中里貝塚跡

| コメント(8)



写真は、3枚ともに、中里貝塚跡で撮ったものです。中里貝塚…と聞くと、1カ所のように思っていましたが、実際に行ってみると、Google Earthでご覧いただくと一目瞭然ですが、3カ所にわかれて在りました。住宅や工場が多くある場所ですから、建物が取り壊されでもしないかぎり、発掘調査はできない…というのが、3カ所に点在している理由のようです。きっとこの一帯は、どこを掘っても縄文期の痕跡が出土するのでしょうね。

で、その3カ所の貝塚跡に立ち、およそ昔は海であった方向に向かって撮ったのが、今日の3枚の写真です。Google Earthに記したマークで言うと、貝塚跡-1が左の写真、貝塚跡-2が中央の写真、貝塚跡-3が右の写真…になります。

ここは、日本最大の貝塚跡だそうですが、場所的にアクセスしにくいからか…近所の人が犬を散歩させる姿をたまに目にするくらいで、人影はほとんどありません。また、発掘後、埋め戻しただけ…という状態ですから、大げさな石碑などを設置し、整備された史跡などとは異なり、歩いていると、足の裏に、なんとなく生々しいものを感じるような気がしてきます。しかも、周囲が何事もなかったように、平常…であることが、その特異な感覚を浮き上がらせてくれます。ここは必体感の場所ですね。

【追記】中里貝塚については、飛鳥山博物館のHP資料をご覧になってみてください。今日の写真に写っている地面の下の様子が分かります。また、貝塚跡の位置ですが、宇都宮・高崎線の尾久駅からはすぐですし、京浜東北線の上中里駅から歩いてもそう遠くはありません。そういう意味では、アクセスは楽なんですが…。
【場所】北区上中里2丁目あたりです。

コメント(8)

言い訳エントリーをいたします(^^;>masaさん(←「上中里海原景」)。いや〜言い訳だなんて!!いいですね〜、この「調査した後、とりあえず埋めましたけど・・・そんなこと知りませ〜ん」って感じがなんともいえません。もちろん、行政としてはいろいろ今後の整備計画等を、お考えなのかもしれませんが、家々が密集した地域のなかにこのガラーンとした空間が存在しているということ自体が、ある種のインパクトをもっています!!ただ小さな説明板があるだけ。過剰な解説がない。土地から発する何かを感じとろうする人だけには(←妄想といわれても(^^;;)、なにか感じとれる。このほうがありがたいです。ドキドキします。wikipediaの解説では、南北1キロメートルといいますから、相当の規模ですよね〜。「おそらく世界最大級」なんてことも書いてあります。「海中で牡蠣をつけるために立てたと思われる杭が発見された」という記述も気になります。こういうのを、「半栽培」といったりします。自然採取から養殖への途中にある段階ということですか。以前、縄文人が、栗の実がたくさんとれるように、自然に生えている栗の樹に働きかけていたという話しを、考古学研究者から聞いたことがあります。森を伐採して栗畑にするのではないんですね。それと似ていますね。自然の恵みがより多く得られるように、その自然の動きに寄り添うってかんじでしょうか。「そういう意味では、アクセスは楽なんですが…」とお書きですが、僕は行きますよ〜、楽しみです!!

>wakkykenさん
この、見るからに、手つかずで、どうしようもないほど何でもないとこがよろしいでしょ(^^; ま、一般受けはしないでしょうが、幻視できる人たちにはたまらない場所になっています。ただ、勝手に掘ってみたくなるのが困りものですが(オイオイ)(^^;
与太郎さんが、前エントリーにコメントを残してくださっているように、すぐ近くのサッ(岬)には、豊島氏の城があったとも言われていますし、現在は平塚神社があります。その真下をとおって尾根道に出るための切り通しがまた見事です。
このあたりは、まさに穴場のアースダイブスポットだ!という気がします。

アースダイブスポット!
名言と言わねば・・・考古学を深めるお方の
脳の働きがが分かる・・・と言うものかも・・・
妙に納得している不思議!?!

>masaさんと皆さまのパワーに圧倒されています。
wakkykenさんの教えてくれた飛鳥山博物館のHP資料人の身長よりも積み重なる貝塚断面を見て、この周辺にいた先住民の数も想像以上の物が感じられますね。
>masaさん、そうですかやっぱり平塚神社、すでにマークして下さっていたんですね。昔、平塚神社の前を通ると今の茶屋(和菓子屋)さんの前、駐車場の入り口付近にそれは、それは大きな枯古木があり、目を引いた物でしたね。太〜い幹にしめ縄が張られ、雷が落ちて裂け、焼け焦げた跡がまざままざと残っていたのを思い出します。豊島一族の住居跡説もあり、石碑群に豊島の刻印が見られました。それと丸山の古墳にも関連があるので以前たまたまお伺いしたことがありました。今はその神木も取り払われ、参道左側の休憩テーブルに変身して木漏れ日の中家族連れが楽しそうに食事をしている姿が時の移ろいを感じさせ印象的でした。あの、神社奥の山に何時か登って見たい物です。太古はきっと大海原が広がっていて「オー!」などと言って感動したことでしょう。 しかし標高差がすごいです。貝塚まで作業をするのに里族は毎日降りてきたんでしょうか・・。では、また寄せてね・・与

援護射撃です。(^_^;)
拙ブログの「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」でも紹介してましたが、下記のサイトに遺跡地図があります。
東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス
北区-遺跡一覧
http://www.syougai.metro.tokyo.jp/iseki0/iseki/list/ruins/13117/117ruins.htm
中里貝塚-遺跡地図
http://www.syougai.metro.tokyo.jp/iseki0/iseki/map/035r.htm

>chatnoirさん
こんにちわ。昨夜はちょいと早めに切り上げましたので、恒例(^^;のバトンタッチができませんでした(^^;
ところで、拙ブログではアースダイブとかアースダイビング、はたまたアダイなどの語が頻出いたしますが、これはすべて、中沢新一氏の著書『アースダーバー』の影響です。ご存じかと思いますが、この本は、破格に面白く、かつ影響力大です。

>菊坂の与太郎さん
この貝塚発掘時の写真は強烈ですね。丸木舟や魚介類加工の跡まで…ですし…。ところで、平塚神社の昔の様子を教えていただき、ありがとうございます。そんな感じだったのですね。
平塚神社のある場所と、豊島氏との関係は、とても気になりす。豊島氏城趾の可能性が高いと書いた本もありますし、そういう証拠はまったくない…という話も聞きましたし…。こういうことになると、この際、与太郎さんにすがるしかなさそうです(^^; ところで、平塚神社の奥の山は入ってみたいですね〜。僕もそう感じました。あそこに立てば、牡蛎加工する縄文人の姿すら幻視できそうな気がしました(^^;

>iGaさん
いつものことながら、情報をありがとうございま〜す!
しかし、遺跡地図を見ると、このあたりは、海岸は別にして、谷戸の台上すべてが遺跡状態ですね。かなり凄い場所であることを改めて実感です。



ninepeace.jpg




月別アーカイブ(Archives)



写 真 集


おすすめ




おことわり

エントリー、コメント、トラックバックにつきましては、管理者の判断により削除させていただく場合があります。予めご了承ください。
Powered by Movable Type 4.22-ja





copyright © 2004-2017 masa