2009年11月アーカイブ

深川暮色

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このエントリーをアップした日、その帰り道で撮った写真です。

この道は、深川資料館通り(旧江東区役所通り)ですが、面白いことに、この道の左側の住所は三好、右側の住所が白河です。もうひとブロックも行くと深川資料館、そこからもうひとブロック行くと大通り(清澄通り)に出ます。大通りに出ると、地下鉄大江戸線の清澄白河駅があります。

というわけで、この光景は、その駅に向かっているときに目にしたものです。

この日は、暮れてゆく空の色がわりときれいでした。そして、こうして歩いていると、都心に近い東京なのに、背の高いビルの姿が見えません。土地が平坦なところにもってきて、この連なる低い建物のシルエットです。これまで気づきませんでしたが、なんだか、やっぱり深川だな...と(^^; 妙に納得したりしていました。

すると、そこに、江戸風情とはおよそ縁遠い雰囲気のカップルの姿が...。実は、この通りを歩いていると、そんな、なんとなく「この通りとは場違い?」という感じのする若者をよく目にします。どうやら、このずっと後方に在る現代美術館が目的の人種のようです。

が、まあ、そんなことはどうでも良いですね(^^; とにかく、(デカい電飾看板は興醒めですが) 商店から漏れて暗い通りを照らすあかり...。そのあかりにシルエットになって浮かぶ人影...。薄いあかね色の空と低い家々のシルエット...という背景。しかも、ここは深川...。何か物語れそうな感じがしません?(^^;

【場所】江東区白河2丁目あたりです。

長命源

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西日暮里(感覚的には谷中)にあった健康食品の店"長命源"です。伝え聞いたところによると、最近、ご主人がお亡くなりになったため、店をたたみ、現在、建物の改築中とのことでした。
そんなわけで、"長命源"全体が写った写真(2005年夏撮影)がありましたので、記録をかねて、掲載しておくことにしました。

この建物ですが、とりあえず間に合わせで建てたバラックを、その後、折りあるごとに、辻褄合わせのような改修補修を繰り返し、この姿にまで仕立ててきた...という感じがします。
谷中の夕焼けだんだんのうえのひろっぱ(だったに違いない空間)に、戦後のどさくさ...を感じさせる建物がいくつかありましたが、この建物もそんななかのひとつでした。

こうして正面から見ると、けっこうスッキリとして見えますが、斜めから見るとかなり印象が違ってきます。こんな調子です(^^; ゴテゴテとかなり賑やかで、名物の面目躍如といったところです(^^; 懐かしい...。

【追記】"長命源"の詳細につきましては谷根千ウロウロさんをご参照いただけたらと思います。

【場所】荒川区西日暮里3丁目あたりです。

芝の看板建築

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ちょっと間があきましたが、また港区の芝から...です。
田町駅に近いビルの谷間に、こんな素ン晴らしい看板建築が潜んでいました。

この連なった看板建築は、一見、長屋に見えますが、左端の棟は独立しています。右の2棟はつながっているのかいないのか...ちょっと判断が難しいところです。中央棟の1階部分が横に張り出したりしていますから、なおさらです。裏手にまわってみると、ひとつ瓦屋根の下...という感じがしましたが、実際にはどうなっているのでしょうか...。

ま、ともかく、そんな看板建築ですが、これはもう、見た途端に一目惚れ...という感じです。上記した中央棟の横方向への凸凹や2階のバルコニー的なデザイン。抑えた黄色と茶...という配色。右隣は渋くグレーにまとめながらも、ガラス戸の格子などキラリとさせ、名脇役を決めています。
ただ、左の餃子屋さんの壁の色にちょっと難あり...のような気がします。デザイン時に、左端棟のことしか頭になく、"トリオで..." という意識が薄かったのでしょうね(^^; 惜しいです。しかし、屋根をピンと跳ねあげて、輪郭面では、トリオの一員としての役割を十分に果たしているようです。

色彩面では減点もありますが、とにかく、この連なった看板建築、総合的に見て、東京に残るもののとしては屈指の名品だと思われます。

【場所】港区芝5丁目あたりです。

深川 田巻屋

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ここは深川資料館通り(旧江東区役所通り)の商店街なかほどです。深川名物...というくらいに有名な呉服の田巻屋さんです (と言っても、僕は、この日はじめてこの建物を目にしたのですが...(^^;)。

実は、昨日、この近所にある深川いっぷくで、「いっぱこ古本市」が開催されていて、そこにじんた堂さんも出店なさっていました。というわけで、本を買う...よりも、もっぱら邪魔をしに(^^; 行ってきました。

で、その場所に向かっているときに、この威風堂々たる建物(^^;に遭遇しました。最初に視界に入ってきたときは、我が目を疑う...という感じです。これまでの人生経験からでは計れない感覚の存在(^^;です。
そして、とにかく、横幅がありますしデカイです。また、垂れ幕や幟(のぼり)などもあるせいか、浅草あたりの芝居小屋(^^;といった雰囲気も感じられます。もう感心するしかありません...。

ところで、最近は、肖像権や何やらで、まちで建物や店を撮るのがとても難しくなってきてますが、こちらは、実に快く撮らせていただくことができました。しかも商店街の小冊子までいただいたりして...。そこで思いましが、やはり "意気" って大事ですね。

■田巻屋さんのホームページはこちら(音が出ます)です。

【場所】江東区三好2丁目あたりです。

Makalani @ L.G.Haus13

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先日来、京島のLOVEGARDENで、ご主人のcenさんによるリフォームがつづいていることは、拙ブログにいらしてくださる方だったらご存知かと思います。で、その作業がいよいよ終了し、本日、新生LOVEGARDENとも言うべき "L.G.Haus13" の飛行を記念した"メーン"イベントが行われましたので、とにかく駆けつけてきました。

今回は、いよいよ、スラックキーギターを弾く歌姫 マカラニさん(注1) の登場とあって、京島界隈はちょっと騒然(^^; L.G.Haus13店内も開場と同時にお客さんで満杯状態です。なかには、こんな方こんな方こんな方こんな方...のお顔も...。加えて、cenさんやマカラニさんの親しくしていらっしゃる方々も多々いらっしゃって、緩く賑やかにパーティがスタートしたのでした。

が、このエントリーも速報ですので、なにもかもはしょり(^^; とりあえず写真の説明です。ま、説明不要とも言えますがいちおう...(^^;
【左】マカラニさんです。MCも余裕シャクシャクです。
【中】お客さんでいらしてたウッチーさん(マカラニさんの音楽仲間)を引っ張り出し、マカラニさん自身はウクレレにスイッチ。即興でデュオでの演奏に...。
【右】マカラニさんです。ソロでのプレイ中です。

てなわけで、大変に盛り上がった"L.G.Haus13"オープン記念イベントの速報でした。明日起きてから何か追加するかも?です(^^;

(注1) "歌うスラックキーギタリスト" というべきかもしれません。

【場所】墨田区京島1丁目あたりです。

芝の種育場&競馬場

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この写真も、ここ二三日エントリーをつづけている芝で撮ったものです。表通り沿いの城壁(ビル)が取り壊されたようで、こうして、まちの内部の様子が外から見える部分がありました。

この辺り一帯は、住所で言うと芝3丁目になりますが、ビルの城壁を越えて、一歩まちの内部に入ってみると、トタンの平家や下見張りの家屋、それらで形成される細い路地などがまだまだ残っています。この都心中の都心にです...。周囲の、高層ビルが林立する区画とは決定的に異なる風景があります。

その様子は、この航空写真をご覧いただくと、お分かりいただけるか...と思います。ここは "建物と時間による真性スリバチ" を形成している...と言えそうです。

その古いまちを歩いていると、あちこちに掲示板があり、それらには"北四国町会"と書かれています。僕はこの辺りのことをよく知りませんから、「え、この辺りって四国出身の人たちが移り住んだ土地ってこと?」としか想像できませんでした。

が、どうも"四国町"というのが気になり、その町名由来について、ちょっと調べてみました。すると、この芝3丁目あたりが、非常に興味深い土地柄であることが分かってきました。

なんと、この辺りには、江戸期に四国の大名の屋敷が在った。そして明治5年にそれらを併せて "三田四国町" とした...というのです。
また、明治10年には、三田種育場という、西洋の種苗・農具の輸入と実験・普及にあたる施設が(旧薩摩藩邸跡に)開設され、明治12年には、種育場内に競馬場まで設けられた...ということです(参考:ニッケミ/東大のHP)。

その後、それらの施設も競馬場も、民間に払い下げられ(明治23年頃から...のようです)、姿を変えたようですし、この一帯は、大戦で被災もしていますから、いま歩いてみても、種育場や競馬場が在った頃を偲ばせるものはありません。ただ"北四国町会"という町会名が、当時の記憶を消さないよう頑張っている...というところです。

そんなわけで、以下に掲載したのは、明治のこの辺りの変遷を示す地図です。残念ながら、江戸期の適当な地図(四国の4藩邸が記されているもの)は探せませんでした。



【左】明治17年頃の地図です。種育場と競馬場が描かれています。残念ながら下部が収録されていません。
【中左】明治30年頃の地図...ということです。種育場と競馬場の全体が描かれています。が、この地図は、年代までは信じ込まないほうが良さそうです。
【中右】明治40年頃の地図です。種育場と競馬場が姿を消し、現在のまちの区割りに近づいていることが分かります。
【右】現在の地図です。

【場所】港区芝3丁目あたりです。

芝のスノーマン

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前エントリーの写真がかなり重い感じでしたので、今日はちょっと軽めに...です。また、外は冷たい雨...なので、この写真(写っているのは雪男ですが(^^;)ですこしでもホワッとしていただけたら...です(^^;

この写真を撮った場所は、前エントリーの写真を撮った場所にごく近いのですが、なんだか、違うまちで撮ったもののようです。東京というところは、ほんとに、感覚のごった煮状態といいますか、分裂的に様々な感覚が混在しているまちですね。ま、そこが面白いのでしょうが...。

ところで、このスノーマンとおぼしき絵ですが、マンションだかテナントビルだか分かりませんが、そんな、まちなかによくあるビルの、使用目的がよくわからない空間の壁に描かれていました。

実は、このスノーマンとおぼしきものには、これ以前にも気づいていたのですが、写真を撮るには至りませんでした。が、このときは、この近所で働いているのだろうと思われる、若い男性が、こうして、壁にもたれかかり、携帯で話しをしていました。

すると、この組み合わせ位置関係になる前は単なる絵でしかなかったスノーマンに生命の息吹が!(^^; というわけで、シャッターを切った次第です。

【場所】港区芝5丁目あたりです。

芝の元うなぎ屋

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ここは港区の芝です。それも、桜田通りからほんの10メートルほど入った場所です。こんな、怪物(^^;とも言えそうな建物が残っていました。

こちら、元うなぎ屋さんのようですが、ちょっと変わった形をしています。どうやら、左手の2階家部分が住居で、右手の平屋部分が店...のようです。建物を斜め前方から見ると、その感じがお分かりいただけるかと思います。こんな感じです。

この芝界隈は、もうかなり再開発が進んでいます。表通りにはビルが立ち並び、一種の城壁(^^;と化しています。したがって、表通りからでは、まちの内部の様子はうかがい知れません。しかし、ここは都心中の都心。まち全体がビルで覆い尽くされているものとばかり思っていました。

が、しかし、一歩なかに入ってみると、意外なことに(僕にとっては...ですが)、こうした古い家や細い路地が、細々ではあれ、残っていました。そこだけ切り取ってみると、まるで時代が違います。なんだか東京とも思えないくらいです。

ところで、この写真を撮るに至った経緯がちょっと面白いので...。
昨日、Twitter画面を眺めていると、やまだsanが、都内のあちこちから、連続的に、写真を撮ってはアップなさっていました。そのなかに、この建物の一部を撮った写真がありました。昨日、僕は田町から高輪方面へ歩こうと思っていたのですが、その写真を見て気が変わり、芝ウロウロに変更...にあいなったのでした(^^;

【追記】店の入口脇に「創業 明治23年」とありました。
【場所】港区芝3丁目あたりです。

義塾のお膝元で

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ここは、田町駅前の慶応仲通り商店街のなかほどです。いまや飲み屋街と化していますが、昔は、どこにでもよくある、フツーの商店街だったようです。

その商店街で目にしたのがこの建物です。周囲の飲食店とはかなり異質です。昔を知りませんので、どんな経緯で現在の姿になっているのか分かりませんが、ご覧のとおりで、立派な建物です。石材+銅板+トタンの外壁に木枠の窓とドア...と、かなり自由奔放(^^;に造られているようですが、違和感はありません。

しかし、この古さで、この感覚...。さすがに慶応義塾のお膝元の街の建物という感じがします。現在は、住まいとして使われているようですが、もしやこれが洋書屋だったりしたら、たまんなくいい感じでしょうね〜。

でも、いまや、それは贅沢というもののようですね...おかしなことですが...。安っぽいケバケバとした電飾看板を掲げた安い(値段ではなく...)飲食物を提供する店は増殖していると言うのに...です。

こういう建物は、それこそ土地の記憶の一部。無くならないで欲しいですね。

【場所】港区芝5丁目あたりです。

L.G. HAUS 離陸

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先日来、京島のLOVEGARDENで、ご主人のcenさんによるリフォームがつづいていることは、拙ブログにいらしてくださる方だったらご存知かと思います。で、その作業がいよいよ終了し、本日、新生LOVEGARDENとも言うべき "L.G. HAUS" の離陸を記念したイベントが行われましたので、とにかく駆けつけてきました。

写真はそのときの "L.G. HAUS" 内部の様子です。cenさんの仕事仲間でもあるご友人が、Player兼Cookとして登場。美味しいピザとハーブティー(ワインのひとも居ましたね(^^;)、それにレイドバックした歌...で、実に、ユル〜リ&マタ〜リとした京島時間が流れていました。

実は「 お久しぶり〜」という嬉しい再会などもあったのですが、このエントリーは、とりあえずの速報...ということで、子細ははしょります(^^; 墨まcen(^^;

【場所】墨田区京島1丁目あたりです。

浅草ハワイ景

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以前に、浅草絡みのこのエントリーで「ハワイの田舎町の匂いさえする」と書きましたが、今日の写真はその根拠となる写真(^^;です。

この一画は、浅草本願寺の参道のなかほどに在るのですが、道幅がかなり広いこともあって、なんとなく、スケール感が東京の他所とは異なります。しかも、参道なのに、両側に土産物屋や飲食店などが連なっているわけでもなく、落ち着いた生活感に包まれています。

そして、この一画だけは、意外と緑豊かです。なんせ屋根の高さを超える木が残っていますし、路地園芸も盛んです。写真には写っていませんが、右手にはシュロの木まであったりします。

そんな環境に、このトタンを多用した低層の建物です。抑えめですがカラフルな色使いがされています。そして、2階の柵が、ちょっと目にはバルコニーのように見えます(^^; 洗濯物も風にそよぎ、いい感じです。

これをハワイ風と呼ばずして何と呼ぼう! という感じです(^^;  誰が何と言おうと、ここは「浅草ハワイ」なのです〜っ!(^^;(^^;

【場所】台東区西浅草1丁目あたりです。

RYOKANの窓

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ここは西浅草です。西洋風にしてみたが、結果的にとても日本的になってしまった(^^;という感じの、古い木造モルタルと思われる建物があります。現在は旅館になっています。昔から旅館なのかもしれませんが...(^^;

ぱっと目には、あれ何だろう...質屋さんかな?、いやそれを改装した民芸品屋さんかな...という雰囲気です。が、引き戸の入口に看板があって、そこにRYOKANと書いてあります。その看板が無かったら、なんとも使途のわからない建物...という印象で通り過ぎてしまいそうな外観です。

この窓は、そのRYOKANの入口のわきついていました。木枠です。最近の四角四面デザインではなく、細工した職人のちょっとした機転で...という感じのデザインが、ふと見る人の気分を和らげてくれるようです。見れば部分的にガラスの種類が変えてあったりします。一部ペンキが剥がれかけていますが、それも経年変化の味の部類です。

この写真を撮っていると、このすぐ右手にある引き戸を開けて、このRYOKANの宿泊客と思われる外国人の2人連れが2組でてきました。雷門・浅草寺あたりを観光に...という雰囲気です。

そこで、この窓のやや不可解な点が解消した感じがしました。おそらく、ここは帳場にでもなっていて、外国人が主な客だけに、こうして扇子など日本情緒のあるものをわざわざ配してあるのですね...きっと。かな?(^^; ま、とにかく、ちょっと雰囲気ありますよね(^^;

【場所】台東区西浅草2丁目あたりです。

高浜橋北詰

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芝浦からの写真がつづきます。ここも、前&前々エントリーの場所から遠からず...の位置にあります。

芝浦の埋立地を南北に走る、旧海岸通りという、雰囲気のある名の通りがありますが、その通りは何度か橋で運河を越えます。そんな橋のひとつに高浜橋があります。今日の写真は、その高浜橋のうえから、北方向を撮ったものです。

ここにも、夕凪橋のたもとと同じように、トタンの家が密集している一画があります。いまでは、お店と住まいとが半々...のようですが、元々は、すべてが店だったのだろうという感じがします。

この一画は、この写真と反対側から撮ると、トタン家の飲み屋街...という雰囲気が強調されるのですが、この方向からですと、家が運河に脚を突っ込んだ状態&運河を渡る太いパイプ...といったところが強調されます。

どちら側からも撮ってありますが、どちらか一方を掲載...ということになれば、やはり問題なく、こちら側からの写真ということになります。いまや、こうして、家が脚を運河に突っ込んでいる...なんて図はそうそうありません。また、この太いパイプは給水管のようですですが、これが、対岸に浄水場が存在することを匂わせます。そのあたり...大事ですね(^^;

港区というと、つい青山や六本木の華やかな風景を思い浮かべますが、前々エントリーからつづけた風景も、間違いなく港区の風景「である」わけですね。ま、背景を見ただけでも、もう少しで「であった」になることは想像に難くないわけですが...。とにかく、物事、一筋縄ではいかないわけです(^^;

【場所】港区芝浦4丁目あたりです。

芝浦4丁目の桟橋

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ここは、前エントリーで言及した運河です。芝浦西運河と呼ばれています。写真は、その運河にかかる橋"夕凪橋"のうえから撮ったものです。

ここは、運河の幅が広く、水面もすごく穏やかですから、ちょっとハーバーのようにも見えます。が、間違いなく運河の一部です。そこに細長い桟橋が設置され、こうして多くの船が係留されています。大半は働く船のようですが...。

この桟橋の風景は、とてもいい感じです。雰囲気があります。その理由は、実用...ということにつきると思います。まず、この桟橋が素っ気ないくらいに実用一点張りの設計であること。そして、上記しましたが、係留されている船が、これまた実用的デザインのものが多いことです。

そんなこともあって、ここは、プレジャーボートの基地となる商業施設ハーバー(マリーナ)とはまるで雰囲気が違います。いわゆるマリーナなどにはほとんど感じられない、日常の匂いがあります。それは、英国の運河を旅するボートの風景などに感じられるものと共通しています。

ということは、日本(東京)だって、やれば...やろうと思えば...出来るんですね(^^; こうして質素で良いから、街から遠くない距離にパブリックの桟橋があって、セルフビルドに近い小型船が浮かんいたら...などと想像すると、かなり国(都市)のイメージが違ってきますね...。

【場所】港区芝浦4丁目あたりです。

芝浦の運河沿い

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田町(三田)に行く機会がありましたので、久しぶりに、芝浦のこの一画を見に行ってきました。

素晴らしいトタンの長屋の集合体でした[注:後日、長屋ではないことが判明しました]。が、もうかなり前のことですが、その大半が取り壊されてしまいました。それは、羽田へ行くモノレールのなかから見て、気づいてはいたのですが、今日はじめて、その状況をそばで見てきました。

その様子がこちらです。もう2棟を残すのみでした。また、道を挟んで反対側にも、トタンの愛らしい建物が在ったのですが、そちらももう更地になっていました。

実は、この建物のすぐそばに運河が流れているのですが、トップの写真は、その運河の対岸から撮ったものです。トタンの家が、ビルに押され、いまにも運河に落とされそうです。ま、とにかく、トタンの家からこちら側と、その向こう側とでは、あまりに世界が違いますね。

【場所】港区芝浦4丁目あたりです。

違和館

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ここは、池袋東口の歓楽街のなかほどです。飲食店やゲーム系やフーゾク系の店がひしめきあっています。そんな環境のなかに、この家がポツンとたっています。

周囲の建物はほぼ全てが、数階建てのビルになっています。また、それら低層のビルが、さらに高層のビルに再開発された区画もあります。したがって、この古家は、再開発の波に2度乗り遅れている...と言えそうです。

こうして残るからには、それなりの事情があるのでしょうが、いまや、ビルだらけになった歓楽街の素性を物語る生き証人...とも言えますね。ひと頃であれば、別にどうと言うこともない平凡な2階家ですが、周囲が変化すると、それ以前とは価値に変化が生じたりします。いまや、周囲からは浮いていますが、ちょっと重要文化財かも...ですね(^^;

【場所】豊島区東池袋1丁目あたりです。


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