西ヶ原銀座の裏側

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今日の写真は、西ヶ原銀座に入ってすぐのところで撮ったものです。この家は、表通りから見ると、平屋の看板建築ですが、中央で、2店舗に区切られています。片方は、化粧品・雑貨のお店で、いまでも元気に営業をつづけていらっしゃいます。が、もう一方のお店は、営業を止めて久しいのか、看板部分も判読できないほどに傷み、剥がれ落ちています。かろうじて残っている部分から、想像力を大きく膨らませて判読すると、「パン」と「コーヒー」と書いてあったのかな?という感じです。
写真からも分かるように、この一画はすでに歯抜け状態で、再開発前夜…という雰囲気が漂っています。最近の東京では、頻繁にあることですが、そういう状態だったからこそ、裏手にまわり、こうして写真を撮ることができたのですが…。なんとも複雑な気分であることはたしかです。
しかし、ここは、表から見たときは、2店舗ですから、小さな家が壁を接して建っているか、長屋になっている…とばかり思っていましたが、裏にまわってみて、ちょっとびっくりです。これはどう見ても、一軒家ですね。
ま、それはそれとして…。この家ですが、相当に古いことは間違いありません。この右手にも、これに似た、やはり古い看板建築が残っています。経年変化の具合も似たりよったりです。どうも、この一画にある建物は、西ヶ原銀座ができた当時のままの姿では?という感じがします。
谷田川暗渠沿いの商店街が成立したのは、昭和10年代半ばのようですが、この一帯は戦災で焼失していますから、戦後間もなく建てられた…という感じなのでしょうか…。

【場所】北区西ヶ原4丁目あたりです。

コメント(2)

西ヶ原の商店街は昭和50年代終り頃までは「銀座」の名のとおり活気のある一帯!
焼け跡のバラックから立派なお屋敷に建て替えられるほど・・・
多分このお宅も当時は人気のお店だったかも・・・
歴史が存在していると言う気がするのですが・・・

>chatnoirさん
証言(^^;をありがとうございます。やはり、かなり賑わった界隈だったのですね。この先は、銀座からふれあい通り(だったと思います)に名称が変わり、そうとう淋しくなりますが、その辺りで、いまでも商売をつづけていらっしゃるお店もありました。そちらで伺うと、旧鎌倉街道あたりは、それはもう人通りが多く、賑やかだった…とおっしゃってました。疎開道路…なんて言葉も飛び出しましたし…。うつり変わりを感じました。



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