秋葉原の悪夢

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昨日、最悪の悪夢でもよいから夢であって欲しい...という事件が起きてしてしまいましたね、秋葉原で...。

秋葉原という街は、街のあちこちに、吹きだまりのような居場所があって、特に目的がなくとも滞在できる街でした。ゴミゴミとはしていましたが...居心地の良い街で、僕は好きでした。大規模な再開発が行われ、これはいまも進行中ですが、その居心地の良い空間がどんどん減ってゆきます。が、それでもまだ、他の街に比べると、気を許して"居る"ことができる街だと思っていました。その街で、今回のような事件が起きたということは、とてもショックです。一歩間違えれば...という恐怖すら感じます。

今日の写真は、つい先日刊行した写真集『時差ボケ東京』のために撮影していた1枚です。偶然ですが、まさに昨日の事件の起きた場所を撮ったものです。もちろん、昨日の事件の起きるずっと前のことですし、このときは、そんな事件の舞台になろうとは想像すらしていませんでした。本当にあやうい時代になったな...と思わされます。

M.Niijimaさんが、ブログに書いていらっしゃる言葉が、いま、僕のなかでこだまするように響いています。

「あるときはビルの谷間を、あるときは商店街に向かう横断歩道を、あるときは落葉で埋まったキャンパスを、移動しながらも、わたしたちは、ふと、あなたの存在に気付くことがあるのです。そして、ときに、あなたも、わたくしのことを。」

月並みですが、お亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

【場所】千代田区外神田3-4丁目あたりです。

コメント(10)

この事件の一報を耳にしたとき、真っ先に浮かんだのがmasaさんのことでした。ご無事で何よりですが、それこそ何一つ落ち度のない方々が。
でも、ひとつ救いがあるとすれば、周囲にいた人たちが、迷いなく咄嗟の救助にあたっていらしたことでした。

>braryさん
こんばんわ。このところ、街歩きも危険だな…と思うことがちょくちょくあったのですが、身近な秋葉原でこんな事件が起きたというは、相当に衝撃でした。そして、最近、こういった理不尽な事件が起きると、本当に気分が沈んでしまいます。とても重たいです。
でも、仰るように、居合わせた方々の行動や、いかにもアキバらしい姿の若者が、現場に花束を捧げ、手を合わせる姿が救いでした。
もうこうした事件を引き起こす"病"から目をそらすことは許されないことだと思います。

なにか事件が起きるたび
テレビや新聞に載る亡くなった方の顔写真から目をそむけていました。
直視することができなかったんです。
けれど今回は目を離すことができませんでした。
こんなに悲しいことはありませんね・・・。

 まだ秋葉原に青果市場があったころ、大学生だった私は、長期の休みになるたびに市場のすぐ前の喫茶店でアルバイトをしていました。秋葉原は野菜と電気と人の住む街でした。
 この事件であのころの自分と同じような大学生が亡くなりました。被害者となった方たちが、おじさんやおばさんになる権利を奪えるものは何もなかったはずなのに。
 やりきれないことです。心沈む思いです。

私も秋葉原で長く働いていたので、今回の事件には本当に驚きました。しかしまた別の意味で、”なんかよばれちゃったのかなあ”なんてことも、頭をよぎりました。

いまちょうど古い建物がどんどん壊されて、あたらしいビルが立ち並び、新たな人の波をよんでいる秋葉原。風水的なパワーバランスが崩れてきているのかもしれません・・・ってこんなこと書いていいのかしら(^^;)。確かにmasaさんのお書きになっているように、住む人にも働く人にも訪れる人にも”吹き溜まり”のような街。私にとっては「アキバ」ではなく「秋葉原」であり、懐かしい場所のひとつなのです。
とりとめのないことを書いてますが、スミマセン・・・。

>アンさん
ほんとにひどい事件ですね。このような犯罪が多発していますが、その病根を真剣に見つめる必要がある…と思います。

>ユーコさん
秋葉原のガード下のコンクリート柱には、まだ、市場の名残である「蔬菜 東口売場」などという文字が残っていますね。気づく人はほとんど居ないと思いますが…。
それにしても、本当にはけ口のないやりきれなさ、そして、犯人を糾弾しても何もならない空しさのようなものに包まれます。

>kaerumaさん
風水的というのか何というのか、とにかく、そういった、科学では解明できない何か…ってあるという気がします。そして、こういった事件は、社会から吹き出したウミのように思えてなりません。そして、以前は、吹き溜まりがそれを吸収していたように思えるんです。
実は、今日、現場に行ってみました。多くの人が献花台を取り囲み、そこには、多くの花束や飲み物が捧げられていました。

このような痛ましいことがございますと、命の大切さというものを如何に伝えるべきか、途方に暮れてしまいます。それでも、少なくとも子供をもつ者として、わが子には必ず伝えなければという思いが大きくなります。

ところで、拙文を引いてくださり、そしてそれがmasaさんのなかでこだましているというのは、たいへん光栄なことです。
わたしは「時差ボケ東京」の写真にうつる人々と、こちら(撮影者であるmasaさんおよび鑑賞者であるわたしたち、或いはわたし)の視線の間に、(奇跡的な)通い、を感じたのでした。

>M.Niijimaさん
文章を引用させていただき、ありがとうございました。
「時差ボケ東京」の撮影をしているとき、時間や空間といったことが頭にあったことは、エントリーに記したとおりですが、シャッター速度とは関係なく静止し、浮かび上がる被写体を目にし、存在のあやうさ…といったことを漠然と考えるようになっていました。それを、Niijimaさんが、見事に文章にしてくださった…という思いがありました。この事件に接し、まず思い浮かべたのが、引用させていただいた、Niijimaさんの文章だったのです。



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