千代田区 - Chiyodaの最近のブログ記事

ここは、例の看板建築や昨日の幾何学ビルのある神田須田町のお隣、神田淡路町です。
街角にシトロエンなど駐車していて、フランスっぽいな(^^;と思っていましたら、あら、こんどはモンサンミッシェルです(^^; このときは、ちょうど潮が引いていたので、歩いて渡ることができました。が、まだ道は濡れています。などと冗談を言いたくなるほど、この風景はけっさくでした。この尖塔ですが、10年かそこら前には無かったと思います。
ここは変形の五叉路になっていて、交差点内の面積がかなりあり、ちょっとした広場になっています。数年(?)ほど前までは、この左手に、建築そのものが有名だった同和病院(1929年築)が建っていました。その建物には煙突がついていて、それがこの交差点のイメージを決定していました。古びた、いかにも昭和初期といった風景でした。その同和病院も取り壊され、いまでは、どうと言うこともない、普通の眺めになっています。が、その代わりとでも言うように、この尖塔が、ちょっと面白い風景の伝統(^^;を受け継いでいるようです。かなり不思議な雰囲気の漂う場所です、ここは...。ま、台風の日に、こんな風景撮ってる人も不思議ですけどね(^^;

【場所】千代田区神田淡路町1丁目あたりです。

神田の街角

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神田須田町に、T字路とT字路が出会う場所がありました。もうちょっとズレれば十字路なのに、という感じです。しかも、そのT字路が、共に、直角のTではないのです。そのズレと角度、そして微妙な傾斜が、なんとなく違和感のある視覚効果を生んでいました。
特に、その一画に建っている建物が、角度を意識させる特異なデザインであることも、それに拍車をかけているようです。
このときは、建物の陰から顔をのぞかせているのがシトロエン。後方には尖塔もあり、なんだか異国に居るような気さえする光景でした。

ま、ともかく、神田須田町あたりって、古い日本家屋の蕎麦屋さんや料理屋さんがあるかと思えば、こんな建物があったり、はたまた立派な看板建築が残っていたりと、かなり興味深いところです。

【場所】千代田区神田須田町1丁目あたりです。



さて、もう何も説明はいらなくなってきました。はい、秋葉ホコ天です。Uzumeさんです。アニレゲです〜っ。前回と前々回は、アニレゲ シンガー Uzumeって感じの写真でしたが、今日はちょっと傾向の違う写真を...。本日のUzumeさんは、頭にバティック風な生地でターバン(と言ってもインドじゃない)なぞ巻いて、ひときわエキゾポップに決まっていました。そこで、左端の写真(思い切りトリミング)はともかく、他の写真は、ちょっとオンナ Uzumeに迫ってみました(^^; いやいや、聴覚的にも視覚的にもカッコイイ人です。これからも応援をつづけるぞ〜っ!(^^;

【追記】Oolong Tings a BloGwaan! に必読記事がエントリーされました。ちょっとだけ、閣下のお声も拝聴できるぞ!
【追記】関連エントリー:秋葉ホコ天 / Viva Uzume!
【場所】千代田区外神田[ドンキホーテ前]あたりです。

秋葉原復興景

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「この写真は大戦後の復興期に撮影された。多くの人がクズ銅やクズ鉄、段ボールなどを持ち込み、換金しては生活の足しにしていた。当時すでにデジタルカメラが存在したことを示す貴重な資料である^^;」なんてキャプションが付いていたら、「ほ〜、そうなんだ」と思ってしまいそうではありませんか? ま、僕の勝手な思い込みかもしれませんが…。
とにかく、高層ビルが次々に建ちあがり、最新鋭のIT都市に向けた整備が進む秋葉原で今日撮った写真とは、我ながら思えません。この建物の古さやリヤカーの存在もさることながら、街全体が工事中であることの副産物で、路面が土に覆われていることが、そう感じさせるいちばんの要因のようです。
また、あちこちに整備途中の広い空間が拡がっていたりします。都心ではあまり目にできない、緑も何も無い荒れ地のような広い空間です。これが、再開発の波に乗らなかった区画を背景にすると、空襲による焼け野原に、焼け残った建物がポツンと建っているような印象を与えてくれるようです。それがもうひとつの要因のようですね。
今の秋葉原は、中心部をちょっと外れてみると、実に面白いことになっています。

【場所】千代田区神田練塀町あたりです。

この建物は交通博物館の真正面にあります。住所表記で言うと神田須田町になります。この辺りは、小川町やお茶の水、秋葉原の仲間とも言うべき場所で、昔から幾度となく歩いているはずなのですが、この建物に限っては、エアポケットになっていました。または、若い頃の僕の目には、今ほど印象深く映らなかったようです。
が、今回は見た瞬間に足が釘付けになりました。よくぞこれだけ良好な状態で残っていてくれたものです。どこを見ても、銅販の剥がれなど1枚もありません。屋根の形がまた秀逸です。
ちょうど外に出ていらしたご主人(ご高齢の婦人)にうかがうと、これは関東大震災(大正12年)の直後に建てたものだそうです。その当時は、1階部分まですべて銅販に覆われていたそうですが、第二次大戦後、この辺りにも浮浪者が増え、彼らが銅販を剥がしていったのだそうです。それを売って生活の足しにしたんですね。「おとうさん、今日も1枚持ってかれたわ」というふうだったそうです。そんな事情があったとは、思いもつきませんでした。
娘さんたちは、「こんな古くさくて汚い家」とおっしゃるのだそうですが、身近過ぎてアラを探したくなるのでしょうか。そんなことはありませんよね。こんな素晴らしい銅販葺き家屋なんて、今や都内に何軒も残っていないのではないでしょうか。
それから、面白いエピソードをひとつ…。上記した通り、この建物の真正面が交通博物館なんですが、そこに貼られているポスターの写真をご覧ください。そして、その中央下部にご注目ください。あら、屋根の形が似てますね〜。そうなんです。偶然にも、昭和11年(1936年)に新築された鉄道博物館の全景を撮った写真に、この建物の3階部分が写り込んでいました。この建物の古さの証明ですね。

【追記】鉄道博物館(現・交通博物館)全景写真の左下に写っている像は、日露戦争当時に名を馳せた広瀬中佐だそうです。が、現存はしません。
【場所】千代田区神田須田町1丁目あたりです。

秋葉ノ森ビル

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またしても、たわけたタイトルです(^^; 他にタイトルの付け方は無いものか?と自分でも思うのですが、どうも思いつきません。ま、それはそれとして(^^;
ここは御徒町から秋葉原に歩いていく途中で出くわしました。住所で言うと、外神田5丁目あたりだったと思います。外神田と聞くと、「おっ、下町かい」という感じですよね。確かに下町中の下町なんでしょうが、風景的には、もう下町風情はほとんど残っていません。実際のところ、広くはない路地の両側に、工場や問屋などの中低層ビルが建ち並ぶビル街で、地元の方には失礼かもしれませんが、やや殺風景な場所と言わざるを得ません。
そんな環境のなかで、この建物は目立ちました。屋根のてっぺんまでツタに覆われているのですが、ツタの繁り方が半端ではないため、建物全体に羽でも生えたかのようにフサフサして見えます。これはスゴイ!と思い、側面にまわってみると、こんどはツタだけではなく、棕櫚や柑橘系の木、鉢植えなども入り混じり、まさに緑の満艦飾。益々スゴ!です。ある意味、フリーク系の凄みがあります。が、わずかな緑の隙間に潜り込むように干してある洗濯物が、一種の緩和剤のような役割を果たし、この空間をフリーク系から日常系に引き戻していました。「あ〜良かった〜」と、ちょっとホッとする感じです。しかし、思いもつかない取り合わせの、何とも魅力のある風景でした。

【場所】千代田区外神田5丁目あたりです。

やっと時間が取れたので、前回秋葉ホコ天で紹介したUzumeさんのライブを聴きに行ってきました。他所をまわり、電車を乗り過ごしたり(^^;しながら現地に向かったため、時間が遅くなり、「Uzumeさん、もう引き上げたかな〜?」などと心配していたのですが、どうやらその前に現地到着しました。
すると、なんとなく雰囲気が変。ん?どうしたんだろ?と思い、まずは親衛隊(*)の人に話を聞くと、「路上ライブは迷惑」と警察官に注意されたとのこと。なんじゃそりゃ。しかし、事実は事実。今日のライブは中止かな?という状況だったようです。
が、しばらくすると、他所でも音を出し始めています。そこで、Uzumeさんが決断。集まったファン達に、新作だけでも聴いてもらおうと、ライブ決行の指令。親衛隊(*)が忙しく動きはじめ、あっと言う間にアンプとマイク、看板などをセット。Uzumeさんの手にマイクが渡ります。即座にスピーカーがレゲエのリズムを刻みはじめ、そこにUzumeさんの唄声が重なります。うん、心地良いぞ!アニレゲ! ホコ天がジークUzumeな世界にワープです。
てなわけで、あっと言う間でしたが、無事、Uzumeさんのアニレゲ世界に浸ってまいりました。これからも応援をつづけるぞ〜(^^; というので、お知らせです。Uzumeさんですが、8月14日に、葉山町一色海岸海の家 松鱗亭で催されるRISINGというライブに出演なさるそうです。湘南在住の皆様、Uzumeさんに成り代わり、よろしくお願いいたしま〜す!

(*)「親衛隊」ではなく「近衛部隊」でした。謹んで訂正いたしますm(__)m
【場所】千代田区外神田あたりです。

60年前のカラー写真

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今日は、所用があって、丸ビルのコンランショップに行ってきました。すると、偶然なんですが、丸ビル1階ロビーで「米国人の撮った日本 東京」という写真展に出くわしました。
これは60年前に、進駐軍として日本に滞在していたアメリカ人が、占領下にあった東京や日本各地を撮った写真を集め、展示したものでした。当時の日本を記録した写真は、その大半がモノクロだったようですが、ここに展示してある写真はすべてカラーでした。当時の日本や東京を記録したカラー写真は、非常に珍しいのだそうです。
展示してある写真は、有名カメラマンが撮ったものではありません。しかし、どの写真を見ても「時間が堆積すると、写真というものはこうも重みを増すのだろうか」と思わせるものばかりで、見ていて圧倒されます。そして、もうひとつ付け加えますと、何点かの写真が、実物大ほどに大きく引き伸ばされていて、これが臨場感を増幅し、さらに圧倒されます。
戦後の東京の荒廃ぶりをカラー写真で確認できることもさるこながら、当時の一般人の生活や風俗を知るうえで、これはたいへん有益な写真展でした。しかも無料です。会期は22日(金曜日)までです。
今日の写真の、左側に写っている写真は、1950年の日光だそうです。これらの写真は、ここに展示されていない写真とともに、「にっぽん60年前」(毎日新聞社)として本にまとめられています。会場でも販売されていました。この写真展、丸ビルの近くにいらっしゃることがあれば、立ち寄っても損はありませんよ。

【場所】千代田区丸の内2丁目あたりです。

日曜日には、秋葉原の中央通りが歩行者天国になるってことは知っていましたが、"秋葉がホコ天"になってるってことは知らなかったのである。これは我が輩の失態であった。なんとなんとオモシロイ。というわけで、その紹介です。「いまごろ言ってんの〜」ってバカにされそうですが、これはオトーサンのための雑学講座です(^^;
今日、フィルムスキャナを購入すべく秋葉原に行ったのですが、人だらけの中央通りのあちこちに、それに輪をかけたような人だかりが出来ています。何だ?と思えば、その輪 [正確には半円] の中心に、若い女の子や女性が、自分たちの思い思いの衣装をつけて、歌ったり踊ったりしています。それを、携帯やデジカメ、ビデオなどを手にしたオニーサン、オジサン、オトーサンたちが取り巻いているのです。異様だけど面白い。
そんななか、群を抜いて目立ってたのが、この写真の女性シンガー。Uzumeさんというらしい。アニメソングをレゲエのリズムに乗せてラフに唄い語るスタイル。アニレゲというらしい。これが、レイドバックという言葉があの世から蘇ったようなルーズさでゴキゲンでした。しかも、なにしろカッコイイ。もう、それだけて良いのですよ、ほんとは(^^; あるジャズ喫茶店主兼評論家が「美人ジャズヴォーカル」なるジャンルをでっち上げてますが、それでヨロシイのでございます。このUzumeさん、典型的な美人アニレゲシンガーなのです。みんなで応援しましょう!(^^;
ところで、Uzumeさんはmixiやってるそうです。僕はブログだけて精一杯なので参加してませんが、mixi参加してる人、どなたかチェックしてみてください。んで、ここで紹介してるぞ〜と伝えてくださ〜い! ませんか?

【場所】千代田区外神田あたりです。



目が覚めるなり、神田明神のお祭りが気になります。ソワソワ。ま、とにかく落ち着きません。でも、昼過ぎになると急に雲行きが怪しくなり、突然雷鳴とともにザーザーと雨が降り始めました。これで諦めがつきました。「神田明神のお祭りは来年もあるし」と。しかし、その雷鳴も雨もあっという間にあがり、今度はきれいな太陽の光がサンサンです。またもソワソワ。で、ついに堪えきれず、カメラ抱えて家を出ました。
すでに夕方の暗くなりかけた頃でしたから、お祭りの様子はほんの一部しか見られませんでしたが、神田明神に着いたとたんに、江戸神社の御輿の宮入です。これは千貫御輿と呼ばれているようで、さすがに大きいです。そして人出もさすがに天下祭りの名に恥じません。すごい。もう写真を撮ろうにも、人の波に飲み込まれ、その波に押し流されるしかありません。
見回すと、祭りを撮り慣れたカメラマンも多く、その人達は脚立を立てる場所を確保し、機材面でも準備万端という感じで、人の波のうえから御輿を狙っています。祭りの進行も頭に入っている感じです。これじゃかないっこありません。ですが、次々と御輿が宮入してきます。
そこで、定番ショットは諦め、ワッショイの声から遠ざかりました。すると、神社の裏手では、宮入を終えた江戸神社の大きな御輿を蔵に入れる作業が行なわれていました。これが、御輿が大きく重いだけに大変。足場板を蔵のなかまで通し、そのうえにコロを置き、そのコロのうえに御輿を降ろし、ゆっくりと押していきます。が、蔵はそう大きく造られてはいないので、大人十数人がかりでも大変な作業です。左の写真は、その作業を仕切っていた頭の手が千貫御輿を支えているところです。なんだか、こういう組み合わせにはシビレます。
右2点の写真は、最後に宮入した甘酒で有名な天野屋さんの御輿が蔵に戻るときの様子です。このときは、なぜか運良く、御輿の近くに寄ることができました。

■神田明神のホームページです。
神田祭ブログなんてものができてました。さすがにブログの時代(^^;

【場所】千代田区外神田2丁目あたりです。

有楽町駅前で

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夕方、所用があり、銀座へ。曇り空で肌寒いが、ショーウィンドウはどこも、もう夏。涼しげな色が氾濫している。
有楽町の駅前を通りかかると、再開発のための取り壊し作業が進んでいた。とりあえず記録しておこうとカメラを構えたところへ、トコトコと赤いフィアット500が登場。ガラリと風景が変わる。
明日は、なんとか「フェスティバル・エクスプレス」を観に行かなくちゃ…。

【場所】千代田区有楽町2丁目あたりです。

丸の内で夢の内

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" ちょっとひと休み "

この写真は、まだ寒かった頃に撮ったものです。丸ビルで人と待ち合わせているときに、多少時間があり、1階をぶらぶらと歩いていました。すると、やはり人待ちの男の子がブルーンバーグ店内のソファに座って眠りこけていました。その姿がガラスの仕切りを通してよく見えます。そして、そのガラスの仕切りには白い文字でBloombergと書かれていました。この前景はそのOOなんです。ですから、本当は、このタイトルは「丸の内の丸の内で夢の内」なんですね(^^;

ところで、昨年の今日、このブログに初エントリーをアップしました (URLを少数の友人に告知したのは21日ですが…)。そして丸一年が経過しました。更新ができない場所に居た日を除き、毎日更新することができました。が、振り返ると、更新のための更新もあり、我ながら「面白くない!」というエントリーが多々あります。そこで、これを機会に、僕も、時々「ちょっとひと休み」しようかと思っています。
このブログのURLをクリックしてくださった方々、暖かい目で見てくださった方々、改めて御礼いたします。そして、これからもよろしくお願いいたします。

【場所】千代田区丸の内2丁目あたりです。

壁の街 丸の内

このところ、そう忙しくもないのに、なぜか下町散歩ができません。いつの間にか、トップページに、都心で撮った写真がかなり増えてしまいました。ま、しょうがないですね。そう思うようにはいきません。
で、今日も都心、丸の内からです。この写真は、去年オープンしたOAZOビルから外に出たところで撮っています。
このあたりには高層ビルが建ち並び、街そのものがビルの内部に飲み込まれたような状態で、ビルの外を歩いても、人間の眼の高さに見えるのは、ガラスか石かコンクリートの壁ばかり。そぞろ歩きなどという気分は到底湧いてきません。まさに壁街です。
確かにビルの内部には商店街もあり、ウインドーショッピングもできます。しかし、そこには四季もなければ天候による影響もありません。年中一定の条件が確保されているわけですから、ビニールハウスで人工栽培されている商店街のようなものです。特に町歩きが好きな人間にとっては、思わぬ裏道があったりするわけでもなく、面白いわけがありません。よくもあんなに人が押しかけるよな〜というのが実感です。これって、ショッピングする資力のない者のひがみ?(^^;
しかし、昼間だというのにビルの谷間のこの暗さ。ビル風にコートをなびかせながら、重そうなバッグを提げて歩く彼は、いったいどう感じながらここを歩いているのでしょうか。

【場所】千代田区丸の内1丁目あたりです。

所用で銀座へ出た帰りに、HMVに寄ろうと思い、有楽町方面に向かいました。すると、有楽町駅前の再開発がいよいよ始まっていて、ついに我等バクテーズの可口飯店も取り壊されていました。

取り壊されるとは分かっていても、実際に建物の姿も形も無くなった現場に立つと、やはりちょっと淋しいものですね。あの建物が好きだっただけに...。そして、何人もの気の合う人達と知り合うきっかけになった建物でしたから...。

関連エントリー:■可口飯店のネオンサイン / ■可口飯店のバクテーハウス

【場所】千代田区有楽町2丁目あたりです。

丸の内の工事現場で

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今日は、ちょっと目先を変えて、丸の内からです。ここは、(多分)三菱地所のビル建設現場です。丸の内ともなると、工事現場とはいえ、このように真っ白なパネルで囲われ、見た目にはすっきりときれいです。そして、所々に、ブランド名を記した大きなステッカーが貼られています。ビル竣工の暁には、テナントとして入るぞ、ということなんでしょう。
この日は、どんよりと曇った寒い日でした。ここを最初に通りかかったときは、陰影もなく、白パネルに黒い文字が書いてあるというだけのことでした。もちろん素通りです。が、このパネルと道を挟んで反対側に渡った時でした。ふっと雲間から光りが差しはじめ、その光がガラス張りのビルに反射して、白パネルを照らしたのです。すると、幻灯機のスイッチを入れた時ように、ワーッと白パネルのうえに並木の影が浮き上がりはじめました。それはもう、はっとする光景でした。渡ったばかりの通りを大急きで戻り、その樹影にカメラを向けていました。が、そのすぐ脇に、街路灯の影が落ちています。しかも、その影がS.T.Dupontの文字と交差しています。ん、こりゃオシャレだ(^^;とばかりにそちらに鞍替えです。が、ここは丸の内。人通りが半端じゃありません。なにしろ邪魔。絡めて撮りたくなるような人なんて、滅多に通ってくれるもんじゃありません。で、ふと思いついたのが、じゃ、人影だけいただこう、ということでした。それで出来上がったのがこの写真です。

【場所】千代田区丸の内2丁目あたりです。

防火用水

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これ、何に見えますか? はい、確かに防火用水なんですが、問題は、その容器です。
これは、九段下ビルのすぐ裏手にある、文久2年(1862年)創業という古いお米屋さんの店先に置かれていました [明治元年=1868年] 。僕は、見た瞬間に、大きさといい、素材・形といい、五右衛門風呂だとばかり思いましたので、「昔、お使いになっていたものか?」と、ちょうどお店を閉める準備をなさっていたご主人にうかがってみました。すると、「これはお釜で、戦時中や戦後、炊き出しに使ったようです」という返事が返ってきました。
これ、人がゆったり入れる大きさです。こんな大きなお釜ってあるんですね。驚きました。そう言われて、改めて見てみると、確かにお釜の形をしていますよね。なかを見ると、水がはられ、水草が繁り、その間を金魚が泳いでいました。
役割を終えた防火用水の容器[コンクリート製]が植木鉢として使われているのは、時々目にしますが、水を湛えた防火用水そのものが珍しい今日、さらにその容器が大釜という珍しさ。これは珍品です。こんなものが残っているのも、九段ビル周辺が戦災で焼けなかったからなんでしょうね。

【場所】千代田区神田神保町3丁目あたりです。

今日は、九段下ビルの屋上に出ます。最近は、屋上というと、自動的に10階以上の建物の屋上を頭に描いてしまいますが、ここは3階のつぎが屋上です。そこに出てみての印象は、おや?と思うくらいに視線が地面に近いことです。「これって屋上?」という感じなんです。なんだか、これなら落ちても怪我で済みそうという感じで(済むわけないですね(^^;)、なんとはなしに安心感があります。そして、見える景色が、超高層のうえから眺めるダイナミックさこそありませんが、これ、マイルドで非常によろしいです(^^; 高さが控えめだと、風景の見え方も粋ですね〜。と、なんだかわけの分からんこと言ってますが、屋上からの眺めというものは、高さだけじゃ計れないって思いましたね。スペースシャトルから見る地球も良いでしょうが、3階の屋上から見る地球も忘れちゃいけませんデス。はい。

九段下ビル (3)

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さて、今日は、九段下ビルの内部に入ります。ここは、階段で3階まであがると最初に目に入ってくる空間です。
ビルの大きさからは考えられないほどこじんまりとした入口を入ると、そこにはロビー空間などはなく、すぐ左手に階段があります。要は、入口イコール階段の上り口って感じです。その階段の幅や、途中の踊り場などは、昔の木造建築の寸法で設計したのかな?と思ってしまうほど狭く、最初はとても圧迫感がありました。しかも、傷みが相当に目立ち、ホコリやススも溜まり放題ですし、ガラスが割れた窓などもそのまま放置されているため、かなり高い廃墟度を感じさせられます。
とは言え、現在も使われているビルであるため、その匂いが感じられる部分には、やはりオールドな魅力があります。その一例がこの写真です。今回、建物内でいちばん気に入った空間がここでした。ここは事務所が入っている3階の階段踊り場で、適度に清掃され、ごちゃごちゃと物が置かれていないせもあって、すきりとして、黒光りしているといった感じです。こうなると、やはり古い建物って良いですね。

九段下ビル (2)

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今日は、九段下ビルの1階部分の断片です。このビルは、広い幹線道路・靖国通りに面しているため、1階部分は、ほとんどが商店として使用されています。しかし、お店によって雰囲気はまちまちで、ひとつのビルに入っている商店街といった統一感はありません。それぞれが好き勝手に、という感じです。ですが、シャッターやドアが閉ざされたままのお店も数店あり、さすがにやや侘びしい感は否めませんでした。通りを歩きながら見るとこんな感じです。
左の写真は、このビルの入口です。入るとすぐに3階までつづく階段があります。階段の幅や踊り場などが、いまの感覚からするとかなり狭く、慣れるまでは、かなり窮屈な感じがします。
真ん中の写真は、たばこ屋さんですが、この日は閉まっていました。たばこ以外にも雑貨などを売っていたと思うのですが、詳細不明です。ビルは鉄筋コンクリートなんですが、このように、出入り口がガラスの入った引き戸になっていて、いわゆる町中にある商店の雰囲気です。相当に古そうです。こちらのご主人にはお話をうかがってみたいのですが、まだ機会がありあせん。
右の写真は、このビルの一番右側部分[神保町寄り]の玄関です。もう無人のようで、ドアには「御用の方は…へ」という貼り紙がしてありました。このビル、取り壊しにはならないという話でしたが、ここは、今後ずっと空いたままにしておくのでしょうか? 人事ながら気になります。一等地だけに…。

【場所】千代田区神田神保町3丁目あたりです。

神保町3丁目(感覚的には九段下)に、昭和2年(1927年)に竣工したという鉄筋コンクリート3階建ての建物が残っています。建物の名前は「九段下ビル」。僕が初めてこの建物に気が付いた頃(30年以上前)すでに「うわっ古い」という印象でしたから、この建物、もう徹底して年期が入っています。
これは気になるビルのひとつでしたが、近くにある建物や場所というものは、とかく「いつでも行ける」という安心感から、なかなか足を運ばないものです。ところが、先頃(と言ってもかなり以前)、この建物がネットで覆われてしまったのです。「これはイカン。取り壊しの前兆かも?」と思い、ネット検索などしてみると、同様の印象を受けた人が多いようです。火のない所になんとやらです。とりあえず、一昨日、そのビルを目差して歩きはじめました。ところが、僕の習性か?とにかく道草が多く、九段ビルにたどり着いた頃には、すでに太陽が沈みかけていました。
というわけで、この日は全景を撮る時間がなく、左の写真は翌日(冷たい雨の日)撮ったものです。ま〜なにもこんなに陰鬱な日の写真をアップしなくても、と思いますが、逆に考えると、それが希少価値かも(^^;です。
右の写真は、このビルの裏側です。すぐ裏手のビルが取り壊されているのですが、どういうわけか、その壁の一部だけがこうして残されています。補強的or目隠し的な意味でもあるのでしょうか? それにしても、この光景、初めて目にするとアッと驚きます。見ようによっては、NYのダウンタウン辺りのようにも見えませんか? 日本的ではない雑さがあって、カッコよく見えたりします。

【場所】千代田区神田神保町3丁目あたりです。
【余談】このビルにオフィスを構えていらっしゃる方にお話を伺う機会があったのですが、取り壊しなどという話はまったく出ていないそうです。とりあえず安心です。
【追記】このビルの写真は、一気に紹介しきれませんので、何回かに分けてエントリーします。

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