足立の風化物

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小菅駅を出て、荒川に沿って上流(北西)方向に歩くと、住居表記が足立2丁目から足立1丁目と変わります。そして、もう少し先まで歩くと、こんどは梅田や関原といった、以前歩いたことのある懐かしい地名が現れます。

と書いたように、足立区の南部はそこそこに歩いたことがありました。が、当時は、南部を歩くときでも、西新井駅で下車し、徒歩で延々と南下していました。したがって、足立○丁目という表記を見る前に時間切れになり、引き返すことになっていたようです。したがって、足立というまちを歩いたのは今回が初めてです。時には逆方向から攻めてみるものです(^^;

足立というまちの雰囲気は、前エントリーにも書きましたが、「半工場半住居」とか「半店舗半住居」といった建物が密集していたところで区画整理や再開発が進んでいる...という感じです。が、2丁目から1丁目に向かって歩いていると、1丁目に近づくにつれ商店が多くなっているような気がしました。

という辺りで撮ったのが今日の写真です。このヤレぶりですから、どんな商売をなさっていたのか...もう全く読み取れません。再生は無理...というところまで傷んでいます。が、なぜか汚さは感じられません。どころか、風化具合が妙に美しく見えます。何なのかわかりませんが...。

もしや、お隣のお店の生活感がこちらまでこぼれだしているのが功を奏しているのかなと思ってみたり...です。

【場所】足立区足立1丁目あたりです。

コメント(11)

おはようございます。
今年の1月2日、小菅の街を経由して足立区南部を歩いた際に、ぼくもこの建物と二軒長屋を撮影しておりました。二軒長屋のほうは正面から撮っていたので、すぐには気づかなかったのですが、こちらはまったく同じ位置からだったので、びっくりしてしまいました。勝手に masa follower を自認してきた身としては嬉しいかぎりです。さっそく今日明日にでもブログにアップする予定でおります。

masaさん、こんにちは。

最近、『Kai-Wai散策』の写真を拝見して「凄っ…ほっ」とため息をつけだけでなく、以前のようにちょっとムラムラきています与。このお店、直感ですが、食べ物のお店でしょうか。できれば、かつては揚げ物なんかを扱っていてほしいです(勝手な願望)。東京の庶民の町(下町と書くと識者に叱られますので…)の揚げ物って何でしょうか。練り製品(天ぷら)ってばあいもあるのかな。ブルーとホワイトのストライプの右側にある窓に、近所の子供がやってきて、おやつがわりにヒラテンを買っていく光景が見えてきました。ああ~、良い感じです。妄想力を戻るように、脳味噌を発酵させておきます。

>Rambler5439さん
こんにちわ。コメントをありがとうございます。
いや、やはり、誰の目にも留まるものって同じですね。二軒長屋もこいつも、むこうからこちらの目に飛び込んでくる(^^;感じでした。
Rambler5439さんもこの建物を撮っていらっしゃるとか...どんなふうに撮っていらっしゃるのか興味津々です(^^; アップなさるのを楽しみにしています!

>wakkykenさん
こんにちわ。コメントをありがとうございます。
このところ、うかつに建物をアップしますと、識者に叱られる以上のことが起こったりしますので、控えめにしていました。が、やはり、この手の写真は分かりやすいですし、見ていて楽しかったりしますので、まあ、あまりあれこれ気にせず直感的に行こう...という感じです(^^;
ところで、この建物ですが、出窓の上にある換気口がヒントになるような気がしますが、それでもどんあ店だったのか、なんとも想像がつきません。実は、この隣のクリーニング店のご主人と立ち話したんですが、なんと、「ここまでボロボロだとダメでしょ?」「いや〜最高ですよ」「そうかね」「自然の経年変化...やっぱ美しいです」「へえ〜っそう」てなやりとりをしているうちに、この建物の素性を聞くのを忘れてしまったのです...。失敗でした(^^;

なつかしい---っていっても、住んだこともないのですが、25年ほど前に歩いたことがあり、地図をとりだして眺めました。
足立区って、23区でいちばん広い区じゃなかったですか?
広いのは、練馬区、江戸川区もひろかったような。
足立1丁目の西の梅田1丁目に、善立寺があるのを改めて見ました。西浅草から移転した寺です。たしか『鬼平犯科帳』に出てきたような。
池波少年が通った西町小学校(いまは千寿総合病院)の東側にあったから---。
あの辺の寺、いくつも足立区へうつったんですよね。

ああ、もう一つ、バカ話。
写真の家がある足立1丁目って、日光街道が貫通してますよね。
あの家があったあたりは、江戸期は畑だったでしょう。
日光道中ぞいの麦畑の畝は、すべて道に直角につくられていたとか。
将軍が日光参詣にいく時期(家康の命日---旧暦の4月16日だか17日)には、刈り取り寸前の麦なので、供奉の士が見渡せるように畝を直角にするように命じたそうです。
もっとも、いまは、かけらも残っていないでしょうが。

それと、masaさんは官軍側だからなあ。

>chuukyuuさん
こんばんわ。コメントを大変ありがとうございます! 勲章いただいた気分です(^^;
足立区の面積(53.20平方キロ)は、大田区(59.46平方キロ)・世田谷区(58.08平方キロ)に次いで3位のようですが、確かに広い区ですね。
しかし、善立寺の移転前の場所が浅草西町小学校近く...その小学校が池波さんの...という発想はもう、僕など片手で逆立ちしても出ません(^^; こうして伺いますと、土地もあれこれと由縁所縁があるものですね。いつものことながら勉強になります。
また、この一帯は、江戸期以後も、畑・水田だらけですね。畝の方向までは地図からは知るよしもありません...こちらも勉強になります。ありがとうございます。

で、僕ですが、ただただ出生地が官軍を生んだ藩(県)というだけのことでして(^^; しかし、その影響がいまやっとそがれるか...というところにきましたが、ほんとに長期にわたり尾を引きましたですね。

いやね、執念といいますか、怨念というのか。
日本敗戦のきっかけとなったガダルカナル島の慰霊碑に詣でたとき、銘板に旭川連隊という文字を目にしましてね、会津藩の生き残りたちが開拓に行った土地の一つですよ、旭川は。
薩長の執念が、会津をガダルカナル島までおよんだかって感じて、人間の理不尽な執念の怖さにおびえました。

官軍、賊軍は冗談です。しかし、根にもっている人もいるかも。
維新で、鬼平の長谷川平蔵家もご他聞にもれず、静岡へ逼塞。収入は15分の1以下になったでしょう。その後の行方は、今のところ未明です。
維新も、地震も、空襲も、大きな変わり目でしたが、先だっての土地バブルも、それらに匹敵する変わり目でした。

>chuukyuuさん
重ねてのコメントをありがとうございます。
僕などは靖国神社本殿裏手の庭をまわるだけでもゾッとしますが、ガダルカナル島慰霊碑にまるわる怨念のお話、鳥肌がたってしまいます(^^; そうですか...何にせよ気をつけて日々送らねばと思います(^^; 拙ブログに時々コメントくださる方のなかにも、会津系の方がいらっしゃいますからなおさらです...。
土地バブルのお話ですが、その対象は都市圏に限られているようでして、かつての官軍のおくにでは、ほぼ影響なし...だったように思われます。いまでは、土地はただ単にお荷物(むしろマイナス資産(^^;)なだけ...というお粗末です(^^;

(^_^;)...ど...ども....

東京新聞に五回に亘り連載された「浅草木馬亭・外伝」を切抜きにしておいたので...明日都内某所で...(^_^;)

>iGaさん
(^_^;)...ども...どうも....ゾゾゾッ(^^;
オバカMovableTypeが、いただいたコメントを反映するのを忘れていたようです。いま頃気づきました。大変申し訳ありあませんでした。
「浅草木馬亭・外伝」ひっじょうに楽しみです! 僕は明後日にまわって、明日は控えになりそうですが、浅草木馬亭とあれば新島さんもいまや大好物(^^;か?と...。とにかく、玉井さんにお預けいただけますでしょうか?宜しくお願いいたします。



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