新景・南千住

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昨日、初めてお会いする方があり、名刺交換すると、そこに荒川区南千住...の文字が...。これには反応してしまいまして、このエントリーになりました(^^;

南千住...といいますと、どうしても、駅の南側に広がる湿地...日本堤あたりを頭に描きますが、北東の隅田川沿いでは、鉄道の操車場跡地の再開発やつくばエキスプレスの開通などにより、南千住という語の響きからは想像もできないような風景が出現しています。

この写真に写っているのは、その、駅の北東側にひろがる一帯(南千住4丁目)の風景です。そこには、こうして、巨大な超高層マンションが林立しています。その風景を目の当たりにすると、都心に近いこの場所で、これだけの敷地です。いったいどんな経緯でそれが生まれたのか?...が気になります。

そこで、江戸明治東京重ね地図などを参照してみると、以下のような変遷が見てとれました。
左から...明治40年(1907年)前後...昭和21年(1946年)頃...平成16年(2004年)以前...平成21年(2009年)現在...の地図です。



明治の地図をご覧になれば、江戸期の様子はおよそ想像がつきますので、それは省略し、最近の大変化を見るため、平成に入ってからの地図を2点並べてみました。

この場所は、隅田川が大きく進路を変える位置になりますが、どうやら、水運と陸運の交わる地...であったようです。いまでも、その名残のように、貨物専用の隅田川駅が存在します。...といった素性の土地なんですね、この一帯は...。ちょっと分かったぞ...という感じです(^^; こうしてみると、駅の南側もさることながら、北東側もなかなか興味深いものがありますね。

【追記】昭和21年頃の地図を追加しました。
【場所】荒川区南千住4丁目あたりです。

コメント(39)

えっ、masaさんがこんな時間にエントリー?
体調は、いかがですか?身体のために昼型に移行なのでしょうか、それもいいね。
ところで、こんなところだったとは、恥ずかしながら知りませんでした。
いまも明治の地形のままだったら、ここは素敵なところになっていたでしょう。
もしかすると千住の「千」は、昔は「船」だったのではないかと想像したくなります。

失礼しました。
このところのエントリーを見返してみたら
ずいぶん前からmasaさんはこんな時間にエントリーするようになっていたんですね。
時間を見ていませんでした。

>玉井さん
コメントをありがとうございます。エントリーの時間ですが、いつもならカメラを持ってまちに出ている時間なのに家に居る…という期間がけっこう長く、だからといって、安静にしているという状態でもない…ということで、ついそんなパターンになっていました。しかし、帯状疱疹とやら、まだ痛みが残っていたりします。でも、もうリハビリを…なんて思っています。

ところで、南千住ですが、僕も、昨夜地図を見るまで、昔の状態を全く知りませんでした。なので、少なからず驚いてしまいました。昭和20年頃の地図(戦災地図)ですと、運河がもっと運河らしく切られていまして、貨車から貨物船(orその逆)への荷物の積み卸しが実に便利にできそうです。その地図もスキャンしてアップすべきでした…。
しかし、仰いますように、明治の地図の状態を今日まで維持できていたら、ほんとうにさぞかし…と思えてなりません。

masaさん、こんばんは。
南千住と聞けば「大林」と思わず言ってしまうように、もう条件反射のようになっているわけなんですが、こちらの方面は、ぜんぜんわかっていませんでした。明治時代の地図、もうジュクジュク、ビチャビチャと音がしそうなくらいの低湿地帯ですね。いろんなところに、水郷地帯のように「水の世界」があります。第一、土地の名前が「汐入」ですものね。いや~まいりました。それが平成にはいると、すっかり乾いた土地になっています(まあ、あたりまえなんですが…(^^;;)。しかし、ひょっとしてですが、むしろ驚くべきは、エントリーの本文にもお書きになっているように平成にはいってからなのかもしれません。カーブを描く南千住8丁目のあたりが、5年でスッキリ・クッキリになってしまっています!!こういうスッキリ・クッキリはな~…。

masaさん、こんばんは。
ここは汐入の再開発地域ですね。

昭和38年のこの地域の航空写真を見ると、陸地に入り込んだ運河に艀(はしけ)と筏(いかだ)のようなものが浮かんでいるのが見えます。川沿いには、地上に上がっている船もあり、これは造船所かもしれません。運河には数本の橋が架かっていますが、隅田川側には橋が一本もなく、昔は陸の孤島で不便だったのではと・・・当時の様子をいろいろ想像してしまいます。

ところで体調が回復されましたら本郷あたりでミーティングでも、最近みつけた資料を持っていきます。

>wakkykenさん
こんばんわ。先日は、大変な強行軍でお疲れさまでした。が、最近のwakkykenさんにとっては、あの程度はもう日常的なようでもありますね(^^;
それはそうと、南千住は大林だけではありませんでした(^^; こちら側には、つい足を伸ばさないのですが、やはり歩いてみるものですね。ここでこんな大規模な再開発が行われたことを初めて知りました。ここでも、おそらくは、小松川で行われた大再開発級の景色が見られたに違いないと想像しています。しかし、ほんとに、ここ5年でこの変化です。5年と言いますと、長いようでもありますが、ついこの間です。その時期に、こんな都心に近い場所で…と、ちょっと口アングリ状態です(^^; んでもって、そうなんですよ、何もかもクッキリスッキリしちゃいます(^^;

>じんた堂さん
こんばんわ。先日は、ご迷惑をおかけいたしました。が、ボチボチと、外に出はじめました。ところで、この一帯は、いまでこそ「陸だい!」という顔をしていますが、汐入…というように、半分水に浸かったような湿地だったのですね。かなり興味深い土地だと思うのですが、あまり注目を浴びていなかったことの理由のひとつは、鉄道という公的機関が凸部に封をした状態にあり、つい最近まで、一般人の関心が届かなかったのでは?と想像しています。
ミーティングにつきましては、また連絡させていただきます! よろしくお願いいたします。

名刺交換した者です(^^;)
お会いした翌日に、masaさんによる南千住の記事を見ることができて、ビックリ&感無量です!

「鉄道という公的機関が凸部に封をした状態」というのは、まさにそのとおりで、現在でも偶然迷い込んで入ってしまうことがほとんどないエリアだと思います。地図を見てもわかりますが、2006年までは千住汐入大橋もありませんでしたし、泪橋方面に行くには、陸橋を渡る必要がありますし。

今日の写真は、その貨物駅が前景にあるために、わりと下の階から高層マンションがスコーンと見える、南千住汐入ならではの写真で、このアングルから撮影されるとは、さすが…!と思いました。

>uxoさん
こちらにご登場いただき、ありがとうございます! まさかコメントいただけようとは思っていませんでしたので、たいへん嬉しいです。また、UXOさんにお会いしていなければ、この写真は、お蔵入りしていたかも(^^;です。エントリーのきっかけをつくっていただきました。
ところで、地図をアップしておきながら、気づきませんでしたが、千住汐入大橋もごく最近架かったものだったのですね。この橋を使えば、千住から堀切菖蒲園あたり(青木書店さん)まではひとっ飛びですね(^^;
つくばエキスプレスの駅ができて、駅周辺で、また大規模な再開発が行われているようですが、その様子からしても、この一帯は、まだまだ大きく変化しそうですね。ちょっと恐ろしい気さえします(^^;
このときの僕の立ち位置ですが、ご指摘のように、この位置からですと、高層マンションが、ドドーンと地中(沼地(^^;)にめり込んでいる感じがして、おおっと気になって撮りました。
この辺り、このエントリーをしてから、より強く興味を感じるようになりました。また、地元の方ならでは…のお話など、ぜひ伺いたいと思います。これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。

今でも汐入地区は分断されていて入る道路がないですね。昨秋、コレジオの公開講座で講師の松田先生、芳賀さんらと歩きましたが近年整備された南千住駅からのドナウ通りを入れてもわずか三本の入路。
荒川区内でもちょっと異界な世界の雰囲気がありました。
大きな工場の跡地などは一時、警察や消防のの練習地とか交通講習の会場となったり、その後公共的住宅の建設から始まり数十年がかりで今の姿にと変化していきました。
再開発の理由は対岸の隅田防災地区と同じらしいのですが墨田区と違ってスーパー堤防辺りは公園化されています。今のところはブルーテントはまだのよう。
昭和40年代に天然ガス化されるまでは明治通り沿いは大きなタンクで城壁のように守られているように見えました。石炭なども水路で運ばれていたのでしょうか?再開発で消えゆく汐入の写真を撮っている方も多かったですが今やすっかり昔の風景はなくなってしまいました。

またまた失礼します(笑)。

上京してすぐの頃は、月島や佃で高層マンションが建つ風景を見て「東京ってすごいなー」と単純に面白く思いましたが、最近は同じような風景がそこかしこに……。今の東京が江戸の頃のような水の都だったら、私たちはもっとゆったりとした時を過ごせていたかもしれませんね(笑)。

そういえば南千住の大林!少し前にMが飲みに行ってごきげんで帰ってきました。
私は近くの「バッハ珈琲」の大ファンです。ご存知ですか?コーヒーも美味しいんですけど、接客がものすごく丁寧で気持ちのいいお店です。山谷という場所とのギャップがなんとも不思議です。

 今回は歌詞は無しで謎掛けです。何故「千住」と言うのでしょう?「千手」観音と関係あるのですか?以前から不思議な地名だと思っていました。(^^#)

>真理子さん
こんにちわ。コレジオの公開講座…なんて目にしますと、もしや『川の地図辞典』出版記念ウォークでお目にかかっているのでは?と思い、ドキン!(^^;としています。
それにしましても、この凸部は、仰いますように、特異な雰囲気…ちょっと陰で湿(^^;…一種隠密的(^^;とでも言えるような匂いを感じます。
僕は、この辺りの再開発風景はまったく見ていませんので、当時の様子を記してくださいまして、ありがとうございます。川沿いはまだ歩いていませんので、次回、堤防のほうに足を伸ばしてみます。ブルーテントはまだ…とのことですが、南千住のドヤがお洒落な外国人用宿に変身しますと、これから増えるのは必至のようにも思われますね…。
ところで、火力発電と言えば、もっと上流ではありますが、千住のおばけ煙突で有名な発電所がありましたね。あれは船で石炭を運びやすいからあの位置に建設された…と聞いた憶えがあります。しかし、もういちど水運を考える時期にあるように思えてなりません。

>かんからsan
もうそう仰らずに、常駐なさってくだしましな(^^; なんせご近所さんですから…。
ところで、もう仰る通りです、玉井さんが最初に書いていらっしゃいますが、明治の地図の状態で、いま残っていたら、これはもう、観光客をさばくのが大変…という状況が目に浮かびます(^^; そこの水縁りにお茶屋をつくって、Mさんが番頭でかんからsanが女将…という図も素敵ですね。じゃないか?(^^;
僕は、呑めないのに大林には行っていますが、珈琲好きにもかかわらずバッハはまだ未踏なんです…。これはもう絶対に行っておかねば!と思っています。らい→バッハ→大林→(長徳さんのマネをして、南千住からバスで)→八重洲→本郷…なんてコースも良いですね(^^;(^^;

>FKSnoopyさん
そういえば、地名の由来って何だろう?と思いながらも、意外とチェックするまでには至らないことが多いですね。
千住につきましては、『勝專寺の寺伝によれば、1327年(嘉暦2年)に新井図書政次が荒川で網で千手観音像を拾い、この地を千手と呼んだことに由来するという。この像は息子でありこの寺の開基でもある新井兵部政勝によって同寺に移安されたとしている。
他には、足利義政の愛妾千寿の出生地であったからという説や、千葉氏が住んでいたからだという説が知られている。(Wikiより引用)』といったあたりが有力な由来のようですね。

こんばんは、実は千住と言う地名は、どうも千葉氏が住むが
起源と、とある本で読んだ記憶があります。
千手観音が起源なら、それ以前は何んと言ったか?
愛妾は別に当時は今のような本妻以外は不道徳等とは
言わなかったようですが、水害常襲地域の出と言うのは
?を感じます。
こう言う方法軽くmasaさんを、いぢるのも楽しいです。^^;
早く本復して下さい。

 ご無沙汰しております。今春まで息子が航空高専に通っていて、大開発の様を目の当たりしていました。入学に時にはまだ汐入大橋はなく、高専の周りは空き地だらけ。「飛ばせることまで飛ばし放題」のペットボトルロケットを飛ばしたり、学生フォーミュラ大会に出場するとて、学内で爆音のフォーミュラカーを試運転したり、のびのび楽しそうな学校でした。学祭には普段展示室にある航空機を外に出して、飛ばすわけでもないのにエンジンかけたり、学生製作のミニ蒸気機関車が大きな音でミニ線路を1周してました。中庭では、15から20歳ほどの青少年たちによるバンドが朝から夕方までライブ演奏していました。それが、あれよと言う間に橋ができニョキニョキとマンションが建ちあがり、今までなかったご近所から騒音の苦情が舞い込むようになったそうで、昨年は中庭ライブも音量自粛、航空機もなし、模擬店だらけの普っ通の学校祭になっちゃってました。町工場の多い品川と荒川につくられて、地域に溶け込んでいた二つの都立高専は都知事の教育改革で、統合され大学院まである立派な学校になったけど、整備された都立公園とマンションに囲まれてなんだかこどもがかわいそうな気もします。
 並んだ4つの地図、変遷がわかってよいですね。主人が、うちにある昭和13年の地図ももってきて間に入れてみてました。こどものころから冒険好きで、あちこちで歩いていただんなも、「あそこらへんは、いっぺんも行ったことなかった。なーんにもない荒野で、『秘境』だと思っていた。」と言っていました。
 masaさん、無理せずゆっくり元気になって、また遊びにきてくださいね。

>FKSnoopyさん
そうですね…言われてみますと、あれ?と思わざるをえない由来も多いことですね。
いっそ、
■先住民の郷だった
■舟で充ちていた
■cenという人が住んでいた
などと勝手な由来を書いておくと、Google検索でヒットした人達が、盲目的に信じてくれるかもしれませんね(^^;(^^;

>ユーコさん
こんばんわ。こちらこそ、たいへんご無沙汰ばかりで、申しわけありません。
書いていただいた文章を目で追っていますと、あの辺りの、当時の様子が目に浮かんできます。頭のなかのスクリーンに、ちょっと色褪せた8ミリフィルムが映写されているように…です。そう昔のことでもないのに、なぜかやたらと懐かしい風景を見るようで、また、時代は異なるのに、自分の子供の頃のことと重なってしまって、なんだか泣けてくる感じです。"学識と分別のある"大人たちが、親身になったような面をして、子供や青年の翼を切り取ったり抜いたりすることは、もう止めさせなくては…と、つくづく感じさせられます。ユーコさんとご主人…ほんとに素敵な感性をしていらっしゃいます…。つくづくそう思います…。またブラリと立ち寄らせてください!

そうなんです、逆に言うと、橋ができるまでは、北千住の東側、堀切などは、じっさいの距離より遠く感じていました。汐入公園の大部分も橋と同時に開園だったので、それまでは、かなりドン詰まり感があったと思います。このあたりの変化は、google earthで2005年と2006年を比較してみると、何となく感じられるかと思います。

南千住駅の西側は高層マンション建設中ですが、もう取り壊すところは壊されてしまいましたし、汐入地区では今春完成したマンションが最後らしいので、大規模な景観の変化は一段落の気もします。もし貨物駅のはじにあるセメントサイロが取り壊しになると、かなり雰囲気が変わると思いますが、取り壊し費用がけっこうかかるそうで、この景気ですから、当面あのままの可能性が高いのではないでしょうか。

ご存じかもしれませんが、隅田川の、千住〜桜橋には水上バスが運行されているときがあります。便数が少ないのですが、時間が合えば、千住〜桜橋の水上バスに乗り、山谷堀跡を歩くなんていうルートも面白いかと思います。
http://www.tokyo-park.or.jp/waterbus/course/index.html

嬉しくて長文になってしまいました(^^;)
昨年サーバを移転されたあたりで一時見失っていましたが、また定期的に拝見させて頂きますので、よろしくお願いいたします。

>uxoさん
再登板(^^;してくださいまして、ありがとうございます。Google Earthは結構好きなのに、ここに地図を並べたらそれで安心してしまったのか、見ていませんでした。すぐに起動して過去の様子も眺めてきました。いや、やはり、地図では表現しきれない、写真ならでは…という側面もありますね。しかも、現在の地図を見ただけでは、誤解していた部分もありました。お陰さまで…この地区の現状を、より正確に把握することができました。

大様変わりしたこの地区も、そろそろ、これで一旦…というところなんですね。しかし、これだけの大変化…しかも、日々の生活という観点からすると、きわめて長期にわたる工事だったでしょうから、住民の方々は、ほんとにホッという感じでしょうね。

水上バスですが、そのコースは乗船したことがありません。が、山谷堀は、その上流 (音無川)側から跡を辿ったことがあります。とにかく、荒川区東部から台東区、隅田川を挟んでその対岸あたりは、とにかく興味深い土地だとは思っていましたが、今回、荒川区東部は東部でも、北端が仲間入りしてきました(^^;

遠出して高速で夜あのあたりを通ると「嗚呼、帰って来たなあ」という感じがするんですが、ここしばらくどんどんキラキラ度というかギラギラ度が増してきたような気がしていましたが、こうやって地図で見て、みなさんのコメントを読んでそうだったのかあ、としみじみ納得しました。
高速を降りてこの近くに住む友人のところに遊びに行ってこようと思いました。

■cenという人が住んでいた・・・かもしれませんな。なんか一人ツボっております。

お邪魔いたします。masaさん、体調の方はいかがでしょうか? 水族館でお会いするのを楽しみしています。
南千住といえば、私も駅の南側、日本堤の周辺くらいにしか行ったことはないです。それでも、たまにこの辺りに来るたびに、エントリに書かれているようなタワー・マンションなど再開発の光景と、日本堤あたりの風景とのギャップに驚かされます。
そういえば上でKが書いていましたが、大林酒場、いいですよね。そのままで映画のセットにもなりそうな店内もさることながら、あのハードボイルド!な雰囲気がなんとも。周辺とのギャップ、という意味なら、この大林にも言えるかもしれません。
ぜひ一度、バッハ珈琲も組み入れたツアーを敢行したいですね。

山谷堀は、masaさんのblogの記事がきっかけで歩いてみたのかもしれません(^^;)

荒川区東部北端、という形容で、この場所の地形をあらためて感じました。この場所を抜けると、足立区、墨田区、台東区のいずれかになるという、ちょっと変わった場所でもありますね。

三ノ輪の荒川区と墨田区が接したエリアは、区界が入り組んでいて、地図を見ていると別の意味で興味深い気がします。これは、かつての日本堤などが関係しているんでしょうかね。…と、これまた、masaさんのblogで仕入れた知識だったかもしれませんが、だとしたら、蛇足ということでご容赦くださいませ。

>らくsan
あ、その感覚わかります。羽田からモノレールに乗っていると、左手に、ビルの間から東京タワーが見えるとそんな感覚になりますが、汐留あたりのギラギラ度に、同様に驚きます。汐留だって、ここと同じような茫漠とした操車場跡でしたね…考えてみれば…。
しかし、この一帯の昔の情景を書いてくださった文章を追っていますと、ほんとにジーンとしてきます。

■cenという人は、きっと、Kang-8-2-4を唄っていたに違いありまcen(^^;

>M@古本Tさん
こんにちわ。体調はだいぶ良くなってきています。が、まだ無理は禁物だよ…年齢的にもね!(^^;ということのようです(^^; ま、そうなのかも…と、納得せざるをえません(^^;
ところで、あの媚びや意識とは一切無縁の大林って、良いですよね〜。僕は下戸なんですが、あそこの雰囲気になんとも惹かれ、夕飯のためだけに行くことがあります(^^; あのおやじさんが、顔色も変えず、淡々と注文した品を運んでくださって…。それを無言でモクモクと食って…。良い感じです(^^;
とにかく、少し調子が良くなりましたら、ぜひ、ツアーに同行させてください。いやもう、楽しみにしてますので…。

>uxoさん
まさか拙ブログの記事が…ということもないと思いますが、そう錯覚していただけるだけでも光栄です!(^^;
僕も今回、この荒川区東部北端の凸部を何度も地図で眺める機会をもちましたが、ほんとに仰る通りですね。足立区と墨田区の懐に入るような形で突き出していて、そちら側に移り、ちょっと行ったところでまた見える川の向こうはもう葛飾区! で、台東区は地続きですぐ隣り…ときています。一歩間違えると、この凸部は、足立か墨田に組み込まれていた可能性だってありますよね。なんとも興味深い土地ですよね〜。それに改めて気づきました。
ところで、三ノ輪あたりの区界が複雑なのは、くねって流れていた音無川が区界になっていたから…だったと思います。

いや、ほんとうに、一時期ずいぶんとmasaさんのブログをテキストに町歩きをさせて頂いておりまして…

音無川のお話ありがとうございます。音無川関連でいろいろと検索していたら、アースダイビング関連の記事を見つけまして、山谷堀も三ノ輪橋付近の話も、masaさんの記事をきっかけに興味を持ったことを思い出しました。その話をペラペラと書きまして、釈迦に説法もいいところですね、お恥ずかしい限りです(^^;)

以前拝見したときは気づかなかったのですが、「第4回アースダイビング」の【下段左】の写真、この場所を知ってから見ると、ものすごく味わい深い写真ですね。
http://kai-wai.jp/2006/11/post-784.html#more

>uxoさん
いえとんでもない…。もう僕の記憶装置は、保存期間がほんとに短くなってきてまして(^^; UXOさんのお話が新鮮なこと…(^^; もうかなりイケません(^^;
でも、写真について仰ること…分かります。路上で光る部分が構図上の効果だけではないことが…といった部分ですよね。そうしたところに興味が行くようになると見える…という部分って、ありますよね。それって当然のことながら、町歩きにも言えることですから、町って歩けば歩くほど興味深いものになってきますね。
いやもう、いずれお誘いせねば!なんて思っていますので、宜しくお願いいたします。

遅れてきたのでこっそりコメントですー。
都内引込み線ウォッチャーです。6、7年前に大型スーパーの出店予定地区調べていたら、ことごとく貨物の引込み線だったので、気にしているのです(小名木川など)。南千住の引込み線は、ちばてつやのマンガ(ハリスの旋風など)によく出てくる気がします。
南千住は実用でたびたび利用しますが、どの出口にいても緊張します。
帯状疱疹は、消えてからも神経痛が残ったりするので、くれぐれもお大事になさってくださいね。

>braryさん
こんばんわ。引き込み線ウォッチャー…なるほど…北上野の地下鉄引き込み線も、その線(^^;だったのですね! 都内でも、意外なところで引き込み線を目にしたりしますが、きちんとチェックすると相当な数があったりするのでしょうね。この南千住の引き込み線は、山(谷)にも近く、線路の先が川…というところが、劇画の舞台にもなりうるとこなんでしょうか…。しかし、いろんな切り口があるものですね〜(^^;
ところで、帯状疱疹は、確かに神経痛が残りますね。いまは、ビタミンB12だけを飲んでいます(^^;

路上で光る部分もジンと来ますし、その向こうに見えるコーヒーハウスレオは、荒木経惟氏の写真によく登場していた写真的名所?でもありますね。画面に写っていませんが、この右手には…というふうに、いくつもの物語がほのかな光のもとに層をなしていて、ほんとうに見飽きません。と、私がペラペラ書くのは、控え目なこの写真に対して、無粋な蛇足というものですが(^^;)

町などについて何か面白い話をできるわけではないので、心苦しいのですが、お近くを散策のさいなどに、お声をかけていただければ、Kai-Waiファンとしてとても嬉しいです!

>uxoさん
コーヒーハウスレオについては意識が行っていましたが、荒木さんの写真に登場していたとは知りませんでした〜(^^; いや、もう、ブログをやっていますと、良いことが多いですが、一方で、不勉強や無知もバレバレになってしまいます(^^;
今回採り上げてくださった写真ですが、あれは多人数で歩いていたときにササッと撮ったもので、いずれまた撮り直さねば…と思っていたのに、それを忘れていました。よくぞ思い出させてくださいました。ありがとうございます。

荒木氏の写真とは、生家の下駄や近辺を撮った一連のもので、写真的名所なんて書いてしまいましたが、これは私が、どこなんだろう?というミーハー的な興味でこの場所に行ってみたから気づいたのかもしれません(^^;)

このあたりは昔の景色とかなり変わってしまっているのですが、レオという喫茶店だけが昔と同じ場所にあるのです。あとは公衆便所も昔からあるのですが、公衆便所はどこにでもありますから…。なので、レオと公衆便所を目印に昔の荒木氏の写真を見ると、位置関係がわかってけっこう面白いのです。

>uxoさん
考えてみれば、uxoさんは写真に関してもお詳しいわけですよね(^^; 荒木さんが三ノ輪の生まれであったり、「さっちん」が(確か)その地にあった団地で撮影された…などは憶えていましたが、生家があったのがあの近所というのはうかつにもチェックすらしていませんでした(^^; ま、それらに加えて、あの地点は、川の分岐点であり、そこに浄閑寺が在る…という、興味深い場所ですよね。

 汐入は、再開発がはじまるちょっと前くらいに『朝日ジャーナル』がしばらく作家性の高いフォトルポの連載をやっていたことがあります。ちらっとそれを見かけて興味を持ち、暇なときに幾度か(いや、十回以上か)、散歩にいきました。当時は写真を撮る習慣がなかったので一枚も撮影していないのが残念です。
 もうなんていうの。車なんか絶対にはいれない細い路地が網目のように広がっている実に独特な場所でした。独特っていうか、昔の都市集落ってこういう感じだったんだろうなあ、だけどもうないよなあ、という感じの場所だったわけです。んでその細い路地にお店が点在してたりしてね。
 再開発直前くらいだったか、NHKの『新日本紀行』で滅び行くコミュニティみたいな切り口の番組を流してました。最近オンデマンドとかがんばってやってますから、もしかすっと探せば見ることができるかもしれません。

>猫が好き♪さん
こんばんわ。僕は、残念ながら、この土地を再開発以前に歩いたことがありません。なんとなく、やはり大規模再開発された小松川あたりと様子が似ていたのでは?と想像していましたが、猫が好き♪さんの記述にからすると、もっと濃密な空間だったのかな...という感じですね。写真を撮っていらっしゃらないとのこと...残念です...。
が、朝日ジャーナルにルポが掲載されていた...ということですから、どこか図書館で、そちらをあたってみるのも手ですね。号を特定するのがかなり大変そうですが(^^;
ご無沙汰ばかりですが、コメントをありがとうございました!

 おれが汐入に通っていた時期は、たぶんという程度の精度ですが、1987~1995年くらいじゃないかと思います(おれはこの期間に赤坂の会社に勤務していた。バイクで通勤する帰りに散歩してたはず)。朝日ジャーナルは1992年に休刊していますので、その記事は、そういうわけで1986~1992年あたりの間のどこかではないかと思う。おれも改めてあの記事を読み直してみたいので、ちょっと調べてみます。でもまあ、さほど優先順位は高くないので、突き止められるかどうかは微妙。
 改めて記録をさぐってみたところ、2001年7月29日に再訪していますが、この時はもうほとんど家並は払われてしまった後で、猫の写真しか撮っていなかったりします(ネームリンクにその時にとった猫写真のページを入れておきます)。この猫を撮影した造船所が、NHK『新日本紀行』でも紹介されていた造船所だったりしました。今はどうなっているのだろう。
 この頃はまだフィルムカメラの時代で、なんでもかんでも撮っておくということができる時代じゃなかったんだ。まだ10年は経っていないのですが隔世の感があります。払われた家並のわずかに残された土台の写真も、撮ってあれば貴重な資料になりましたのに。

>猫が好き♪さん
お返事まで...ありがとうございます。87~92年あたりといいますと、僕の場合は、湘南を撮ったり、フリーになったり、海系やストリート系の雑誌などの撮影をしたりと、町どころの騒ぎではない(^^;ながらも、東京に戻り、町が気になりはじめた頃だったように思います。
朝日ジャーナルにつきましては、Googleにちょっとキーワードを入れてみても、さほどヒットしません。やはり図書館で相談...ということになりそうですね。
ところで、アナログ時代はいまほどシャッターが切れない...とよく耳にしますが、僕の場合は...ですが、いまと変わらないくらい切ってましたよ(^^; ま、現在のように、ポラ代わりに切る(^^;ってことはできませんでしたが...(^^;



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