ちょっと行事などがつづき、更新が滞ってしまいました。というわけで、かなり間があいてしまいましたが、今日の写真は、前エントリーの写真と同じ日に撮ったものです。
ここは、住居表記でいえば神田和泉町です。この地は、その大半が、江戸期に、津藩藤堂家の所有地であり、同家が代々任官していた和泉守にちなんで町名にした…とのことです。ついでですが、和泉町の隣には、佐久間河岸や佐久間町という町名が残っています。これも、江戸期に、佐久間平八という人が、その地で問屋を営んでいて、江戸城築城の際に建築用材を提供した…といったことから、その名で呼ばれることになったようです。[『東京の地名由来辞典』を参考にしました]
そんな由来のある神田和泉町あたりですが、歩いている限りでは、そんな匂いは皆無です。もっとも、この一帯は、戦時に全焼していますから、江戸期の名残を探すほうが無理…というものかもしれません。
そんななか、ほんの一カ所ですが、「オオッ」と思わせる建物がありました。隣が更地利用の駐車場になっているからこそ目にできた建物ですが、総トタンの、ちょっと王冠のようにも見える家です。これは、表通りから見える部分もトタン張りになっていました。1階部分は店舗になっていましたが、どうやら、旗などを製造卸していらっしゃるお宅のようです。ガラス戸越しに、高齢の男性が、ひとりで、何やらモソモソと作業なさっている姿が見えていました。
【場所】千代田区神田和泉町あたりです。