稲付川の匂い

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このところ、十条〜赤羽あたりを歩く機会が増えています。その理由は、やはり、谷戸が複雑に入り組んだ地形...にあります。

谷戸は、都心にも、数多く存在しますが、地表が高層ビルで覆われ、その存在が目につき難くなっています。が、十条・赤羽あたりでは、地表は住宅に埋め尽くされてはいるものの、高層ビルなどはまだまだ少なく、谷戸の全体的な形状を目で確認することが可能です。
今日の写真は、そんな谷戸の底で撮ってきたものです。

谷戸の底のいちばん低いところには、当然のことながら、川が、流れていたり、かつて流れていたりするわけですが、ここ、十条仲原の低地にも、かつて川...稲付川(北耕地川)...が流れていました。現在、その流れを見ることはできませんが、かつての川筋を辿ることはできます。

というわけで、既に、その川筋を何度が歩いているわけですが、歩く度に、さらなる興味が湧いてくる...という、始末の悪い川筋です(^^; それは、単に地図上で線を引ける...というだけではなく、かつての川の姿の欠片があちこちに残っているから...のように思います。いわば、好き者にとっては...ですが、一種宝探し的な感覚があるのです。

今日の写真も、まさにそんな、宝を見つけた!という感覚の一枚です。ここは、稲付川の土手にあたる場所です。川が氾濫すると(実際によくあふれていたようです)、水中に没していたに違いありません。それを思わせるように、良いお天気だと言うのに、この湿気です。一面に苔が生えていることからも、その湿度の高さがお分かりいただけようか...と言うものです。もっと言うなら、水の...川の...匂いが立ちこめています。

それにしても、この空間、庭職人が手を入れたはずもないのですが、下手に築かれた庭などよりも、よほど雰囲気があるように思えます。

【場所】北区十条仲原4丁目あたりです。

コメント(24)

よく、稲付川(北耕地川)の川筋を歩いて下さいました。
何度も歩いていらっしゃるのですね。

写真といいコメントといい、東京の消えた川を感じて見ようとする人間にとって
とても、沢山の事を教えて頂けます。
自分が足をつけて歩いている所の歴史的地形を感じる事が出来るようになる、とでも言いましょうか?
「宝探し」のような気持ちで歩いてみる、体験を子ども達にも持ってもらいたいなぁと思います。masaさんのような方が引率者になって…。

>単に地図上で線を引ける...というだけではなく、かつての川の姿の欠片があちこ
>ちに残っているから...のように思います。

それらを、素敵な写真と言葉で表して下さる!
ありがとうございます。

川好きonnaさん、こんばんわ。

稲付谷は一度歩いただけでは、その全貌を理解するのはとても無理ですね。
この間はmasaさんと姥ヶ橋から上流の根村用水部分も確認しましたが、橋桁と橋脚が残っていたのは驚きです。
http://madconnection.uohp.com/mt/archives/001767.html
http://madconnection.uohp.com/mt/archives/001765.html

>川好きonnaさん
コメントをありがとうございます。とっても過分なコメントですけれど…(^^;
僕のような、地理に詳しくない部類に入る人間が、こうして、わりと手軽に川筋を辿ることができますのも、実のところ、奇特(^^;とも言える出版物「川の地図辞典」のお陰です! この稲付川(北耕地川)にしましても、線路に近づくにつれ、地形が平坦になることもあって、川筋が辿りにくくなります。が、「川の地図辞典」中では、単なる破線1筋ですが、これが頼りになること…。また、実際の川筋と辞典中の破線が重なったとき、これも一種感動ものです。

>iGaさん
コメントいただいていましたのに、ブログに反映されていなかったようです。申しわけありませんでした。このブログのエンジンはもうダメみたいです(^^;困ったもんです。
橋桁と橋脚に関する記事のURLをありがとうございました。あれは驚きでしたね〜。ところで、これから、新幹線の線路を越えて、隅田川に注ぐまでを辿ろうと思っていますが、この川は、まだ一部開渠のまま残っているようですね。ただし、その部分は私企業の敷地内だそうですから、確認は難しいかも?ですが、とりあえずトライはしてみようかな?と思っています。

じめじめの匂いまくり。此処は凄いですね!
左岸右岸に迫る切り立った断崖が、稲付川をとても魅力的にさせているのでしょうね。

masaさんどうも。
もしかするとコメントにURLを書き込んだから承認待ちの怪しいコメントと判断したのではないでしょうか。
「川の地図辞典」では北耕地川で名称統一してますが、そう呼んでいたのは線路を越えた下流域のような気もしてきました。北耕地川を下って隅田川に注ぐ河口から、隅田川を岩淵まで溯るのもありですね。そういえば、荒川手前の東北線の陸橋下も何か雰囲気ありましたね。

>M.Niijimaさん
先日は、折角ご一緒できる機会を逃してしまい、残念でした〜。稲付川の流域(^^;には、まだまだ魅力ある景色が残っていますね。ここも凄い雰囲気してました。感じとってくださったようで嬉しいです。ここは、もういちどダイブしても良さそうですよね…。

>iGaさん
あ、そうですね…コメントが反映されなかった原因は、その辺りにありそうですね!
ところで、この川ですが、ネットでチェックするかぎり、石神井川から分岐した先から線路を越える前辺りまでは、昔は稲付村だったようですから、この辺りでは、きっと稲付川と呼んでいたのでは?と思うに至りました。
そうそう、あの東北線の陸橋下は、なんだか圧倒される雰囲気がありましたね〜。ちょうど道はカーブしていることもあって…。とにかく、この一帯は、谷戸コースと、川コースの2回に分けてダイブしなきゃしょうがなさそうすね(^^; あ、先日、商店街コースもあり…なんてお話しもましたね〜(^^;

いや~、実によろしいですね~。僕は今回ダイビングに参加できませんでしたが、「好き者」の端くれですので、とってもウフフ…ですよ。

>wakkykenさん
こんにちわ! この一帯…ヨロシイですよ、ヒジョーに(^^; この辺りは、川・地形のみならず、赤羽の巨大団地…とか、赤羽の巨大商店街と川口というベッドタウン…といった、wakkykenさん御用達の要素もありましたよね!

>この川にご興味をお持ちの方々へ
その後、この川沿いでクリーニング店を営んでいらっしゃるご高齢の方に話しをうかがったところ、この辺り(十条仲原)では、この川を「北耕地川」と呼んでいたそうです。川幅はそう広くはなかったが、流れはけっこう急だった…とのことでした。また、この川も、暗渠化される前には、いわゆるドブ川と化していたようです。もっと若い地元の方にも話をうかがいましたが、その方は「川の名前は知らない。ドブとしか呼んでなかった…」と…。

北区の道路公園課公園河川係のサイトでは稲付川、ウィキペディアでも稲付川で登録されていますが、地元では「北耕地川」ですか。姥ヶ橋交差点の「稲付の小径」の案内板でも北耕地川跡になってますね。ということは「川の地図辞典」が歩いて編纂していることの証ですね。

iGaさん

貴ブログ「姥ヶ橋跡と上流を探る」は訪れていましたよ。
地図の編集と写真に、圧倒されてしまい、なんとコメントしていいものやら…、
の思いでした。

川好きotokoにも紹介していました、「すごいよー」(何がすごいか、というと「消えた川探偵団」(Jedi)の色々な力量です)と。

それで、masaさんのお写真には、まずコメントさせて頂いた次第でした。

いやー。楽しいですね。そしてお久しぶり登場のwakkykenさんの表現のように「とってもウフフ…」ですね。

>iGaさん、川好きonnaさん
結局、地元の方5人と話す機会があったのですが、いちばんご高齢の方に「この道は昔、川でしたか?」と聞いたところ、「そう、北耕地川っつって…」という返事があった次第です。もうひとりの高齢の方には、川の名前を聞くのを忘れてしまいました(^^;が、他の3人の方々は、全員「川の名前は知らない」とのことでした。
また、川の流れが急だった…ということを示すかのように、水車があったあたりで、昔、警官が流されて亡くなる…という事件があったそうです。その碑があるようですが、まだ確認はしていません。

masaさん、こんにちは。赤羽のあたりは、ずっと行きたいと思っている場所です。お書きになっている、赤羽根団地や商店街に対岸の川口、もうなんだか最高ですね。東京の北の入り口ですしね。朝から晩の居酒屋まで、フルコース組めそうです。それから、このあたりの低湿地帯では、水害からの被害を防ぐために屋敷地を土盛りして「水塚」とよばれるものつくったようですね。その水塚にも関心があります。この土地では、「じんぎょう」と呼ばれたようですが、赤羽の周辺のかつての農村地域にはたくさんあったようです(北区飛鳥山博物館の展示で知りました)。その痕跡がまだ、どこかに、残っていないかなあとおもっています。たとえば:
http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/j/5.html
ちょっと今は、動きがなかなかとれない状況ですが、想像するだけで胸がわくわくしてきます!!

川好きonnaさん、こんにちは。「とってもウフフ」ですよね。

>wakkykenさん
そうですよね、かなり以前から、赤羽一帯はぜひ!…という話をしていましたね。その後、超ご多忙になられ、いよいよもって実現が難しくなってきたようですが(^^; ま、いずれ…ですね。昨日は、十条から赤羽まで歩きましたが、居酒屋や屋台に、女性の姿が多いこと…。これもひとつの特徴か?と思いました。
ところで、「水塚」のこと…まったく知りませんでした。これから気をつけて歩くようにします。URLの例が浮間であることからも、おそらく、武蔵野台地の崖下から荒川にかけての低地に多く存在したものでは?と想像します。いや、こうして、何人かが集まって話しをしますと、チェックポイントがどんどん増えて、ますます面白くなってきます(^^;

>この川にご興味をお持ちの方々へ
この付近には、大正から昭和初期にかけて、遊鯉園(ゆうりえん)という川魚料亭が在ったことが知られています(碑もたっています)が、その位置が明記されていません。(ここでも明記しません)が、その位置がはっきり分かりました。いまも、一族の方が土地を所有なさっていて、庭には池があったりします。また、この一帯は、料亭があったことからも想像できるとおり、昔は風光明媚な土地柄だったそうで、三業方面も盛んだった(地元の60代の男性談)…とのことです。

>wakkykenさん、masaさん

赤羽自然観察公園に浮間から移築した旧松澤家住宅がその「水塚」と云う屋敷地に造られていたそうです。
質問するとボランティアのオジイチャンが丁寧に説明してくれます。裏の物置小屋には洪水対策用の舟も保存されています。やはり岩淵水門の荒川知水資料館(amoa)とセットで見学すると、水害の様子とかも分かります。

>iGaさん
あの移築された家が水塚と縁があったんですか〜。ところで、荒川知水資料館は行っておかなくては…と思っていましたが、これで、どうあっても…という気になりました(^^;

なんと、水塚の上に建っていないけれど....北区浮間4丁目8に水塚商店という酒屋があります。
やっぱり、酒屋のオバチャンの言う事を.....聞かねば...

>iGaさん
やや、なんとなんと…。もしや、あのオバチャン、酒屋どうし、水塚商店から岩淵に嫁いでたりして(^^;(^^;

>この川にご興味をお持ちの方々へ
清水小学校手前でパン店を営む、70過ぎと思われる男性にうかがったところ、「この川を名前で呼んではいなかった。ドブ…」とのこと…。また、小学校手前では「川が2本流れていて」現在白い4階建てマンションが建っているあたりには、「堰があった…」とのことです。う〜ん(^^;
また、昔、この川で、警察官が流されて亡くなったという事件があり、その碑があるらしい…と書きましたが、その後、地元の方にうかがいながら碑を探してみたものの、見つかりません。碑をよく記憶なさっていた方には同行までしていただきましたが、在った…とされる場所に存在せず、どうやら、移動されたか取り払われたか…という感じです。

>どうやら、移動されたか取り払われたか…
う〜む、記憶はどんどん消されてしまいますね。

そういえば、明治13年(1880年)の地図には水車坂と遊鯉園坂の間の谷に昔の東京都のマークみたいな水車の記号がありますね。たぶん水力発電所の記号は水車が変形したものかも、姥ヶ橋から稲付谷に落ちる付近にも水車があったみたいです。流れが急だったという長老の話からしても不自然ではないですね。

>iGaさん
封印された川は人々の記憶のなかにしか存在しない…のに、その記憶も…ですよね〜。JEDIの踏ん張りどころでしょうか?(^^;
明治の地図での水車の確認…ありがとうございます。とにかく、この川の流れがかなり強かった…のは間違いなさそうですね。



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