古書の森の劇場

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先日よりお知らせしていましたように、昨日(3月20日)、千駄木の「古書ほうろう」で『古書の森の劇場 : 高山宏講演会 × さすらい姉妹 "谷間の百合"』が催されました。

その様子ですが、まちの出来事としての様子を含め、谷根千ウロウロさんが、こちらこちらで詳しく紹介してくださっています。

僕は「古書の森の劇場」の舞台とも言えるような位置で撮影をしていました。したがって、この日、舞台ではどんな芝居や事件(^^;が繰り広げられていたのか...その記録写真を掲載すべきところですが、それは、後日、別のサイトにアップすることになろうかと思います。

というわけで、ここでは、昨夜のイメージ写真を2点のみ紹介させていただきます。

左の写真は、数々の特異な著書で知られる"綺想の学魔" 高山宏さんです。水族館劇場に絡ませ、言葉巧みに観客に魔術をかけていらっしゃるところです。ところで...ですが、この写真、実は左右を反転しています。そうすることで、高山宏さんを鏡のなかに閉じ込め、虚像になっていただきました。それが氏の実像のような気がして...。

右の写真は、"谷間の百合" のいち場面のいち部分です。芝居の題材である一条さゆり(池田和子)の、過去と現在あるいは現在と未来であるところの、和子(あれからの一条さゆり) と さゆり(これからの池田和子) の葛藤の場面ですが、目も眩ませる芝居の化粧を落としてゆくと現れる骨格はこのような図ではなかろうか...と思って選んだ写真です。

■カテゴリー : 水族館劇場

【追記】さすらい姉妹:水族館劇場の小ユニットで、凝った大道具などは使わず、文字通りさすらうように、まちのあちこちを舞台にして芝居をする。
【場所】文京区千駄木3丁目です。

コメント(8)

masaさん、半日にわたる撮影、お疲れさまでした。
「古書の森の劇場」という名の特異な風景。
さすらい姉妹の芝居、高山宏さんの公演、そして masaさんの撮影現場に立ち会えて、
とても贅沢な時間を堪能させて頂きました。ありがとうございます。
強烈な個性を持つ、つわものどもに分け入って、なお、2点とも「Kai-Wai」らしい素晴らしい写真です。
長時間、根を詰めて撮影された masaさんの体調が心配ながらも、
再び戻られる散策と、近い再会を楽しみにしています。

昨日、旅先で拝見したとき、おもわず息をのみました。とくに右側のようなカットは、
たぶん自分は死ぬまで撮れないだろうなあと思いながら、見入ってしまいました。
水族館劇場2010、なんとしてでも馳せ参じるつもりです。

>やまだsan
当日(のみならず...ですが)は、あれこれと、僕が動きやすい状況を生むような配慮をしていただきまして、本当にありがとうございました。やまだsanが築きあげていらっしゃる、日頃のお付き合いのなかでしか培われることのない、まちやまちの人たちとの信頼の輪のなかに、ああして暖かく迎え入れていただけたからこそ...の思いが強く強くあります。その恩返し...というのもちょっと変ですが(^^; とにかく、全力で撮らせていただいたつもりです。
撮影後は、体は本当にギシギシ言っていますが、不思議なことに、動けています。つっかい棒が心棒に変わりつつある(^^;ような感触があります。とにかく、やまだsan、多謝!です!

>Rambler5439 さん
こんにちわ。ブログの更新が...なんて思っていましたら、ご旅行だったのですね。真摯に写真を撮っていらっしゃる方からのお褒めいただきますと、照れますが、とても嬉しいです。ありがとうございます。が、しかし、この写真も要は構図の問題です(^^;ので、基本はノックの本数のように思います。
駒込大観音での水族館劇場公演、ぜひともいらしてください。初めてお目にかかれるのも楽しみです...。

高山さんの鏡像と実像の反転、興味深く拝読しました。そして、右の写真。ここにもまた語られていない反転を、濃密に感じました。鮮やかな赤が際立たせているのはむしろ背景の闇で、地と図が入れ替わろうとする〈現場〉がこの写真ではないか、と。暗闇の深さへの、眼差しの遮蔽と陽動という二重性を、身勝手にも想像しました。

>通行人さん
こんばんわ。またも、撮影者が言葉にできずにいた部分を語っていただきました。ありがとうございます。
『地と図が入れ替わろうとする〈現場〉』という考察表現を、とても興味深く拝読させていただきました。この、地と図...とは、闇(不可視世界)と光(可視世界)...のような関係と解釈してよろしいのでしょうか...。
そうだとしますと、この場面は、過去と現在と未来が混沌として進行し、人の心の闇(この芝居の主役はこれだと思います)がチラチラと顔をのぞかせます。この写真では、主役が着ている黒いコートが写っています。が、それを黒ではなく闇に転ずるには、目に眩みを感じさせるなにものかが必要であることを感じた構図だったように、いま、思っています。
もしも〈現場〉を感じていただけるのなら、これは紛れもない写真であり、撮影者としては、とても嬉しくも安堵します。

>masa さん
不躾な書き込みへの応答、ありがとうございます。鮮やかな像に刺激されてつい、生々しさを孕む一本の、発熱するスラッシュ(/)を夢想しました。〈現場〉とはこのスラッシュのことではないか、と。役者とは足下を水と土地とがせめぎあう河原に見立て、そこに〈現場〉を祈念する匿名の人影のことではないか、と。見せることで隠し、隠すことで暴く。艶やかな衣がその線上/戦場に燃える様・・・・。見てもいない芝居の瞬時の鼓動を、一枚の写真が伝えてくれたように思えての勇み足です。(ストリップ・ティーズとは、見せる/隠すの、線上の芸術でしたね)。

>通行人さん
お返事をありがとうございます。スラッシュという概念、明確に理解できる気がします。スラッシュよりも狭義になることを前提に、もすこし平たく言うと、波打ち際や前線といった語を適用できる概念のことだと...。
そして、つづけて書いていらっしゃる、視覚的反語の世界...これもスラッシュという語がそれだけで物語っていますが、いまや、実に、忘れ去られようとしている世界に思えます。
これまでも、実は、波打ち際・前線、写さないこと...といったことは常に頭のなかにありました。それらをひとまとめにしさらに展開するようなキーワードを提示していただいた気がしています。本当にありがとうございました。



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