港区の最近のブログ記事

"NO MAN'S LAND" FLAG

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既にウェッブ上で語り尽くされた感もありますが、タイトルの "NO MAN'S LAND" について簡単に説明すると、以下のようになります。

2009年11月にフランス大使館が新庁舎に移転し、旧庁舎(1957年築)は取り壊されることになったが、その前に、あらゆるジャンルの創作の場として、建物と敷地全体を内外のアーティストに提供し、その製作課程や作品とともに旧庁舎建物を広く一般に見てもらう最初で最後の機会とする催し。

この催しについては、発表された頃から気になっていたのですが、何かとバタバタと日々を過ごしているうちに、会期最終日が過ぎてしまいました。が、最後の最後になって、会期が2月18日まで延長されたため、その最終日の夕方にやっと "NO MAN'S LAND" にすべり込むことができました。

時間が無かったため、機関銃を撃つように(^^;写真を撮ってきはしましたが、作品紹介的な写真はネット上に多々見られます。また、 "NO MAN'S LAND" の全貌を二三枚の写真で言い現すことも難しいことですから、ちょっと自己満足的(^^;ですが、こうした素敵な催しを実現してくださったフランス大使館に敬意を表し、3枚の写真を並べ、"NO MAN'S LAND" の国旗に見立てた次第です。

■関連エントリー■
KARAKARA-FACTORYNo Man's Land/ 在日フランス大使館・旧庁舎
MADCONNECTION在日フランス大使館・旧庁舎

【場所】港区南麻布4丁目です。

タワーとツリー

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スカイツリーの背が相当に高くなり、街を歩いていると、「え、ここから...」と思う場所からも、姿が見えるようになってきました。

そんなこともあってか、最近は、ネットや新聞、TVなどで頻繁に目にするようになり、ついには、スカイツリーが見える...ことをウリにしたホテルまで建設されるとか...。スカイツリーを新たな観光資源に...という動きが活発化してきているようです...。

そんなスカイツリーに圧倒され、最近ちょっと影が薄いのが東京タワーです。ライトアップに変化をつけてみたりと、あれこれ工夫はしているようですが、やはり、世界一背が高くなる新人を相手の競争は、なかなかしんどいようです(^^;

ところで、スカイツリーの表情がかなりハッキリしてきたいま感じるようになったことがあります。それは、"人間が造った建造物...東京タワー" に対し "ロボットが造った建造物...スカイツリー" という違いです。そこには決定的な温度差を感じます。

風景として見るときに、この違いは、ボディブローのように、いずれ効いてくるような気がしてなりません。エッフェル塔に比べると貧相な東京タワーですが、スカイツリーに比べればずっと暖かみがある...と感じるようになりました。スカイツリーの世界一はいいですが、競うポイントがもう既に前時代的ですね...。

【場所】港区三田3丁目/芝5丁目あたりです。

街の氷山

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明治通りを、表参道との交差点を越えて、渋谷方面にしばらくゆくと、左手に、否が応にも目を惹く建物が見えてきます。

写真中央に写っているのがその建物ですが、1階部分に"Audi Forum Tokyo" とあるように、ドイツの自動車メーカー・アウディが、日本での文化活動の拠点として使用しているようです。

それにしても大胆なデザインのビルです。よくもこんな立体を頭のなかで描けるものだ...と、感心してしまいます。設計者の頭のなかをのぞいてみたくなります。

ところで、このビルの名称はIcebergとのこと。氷山...というわけですね。というわけで、ビルの全景などは次の機会に紹介することにし、今日は、街なかに氷山が流れ着くとこうなる...という風景にとどめます(^^; これも地球温暖化の影響か?(^^;

【場所】渋谷区神宮前6丁目あたりです。

芝の看板建築

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ちょっと間があきましたが、また港区の芝から...です。
田町駅に近いビルの谷間に、こんな素ン晴らしい看板建築が潜んでいました。

この連なった看板建築は、一見、長屋に見えますが、左端の棟は独立しています。右の2棟はつながっているのかいないのか...ちょっと判断が難しいところです。中央棟の1階部分が横に張り出したりしていますから、なおさらです。裏手にまわってみると、ひとつ瓦屋根の下...という感じがしましたが、実際にはどうなっているのでしょうか...。

ま、ともかく、そんな看板建築ですが、これはもう、見た途端に一目惚れ...という感じです。上記した中央棟の横方向への凸凹や2階のバルコニー的なデザイン。抑えた黄色と茶...という配色。右隣は渋くグレーにまとめながらも、ガラス戸の格子などキラリとさせ、名脇役を決めています。
ただ、左の餃子屋さんの壁の色にちょっと難あり...のような気がします。デザイン時に、左端棟のことしか頭になく、"トリオで..." という意識が薄かったのでしょうね(^^; 惜しいです。しかし、屋根をピンと跳ねあげて、輪郭面では、トリオの一員としての役割を十分に果たしているようです。

色彩面では減点もありますが、とにかく、この連なった看板建築、総合的に見て、東京に残るもののとしては屈指の名品だと思われます。

【場所】港区芝5丁目あたりです。

芝の種育場&競馬場

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この写真も、ここ二三日エントリーをつづけている芝で撮ったものです。表通り沿いの城壁(ビル)が取り壊されたようで、こうして、まちの内部の様子が外から見える部分がありました。

この辺り一帯は、住所で言うと芝3丁目になりますが、ビルの城壁を越えて、一歩まちの内部に入ってみると、トタンの平家や下見張りの家屋、それらで形成される細い路地などがまだまだ残っています。この都心中の都心にです...。周囲の、高層ビルが林立する区画とは決定的に異なる風景があります。

その様子は、この航空写真をご覧いただくと、お分かりいただけるか...と思います。ここは "建物と時間による真性スリバチ" を形成している...と言えそうです。

その古いまちを歩いていると、あちこちに掲示板があり、それらには"北四国町会"と書かれています。僕はこの辺りのことをよく知りませんから、「え、この辺りって四国出身の人たちが移り住んだ土地ってこと?」としか想像できませんでした。

が、どうも"四国町"というのが気になり、その町名由来について、ちょっと調べてみました。すると、この芝3丁目あたりが、非常に興味深い土地柄であることが分かってきました。

なんと、この辺りには、江戸期に四国の大名の屋敷が在った。そして明治5年にそれらを併せて "三田四国町" とした...というのです。
また、明治10年には、三田種育場という、西洋の種苗・農具の輸入と実験・普及にあたる施設が(旧薩摩藩邸跡に)開設され、明治12年には、種育場内に競馬場まで設けられた...ということです(参考:ニッケミ/東大のHP)。

その後、それらの施設も競馬場も、民間に払い下げられ(明治23年頃から...のようです)、姿を変えたようですし、この一帯は、大戦で被災もしていますから、いま歩いてみても、種育場や競馬場が在った頃を偲ばせるものはありません。ただ"北四国町会"という町会名が、当時の記憶を消さないよう頑張っている...というところです。

そんなわけで、以下に掲載したのは、明治のこの辺りの変遷を示す地図です。残念ながら、江戸期の適当な地図(四国の4藩邸が記されているもの)は探せませんでした。



【左】明治17年頃の地図です。種育場と競馬場が描かれています。残念ながら下部が収録されていません。
【中左】明治30年頃の地図...ということです。種育場と競馬場の全体が描かれています。が、この地図は、年代までは信じ込まないほうが良さそうです。
【中右】明治40年頃の地図です。種育場と競馬場が姿を消し、現在のまちの区割りに近づいていることが分かります。
【右】現在の地図です。

【場所】港区芝3丁目あたりです。

芝のスノーマン

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前エントリーの写真がかなり重い感じでしたので、今日はちょっと軽めに...です。また、外は冷たい雨...なので、この写真(写っているのは雪男ですが(^^;)ですこしでもホワッとしていただけたら...です(^^;

この写真を撮った場所は、前エントリーの写真を撮った場所にごく近いのですが、なんだか、違うまちで撮ったもののようです。東京というところは、ほんとに、感覚のごった煮状態といいますか、分裂的に様々な感覚が混在しているまちですね。ま、そこが面白いのでしょうが...。

ところで、このスノーマンとおぼしき絵ですが、マンションだかテナントビルだか分かりませんが、そんな、まちなかによくあるビルの、使用目的がよくわからない空間の壁に描かれていました。

実は、このスノーマンとおぼしきものには、これ以前にも気づいていたのですが、写真を撮るには至りませんでした。が、このときは、この近所で働いているのだろうと思われる、若い男性が、こうして、壁にもたれかかり、携帯で話しをしていました。

すると、この組み合わせ位置関係になる前は単なる絵でしかなかったスノーマンに生命の息吹が!(^^; というわけで、シャッターを切った次第です。

【場所】港区芝5丁目あたりです。

芝の元うなぎ屋

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ここは港区の芝です。それも、桜田通りからほんの10メートルほど入った場所です。こんな、怪物(^^;とも言えそうな建物が残っていました。

こちら、元うなぎ屋さんのようですが、ちょっと変わった形をしています。どうやら、左手の2階家部分が住居で、右手の平屋部分が店...のようです。建物を斜め前方から見ると、その感じがお分かりいただけるかと思います。こんな感じです。

この芝界隈は、もうかなり再開発が進んでいます。表通りにはビルが立ち並び、一種の城壁(^^;と化しています。したがって、表通りからでは、まちの内部の様子はうかがい知れません。しかし、ここは都心中の都心。まち全体がビルで覆い尽くされているものとばかり思っていました。

が、しかし、一歩なかに入ってみると、意外なことに(僕にとっては...ですが)、こうした古い家や細い路地が、細々ではあれ、残っていました。そこだけ切り取ってみると、まるで時代が違います。なんだか東京とも思えないくらいです。

ところで、この写真を撮るに至った経緯がちょっと面白いので...。
昨日、Twitter画面を眺めていると、やまだsanが、都内のあちこちから、連続的に、写真を撮ってはアップなさっていました。そのなかに、この建物の一部を撮った写真がありました。昨日、僕は田町から高輪方面へ歩こうと思っていたのですが、その写真を見て気が変わり、芝ウロウロに変更...にあいなったのでした(^^;

【追記】店の入口脇に「創業 明治23年」とありました。
【場所】港区芝3丁目あたりです。

義塾のお膝元で

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ここは、田町駅前の慶応仲通り商店街のなかほどです。いまや飲み屋街と化していますが、昔は、どこにでもよくある、フツーの商店街だったようです。

その商店街で目にしたのがこの建物です。周囲の飲食店とはかなり異質です。昔を知りませんので、どんな経緯で現在の姿になっているのか分かりませんが、ご覧のとおりで、立派な建物です。石材+銅板+トタンの外壁に木枠の窓とドア...と、かなり自由奔放(^^;に造られているようですが、違和感はありません。

しかし、この古さで、この感覚...。さすがに慶応義塾のお膝元の街の建物という感じがします。現在は、住まいとして使われているようですが、もしやこれが洋書屋だったりしたら、たまんなくいい感じでしょうね〜。

でも、いまや、それは贅沢というもののようですね...おかしなことですが...。安っぽいケバケバとした電飾看板を掲げた安い(値段ではなく...)飲食物を提供する店は増殖していると言うのに...です。

こういう建物は、それこそ土地の記憶の一部。無くならないで欲しいですね。

【場所】港区芝5丁目あたりです。

高浜橋北詰

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芝浦からの写真がつづきます。ここも、前&前々エントリーの場所から遠からず...の位置にあります。

芝浦の埋立地を南北に走る、旧海岸通りという、雰囲気のある名の通りがありますが、その通りは何度か橋で運河を越えます。そんな橋のひとつに高浜橋があります。今日の写真は、その高浜橋のうえから、北方向を撮ったものです。

ここにも、夕凪橋のたもとと同じように、トタンの家が密集している一画があります。いまでは、お店と住まいとが半々...のようですが、元々は、すべてが店だったのだろうという感じがします。

この一画は、この写真と反対側から撮ると、トタン家の飲み屋街...という雰囲気が強調されるのですが、この方向からですと、家が運河に脚を突っ込んだ状態&運河を渡る太いパイプ...といったところが強調されます。

どちら側からも撮ってありますが、どちらか一方を掲載...ということになれば、やはり問題なく、こちら側からの写真ということになります。いまや、こうして、家が脚を運河に突っ込んでいる...なんて図はそうそうありません。また、この太いパイプは給水管のようですですが、これが、対岸に浄水場が存在することを匂わせます。そのあたり...大事ですね(^^;

港区というと、つい青山や六本木の華やかな風景を思い浮かべますが、前々エントリーからつづけた風景も、間違いなく港区の風景「である」わけですね。ま、背景を見ただけでも、もう少しで「であった」になることは想像に難くないわけですが...。とにかく、物事、一筋縄ではいかないわけです(^^;

【場所】港区芝浦4丁目あたりです。

芝浦4丁目の桟橋

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ここは、前エントリーで言及した運河です。芝浦西運河と呼ばれています。写真は、その運河にかかる橋"夕凪橋"のうえから撮ったものです。

ここは、運河の幅が広く、水面もすごく穏やかですから、ちょっとハーバーのようにも見えます。が、間違いなく運河の一部です。そこに細長い桟橋が設置され、こうして多くの船が係留されています。大半は働く船のようですが...。

この桟橋の風景は、とてもいい感じです。雰囲気があります。その理由は、実用...ということにつきると思います。まず、この桟橋が素っ気ないくらいに実用一点張りの設計であること。そして、上記しましたが、係留されている船が、これまた実用的デザインのものが多いことです。

そんなこともあって、ここは、プレジャーボートの基地となる商業施設ハーバー(マリーナ)とはまるで雰囲気が違います。いわゆるマリーナなどにはほとんど感じられない、日常の匂いがあります。それは、英国の運河を旅するボートの風景などに感じられるものと共通しています。

ということは、日本(東京)だって、やれば...やろうと思えば...出来るんですね(^^; こうして質素で良いから、街から遠くない距離にパブリックの桟橋があって、セルフビルドに近い小型船が浮かんいたら...などと想像すると、かなり国(都市)のイメージが違ってきますね...。

【場所】港区芝浦4丁目あたりです。

芝浦の運河沿い

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田町(三田)に行く機会がありましたので、久しぶりに、芝浦のこの一画を見に行ってきました。

素晴らしいトタンの長屋の集合体でした[注:後日、長屋ではないことが判明しました]。が、もうかなり前のことですが、その大半が取り壊されてしまいました。それは、羽田へ行くモノレールのなかから見て、気づいてはいたのですが、今日はじめて、その状況をそばで見てきました。

その様子がこちらです。もう2棟を残すのみでした。また、道を挟んで反対側にも、トタンの愛らしい建物が在ったのですが、そちらももう更地になっていました。

実は、この建物のすぐそばに運河が流れているのですが、トップの写真は、その運河の対岸から撮ったものです。トタンの家が、ビルに押され、いまにも運河に落とされそうです。ま、とにかく、トタンの家からこちら側と、その向こう側とでは、あまりに世界が違いますね。

【場所】港区芝浦4丁目あたりです。

新橋 十仁病院

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ここは、ご存知の方も多いことと思いますが、新橋駅に近い場所で、手前に見える古い建物群は、美容整形で有名な十仁病院です。いつ頃からだったか記憶はありませんが、かなり以前から、再開発を待つばかり...という雰囲気を漂わせていました。が、つい最近、ついにフェンスの向こうに姿を消したようです。

僕は、十仁病院のお世話になったことはありませんが(^^; このすぐ右隣に、新橋第一ホテルがあり、もうかなり昔のことになりますが、実は、そこに勤務していた経験があります。学生から社会人 (成りきれませんでしたが(^^;) へ...という時期を過ごした場所ですので、この辺りの風景には、かなりの懐かしさを覚えます。

当時の第一ホテルは、現在のような中途半端な高級路線ではなく、本格的ホテルサービスを大衆へ...という路線で、客室稼働率が100%を超えるのが当たり前...。とても活気がありました。建物も、古い茶系タイル張りで、お隣の、この写真に写っている一画と、よくマッチしていました。

この古い一画が無くなると、もう、当時の面影を残すのは、この左手にある、ガード下の大人のオモチャ屋...くらいでしょうか...。

【場所】港区新橋1丁目あたりです。

虎ノ門「般 若」

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夏…でしたね、今日は…。銀座で用事を済ませ、時計を見るとまだ4時です。日没まではまだまだ時間があります。「では何処へ行こうか?」と、しばし思案。結局、近場の新橋から虎ノ門あたりを歩くことにしました。例の環状2号線(マッカーサー道路)沿いの風景が気になっていたこともあって…。
歩いてみると、やはり、工事は進んでいます。つい先日在った建物が消えていたり、通れた路地がフェンスで囲われ、通れなくなっていたりと…。

そんな風景を見ながら、新橋から虎ノ門1丁目を抜けて、2丁目に入ったところで、およそ、僕が描いていた虎ノ門のイメージとはほど遠い、間口一間の小さな家やトタン家が目に飛び込んできました。かなりコーフンです(^^;

しかし、もっとコーフンさせられたのが、ビルの谷間の更地の真ん中にポッツーンと建つ、ツタの塊と化した、木造モルタルトタン張りらしき二階家を目にしたときです。近づいてみると、どうやら喫茶店のようです。いや、喫茶店です(^^; 店名はなんと「般若」。う〜ん、なんとも恐ろしげです(^^; が、この店名…どこかで耳にしたおぼえがあります。誰かのブログかな〜などと考えれど、思い出せません。

愛宕山から

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今日は、港区にある愛宕山についてちょっとチェックしましたので、その覚え書きエントリーです。
先ずは、数値地図とカシミール3Dを利用して作製した愛宕山の俯瞰図です。西側からほぼ東に向かって見たところです。地上の造作物を取り除くと、こんな形をしているわけでですね。右手には東京湾の水辺が見えています。しかし、本当に唐突な凸地です。
これを地理的に説明するなら、淀橋台の東端に位置する、南から北に向かって伸びる尾根ということになります。そして、その先端部 (岬) (俯瞰図で言うと左端) に、愛宕山の名の由来ともなった愛宕神社の境内があります。

ところで、愛宕山の地形的生い立ちについて調べてみましたが、これが意外と見当たりません。そんなときに頼りになるのが、『川の地図辞典』でブログ界を震撼させた之潮(コレジオ)さんです。同社刊の『江戸・東京地形学散歩』の第2章「地形形成史を訪て」に、愛宕山についての記述がありました。以下に、その一部を引用させたいただきます。

愛宕山は淀橋台の東端部に位置している。小さな寺が多数並んでいる西側の谷は、古神田川の支谷であったところで、最終氷期の極相期には、愛宕山の北を回り、東側の古神田川谷に合流していた。すなわち、愛宕山は南から延びてくる小さな尾根の先端部となった。東京湾に面していた東側は波食されて、海食崖が形成され、やせ細った。地図にある三角点の標高は25.93mで、周囲の低地の標高は0mに近い。中世末までは、日比谷入江とその先の江戸前島が一望できた景勝地であったことが容易に想像できる。

うぬ〜出てくる語句が難しい(^^; これを読み砕くには、それなりの地理地質的な知識を要求されますが、ま、な〜んとなく朧気ながら...には理解できます(^^; とにかく、この凸地の形成には太古の時代の川が絡んでいること、その東側の急な崖は東京湾の荒波が削り出したもの...ということが分かりました。ま、それだけでも収穫としましょう(^^;

ところで、今日の写真ですが、これは、愛宕山の北端の崖を巻くようにしてつけられた新坂と呼ばれる坂の中途から、ほぼ東に向かって撮ったものです。僕が歩いたかぎりでは...ですが、現在、愛宕山から海側の低地をやっと見通すことができる唯一の場所がここでした。

【追記】クリックすると表示される地図は、参謀本部陸軍測量局「五千分の一東京図」(明治20年刊行)の一部です。『江戸・東京地形学散歩』に収録されている地図とは異なります。
【追記】『江戸・東京地形学散歩』の著者・松田磐余さんによる論文東京低地西部の地形・地盤と地震被害 (PDF)にも関連する記述があり、参考になるか...と思います。僕には、ごく一部を除き、難し過ぎてお手上げですが...(^^;

【場所】港区愛宕1丁目あたりです。

愛宕フルハウス

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先日、愛宕の路地の写真をエントリーしましたが、今日は、そのつづき…という感じです。そこで目にした古ハウスの絶品です。

なんと激渋ピンクの南京下見張りの家です。左手はすぐに愛宕山ですが、それにピッタリ寄り添うようにして建っています。もう愛宕の山と一心同体状態です。しかも、この細さ…。もしや、愛宕山側に横穴が空いていて、そこが大広間になっていたりしないか?という勢いです(^^; そして、手前に付けられた鉄の螺旋階段とそれを覆うトタンの造形が、もう何とも言えません。素晴らしいのひと言です。

ところで、この家ですが、実は敷地が三角形になっていて、反対側はいくらか広くなっています。したがって、実際には、この角度から見るほど小さくはありません。また、ちょっと洋風な感じがしますが、裏手にまわってみると、瓦葺きの建物であることがわかります。
ご近所の方(高齢の男性)によれば、この建物は、その方が子供の頃(戦前)に既に建っていた…ということですから、おそらく昭和初期のものだろう…ということでした。当時は、とてもモダンな家だったそうです。いかにもそんな感じがします。
その方が小学生だった頃、この家に友達が居て、なかに入ったこともあるそうですが、見た目よりもなかが広い家だった…ともおっしゃっていました。また、この家の周辺は、戦災で焼失した家もあるそうですが、この家は、風向きに助けられて残った…とも。

ともかく、長年にわたり、愛宕の歴史を目撃してきた家だということですね。しかし、それにしては、輪郭がしっかりしていて、大したものです。

【場所】港区愛宕1丁目あたりです。

愛宕ノ下 竹内商店

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本日、小雨をついて、東京23区の最高峰・愛宕山の初登頂に成功しました!(^^; いや、なかなか感動ものです。頂上には、NHKの放送博物館と、愛宕山の由来ともなった愛宕神社があり、そこそこ人影も見られました。しかし、麓から神社につづく石階段の急なこと…。上るのはまだしも、とても下る気にはなれません。この階段はほんとにアブナイ!(^^;
ところで、愛宕大権現を祀る神社ですが、これは期待以上でした。神社というのは、どこか胡散臭いといいますか、いかがわしさ(のようなもの)がないと、ご利益があるような気がしませんが、その点、愛宕神社はその条件を十分に満たしていました。

そんな愛宕神社境内をしばらく歩いた後、なだらかな坂道のほうを選んで、下山しました。いよいよ、本来の目的地である麓の低湿地帯です。そして、昨日、愛宕にお住まいの方と立ち話をした際に、「あの辺りにまだ古い家が残ってるよ」と教えていだたいた方面を目差しました。
すると、ありました! 残っていました! 現在の港区のイメージとかけ離れた建物が…。その辺りは、愛宕山の西側直下で、住居表記で言うと、虎ノ門3丁目あたりになります。江戸期・明治期の地図を見ると、寺社だらけの一帯です。その名残で、いまでも、チラホラとお寺が見られます。今日の建物は、そのお寺とお寺の間にポツンとたつトタン看板建築です。これが何とも愛らしく、たまりません。よく残っていたものですね〜。とにかく素晴らしいです。本日の収穫って感じですね。これも愛宕大権現のご利益か?(^^;

ところで、余談ですが、左に見えているのは栄閑院というお寺で、「解体新書」や「蘭学事始」で知られる杉田玄白のお墓がある…と書かれていました。

【場所】港区虎ノ門3丁目あたりです。

愛宕山の麓

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東京23区の最高峰・愛宕山の麓にある町で撮った写真です。というと、なんだか凄そうですが、愛宕山の標高は25.7メートルです!(^^; でも、ま、昔は、山頂からの眺めが素晴らしいことで知られていたようです。
この写真を撮ったあたりは、愛宕山の麓にひろがる低地で、江戸期には、愛宕ノ下と呼ばれていたそうです。

さて、なぜこのあたりを歩いたか?と言いますと、先日来、このエントリーでちらと触れた、マッカーサー道路建設の現場が気になっていました。が、その後、なかなか行く機会がなく、悶々としていたのですが、昨日、銀座へ行く用事 (と言っても、BEAMSでDYMOを探し、Apple Storeでマシンについての相談だけ(^^;) がありましたので、その足で、新橋へまわり、そこから北へ歩いてみた...というわけです。

ま、とにかく、再開発の進行中には、とんでもない風景が出現しますが、この道路建設の現場もその例に漏れません。いやはや...という風景が目白押しです。そんな風景に目を奪われながら、愛宕あたりまで歩いたところで、ふと、道路予定地からちょっとそれた位置にある、1本の路地に目がとまりました。両側をふさふさとした園芸の帯に覆われた狭い路地です。とても港区内とは思えない風景です。

思わずそちらに引き込まれてしまいました。しかし、さすがに山の麓の低湿地です。午前中に降った雨が、まだ水溜まりをつくっています。緑の匂いが、水蒸気と一緒になって立ちのぼり、それが辺りに充満しています。落ち着きます。思わぬ展開でした...。結局、ここで歩くのを止め、あたりが真っ暗になるまでこのあたりに留まり、路地の匂いを満喫してきました。路地園芸浴...ですね(^^;

【場所】港区愛宕1丁目あたりです。

烏森の路地

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なんとなく久々の路地系の写真です。路地といっても、新橋烏森の路地ですから、完全な飲み屋街の路地です。普段、僕には縁のない場所です(^^; 先日、汐留から足を伸ばす…ということでもなかったら、こうして写真を撮ることなど、まずなかったかも?です。
さて、その烏森ですが、新橋駅に近いところは、もうネオンだらけで、いわゆる繁華街の様相を呈しています。が、外れに近づくにつれて、ギラギラ度は下がり、いかにも路地…という雰囲気がでてきます。シットリ感が増してくるといいますか…。

この写真の路地は、そんな、ネオンが途切れがちになるあたりにありました。烏森の路地の多くは直線的で、街は碁盤の目状態になっていますが、この路地は、適度な曲がりがあり、雰囲気十分です。基本的には…。
というのは、もう路面の舗装がいけません。こういう路地らしからぬ(なんて誰が決めたのか知りませんが(^^;)舗装を見ると、興醒めです。そして、電飾看板が、これまたいけません。最近は、こういった街に、チェーン店とおぼしき店の看板が増えています。これはどこの街で見ても同じ…当たり前ではありますが…。しかし、面白くありません。そして、その極みは、コンビニの看板です。これが掲げられると、もうその路地は路地でなくなります(^^; しかも、飲み屋街に「酒」の看板…。自由競争なんでしょうね〜。そんなことが、見た目の風景のみならず、何か大切なものをぶち壊しているように思えてなりません。
この路地は、とても素敵な骨格をしています。しかし……なのです。残念ながら…。

【場所】港区新橋4丁目あたりです。

烏森 高木酒店

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汐留の、旧国鉄の貨物駅跡地を再開発した、汐留シオサイトなる複合都市に、初めて足を踏み入れてきました。いや、もう、なんともはや…です(^^; 人工的&無機そのもの。威圧されはしますが、街としては全く面白くありません。というわけで、シオサイトは早々に切り上げ、新橋に向かい、久々に烏森あたりを歩いてきました。

驚いたのは、新橋4丁目あたりが、更地だらけになっていたことです。今日、歩くまで知りませんでしたが、どうやら、環状2号線(マッカーサー道路)の工事が着々粛々と進められていたようです。が、その計画地に、まだ建物はけっこう残っていますし、その建物で営業をつづける店や会社などもあるかと思うと、その向こうにはガラスの高層ビルが聳える…という具合で、相当にグチャグチャな風景がひろがっています。もうかなり昔に、再開発中の小松川や三田あたりを歩きましたが、その時見た風景が重なって見えるようでした。

今日の写真は、環状2号線にギリギリ引っかからなかった区画にあった、古い建物の酒屋さんです。2階の天井の低さが、より一層、時代を感じさせます。この近くの烏森稲荷の参道にも、これと似た、2階の天井の低い建物が並んでいたりしますから、その昔は、きっと、烏森一帯には、こういった建物や長屋が軒を連ねていたのだろうことが想像できます。
ところで、ここは烏森と呼ばれる場所柄、酒屋さんは必要不可欠なんでしょうね。建物こそ古く、こぢんまりとしていていますが、ご商売のほうは繁盛なさっているように見受けました。頑張っていただきたいです…。

【場所】港区新橋4丁目あたりです。

白昼の黒闇

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この写真は、つい先日、新橋駅のガード下で撮ったものです。このあたりでガードを絡めた写真を撮っていると、どこからともなく、フード付きのコートを頭からすっぽりと羽織った路上生活者らしき人影が現れました。光は真逆光でしたので、顔などはよく見えません。この写真のとおり、僕の目の前にあるガードの橋脚とその人影だけが、真っ黒に浮かびあがって見えます。そこだけが、周囲から切り離されたように、まるで別世界に感じられました。

真っ昼間の街なかで、「一寸先は闇」という言葉を思い浮かべます。東京の街は、どこもが、夜でも、明るくなってゆきます。街から影…暗がりや闇…が排除されてゆきます。が、光がある限り影も存在し、光が強くなれば影も濃さを増します。
咄嗟にシャッターボタンを押した後に、そんなことが妙にひっかかる光景でした。

【場所】港区新橋2丁目あたりです。

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