2008年1月アーカイブ

京島・冬晴景

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ここは、京島のキラキラ橘と呼ばれる商店街の裏側です。ひと頃は、この位置から写真を撮ることはかないませんでした。というのは、この左に見える路地は、以前は、袋小路で、この写真で言えば "奥側" が表通りになります。したがって、僕が立っている位置は、突き当たりだったわけです。その当時は、この路地が、あまりに濃密であるため、「雰囲気のある路地だな〜」とは思ってはいたものの、奥に入り込むことは、とてもできませんでした。

それが、路地の突き当たりにあった建物が取り壊され、そこが更地になっため、こうして、以前は突き当たりだった位置から、写真を撮ることができた…というわけです。しかし、ここに写っている家と路地の運命は、いまある更地に建物が建ち、再び封印されるのか、または、更地をさらにひろげるために消滅を余儀なくされるのか…。そのふたつにひとつしかないようです。

それにしても、今日の午後早いうちは、良い天気でした。光がとてもきれいで、その光が、この一画に化粧でもさせたようでした。
帰宅して、撮った写真をパソコンに取り込み、一枚一枚チェックするわけですが、作業をすすめながら「やはり京島というところは素敵な町だ」と、今日は、改めて感じましたね〜。

【場所】墨田区京島2丁目あたりです。

橋場・標本化景

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ブログ "My Favorite Things" のエントリー「標本と花咲か爺さん その1」に、以下のような言葉がありました。
『古い家と長屋の群れの周りには それらの「思いやり」が、何十年と重なり合って しっとりと人を包んでいました。その温かい「湿り気」を 私たちは守って行かなくてはいけない。…(中略)…「骨格」に瑞々しい息吹がなければ それはただの標本でしかありません。』

この写真は、先日、橋場を歩いているときに撮ったものです。再開発が途中で息切れしたのか…いわゆる歯抜け状態になっている区画がありました。都内ではあちこちで目にする風景です。もう慣れっこになっている風景です。が、この家の場合は、どこか他のケースとは違う匂いがしていました。家屋が取り壊され更地になった部分が、アスファルトではなくコンクリートで塗り固められています。また、多くの場合、前後左右どこかが燐家に接しているものですが、この家の場合は、それもありません。まるで目を遮るものがありません。丸裸と同じです。
周囲の家が取り壊される前は、長屋が並び、狭い路地があり、家々が互いに塀や壁になり、個人の領域を、閉鎖的ではなく守ってきたに違いありません。それが、いつからこうなったのか?わかりませんが、この状態です。こちらにお住まいの方は、さぞ気が休まらないのでは?と想像します。
ここで思い出したのが、上記の言葉でした。ここにあったはずの「思いやり」や「暖かい湿り気」は失われ、ただの「標本」を作りだしている…ということを…です。土地や家屋などの所有権問題などが絡んでいるのでしょうが、いくら何でも、もうすこしやり方があって良さそうですね。と言いながらも、何故か、強く惹きつけられる風景であったことも確かなのですが…。

【場所】台東区橋場2丁目あたりです。

孤独歩人

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有楽町のショッピングセンターの前は、ちょっとした広場になっていて、そこに椅子があり、灰皿も置いてあることから、喫煙者の溜まり場になっています。実は、喫煙者である僕は、銀座あたりを歩くと、とかく、Apple Storeの前かこの場所に立ち止まり、ちょっと一服…となってしまいます。
しかし、最近は、煙草が吸える場所が本当に少なくなって、喫煙者にはつらい町ばかりになってきました(^^; ま、禁煙すれば済むことですが、ややもすると、ヒステリックなまでの規制には、なんだかな〜と思うともあります(^^;
そんなわけで、ここに立ち、煙草を吸いながらまわりを見渡すと、意外にも…と言うのが既に男の偏見でしょうが、女性の姿が多いのに驚いてしまいます。また、ここで必ずのように目にするのが、ホームレスの人々の姿です。椅子に腰をおろすこともできますし、まわりに置いてあるゴミ箱をあさると、何かしら見つかるから…なのでしょう。この写真に写っている男性は、煙草の吸い殻を手に入れるのが目的のようでした。こうした光景を目にすると、歳とともに…という感じがしますが、なんとも心が痛みます…。
しかし、こうした人の姿には、どこか、高僧のような…と言うと語弊がありそうですが、そんなものが感じられますね。

【場所】千代田区有楽町2丁目あたりです。

橋場のはずれ

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先週末、はじめて橋場という町を歩きました。今日の写真は、2枚ともに、その橋場の隅田川寄りで撮ったものです。
このあたりの最寄り駅は南千住…と思っていましたが、後になって地図を眺めてみると、もう隅田川がすぐそこ…という位置ですから、川を渡り、対岸の東向島に出ても、距離的にはそう変わりはない…という感じです。

ところで、昔の橋場はどんな風だったのだろう?と思い、江東区のHPを閲覧してみると、橋場の歴史にまつわる話が掲載されていました。
それをざっとまとめると、橋場町は、江戸期から大正期あたりまでは、風流・雅趣な土地柄で、名家やお金持ちの別荘地として知られていたようです。が、隅田川沿いにあり、水が豊富で石炭の運搬にも便利なことから、明治26年に東京ガスが進出。そして、大震災や戦災の後、白髭橋や道路が整備され、さらに交通の便が良くなったことから、多くの工場が進出。その結果、荷揚げ人足や工場労務者が多く集まるようになり、住宅が必要になって、地主が田畑や空き地にどんどん長屋を建てた…という履歴があるようです。

しかし、実際に橋場を歩いてみると、江戸期から大正期にかけての土地柄は、もう欠片も感じられません。多くの工場が進出し、それが衰退した後…といった感じです。元気ありません。川沿いには、ビルやマンションが、巨大堤防か?(^^;という感じで立ち並んではいますが、まだ、再開発の波が押し寄せている…という感じもしませんでした。どうやら、今日の橋場は、工場が進出した頃の残映に、ミニ再開発の波と影が少しだけオーバーラップした…という状態のようです。
なんとなく…ですが、「墨田区の八広を足立区の荒川沿いに移転したらこうなりそう(^^;」というのが、この町を歩いての印象です。が…、なかなか…いろいろありそうです…。

【場所】台東区橋場1/2丁目あたりです。

北千住模様

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北千住の、繁華な表通りから、路地に入り、ほんのちょっと歩いたところです。ここでも「表通りの賑やかさが嘘のように…」という常套句は生きていました。ごく当たり前の家が密集していて、静かなものです。
ここに通ずる路地は、途中から砂利道になっていて、路面に、昼頃まで降った雪が溶けて、水溜まりをつくっていました。「いまどき珍しい…」と思いながら歩を先に進めると、すぐに小さな広場が見えてきました。広場といっても、明らかに、家が取り壊された跡地です。取り壊しからだいぶ時間が経っているのか? そこには草が生えていて、そのお陰か…家々の陰だからか、まだ雪が残っていて、まだら模様をつくっていました。
見れば、まだらになっているのは雪だけではなく、雪の下の地面も、草が生えているところと地面が露出すているところが入り交じっています。停まっている自転車も、子供用からママチャリまで、様々です。そして、バイクがあり、はたまたメルセデスまで停まっています。
これが、一面が雪で覆われていたら、もしかすると、カメラを向けずに、ただ通過しただけ…だったかもしれません。どうも、僕は、この「まだら模様」に、この辺りの「暮らし模様」を重ねていたようです。

【場所】足立区千住3丁目あたりです。

田端の陸中州

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ここは、田端にある、陸の中州の先端です。先日、「上中里のはずれ」で、「陸の中州状態」になっている場所について言及しましたが、実は、その中州は、2つが連結した状態になっています。それは、Google Earthでご覧いただくと、一目瞭然ですが、言わば、おたふくのたれ目か? メビウスの輪か?...という状態です(^^;
で、先日は、上中里側の中州を歩いたわけですが、そうなると、もうひとつの田端側中州も気になる...のが人情です。というわけで、わざわざ、足を運んでしまいました。
結論から言うと、中州のなかは、ま、普通の町並みで、どうということもないのですが、問題は、その先端部...上のGoogle Earthで赤丸で囲んだ部分です。ここは、航空写真で見ると、フラットに見えますが、実際に歩いてみると、長い坂道付きの陸橋と道路、線路などが立体的に入り乱れ、かなり複雑な風景がひろがっています。
今日の写真は、Google Earthの赤丸で囲んだ辺りを、矢印の方向に向かって撮ったものです。僕が立っているのは、常磐線の線路(左手下)を越える陸橋のうえです。右手に見えるのは、宇都宮・高崎線の高架です。右手の外灯のところでガードレールが一部切れていますが、そこは脇道になっていて通行できます。そして、その下りきったところには、宇都宮・高崎線の下をくぐるトンネルがあります。とにかく、ここは、都内でも、特殊な風景の部類に入る...と言ってよいように思います。いちどは体感して損はないゾーンか?と(^^;
しかし、ここも区境入り乱れ地帯で、(北区)田端の陸中州...というわりには、住居表記は(荒川区)西日暮里なんですね〜。

【場所】荒川区西日暮里6丁目あたりです。

小雨の北千住

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都内でも雪が降りました。が、いち時は、視界が遮られるくらいの降りだったものの、すぐに雨にかわってしまいました。
そんななか、所用で北千住に行ってきました。本郷から北千住に行くには、いろいろなルートがありますが、今日は、初めて、秋葉原から、つくばエキスプレスを利用してみました。とは言っても、まあ、駅のホームがえらく深い地底にあるな〜という以外に、特にどうということもありませんでした。電車は電車ですね(^^;
それはそうと…、北千住を訪れるのは久しぶりです。駅前の空中広場に立ってみると、以前に、どのあたりをどう歩いたのか…すっかり記憶が無い状態(^^; あまりに脈絡なくアチコチ歩いているからか? または、よほど僕の記憶が軟弱なのか? ですが、どうも後者…という感じです(^^; 時々不安を感じるな〜(^^;
ま、そんなわけで、久々に千住の路地を…などと思っていたのですが、なんせ小雨が降りつづいていましたし、空気が冷え切っていて、とにかく寒い…。しかも、傘を首と肩で挟むようにして固定しながらカメラを構えていると、首筋から背中までコッてしまい、それがまた記憶力に悪い影響を与えかねません(^^; というわけで、今日は、僕にしては…ですが、早々に切り上げて帰ってきました。
この写真は、そうは言っても…の1枚です。左手の建物はビルですが、右手にはトタンの平屋看板建築、その隣には銅板をはった看板建築…と、古い建物が残っていました。その建物が、雨に濡れたせいもあって、路地の先の商店街の明かりを反射し、やや不気味とも思える雰囲気を漂わせていました。

【場所】足立区千住3丁目あたりです。

西ヶ原銀座の裏側

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今日の写真は、西ヶ原銀座に入ってすぐのところで撮ったものです。この家は、表通りから見ると、平屋の看板建築ですが、中央で、2店舗に区切られています。片方は、化粧品・雑貨のお店で、いまでも元気に営業をつづけていらっしゃいます。が、もう一方のお店は、営業を止めて久しいのか、看板部分も判読できないほどに傷み、剥がれ落ちています。かろうじて残っている部分から、想像力を大きく膨らませて判読すると、「パン」と「コーヒー」と書いてあったのかな?という感じです。
写真からも分かるように、この一画はすでに歯抜け状態で、再開発前夜…という雰囲気が漂っています。最近の東京では、頻繁にあることですが、そういう状態だったからこそ、裏手にまわり、こうして写真を撮ることができたのですが…。なんとも複雑な気分であることはたしかです。
しかし、ここは、表から見たときは、2店舗ですから、小さな家が壁を接して建っているか、長屋になっている…とばかり思っていましたが、裏にまわってみて、ちょっとびっくりです。これはどう見ても、一軒家ですね。
ま、それはそれとして…。この家ですが、相当に古いことは間違いありません。この右手にも、これに似た、やはり古い看板建築が残っています。経年変化の具合も似たりよったりです。どうも、この一画にある建物は、西ヶ原銀座ができた当時のままの姿では?という感じがします。
谷田川暗渠沿いの商店街が成立したのは、昭和10年代半ばのようですが、この一帯は戦災で焼失していますから、戦後間もなく建てられた…という感じなのでしょうか…。

【場所】北区西ヶ原4丁目あたりです。

中里貝塚跡

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写真は、3枚ともに、中里貝塚跡で撮ったものです。中里貝塚…と聞くと、1カ所のように思っていましたが、実際に行ってみると、Google Earthでご覧いただくと一目瞭然ですが、3カ所にわかれて在りました。住宅や工場が多くある場所ですから、建物が取り壊されでもしないかぎり、発掘調査はできない…というのが、3カ所に点在している理由のようです。きっとこの一帯は、どこを掘っても縄文期の痕跡が出土するのでしょうね。

上中里海原景

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京浜東北線の上中里駅に下りて、改札を出ると、上野台地にのぼる道と、崖下にくだる階段につながる通路が見えてきます。通路のうえには、上越新幹線の高架が通っていて、そこは短いトンネル状態になっています。そのトンネルを抜けると、いよいよ上中里に入る階段が見えてきます。そこで、ふと、通路を覆う目隠しに隙間があるのに気づき、何の気無しに、そこを覗いてみました。すると、なんと!そこから、ベターッと平らな上中里ヶ原(こんな住所はありません(^^;) が広がっているのが見えます。う〜ドキドキです(^^; こんなところでドキドキする僕はアホか?(^^;などと思いながら、震える手(^^;でシャッターを切ったのが今日の写真です。

写真は、上中里駅から、ほぼ東に向かって撮っています。手前に見えるグリーンの屋根は、鉄道関係の社屋のようです。右上隅に見えるのは、新幹線の高架です。そして、日本最大の貝塚が見つかったのは、この写真中央右寄りになります。赤白の鉄塔が見えますが、その右手にちょっとETっぽい鉄塔(操車場の照明塔)が立っています。そして、そのもうひとつ右手に同じような鉄塔が立っているのが見えますでしょうか? その下あたりが、貝塚が発見された場所です。

縄文時代の貝塚が…なんてことを考えながら、妄想を膨らませ、このひろがりのある風景を見ていると、気のせいか、潮の匂いがしてくるから不思議です(^^; しかし、ここは、その昔、葦原に分け入りしばらく進むと海辺に出る…背後には緑の台地がそびえて…といった地形で、海辺では、牡蛎を中心に、魚介類の漁と加工が行われていた場所なんですね。
そんな思いこみで風景を見てはいけないのかもしれませんが、ま、かたいこと言わずに、この際、縄文期の風景を幻視しちゃいましょう(^^;

【場所】北区上中里2丁目あたりです。

上中里のはずれ

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ここは、住居表記でいうと、上中里2丁目。区分地図などをご覧になれば、一目瞭然ですが、京浜東北線・上越新幹線と宇都宮線・高崎線、それと広大な操車場に囲まれた、陸の中州状態になっているところです。この中州のなかに、どんな風景がひろがっているのか、以前から気になっていたのですが、普段、足を運ぶ用のない場所ですから、なかなか訪れる機会がありませんでした。が、このところ、駒込界隈を歩いたせいもあって、以前に比べれば身近に感じられるようになっていました。そんなわけで、今日は、中里を歩いてみました。
実を言いますと、予想では、さして興味深い風景には出会えないだろう…と思っていました。が、もしそうだとしても、それが分かるだけでも…と思い、足を運んでみました。上野台地の崖の中途にある上中里の駅をこえて、崖下のフラットな中里の地に足をおろし(^^;歩行開始です。

『川の地図辞典』の私的チューニングにつづく第二弾です。が、今日のはちょっとくだらないです(^^; でも、そうも言い切れない...という感じです。
え〜、川筋を辿る...町を歩く...ということは、自分の足で歩行する...ということなんですが(^^; 時として、ちょっと離れた場所に移動したくなったりします。そんな時は、どうしても、電車やバスを利用することになります。しかし、東京は、電車・バスともに路線が多すぎて、路線図を頭に描くことはなかなかできません。また、話題のiPod touchを持っていたとしても(^^; ネット接続できないことも多いはずです。そんなときは、やはり、無料の路線図が頼りになります。
というわけで、川の地図辞典に、地下鉄路線図を挟み込んでおけば良いのですが、挟み込むだけでは、紛失のおそれあり...です。いざという時に「あれれ」ということになりかねません。また、ゴソゴソ開いてまた閉じて...というのも面倒です。そんなときに、意外に便利なのが、この、本に付属したワンタッチ開閉式の路線図(^^;です。わははは(^^; で、以下につくり方を...:

田端銀座夕景

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昨日・今日と、寒い日がつづきます。今日のほうが昨日より気温は低かった…ということですが、体感では、昨日のほうが、空気が冷たく感じましたが、いかがなものでしょうか…。

ところで、また、行ってきました。駒込の谷戸へ(^^; このあたりの凸凹地形にはどうも気になるものがあります。ちょっと、じっくりとお付き合いしてみる価値あり…という感じです。そんなわけで、下エントリーの凸凹地図をつくってみたりもしたわけですが…。

僕の場合、最初は、とにかく予備知識を入れずに現地に向かい、やみくもに歩いてみる…というパターンですから、いちど歩いたところでも、次に行ったときに、それがどこだったのかパッと分からない…ということが多くあります。

駒込界隈凸凹地図

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このところ、ちょっと凝っている、駒込から北西・南東に延びる銀座商店街ですが、そこは旧谷田川の川筋...ということはわかっていますが、体感だけでは、いまひとつ頭のなかに地形が描けません。そこで、駒込界隈の凸凹地図を作成してみました。使用ソフトは、いつものように、カシミール3Dです。
こうしてみると、自分の歩いていた場所がどんな地形だったのか、実によくわかります。ものの見事に谷戸が見えてきます。そして、谷戸の底に線を引いていますが、緑=西ヶ原銀座、黄色=染井銀座、橙色=駒込銀座、青=田端銀座...で、僕は、その線に沿って歩いていたことになります。

ところで、この凸凹地図は、五万分の一の地図に数値地図を重ねたものですが、細い道などは記載されていませんので、線(商店街のある道)は、実際とは多少ズレています。が、まあ、雰囲気は十分に伝わりますよね(^^;

西ヶ原銀座で

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ここは、タイトル通り、西ヶ原銀座です。昨日紹介した霜降銀座を進むと、いつの間にか豊島区の染井銀座にはいり、さらに進むと、こんどは北区の西ヶ原銀座にはいります。
ぼ〜として歩いていると、どこが何銀座なのか?まったく分からなくなりそうです。ま、分かる必要もないのですが、やや気をつけて観察してみると、それぞれに、それなりの特徴も見てとれます。
霜降銀座は、駒込駅に近いこともあり、まだまだ元気。商店街は、間に合わせの改装を繰り返し、昔ながらの商売をつづけて生き延びている…という感じです。それが、染井銀座に入ると、区が異なるせいか、道幅が広くなり、路面はタイル張り、店舗も建て替えや本格改装したところが多く、スッキリとしているのですが、人影はきわめて少なく、貸店舗の貼り紙もチラホラ…という状態です。そして、西ヶ原銀座に入ると、再び道幅が狭くなり、昔のままの姿、またはちょっと化粧直しした程度で、どうやら息をついている…という雰囲気です。
この写真を見ると、「そんなこと言ってるけど、活気のある商店街みたいじゃないか」という印象をお持ちの方もいらっしゃるでしょうね。確かに、この写真は、そんなふうに見えます。が、それは、プラスチックの造花と、このとき、たまたま通りかかる人の数が多かったせいです。実際には、もっとひなびた雰囲気につつまれています。が、染井銀座よりも元気かな?という感じです。
この写真で言うと、奥が駒込、背中の方向が滝野川になります。かなり疲れている商店街と、杖をついて歩く高齢男性の姿の組み合わせに、なんともグッとくるものを感じて…。

【場所】北区西ヶ原3/4丁目あたりです。

霜降銀座の路地で

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いや、今日も寒い日でしたね。風がなかったのが幸いしましたが、それでも、空気の冷たさはかなりなものでした。そんななか、このところつづけていた繁華街や無機的な街歩きに嫌気がさしていましたので、今日は下町有機系(^^; これまで盲点になっていた、駒込あたりに行ってみました。

いまさら…という感はありますが、駒込あたりも、山手線沿いが崖ですから、坂が多く、興味深い風景があちこちに見られます。そして、その坂をのぼりくだりしているうちに、急にあることを思い出しました。
根津を流れていた藍染川の上流は谷田川と呼ばれ、とうの昔に暗渠化されてはいるものの、その川筋が商店街となって残っている…ということを…です。というわけで、ほんの少しだけですが、その商店街を歩いてみました。

その商店街は、駒込から北西へ、駒込銀座・霜降銀座・染井銀座とつづきますが、やはり、外れに行くほど人影が少なくなり、染井銀座あたりは、もう地方都市の息絶え絶えの商店街…といった雰囲気すら感じさせます。が、それと同時に、道は、北西にいくほどくねりはじめ、いかにも旧川筋…といった雰囲気も強めていました。
で、染井銀座まで歩いたところですっかり暗くなったため、そこで折り返し、来た道をもどりはじめました。そして、霜降銀座のなかほどにある、まだまだ元気な八百屋の明かりが漏れる路地に入って撮ったのが今日の写真です。路地の先に自転車が見えますが、そこを(写真で言えば)左右に通っている細い通りが商店街になっています。

【場所】北区西ヶ原1丁目あたりです。

月島の棟梁

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ここは月島の路地です。ご高齢のようですが、まだお元気そうな男性が、路地に道具をひろげ、ノミで板になにやら彫っているところに通りかかりました。「はは〜、表から見ても普通の家に見えるけど、実は、こうしたご商売をなさってるんだな」と、当然のことながら、思いました。が、お話をうかがってみると、そうではなく「これは趣味だ」という返事が返ってきました。が、それにしては、体の構えや手つきがあまりに本格的に見えます。こういう姿がいかにも板についています。

それが、それもそのはず…でした。この方は、現在は引退なさっていますが、ずっと大工をやっていらしたのだそうです。それも半端じゃありませんでした。これは、後になって分かったことですが、この方、実は、関東の大きい大工の組織のまとめ役側にいらしたそうです。看板を彫るのが本職ではない…ということでしたが、ま、同じ道具を使う仕事を長年にわたりなさっていたわけですから、板についているわけですね。経験を生かした趣味…というわけで、納得です。

ところで、ここで彫っていらっしゃるのは、看板ではなく、いわゆる書です。近所の書道の先生の書を、木に写し彫って、それを神社などに奉納なさっているのだそうです。なんとも江戸の職人らしい話じゃありませんか…。こういうのってシビれます。

もひとつところで、こちらの棟梁ですが、今年が結婚50周年になるのだそうです。そこで、それを記念して、こういった書を彫った板を50点制作し、聖路加タワー近くの中央区保健施設で展示する…と仰ってました。この写真を撮らせていただいたのが、昨年の8月。展示は来月19日から…ということでしたから、もう50点揃ったかな?と、ちょっと気になります…。

【追記】上記の結婚50周年記念の作品展は、タイムドーム明石6Fの区民ギャラリーで、2月20日ー24日まで催されます。
【場所】中央区月島1丁目あたりです。

墨田川大橋西詰

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このところ、繁華街や無機的な街を歩いている...と、何度かお話していますが、今日も、ご多分に漏れず、都内でも有数の無機街(^^;と思われる箱崎に行ってきました。箱崎と言えば、航空機の国際線ターミナル...ということになりますが、そのターミナルビルあたりから、首都高速9号線の出入り口あたりにかけて、の立体交差ぶりの凄さは、見ていて気持ちが悪くなるほどです。そんな気持ちの悪いところに行かなくても...と言われると、それまでなのですが(^^; ま、自分で自分に課した課題ですから...。というわけで、今日の夕方は、箱崎と江東区を結ぶ隅田川大橋のうえに居ました。

今日の気温はとても低く、特に橋のうえでは、風もあって、身を切るような冷たさを感じました。こんなときは、金属製のカメラはキンキンに冷えてくれるので、それを握っている手も、もう氷のよう...でした。そのうち、カメラのメニューにハンドウォーマー機能(^^;なんてものが装備されるかも?ですね(^^; しかも温度設定可能...とか(^^; って、それは無いですかね(^^; ま、ともかく、そんなバカなこをを考えてしまうくらいに寒い日でした。
で、寒い思いをしながら、日没を迎え、箱崎にむかって歩いているときに撮ったのが、今日の写真2点です。とにかく、この橋のたもとあたりの風景は奇妙のひと言です。力業のきわみ...と言いますか...。たまに見るぶんには、それなりに面白いとも言えますが、この風景のなかに住もうとはとても思えません。右の写真などは、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)がのたうっているように見えてきます(^^;

ところで、箱崎の隣に「中州」という住居表示がありますが、『川の地図辞典』のP38とP40を見くらべると「なるほど! 町名の由来が一目瞭然」です。やっぱ、この本は手放せませんね。

【場所】中央区日本橋箱崎町あたりです。

『川の地図辞典』には、表紙と裏表紙の内側に、東京全図が収録されています。表紙側は現在の地図、裏表紙側は明治中期の地形図です。が、表紙側の地図はイラスト目次的に使われていて、これが便利なのですが、残念ながら、現在の地形を見ることができません。そこで、裏表紙に収録されている地形図とほぼ同じ範囲の、現在の簡易地形図をつくってみました。

トップの写真は、その地形図をプリントアウトし、『川の地図辞典』のちょうど白紙になっているP466-467に貼り付けたところです。これで、明治中期と現在の川筋や海岸線の違いを俯瞰しやすくなりました。うひひ(^^;

■使用ソフトはカシミール3Dです。色分けは、裏表紙地形図の配色にならいました。縮尺などもおおよそ...ですから、学術的には使えない地形図ですが、趣味的に「欲しい」とお思いの方がいらっしゃいましたら、プリントアウトに使えるファイルがこちらにあります。

ウォームトーン

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池袋を通過する用がありましたので、ついでに、本屋とCDショップをまわってきました。その途中、三越デパートとZARAの間の通りで撮ったのがこの写真です。

ZARAについては、どなたもご存じだと思いますが、GAPのヨーロッパ版...といった感じの衣料品店です。そのショーウィンドウに、子供と犬がオモチャの車に乗って...という図柄の、大きなポスターが貼らせていました。背景の古書といい、出来すぎで、いかにも...という感じではあるのですが、やはり「うぬ〜可愛い」と感じさせられます。

...と思いながら通り過ぎようとしたときでした。若い女性が、携帯で話しをしながら、ここを通りかかりました。そして、歩行者の流れを妨げずに話しをしたかったのでしょう、ショーウィンドウの前の、すこし引っ込んだスペースに避難(^^;し、なにやら話をつづけていました。
すると、ポスターのなかの犬が、その女性を、ちょっと心配そうに見まもっている...という構図です。それが、この一画の温度をよりホワ〜ッと上昇させていました。

【場所】豊島区東池袋1丁目あたりです。

京島の古老トタン家

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今日も京島からです。家のほぼ全体が、波形トタンで覆われた平屋です。実は、この家は、前エントリーの写真に写っている「色あせたブルーのトタン家」を正面から見たところです。背が低いうえに、簡易増築された物置(?)が右側につづいていますから、ずいぶん横に長く感じます。そのせいか、この家を前にすると、とてもゆったりのんびり...とした感じがします。そして、どこか気持ちが和らぎます。

二、三年前には、この右手前にあった木が枝を張っていて、こうして全景を撮ることができなかった...と記憶しています。この写真を撮ったのは、昨年の9月ですが、この向かい家(僕の背中側になります)は建て替えられていましたし、この家も、もうどなたも住んでいらっしゃらないようでした。人見知りしない猫もこの家の住人のようでしたが、その猫の姿も見当たりませんでした。
京島にあっても、こういったトタン家は、どんどん姿を消してゆきます。曳舟駅前の再開発で、数多くの、こうしたトタン家が取り壊されましたから、この家は、ほんとに貴重な生き残り...と言えそうです。が、この一画も、なんとなく不穏(^^;な空気に包まれていました。

【場所】墨田区京島2丁目あたりです。

拝啓京島

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京島の、古い建物が残る一画です。手前の、色あせたブルーのトタン家と、背景となっている、ちょっといびつになった赤茶の屋根の組み合わせが、なんとも言えません。愛らしい…としか言いようがありません。この左手にも、古い家が残っていましたが、この写真を撮った、昨年9月の時点で、このように、新建材の家に建て替えられていました。その奥の家にも足場がかかっていますから、今頃はもう…という感じですね。
京島というと、僕にとっては、いまやラブガーデンのある町、cenさんの住む町…ということになりましたが、町歩き中毒にさせられた町…でもあります。
というわけで、新年を迎えるにあたり、まずは京島詣で…なのです。そんなわけで、近々、京島を訪ねなくては…と思いながら、本日のエントリーになりました。
しかし、このところ、雑踏のある街や無機的な街を中心に歩いていたせいもあって、こうしたトタン家のある風景を見ると、ほんとに人の背丈にあった愛らしさを感じます。やっぱ、人は弱いから、優しさが欲しいんでしょうね…どこかで…。

【場所】墨田区京島2丁目あたりです。

再 会

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正月の連休最終日の秋葉原です。日曜日とあって、中央通りが歩行者専用になっていました。そのせいもあって、アキバじゅうが人・人・人…という状態でした。
連休中は、新宿や渋谷といった繁華街も人だらけでしたが、同じ人だらけでも、新宿・渋谷がケバ系とすると、アキバはキバ系(奇抜)とでも言えそうです(^^; アキバがアニメ系の聖地ともなっている…ことが影響しているのでしょう。
ところで、この写真ですが、歩行者天国になっていた中央通りで撮ったものです。後ろ姿からすると、中近東からインド、パキスタンあたりからの旅行者に、日本人の知人が付き添っている…という感じです。
おそらく、人波には慣れているはずの、そっち方面からの旅行者も、ちょっと異質なこの人波には、さすがに飲み込まれたのでしょう。どうやら、連れ(母親かな?)とはぐれてしまったようです。僕が気づいたときは、立ち止まって、携帯で話しをしているだけでしたが、ちょっと間をおいて、お互いの位置が確認できたらしく、男性が伸び上がるようにして、手を挙げ、「ここだ…見えるか?」といった感じで、左右に振りはじめました。が、なかなか相手の姿は見えてきません。
で、印象的だったのは、ピンクの帽子をかぶった女の子です。父親がそばに居るとは言うものの、その後ろ姿に、心細そうな様子がはっきりと現れています。が、心配ご無用です。この後、この女の子は、日本人らしき連れのほうを向き、なにやら声を発しながら、嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ねはじめました…

【場所】千代田区外神田3-4丁目あたりです。

アキバ洞穴

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またヘンテコなタイトルつけてしまいましたが、ここは秋葉原電気街のはずれです。ここは陸橋になっていて、上を総武線が通っています。左に行けばお茶の水、右に行けば秋葉原…になります。

このアーチは、その陸橋の脚部分です。言ってみればガード下…なのですが、かなり高さがありますので、いわゆるガード下とはちょっと雰囲気が異なります。しかも、夜になって、ショップの赤い照明に照らし出されていたせいもあってか、ちょっと怪しいような危ないような雰囲気が漂っていました。タイトルをアキバ洞穴…とした由縁です(^^;

今日は、夕方、秋葉原に居ました。正月休みにつづく土曜日とあってか、人出はものすごく、かなりはずれのほうまで、ごった返していました。しかし、お茶の水とアキバの中間点になる、この辺りまで歩くと、すっかり閑散としてきます。
まちを歩いていると、よく感じることですが、雑踏が見られるのは、ごくごく限られた範囲だけですね。そして、雑踏を抜けた辺りには、独特の寂しさが漂っていて、その雰囲気にやられること多々です(^^;

【場所】千代田区外神田1丁目あたりです。

川の地図辞典

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拙ブログとしては珍しく書籍の紹介です。その書籍とは、正月2日のエントリーのコメント欄で話題になった『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』です。著者は京橋図書館に勤務なさる菅原健二さん。出版元は之潮(コレジオ)さんです。

本書の特徴ですが、それを本書の「編集にあたって」から2項目を抜粋引用して、以下に語っていただきます。
■21世紀は、人が否応なしに都市の「水」と「地形」に目を向けさせられる時代である。本書は、東京23区の河川や現旧水路を見直し、あわせて都市部の原地形と環境の把握に資することを目的として作成した。
■地図は机上および野外における基本用具であり、地図利用の王道は、目的に応じ自ら色をぬり、発見した事項を書きこむ点にある。本書においては利用者にとって最良の地図は白地図であるとの観点から、基本情報をシンプルに示すにとどめた。本書が利用日的に沿った、唯一でカラフルそして実用的な「ノート・ブック」に生まれ変わることを願ってやまない。

本書は、「...辞典」というタイトルの通り、「この川は何て川だったかな?」とか「ここに以前、川があったはずだ」とか「この川はどこからどこに流れてるんだ?」と言った場合に、その答えに、実にアクセスしやすく構成されています。そして「地図」という語がタイトルに含まれているように、新旧の地図が多数収録されていて、各地図には、区分地図などに見られるように、その延長地図のページがきっちりと記されています。これは、川筋などを追うときに非常に便利です。そればかりか、地図は23区ほぼ全域を網羅しているため、(当たり前ではありますが)これは町歩きの際の地図としても使えます。
しかも、トップの写真をご覧いただくと、どうにかお分かりいただけるか...と思いますが、各地図とも、現在の地図と明治中期の地図が隣り合わせになっていて、中央のページをパタパタとすることにより、川筋や街の変化の様子が把握しやすく構成されています。そして、地図につづくページでは、その地図中を流れる川や池について、簡潔でありながら、相当な情報量の説明が記されています。

ここで、「編集にあたって」から、もうひとつ項目を引用させていただきますが、
■本書は、(フィールド・スタディ文庫 Collegio Field Studies) の第1冊目である。その場所(フィールド)に足を運び身をおき、五官を開いてはじめて気づき、学びえる事柄がある。場所が新しい認識の地平をもたらしてくれることがある。それを誘う試みが江湖に受け入れられ、類版を広げることができればこれに優る幸いはない。
とあります。
まさしくその通りだ...と思います。こうした観点に立って記述・編集された本書は、町歩きの前後と最中を問わず、素晴らしい資料兼メモになってくれると思います。

最後になりますが、この本の帯には「アースダイビング <消えた川・消えた地形歩き> 必携」とあります。こちらも「まさにその通り!」です。僕も、これはアースダイバー必携だと思い、僭越ながら、ここに紹介させていただきました。

渋谷百軒店

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渋谷の道玄坂をのぼり、なかほどで右に折れると、さらに登り坂がつづきますが、その入口に、「しぶや百軒店」なる看板を掲げたゲートがあります。その一帯には、昔は有名なロック喫茶などもあり、風俗系と商業系が入り交じった繁華街だったように記憶しています。が、今日、ほんとうに久々に (もしかすると70年代半ば以来かも?です) 歩いてみたのですが、現在では、完全に風俗一色の歓楽街…という雰囲気になっていました。

渋谷百軒店の由来は、ネットで検索すればいくらでもヒットしますが、百軒店のホームページには、『(大正12年の)震災の復興に際し、コクド(西武系列)の前身である箱根土地は、購入した中川伯爵邸を分譲し、現在でいうところの百貨店を都市空間に再現しようとして計画したのが百軒店なのです。』とあります。

ま、そんな百軒店ですが、その入口を入って、坂をのぼりきったところで、振り返って撮ったのが今日の写真です。派手な「道頓堀」の看板が見えますが、そこはストリップ劇場です。これを見ると、どうして渋谷に道頓堀なんだ?という疑問を感じますが、劇場主が「道玄坂劇場」で発注したにもかかわらず、工場が間違えて「道頓堀劇場」で作ってしまったため、そのまま劇場名にしてしまった…という噂もあります。真相はどうなんでしょうか…。それが本当なら、返ってアッパレな感じですね(^^;
この僕が立っている場所の後方には、名曲喫茶「ライオン」やロックバー「BYG」、マンションなどもありますが、もうほとんどホテル街…と言ってもよいような状態でした。しかし、お正月だからなのでしょうか、渋谷駅周辺やセンター街あたりは人で溢れていましたが、この一帯は閑散としたものでした。

そんなわけで、久々に『三層 江戸・明治・東京 重ね地図 』[(株)APPカンパニー]で、この一帯の変遷を見てみようと思い、表示させたのが以下の図です。左から現在・明治・江戸の順です。明治の地図には、ごく薄く、現在の地図を透かしてあります。

【追記】文化村通りと川筋のことが話題になりましたので、江戸期と現在を重ねた地図を追加しました。
【場所】渋谷区道玄坂2丁目あたりです。

白山下の古物屋

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この写真は、元旦に、墓参りに行った帰りに撮ったものです。

文京区の白山下に、元々は白山2丁目の外れだったものが、新しい白山通りが通されたため、飛び地となり、「ここは白山5丁目の外れか?」という状態になった三角地帯があります。

そこに、昔から変わらぬ姿で残っている木造の平屋があります。僕は、以前に白山5丁目に住んでいましたが、そこに引っ越した当時...30年以上前のことになりますが、既に、こんな姿だったと記憶しています。

白山5丁目は、白山神社のお膝元になります。いまでは、鉄筋のビルやマンションなどが連なっていますが、僕が住み始めた当時は、ごちゃごちゃと、バラックに近い建物も密集していたところで、地下鉄の駅もなく、もちろん現在の白山通り(白山下から千石までのあいだ)もなく、都心の離島...という感じすらしました。ここで育った義父は、よく「東京の田舎・白山村」などと言っていたものです。

ところで、この三角地帯ですが、ここは、白山神社のある高台と小石川植物園のある高台に挟まれた低地にあります。その低地のつづきには、昔、白山花街や柳町などがありました。そこに建つこの建物は、白山神社あたりの住人だったら知らない人は居ない古物屋さんです。商品の陳列のしかたも、昔からこんな感じです。本当に昔のまま...です。

この右手には、履物屋さんと提灯屋さん(これは確実)があった...と記憶しています。そちらは、とっくにビルに建て替えられましたが、この古物屋さんは、いまもって頑張っています。よくも生き残っているものだと思います。こうなると、この一帯の匂いを留める象徴として、長生きして欲しいものだと思わずにはいられません。

【場所】文京区白山2丁目あたりです。

謹賀新年 2008

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明けましておめでとうございます。
昨年にひきつづき、本年も拙ブログを宜しくお願いいたします。

この写真は、2005年のお正月に、谷中で撮ったものです。青い屋根のお寺です。初めて気づいたときは「銅板が、緑青を吹く前って、こんな色になるのかな?」などと思っていましたが、いつまでたっても、この色のまま...でした。このお正月中にでも、その後の様子を見に行ってみようかな?と思っています。

その下に垂らされた幕が、日本的なのでしょうが、実に派手で、お正月の空気を、華やかに染め、かつキリッと引き締めていました。清々しいものでした。こういう図を見ると、やはり、ジャパンデザイン(日本の意匠と言うべきか(^^;)って良いものですね。

【場所】台東区谷中6丁目あたりです。



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