というわけで、復帰弾(^^;は...佃からです(^^; 山口から...でなくて、申しわけないような気もしますが、前回・今回の山口行きには、カメラを持参しませんでした。雑務に没頭せざるを得ず、写真を撮る時間はまず無い...という事情がありましたので...。
この写真も、前エントリー同様、8月3日に撮ったものです。佃と言えば、何と言っても細い細い路地を思い浮かべます。狭い空間を隔てて、両側に二階家が並んでいるわけですから、当然、昼でも薄暗くなりがちなのが佃の路地です。その幅たるや、他の町にあっては、いわば家と家の隙間で、通り抜けることもできる...といった感じですが、ここ佃では、その路地のなかほどにも玄関があったりします。したがって、細い路地とはいえ、バリバリの通り道です。
今日の写真からも、そんな雰囲気を感じていただける...と思いますが、路地の奥に、赤い祭り提灯が下がっています。ということは、そこに玄関がある...ということなんですね。佃島...まだまだ風情を残しています。
【場所】中央区佃1丁目あたりです。

masaさんが東京を離れている間、JEDI的にも色んなことがありましたが、佃島にはGoogleのスパイカーは進入していない様ですね。町の持っている佇まいが寄せ付けなかったのかも知れませんね。
masaさん
佃も色々繋がりがあって奥が深いですね。
おかえりなさい、みんなといっしょに待ってた与。 菊坂の与太郎+紫雲のジジイより
久々の路地写真、気持ちが良いですね。
masaさんの写真が戻って来て 暑い日々に 涼風が戻った感じです。 ふぅ〜〜〜〜♪
>iGaさん
はいはい、iPhoneがありますから、Googleのストリートビューの話題は知っていましたよ。時差ボケiPhoneも…(^^; しかし、スパイカーならぬ、前方向カメラ装備のスパイヘルメットマンが、路地の奥まで侵入したりすると、これは大変な問題になるでしょうね…。両刃…という感じがありますね。
>菊坂の与太郎 さん
こんにちわ〜。戻ってまいりました。で、山口土産がなく、佃土産になってしまいました。いやはや疲れました〜(^^;
>光代さん
こんにちわ〜。暑中見舞いがてら…という感じです。もしも涼風が届いたら本望です!
佃は切り取ればこんな風情が残って居るんですね。提灯の赤が好いです。
ところで、ついに、というかとうとう、根津の曙ジュニアは解体され、今日ほぼ更地になりました。。。
おかえりなさい。
お留守とわかっていてもついついブログをのぞきに来てしまいますので、またmasaさんの写真を見れる日々が戻ってきて嬉しいです♪
アンさんとおんなじです与〜。
そうでしたか、masaさん、お疲れさまでした。
菊坂の与太郎
>neonさん
コメントをありがとうございます。佃・月島は、そうとうに再開発されたとはいえ、まだ、こうした路地や長屋風景がありますね。ま、どこも危ないな〜という印象はありますけど…。
ところで、曙ジュニア…ついに…ですか〜。とにかく、ご連絡ありがとうございました。
>アンさん
こんばんわ。いつもご覧いただき、ほんとにありがとうございます。できるだけ頻繁に更新しようと思っていますので、これからも宜しくお願いいたします!
>菊坂の与太郎さん
こんばんわ。お会いしてからお話しますが、やはり、不思議なことが起きました…。そんなことは信じないほうだったのですが…。
オッ・ホッホッー 何か起こったようで、紫雲のジジイが起きて来て、身を乗り出しておりました。 素敵なmasaジイの身に何が起こったのでしょうか、少し疲れが取れたらお会い致しましょうね。
お話、楽しみにしています・・・また「麦」でいいですか?。
今日はどこを徘徊しておられるのでしょうか・・・
ではでは、 本郷 菊坂の与太郎 (聴く与)
>菊坂の与太郎さん
お返事が遅れました〜。さすがにちょっと疲れ気味で、クタクタと眠っていました。20日頃、もういちど山口に行かなくてはなりません。その後…ぜひ麦で…よろしくお願いいたします。帰京後、ちょっとだけですが、四つ木を歩きました(^^;
masaさん、こんにちは。ある病院の食堂で、食事をしながら、たまたまNHKの連続テレビ小説をみることになりました。ふだんテレビを観ないのでよく知らなかったのですが、現在の進行中のものは、佃が舞台だったんですね。僕がみたときはちょうど佃の夏祭りのシーンでした。そのさい興味深いことがひとつありました。それは、最近(おそらくはこの1年間に)お亡くなりになった方の遺影の写真を、遺族が神輿のほうに掲げるという風習のことです。
似たような例を瀬戸内の漁村で知っていたものですから、驚きました。その瀬戸内の漁村では、新盆(初盆)の家の方達が、亡くなった方の遺影を抱えて盆踊りに参加するのです。一緒に、櫓の周りをぐるぐる踊りながら回るわけです。もちろん、手には遺影がありますから、手の所作は無しということになりますが。祭りと遺影って、どの地域であっても、生活のなかに写真が入り、葬式に写真が使用されるようになってからの風習ですから、そんなに古いものではないと思いますが、そこに暮らす人びとの、何か亡くなった方に対する気持ちのようなものがよくあらわれているように思いました。新盆(初盆)のばあい、亡くなった方の魂(たま)は、最後の法事(三十三回忌か五十回忌)までは先祖一般になっておらず、まだ個人の個性をもっていますので(そう考えられてきた・・・)、そのあたりのことが遺影を神輿に掲げるっていう風習を生み出したのかなと思いました。ところで、僕も、「来年こそは行くぞ!!」・・・という気持ちにはなるんですが・・・。実際は、なかなかです。
>wakkykenさん
こんにちわ。NHKの連続テレビ小説の舞台が佃…ということは耳にしていましたが、実は観たことがありません。
盆踊りと遺影のエピソードをありがとうございます。場所によらず、人は、同じような想いにかられ、それが似た風習を生み出すのでしょうか…。それとも、実は、四国の風習が人とともに、もしやいったん関西(田蓑/住吉)へ飛び、それが佃へ…なんてことがないでしょうね〜? あったらコーフンしますね(^^;
PS:写真の前は、位牌だったり人形だったりするかも?ですね。
masaさん、おはようございます。さて、盆踊り(佃のばあいは夏祭りですが)と遺影の関係についてですが、後者だったらロマンがありますよね〜。盆踊りにしろ、夏祭りにしろ、後者であってほしいな〜。昔の、つまり大阪にいたころの佃の人びとは、漁師とはいっても、軍事的に徳川家康に協力した海民のような人たちだったそうですし、瀬戸内海にも強いネットワークをもっていたでしょうから。さてさて、写真の前ですが・・・う〜んお位牌の可能性はありますね。こんど佃に行かれたときに、ぜひお聞きになってみてください。
盆踊りと遺影について書かれたブログのエントリーがありました。http://kimonomoe.jugem.jp/?eid=9 いや〜なかなか興味深いですね。こういうエントリーを読むと、『アースダイバー』の中沢さんに登場してもらわなくちゃ(*0*)ゞ。「盆踊りの古いかたちを見てみると、村の人々が村の外からなにか目に見えない霊を迎え入れ、渦を巻き込むようにして踊りはじめる。生きている者と精霊がいっしょになって、円陣をつくってグルグルと村の広場で夜を徹して踊るのである。精霊とともにすごした幾夜かがすぎると、人々は円を解いて、そのまま村のはずれまで列をなして行進していく。そして村はずれの川や埋葬地の近くで、精霊を切り離す儀式をおこなうのである。」(『古代から来た未来人 折口信夫』)新仏の遺影と一緒に踊るというのは、見えない霊を、具体的に見えるようにしたもの、イメージを具体化したものなんですね、きっと。
佃の盆踊りは、YouTubeでみました。http://jp.youtube.com/watch?v=u8s7CInvXoc 実際にもぜひ見学してみたいですね〜。
>wakkykenさん
こんにちわ。いつものように、ササッとあれこれ調べてくださいまして、ありがとうございます。URLを貼っていただいたエントリーを読んできました。遺影を背中に背負って踊る光景がシュール…と書いていらっしゃいますが、分かる感じがしますね(^^; ちょっと怖いものがある…というのも(^^; きっと、昔はワラ人形を背負って、火の粉舞うかがり火のまわりを踊り狂ったのでは?と思わせるものがあります(^^;(^^; あ、いかん(^^; これは妄想レベルですね(^^;
とにかく、wakkykenさんがお書きくださったことを要約するようですが、新盆では、霊がまだ祖先になっていないことと、それを可視なものに…ということから、遺影とともに…という発想が生まれたと考えてよさそうですね。
masaさん、こんにちは。イメージが炸裂していますね〜。すばらしい!!こういうのは、やはり楽しいですよね〜。最近は、仕事のうえでも、死者-生者の関係について関心をもっていますので、こういう遺影が近代化のプロセスで加わってくることには、すごく関心をもってしまいます。ご健在の佃の古老にお話しをうかがいたいものです。80歳代中頃の方だと、昭和一桁のころの記憶をお持ちでしょうね。その頃、すでに神輿に遺影を向けるような慣行はあったんでしょうかね・・・。気になってきました。
>wakkykenさん
こんばんわ。遺影と言えば、以前、実にたまたま…なのですが、ある天理教会にお邪魔したことがあるのですが、その本堂の鴨居に、先祖代々の遺影が飾ってあったのです。それが、古いもの(明治時代から始まっていました)ほど写真のクオリティが高く、現在のものが最も貧弱なんですね。その場で、ちょっとそのことに触れたのですが、理由は「現在の遺影は、実はカラコピーを使っている…」という答えでした。写真の実情がこんなところに現れてるな〜と、妙に感心してしまいました(^^;
ところで、佃は近いので、そのうち折りを見て、そのあたりチェックしようと思います!
masaさん、おはようございます。masaさんがお書きになっている天理教教会の遺影のこと、興味深いですね〜。そういう写真を、写真館等で生前にきちんとお撮りになっていたのでしょうかね。おそらくは、スナップ写真のようなものは当時はないでしょうから、いろいろ気合を入れたり、気持の準備をして撮ったんだろうなあと想像しています。ところで、この写真の遺影を飾るという習慣も、興味深いですね。それ以前、故人を偲ぶさいには、様々な儀礼や、仏壇のような装置、そして人々の想像力・記憶力が頼りだったのでしょうが、写真というものが登場したことで、ずいぶん故人との関係や故人というものに対するイメージも変化したんではないかと推測します。まあ、これは調べると比較的簡単にわかると思います。きっと、どなたかが研究されているでしょうから。
ところで、「佃は近いので、そのうち折りを見て、そのあたりチェックしようと思います!」ということ、どうぞよろしくお願いいたします。
>wakkykenさん
写真はどんどん手軽なものになってきましたが、その手軽さが妙なところで写真にも現れる…ということですね。オーディオも同じような傾向を感じますし、町並みだって、サイディングを使用した安っぽい家が並ぶ図を見ると、似たような傾向だな〜と感じます。これって、なんだか気になる傾向です。
それにしても、遺影の起源…という、そう古くもなさそうな話ですが、意外と誰も疑問を感じずにいた…という、身近で遠いテーマで、なかなか興味深いですね。
masaさん。近代化って、他人と協力したり、努力したりしなくても、お手軽にそれなりの満足感が得られて、なおかつ、本来はどうであったかを忘れてしまうような・・・そんな過程なのかもしれませんね〜(^^;;。背景には、大量生産大量消費が存在しているのだろうな。で、「遺影の起源」、このあたりはちょっと勉強してみる価値がありそうですよね。死者と生者のコミュニケーションの問題ですからね。思想史や、写真史で、なにか文献がありそうな気がします。
>wakkykenさん
ほんとにね〜進化なのか退化なのか分からない…という状況があちこちで発生していますよね。なんせ、世の中の仕組みが親切になり過ぎて、結果だけを拾い集めればよい時代ですから、その結果に至る過程が忘れ去られてますよね〜。これは問題ですね。
遺影につきましては、僕は、銀塩写真による遺影復活運動(^^;でもしましょうか?(^^;
masaさん、「銀塩写真による遺影復活運動」を始められるのであれば、ぜひ、僕をサンプルにしてください。2〜3年ごとに1枚ずつ遺影をとることにしたらどうでしょうね。そうやっていると、人生を有意義に、他の皆さんと仲良く暮らせるような気がします。どうぞ、よろしくお願いいたしますm(--)m・・・(^^::。
>wakkykenさん
もしや、遺影というものは、先に逝きそうな人を後から逝きそうな人が撮る…というのが基本ではないでしょうか?(^^; そうだとすると、僕がwakkykenさんを撮る…というのは反則のような?(^^;
ま、それはともかく、遺影を撮っていると、人生を有意義に、皆さんと仲良く暮らせるわけですね!?(^^; この因果関係…か〜なり深そうですね〜(^^;
masaさん、う〜ん、たしかにmasaさんは僕よりもお兄さんですが、やっぱりカッコよく撮ってほしいものですから・・・だったら、やっぱり・・・masaさんかなと・・・(Akiさんのように「・・・」を連発は?!)。遺影を撮るということは、いつ死ぬかわからないという覚悟をもち、生きているあいだに自分に人生をちゃんとしたものにしておこう、ということになるのかなと・・・。かりに、1回目の遺影を撮影していただき3年たち、「あっ、皆さんのおかげで3年間きちんと生かしていただきました。ありがとうございます。」と、次の3年の写真を撮るわけですね。僕の考えでは、そうして生きていると、感謝の気持ちとともに「人生を有意義に、皆さんと仲良く暮らせる」と思うんですけど(^^;;。
>wakkykenさん
な〜るほど〜。ご説明ありがとうございます。なんとなく「遺影撮影と暮らしの因果関係」が分かってきました。世間的にはあまり意味は無いかな?(^^;などと思いつつも…(^^; では、異様なまでに張り切って、スタイリスト&メークさんまで使って、カッコイイ「これがあのwakkyさん?」っていう遺影を撮りましょうか?(^^; あ、ちょっと誤解しちゃいましたかね?(^^;(^^;