中乃茶屋

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昨日のエントリー「亀戸のプチガウディ」の続きです。今日、再びこちらを訪ねてきました。夕方の開店を待ち、内部に突入。そして、蕎麦を食してきました。値段は、なんと、もりが300円、きつね/たぬきは380円、ざるも400円と、極めて良心的です。量も多いし...。つゆは濃いめですが、僕は好みでした。こちら、外からは蕎麦専門に見えますが、屋号が中乃茶屋となっているだけに、実は、メニューに中華麺もありました。

まずは、その中乃茶屋という屋号の由来です。これは、いまのご主人の曾祖母にあたる方が、昔(江戸時代ですね)、富山のとある峠に茶屋をだしていらしたのだそうですが、その茶屋は、参勤交代の大名が立ち寄った...というほどに由緒あるもので、その屋号を中乃茶屋といったのだそうです。
時代は変わり、故有って、ご主人の父上が、この地のこの建物を入手さなり、蕎麦屋を開くにあたり、「そういえば、我が家には中乃茶屋という屋号があった」ということから、その名を復活させたのだそうです。
そして、もうひとつ衝撃的な事実が...。この辺りは、亀戸神社・天祖神社の近くです。昔から、神社・寺社のまわりには、とかく三業がつきものです。と書けばもうピンとくる方もいらっしゃるでしょうが、この辺りは、昔は遊郭があったところなのだそうです。そう言えば、新小岩の遊郭を拓いたのは、この亀戸遊郭の人たちが中心だったことを忘れていました。それを耳にしたときに、「そうか...ここだったのか...」と、なぜかとても感慨深いものがありました。

この辺りを、何も知らずに歩いていたかぎりでは、昔この辺りに遊郭があった...という名残も見当たりませんでしたし、そういった匂いも感じませんでした。しかし、まさに灯台もと暗しです。実に、この中乃茶屋さんの建物こそが、その唯一...と言っても過言ではない、名残だったのです。そして、元々は、この三角屋根の部分は、両方に広がっていたのだそうです。が、理由あって半分を手放されたときに、右半分だけを取り壊し、現在の姿になった...ということでした。

いや〜今日は、こういった話をうかがっただけで、感動とともにドーンと疲れた感じがしました。そして、この建物が、なんだか違って見えはじめました。偉いです...この建物...。

【場所】江東区亀戸3丁目あたりです。

コメント(17)

>masaさん >みなさん おはようゴザイマス。
ホウ、こんな都会の一角にあるお店から想像もしなかったですけど、そのルーツは富山のとある峠に「中乃茶屋」という茶屋を営んでいらしたなんて、思いもしまcenでした。大名が立ち寄ったり、果ては木枯らし紋次郎のような股旅物の人物やらまでもがmasaさんのように、ちょっと羽を休めてまた旅立っていったのでしょうかね・・・(妄想中!!)

スゴイ収穫ですね。また、御先祖のことを覚えて意識していらっしゃった「中乃茶屋」の方にも敬服です。ヤッパリ、一味違いますね〜。それどころか、今回はナ・ナントそこが幻化していた遊郭の場所であったとは。二重の大発見です。

以前から感じていたことですがmasaさんには狩猟犬のような(失礼)鋭い歴史の匂いを嗅ぎ取る力をお持ちのようで素晴らしいです、また不思議な引き合わせの運命にも恵まれているようで。ウ〜ン。与太郎ににとっても貴重な存在です。やっぱり老人形館入り間違いなしですね。偉いです…masaさん。普通はちょっと古い/変わった建物があるな程度で通り過ぎてしまうのに・・・普段の努力(積み重ね)も影響しているのでしょうね。     ゴメンナサイ、ツイツイ興奮してしまい長くなりました。
また、失われた物、見つけ出したら教えて下さいませ、楽しみにしています。 菊坂の与太郎

>菊坂の与太郎さん
最初は、完全に、この建物の姿に心を奪われ、土地との繋がり方向に気が行っていませんでした。それもあってか、こちらのご主人が話してくださった内容は、衝撃的で、ほんとに驚かされました。しかし、よくもお話してくださったものだ…とも思いますね。
とにかく、二重三重に、濃い建物であることは間違いありませんね。こちら、できることなら、ちょくちょく蕎麦を食べに行きたいな〜などと思っています。いや、良いです…こちら…。

菊坂の与太郎さんもおっしゃっているとおり、masaさんの嗅覚はやはり尋常ではなかったのでした。
前回の写真を拝見したときから、(飲食店としての)ご商売がとても気にかかっていました。安すぎますが、大丈夫なのでしょうか。

半分に切ってでも、うしろにパッチワークしてでも、この建物を残したご主人も偉いです。その歴史が磁場を発していたのですねー。

>braryさん
こんばんわ。いえいえ、ただ単に、歩く時間・距離が長い…というだけのことです(^^; が、こういうモノの出会う出会わないも、通り1本の差…ですから、やはり縁ってのはあるんでしょうね。しかし、こちらの蕎麦の値段は安いでしょう。驚きました。が、実に美味しく食べてきました。
何にしても、忘れられない建物トップ10には必ず入ってくる…という感じです。おっしゃいますように、磁場を感じます。

プラハの天文時計の斜め向かいにある、住居は土台がゴシックで、1階から3階までがバロック時代のもの。さらに上の階はアールヌーボというのがあります。
友人がその上の階に住んでいたので、その事を記憶しているのですが、このおそばやさんで、それを感じたのは垂直ではなくて、水平方向です。
屋根が隣の建物にとけ込んでいる感じがなんとも言えません。
ここでそばで一杯やりたいものです。

うーむ、またしても、ぼくは10年ほど前にこいつを見ていたはず、にもかかわらず注目していなかったぞ、であります。というのも、ここから200mほどのところに現場がありましたから、クルマで行ったときにはこの前を通ったことがあるはずです。が、この店で食べたことはなかった。歩いて行くときは亀戸駅からだから、この前は歩いていないだろうなあ。あるかなきゃダメだなあ。
この近くに、横綱鏡里の実家があったときいたことがあります。

>田中長徳さん
こんばんわ。どこの国にも、一風変わった建造物というのはあるものなんですね。早速、GoogleEarthでプラハ天文時計 (50° 5′13.23″N 14° 25′15.30″E) に飛んでみましたが、あの周辺の詳細写真はまだアップされていませんで、その建物らしきものを確認することができませんでした。やはり現地に行かなきゃだめですね(^^; しかし、なんとも興味深い建物のようで、気になります。
もしも、こちらで一杯…ということがありましたら、水先案内役 (これが最も不要な方であることは重々承知のうえ(^^;) つとめさせていただきたく思います!

>親切な壊し屋さん
モノに触れずにモノを壊す…という特技と同時に、自覚症状のある夢遊という世にも不思議な特技もお持ちでいらっしゃいますから(^^;(^^; この建物のそばをお通りになったとしても、ご記憶にない…というのは、よ〜く理解できます(^^; なんて…大変に失礼なことを申し上げておりますm(__)m。
しかし、鏡里の実家…というのはまた興味深いお話をうかがいました。ちょっと掘ってみたくなりました。
こちらは、飲む必要のない店ですから、いずれぜひご一緒させていただけたら…なんて思っています。

偶然ですが ワタクシもこの日(15日)土曜日午後2時頃 暑い中 亀戸遊郭跡地を求めて天神裏を彷徨っておりました。カメラを提げて(確か赤いシャツ)建物をよく見ながら歩いていた方がいたのを覚えております。

現在亀戸は江東区であり横十間川で墨田区と仕切られているので亀戸遊郭の影響をどうしても亀戸の範囲としてして考えてしまうが呑み屋も含めると実は押上辺りまでをその影響化として考えるべきであると思い 亀戸二郎!を食べついでに遊郭跡散策をしていたのであります。

その後 小村井を通って玉ノ井まで。
玉ノ井の遊郭跡も東京大空襲によりこれまた夢の跡。墨田区は北十間川を境に別の区だと。玉ノ井や八広や鐘ヶ淵辺りは四ツ木・堀切・千住文化圏ではないかと。。そんな事をぼんやり考えながら玉ノ井の呑み屋で下町ハイボールの杯を重ねてまたもや酩酊。。滝田ゆうの亡霊が路地に。。。。

>アさん
こんばんわ。この日、僕が亀戸に着いたのは、確か4時頃だったように思いますし、この蕎麦屋さんを撮ったのは、5時過ぎですから、アさんがお歩きになっていた時間帯とは、ちょっとズレがあるようですし、赤いシャツは着ていませんでした。が、偶然ってあるものですね。しかも、その後、こうしてブログでお目にかかるわけですから…。これを機にどうぞ宜しくお願いいたします。
アさんは、地理と歴史とを併せてお考えになりながらお歩きになっているのですね。確かに、文化圏というものは、明確な線引きはできないところがあり、それがまた面白いですね。この亀戸遊郭にしても、震災後(だったと思います)、吉原から多くの人達が移動してきて隆盛した場所のようですから、その間に、点々と、その残滓のような文化圏が残っていても不思議はありませんよね。また、放水路掘削によって、切り離された地区…というものに共通性を見いだせたら、それはとても興味深いことですね。実は、僕も、その辺りにとても興味があるのですが、資料を紐解く時間も、それに沿って町を歩く時間もとれず、ついつい…というところです。
コメントをありがとうございました。

塚原です。
私のごく身近な知り合いに、亀戸と新小岩の遊郭の関係者がいます。その知人の幼少のときのアルバムを見ると、masaさんがよだれが出そうになる写真があります。ようするに、郭の中の生活です。
機会がありましたら、その知人と亀戸、新小岩を歩きましょう。
myplaceの玉井さんが設計した共同住宅が亀戸の遊郭の真ん中にあります。
nasaさんの写真を見ながら、その知人が笑っていました。

塚原です。
失礼しました。
masaさんをnasaさんと間違えてしまいました。
もう一つ、知人に聞いたところ、横綱鏡里の実家は記憶にない。時津山の家なら知っているし、よく見かけたと言っています。
また、私が小学校に入るか入らない頃、鏡里に抱かれた写真があります。

>塚原さん
こんにちわ。コメントをありがとうございます!
しかも、ごく身近なお知り合いの方(大笑いいたしました(^^;)からのお話を交えていただきまして…。もう是非とも、お写真拝見したいですし、塚原さん+お知り合いの方(^^;+玉井さんというメンバーでの亀戸散策、実現したいです。どうぞ宜しくお願いいたします。
ところで、この辺りに実家があったのは、鏡里ではなく時津山だったのですね。これについても、ご確認くださいまして、大変ありがとうございます。
ごく身近なお知り合いの方に、お会いになる機会がありましたら(^^; どうぞ宜しくお伝えくださいませ。

東武亀戸線東あずま駅近くに住んでいます。27年前こちらに引っ越してきた時、義父と亀戸天神の裏で北十間川と平行する道路を散歩しました。義父がここが昔の遊郭跡だよと教えてくれました。当時の建物が残っていると言っていましたが、最近見てももう見当たらないような気がします。
墨田区立花1丁目の吾嬬神社は関東でも最も古い神社ではないかと思っています。お近くに来られたらお立ち寄りください。

>mmpoloさん
こんばんわ。先日来、亀戸線沿線にお邪魔する機会が増えています。お住まいの方とは感覚が異なるかもしれませんが、あの線・沿線はクセになるところがあります。なんとなくスケールが人間的…という感じがしてなりません。
ところで、このあたり、最初は何も意識せずに歩いていたこともあり、元遊郭…という匂いの欠片も感じませんでした。が、やはり、そういった名残は無い…ということのようですね。情報をありがとうございます。
そういえば、吾嬬神社はまだ訪ねていなかったと思います。ブログを拝見いたしましたが、そんなに歴史のある神社とは思っていませんでしが。次回、是非行ってみます。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

masaさん、こんばんは。大事な報告、忘れていました。青木書店さんですが、仕入れのついでに、このお店で蕎麦を召し上がってきたとのことでした(このお店のことだと思います・・・)。それから、墨田区のスパイスカフェのこともおっしゃっておられました。報告、以上です(^^;;。ところで、こちらのエントリーのお話しなども、“小さな”(だけどとても重要な)「町の履歴」のひとつでしょうね(「京島の小家」(2007年10月19日)関連)。そう思いました。

>wakkykenさん
あれれ、僕の場合は、味覚には自信がありませんのでね〜。ご感想はいかがなものだったでしょうか…。僕にとっては、また行こうと思う味と値段でしたが…。
この建物は、小さくとも、きわめて重要な「町の履歴」ですよね〜。今となっては特に…だと思います。



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