野毛亜細亜景 (3)

| コメント(22)
今日も前エントリーのつづきです。ここは、正確にいうと、野毛の隣りになりますが、イメージ的には、大きく野毛でくくって良いように思います。

ここは、歩けば誰もが目を奪われると思います。ゆるやかにカーブした二階建ての建物が、細かく仕切られ、そのひとつひとつが独立した店になっています。ここは、近くにかかる橋の名にちなんで、都橋商店街と呼ばれています。成立した由来は、同商店街のHPに書いてありますが、「昭和39年(1964年) 東京オリンピック開催に伴い、野毛本通りの街並みを美しくするために、露店・屋台を収納して出来たのが都橋商店街です」とあります。

また、気になる建物のカーブですが、その理由はこちらにあります。このすぐ裏手を流れる大岡川に沿って建てられたがゆえのカーブでした。

ここを歩いたのは、ちょうど梅雨の晴れ間の、蒸し暑い日でした。そのせいもあってか、この、ちょっとヤレた建物と、細かく仕切られた商店と不揃いに突き出したテント、ズラリと並んだ看板、店先で仕事をする靴職人の姿...などがあいまって、まるで亜細亜のどこかに迷い込んだような気分でした。雰囲気あります。ネット検索すると膨大な数の情報にヒットするはずです...。

【場所】横浜市中区宮川町1丁目あたりです。

コメント(22)

こんにちは。
いずれも見応えたっぷりの怒濤の3連発、とくに今日の一枚にはしびれました。
湿気をたっぷり吸い込んで膨れあがった暑熱が画面から漂いでてくるようで、看板の文字をちょっと細工するだけで、台北や香港で撮ったと言っても通用しそうですね。

>Rambler5439さん
こんにちわ。コメントをありがとうございます。東京だけでも広いですが、近郊も加えますと、もう絶望的な広さですね〜。知らない風景だらけで...。しかし、ここは、階段をあがり、2階の廊下に出ると、これがまた別世界です。無くならないうちにぜひ!と思います。

検索して驚きました!
たゆとう流れに添って、寄り添って根付いている「力」と言ったら良いのでしょうか?
靴職人さんの雰囲気♪ 昔の浅草にもありましたね?今ではお目にかかることが少なくなりましたが・・・
大岡川・・・江戸下町「大川」にタイムスリップしそうです(^^♪

>chatnoirさん
検索なさいましたか...。あきれるほどの数がヒットしますよね(^^;
ところで、東京では、まだ靴を含む履物屋さんはいくらか目にしますが、靴職人の作業場といった靴屋さんは見なくなりました。橋場や荒川、西荻で目にしたことがありますが、さすがにともに屋内作業。こうして路上でというのは、露店を別にすれば、ここくらいしか記憶にありません。この商店街は、ほんとに歴史館レベルです(^^;

この履物屋さんは、わたしがウロウロする時間帯にご主人が店の片付けをしていたのを見たことがありますから、かなりの頑張り屋だと思われます。

>M.Niijimaさん
実はこのとき、右手のタクシーの運転手さんと立ち話したのですが、この靴店のご主人は、靴職についてからもう60年になるそうです。その話を聞いたとたん、僕は、この建物も戦後間もなくのものか!と...思ったのですが、それはハズレでした(^^; ともかく、ここに開店する前にすでに相当な経験を積んでいらした...ということですが、見ただけで、頑張って生きてこられたのだろう...と感じさせるものがありますね。

亀米?お許し下さい。この都橋商店街と言う仮名の統合飲屋家屋群、私には地獄土手です。^^;ここに住めば、どうなるか考えただけで嬉しい怖い。(^^#) 幸か不幸か、横浜市内の仕事もしたのですが、何故か此処は知りませんでした。多分仲間達は私が此処を知れば、ヤバイと思ったかも・・・。目的と手段が明快に果たされて、ケレンミが無い。野毛から歩くと15分位は離れているように感じます。大岡川のrに添い家並みがrしている等は素晴らしい。普通は川に支柱を立て、直線にするのでしょうに。それにしても、東京オリンピックに期待した当時の日本人の無垢な心を感じます。仮に2016開催がされるとしても、当時と同じような心になれるのでしょうか?あと、飲み屋街の靴屋さんは以外と見るのです、需要と供給が高目に成立つからです???

>FKSnoopyさん
亀とウサギ関係なく...(^^;コメントをありがとうございます。おっしゃるとおりですね。川沿いの安め(^^;の建物は、とかく川の上まで張り出すものですが、ここはきっちりとした建て方になっていますね。おそらく、大家が横浜市...というのが効いているのではないでしょうか...。意外とお金のかかった建物なのでは?という気がします。そうは見えない(^^;ところが逆に素敵なのですが...。しかし、飲み屋街と靴屋との関係...ちょっと興味深いですね。理由が想像できませんが、実は、この商店街にもう一軒靴屋さんがあります...。

 かつて伊勢佐木町へいくには桜木町から歩いたものですが、米軍に接収されて地域とカーキ色の分厚い布で仕切られた露店がずらぁ〜と並んでいるが混在していたような記憶があります。川というか運河というか、水路にはだるま船が並んでいて、船そのものがドヤになっているものもあった記憶です。
 ルノーのタクシーの初乗りも、ラーメンも40円だった頃の話です。あの川と伊勢佐木町の間には滑走路もあったんですよ。随分昔の話です。

>nsw2072さん
こちらにもコメントをありがとうございます。実は一昨日、伊勢佐木町も歩いてきました。ちょうど有隣堂の地下のギャラリーで、昔の横浜の風景写真(江戸期の地図なども)を展示していましたので、涼みがてら観てきました。戦後の風景を撮ったものも勿論ありまして、仰ってます、ダルマ船に渡り板(橋)を渡しただけのドヤの写真もありました。日野ルノーのタクシー、懐かしいですね。トヨタやダットサンのタクシーよりも料金が安かったと記憶しています。が、よくも40円...ということをご記憶ですね〜。感心してしまいます。
そして、そして、滑走路の話し...勿論初耳です。これはちょっとチェックしなくては...と思います。興味深い情報をありがとうございました。

うわぁ、nsw2072さんのお話しには震えますね!
大岡川の水上ドヤの写真にはわたしも強い印象を与えられました。
ところで(米軍の)滑走路、飛行場があったのは現若葉町だと聞いております。先日は福富から隣の末吉町を通り黄金町へ渡ったので、通過せずでしたね。

>M.Niijimaさん
若葉町...ということは(地図を確認(^^;)、もうすこし南西側ということですね。何か名残でもあるのでしょうか...。

虱潰しに若葉町を歩いたわけではありませんが、現在はもう名残りは見られないのではないでしょうか?
普通に直線の道路ですが(現・長者町7丁目〜若葉町3丁目へ)、周囲も平行して直線が多いところですからね。

滑走路の存在は国土変遷アーカイブ
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/
で確認することができます。横浜市中区伊勢佐木町(あたり)で検索ください。

1947, 1949年の写真からははっきり滑走路を確認できますが、1956年のものではもうなくなっているようです。

 >M.Niijimaさん
 若葉町というところだったのですか。ありがとうございます。
 確か、有隣堂から当時について書かれた本が随分出ていたような気がします。

 話が広がって申し訳ないのですが、有隣堂の『有鄰』バックナンバーの座談会が毎号、とても興味深いです。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back.html
平成13年12月10日第409号、平成11年8月10日第381号の座談会あたりが参考になりそうで、381号にはこんな記述があります。
**
高木 当時の伊勢佐木町はどんな状況でしたか。
篠崎 アメリカ軍の町という印象でした。焼け残っていた大きな建物は全部進駐軍に接収されていた。デパートの野澤屋(今の松坂屋)が事務所、寿(のちの松屋、松坂屋西館)はPX(占領軍用の売店)。ちょっと先の市電の通る交差点の右奥あたり一帯は飛行場になっていて、小型機が発着していた。エア・ストリップと書いてありました。
**
 いかがでしょう?

いつまでもしつこくてすみません。

真ん中ストレートのエントリーをおかきの方を見つけました。
http://isezakiwakaba.hama1.jp/e28216.html

>M.Niijimaさん
お返事が遅くなり、申し訳ありませんでした。米軍飛行場に関する情報をありがとうございました。航空写真で確認してきました。確かに存在しますね〜。いや驚きます。現在、伊勢佐町の商店街(イセザキモールとか言ったでしょうか...)が直線的につづいているあたりが、どうやら滑走路のあった場所のようですね。いや〜、名残りは無くても、そういう興味を持って歩いてみたくなってきました。いずこも深いですね〜(^^;

>nsw2072さん
しつこく...なんて仰らず、ぜひ何度でもおねがいいたします(^^; ストライク情報をありがとうございました。どうやら、伊勢佐木町商店街の通りのもう1or2本大岡川寄りの通りが滑走路だったようですね。次回、ぜひ確認してみようと思います。おかげさまで、思いもよらなかった展開になってきました。ありがとうございます。

 お言葉に甘えてもう一つだけ。
 伊勢佐木町といえば野澤屋というデパートの名前が出てきますが、ここの上にあったデパート食堂が私が生まれて初めてソフト・クリームを食べたところです。当時はデパートに行くのに、「よそ行き」を着てでかけたのが今から考えると初々しいです。接収されていた不二家の上に見える椅子に駐留軍の兵が足を組んで新聞を読んでいるのが大きく見えました。当時の横浜駅西口ときたら砂利の山でした。

>nsw2072さん
いろいろと情報をありがとうございました。
真ん中ストレートのリンク先に(飛行場の)接収解除が昭和25年だったとありますから、1950年代の写真には滑走路の姿が見えないわけですね。

『有鄰』バックナンバーも興味深かかったです。座談会に出席していた常磐とよ子氏の写真エッセイ「危険な毒花(三笠書房版)」は、古書価格が高騰しているため、野毛の中央図書館から借りて読んだものでした。
当時の日ノ出町や真金町遊郭あたりのことが載っています。

>masaさん、
そうですね。現イセザキモールより1本か、おそらくは2本ほど大岡川よりの(ほぼ)直線道路あたりが、元滑走路のようですね。

>nsw2072さん
そうでした...我々がまだ小さい頃は、デパート...というと、お出かけするところでした。食堂のお子様ランチを食べるのがなんとも嬉しかったのを思い出します。しかし、ちょっと野毛を見て...のつもりが、おかげさま(^^;で、沼地にはまってしまった気分です(^^; ありがとうございました。

>M.Niijimaさん
こうなりますと、飛行場関係の資料をもって、もういちど、野毛の先まで脚をのばすことになりそうですね(^^;

そういえば今年の2月くらいに「横浜及川崎」の5mメッシュの数値地図が発売されてますねぇ。
スリバチ地形の根岸競馬場跡も....未だでした。根岸、山手、本牧界隈の台地と谷戸も...興味は尽きません...

>iGaさん
ツボなコメントをありがとうございます。「横浜及川崎」の5mメッシュ、出てますか〜。つい先日、新島さんと「在るかな?」なんて話したばかりでした。ま、そう横浜に突っ込むつもりはないのですが、できたら入手したいですね〜。今度のMacProではカシミールも使えるようになりましたので(^^;



ninepeace.jpg




月別アーカイブ(Archives)



Photo Gallery

写 真 集


おすすめ




おことわり

エントリー、コメント、トラックバックにつきましては、管理者の判断により削除させていただく場合があります。予めご了承ください。
Powered by Movable Type 4.22-ja





copyright © 2004-2017 masa