズブ(←湿地帯ですから(^^;;)。

>wakkykenさん
全く資料などにあたらずにお返事するのも失礼な話ですが(^^; どうも、大田区南部に工場が移転した当時の工場町の雰囲気と、高度成長期にいたるまでの工場町のそれとは、異なるような気がしてなりません。何と言いますか…旦那と社長の違い…といった感じの違いです。
また、荒川・江戸川沿いの町工場との違いは、これも推測でしかありませんが、やはり、技術水準の違い、それから派生する文化の違い…などが影響しているような気がしてなりません。荒川・江戸川沿いの工場町とくらべると、呑川沿いの工場町の雰囲気は穏やかさを感じさせます。

masaさん、こんばんは。僕は「大田区南部に工場が移転した当時の工場町の雰囲気」というものが、手がかりがないもので、どのような雰囲気なのかよくわからないのですが、旦那と社長の違いっていうのは、いつの段階から生じてきたのでしょうね〜。つまり、いつの段階から町工場が企業化していき、ブルーカラー的な世界のなかに、少しずつホワイトカラー的な世界が浸透してきたのかということです。それから、「旦那と社長」に雇われている労働者のライフスタイル、「作業着を着た男たちが、バイクに乗り、軽トラックに乗り、あるいは徒歩で、家路につく姿」にその一部が現れていると思われる労働者のライフスタイルのようなものも、どこで変化してきたのか、ということでもあります。僕は、その境目が、高度経済成長期、つまり昭和30年代〜40年代のあいだにあるのではと推測したわけです。そして、一番の大きな影響は、オイルショックかなと。でも、masaさんの推測だと、もっと以前ということになりますね。呑川沿いと荒川・江戸川沿いの工場町の違いについては、お書きになっているような技術水準の違いっていうのはありうる話しですね。大田区の町工場については、「輝け!太田のまち工場」というストレートなタイトルのホームページがあり、この地域の歴史や概要を知ることができるようになっています。http://www.pio.or.jp/k-map/index.html

>wakkykenさん
僕は、この工場町の雰囲気を変えたのは、国営軍需産業が民営化(払い下げ?)されたことにあるのでは?と想像しています。地元の方のお話から、この町の工場で働く人たちは、当初、ブルーカラーでもホワイトカラーでもなく(そうだと書いてはいらっしゃらないことを重々承知のうえ)、ましてや職工などではなく、もっと技術者…という匂いが強かったのでは?という想像をし始めてしまったのです。そして、初代の工場主たちは、教育も文化もある技術者でありながら、経済的に余裕があり、黒塀に松…といった忰を好む文化人のような人たち、すなわち旦那の匂いの強い人たちだった…と。
そして、その旦那から社長へと変身してゆく世代が、僕たちの父親の世代なのかな?というふうに想像したわけです。



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