ちいさなひろば

| コメント(23)
今日の写真も、先日来歩きまわっている、十条から赤羽にかけての凸凹地帯のなかの風景です。

まずは、この場所の状況説明です。先日、この辺りをダイブなさった近隣ブロガーの目をクギ付けにした...という、いわくつきの変則十字路です。 確かに、かなり変わっています。そして、上空からの写真で分かるように、この十字路に面した家は、いずれも、角を削ったカタチをしています。それが、この十字路を、通常のそれよりもかなり広くしているのでしょうが、現地に立ってみると、実際に増えた面積以上に、この十字路を広々と感じさせていることが分かります。

そんなことから、ここを通りかかった途端、「昔は子供たちの遊び場...ひろば...だったに違いない」と思った次第です。
それは、その通りで、かつては、ここで子供たちが野球をしたりしたばかりか、この町会の盆踊りまでこの十字路でやった...という話を、この十字路にある家にお住まいの古老にうかがいました。あ、そうそう、しかも、この一帯の道路は、この十字路を含め、私道...なのだそうです。これにもビックリでした。

いまでは、この十字路の少し先に、土地の凸凹を利用し、これが無料かい!?と驚くような滑り台まである、素晴らしい清水坂公園が完成していますが、そちらは、なにかとってつけたようです...。遊びやすいのかな? こういった、何でもない、ただのひろば...が良いんですよね。しかも、なんてったって、こちらには、この時間でも、町会の目ってものがありますしね...。

【場所】北区十条仲原3丁目あたりです。

コメント(23)

たびたびお邪魔します。ここに似た「あれっ?」というような十字路というか五叉路のようなところが本郷にもあったように記憶するのですが…(本郷関係はエントリーが多すぎてこちらに既出かどうかはチェックしていません)。こちらは私道なんですね。本郷の方は「もしかして昔、路面電車がぐるっと回っていたところだったんだろうか?」と思ったのですが。

>薫風さん
たびたび…などと仰らず、ぜひ何度でも…です(^^;
仰ってます本郷の交差点は、宮前と呼ばれる場所で、元は神社(映世神社)の境内だったようです。その名残で、妙な形をした広場が残ったようです。以下に関連URLを貼っておきます:

http://kai-wai.jp/2004/12/post-234.html
http://kai-wai.jp/2004/11/post-215.html
http://kai-wai.jp/2004/05/post-34.html

http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=35.70965616&lon=139.76136078&sc=2&mode=map&pointer=on&home=on&hlat=35.70524889&hlon=139.76354194

この時刻の写真ですと、中央に櫓を組んで、提灯を吊り、浴衣で踊る光景が見えてきます(^^;
ところで、この変形十字路の西、80mほどの処にも手打ち野球をするのに好都合な5叉路があるようですね(iGaさんのルート図を拝見するとmasaさんとお二人のときに通っておられるようですが)。
さらに其処から南西へ、これまた80mほどでもうひとつ5叉路があるようですから、かつては彼方此方から子供たちの歓声が聞こえていたのかも知れませんね。

その、もう一つの5叉路の角に椅子を出して御歳を召した御婦人が座っていました。すると、対面の角から同世代の御婦人か近付いてなにやら世間話をしている様子。彼女達が子育てに夢中だった頃、大声で子供達を叱っていたことでしょうね。『いつまで、遊んでるんの!もうご飯だよ!!早くしなさい!!』『キヨシ!父ちゃんが帰ってきたから、一緒にお風呂に行ってきなさい!!』
子供たちの歓声だけじゃなく、逞しい下町の母ちゃんの声も聴こえてくるようです。

さっそく疑問への回答(?)ありがとうございます。今度この知識を携えて行ってみます。それにしても三層重ね地図、高いけど欲しいですね。

>M.Niijimaさん
Niijimaさんの目にも映りましたか〜(^^; なんとなく、Niijimaさんとすれ違いを演じた佃島の盆踊りのような感覚を感じませんか? ああいったスケールってやはり良いですよね。
ところで、この一帯にはほんとに5叉路が多いですね。都内で5叉路といいますと、千束・浅草あたりにも多いですが、あれは吉原の一画が角度を斜めにふってつくられたため…と言われていますよね。そのように、ここにも何か理由がるのか…気になるところです。もしや、この一帯の道が私道ということなども、何やら絡んでいるような気もしますね。とにかく、クルマが少なかった頃は、子供の天国だったように思います。しかし、十条・赤羽は、ぜひご一緒したいですね!

>iGaさん
代返(^^;していただき、ありがとうございます。しかし、あの5叉路も雰囲気ありましたね〜。まさにiGaさんが書いていらっしゃるような光景が目に浮かぶ交差点なのに、一画には、民家を改装したカラオケスナックがあったりもして…。ベーハ風長屋(^^;も気になりますし、あのとき撮った写真もアップしようか?なんて思っています。

>薫風さん
看板娘のいたたばこ屋さんの建物はもう取り壊されていますが、あの一画はまだ雰囲気があります。ぜひぜひいらしてみてください。ついで…ですが、その近くの「万定[まんさだ]フルーツパーラー」や新宿中村屋発祥の地「こゝろ」などもぜひ!です。

http://kai-wai.jp/2005/09/coffee.html

masaさん、iGaさん、
もうひとつの5叉路について教えてくださり、ありがとうございました。
近くに長屋もあるのですか! 暑い日にはお年寄りたちが縁台をだして浴衣で夕涼み、なんて光景が浮かんできます。(昨今の暑さは夕涼みていどでは...ですが)

ひろばは仰るとおり、その面積から佃の盆踊りをする場所を想起させますね。

変形十字路と2つの5叉路を結んでゆくと台形ができあがるのが興味深いです。そして、そんな道はないのですが、平行していない辺を北のほうに延ばしてゆくと(清水谷公園の台地側に沿った道の西の方にぶつかり)三角形の頂点に。
妄想しすぎですが(^^; こちらも是非ご一緒できれば、再ダイブにお伴いたします。

>M.Niijimaさん
早速お返事いただき、ありがとうございます。そうなんです、あの一画は、戸建て中心か…と思っていましたが、長屋や外階段のアパートなどもあり、なかなか下町的風景もありました。高台なのに、おっしゃいますように、低湿地の、縁台+団扇+蚊取り線香…な風景を想わせるところがあります。
地図を眺めていますと、あの台形が気になりますよね。左右の斜めの辺がどうにもわざとらしく見えてきます。最初にあれら交差点の変則ぶりを見たときは、谷戸の道の角度の影響だろう…と想像したのですが、どうもそうではなさそうですし…。なんとも気になります(^^;

御無沙汰しております。
もしかすると既に御存知かもしれませんが、恐らく写真の広場の一帯は、昭和初期に同潤会が造った十条普通住宅という計画的住宅団地です。
同潤会は鉄筋コンクリートアパートだけでなく、木造長屋風の2階家などで構成された住宅団地を各地に造っていました。
二つの広場(街角広場)の間は商店街で、域内には児童公園、管理棟などもあったとか。
よく見ると現在でも当時の建物(増築はされてますが)をいくつか見つけることができます。
またこの近くの、赤羽西4丁目、西が丘1丁目の高台の住宅地の方は、同潤会分譲住宅として区画された場所です。
こちらもきれいなカーブを描いたセンター道路とか、規則正しいグリッド状宅地などの特徴を持っています。
ネタばらしみたいですみませんが、同潤会の木造住宅地は、RCアパートとはまた別の魅力を持っているなといつも思います。

>asabataさん
こんばんわ。疑問を解消してくださいまして、ありがとうございます。あの、台形を骨格にしたスッキリとした道路の存在理由がわかり、実にスッキリしました。また、北耕地川の流れる谷戸の向こう側の台地(西が丘)になりますと、やはり計画的に道路を通した区画がありますが、こちら側の台地(十条仲原)とは、まちの様子がクッキリ違っています。まさに、山の手と下町の違いがあるように感じていました。その辺りの理由も、これで納得です。
とりあえず、「十条普通住宅」でGoogle検索などしてみましたが、参考になりますのは、asabataさんのブログの記事のみ…という状態でした。貴重な情報を、大変ありがとうございました。

再度おじゃまさせて頂きます。
確かに普通住宅の方の情報はWEB上には少ないようですね。
再確認してみたら十條の貸付開始は大正14年でした。
ちなみに参考図書は以下です。

「東京人」都市出版、1997年4月号 No.115
「集合住宅団地の変遷」佐藤滋著、鹿島出版会発行、1989
両方ともちょっと古いので入手しにくいかもしれませんが、都内各所の同潤会住宅地のリストや、一部団地の配置図、昔の写真などが掲載されています。
御関心がおありでしたら図書館などでぜひ・・・。

>asabataさん
参考図書を含む情報の追加提供を、大変ありがとうございます。「東京人(同潤会アパート特集)」のほうは、手頃な価格の本がネットで見つかりましたので、早速注文いたしました。が、「集合住宅団地の変遷」のほうは、ちょっと値が張りすぎますので、図書館で…ということにしました。
この一帯は、もう一度、近隣ブロガーの方々とともに歩こうと思っていましたので、そういう意味でも、有用な資料になります。重ねてありがとうございました。

なるほど、そーゆーことでしたか。どこかで、大震災の後、低湿地から台地に移り住むようになったと云う記述を読みましたが、そこに同潤会が関与していたと云う訳ですね。賃貸と分譲の格差が、下町的雰囲気とあのプチ成城風住宅地の違いでもあったのですね。腑に落ちましたです。残念ながら「東京人(同潤会アパート特集)」は立ち読みで済ましたようで、手元にありませんでした。

そういえば、隣が空き地となって界壁がブルートタンになっていた玄関前に大銀杏のある家は同潤会のティストがありましたですね。

>iGaさん
実にな〜るほど…でしたね〜。で、大正14年に貸付開始…ということは、とりもなおさず、大震災の後、低湿地から台地へ…の一環だったのですね。いや、読めてきました(^^; こうなりますと、次回ダイブ時には、ぜひasabataさんにもご参加いただきたくなってきます。
ところで、あのブルートタン物件にそれらしいテイストがあるわけですか〜。僕は、どれがどれなんだか…ですので(^^; その辺りも、次回にぜひ!です。あ、それから、別便での資料…ありがとうございました!

昼に早速、近所の図書館で「集合住宅団地の変遷/佐藤滋著/鹿島出版会/1989」を借りてきました。
飯中にちらちらとページをめくっていましたら、国土地理院蔵の昭和11年に陸軍が撮影した空撮写真があり(p43)、十条のそれにはしっかりと、あの台形が写っておりました。
おー! っと、台形を見てこんなにコーフンするとは思いませんでした。
そして「東京人」のほうも古書店に注文しましたです。
情報をお寄せいただいたasabata様には感謝です。

>M.Niijimaさん
おお〜もう「集合住宅団地の変遷」を手になさいましたか〜。ハヤ!(^^; 僕も文京区の図書館のサイトで検索しましたが、見当たらないような…。まさかと思うのですが…。
ところで、もしや、空撮の写真は、以下URLで閲覧できるものと同じでしょうか…。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M470&photono=11

いや、それにしましても、皆で話していると、いろんな側面を見る機会ができて、面白いですね。そして、次回が早まってきたような気も…(^^;

示していただいた国土変遷アーカイブのサイトは「集合住宅団地の変遷」での写真を見た後に、わたしも気になって当たりました。
本に掲載されたものは昭和11年のものでして、示されたURLのは1947年=昭和22年、米軍の撮影ですね。

例えば台形の南側と環7の間(現在、OKストアや城北信金があるあたり)などは、もっとたくさんの住宅が写っています。昭和22年のものではそう見えないということは戦災で焼けてしまったのかしら? さらに戦災地図と照らし合わせることで見えてくるものもありそうですね。

>M.Niijimaさん
空撮写真、やはりご覧になってましたね。戦災消失区域が表示された地図(昭和21年刊)によると、環7の南側は被災していますが、台形一帯を含め、環7の北側は被災していない…ようです。うぬ、ひと山越えるとまた山…ですね(^^;

『同潤会十八年史』で検索したら、こんな資料がありました。
普通住宅建設の経緯が書かれてます。
「立教経済学研究第60巻第1号2006年戦間期の東京における住宅市場と同潤会」
http://www.rikkyo.ne.jp/grp/eco/paper/images/60_1_10.pdf

そういえば大正10年の地図では環七の南側は市街地化してますが、北側は市街地化されていなかったから震災復興住宅の敷地に適ったのでしょうね。

>iGaさん
これまた貴重な情報をありがとうございます。この辺りも「比較的便利ニシテ且借地料ノ低廉ナル敷地」 という条件にあてはまって用地となったようですが、同潤会によって"借地"された…とあります。また、これら賃貸住宅の人気がいまひとつだったとの記述があることも考えますと、同潤会による開発後の展開も、これまた紆余曲折ありそうですね。



ninepeace.jpg




月別アーカイブ(Archives)



写 真 集


おすすめ




おことわり

エントリー、コメント、トラックバックにつきましては、管理者の判断により削除させていただく場合があります。予めご了承ください。
Powered by Movable Type 4.22-ja





copyright © 2004-2017 masa