港区 - Minatoの最近のブログ記事

小さな森の妖精


@ Akasaka, Minato, Tokyo

ひとかげ



@ Akasaka, Minato, Tokyo

芝浦キュウポラ


2006 @ Shibaura, Minato, Tokyo

六本木裏空間


@ Roppongi, Tokyo, JP


六本木の交差点からそう遠くない場所です。ちょっと裏にまわると、最近の開発にあえばとても残ることのない、こうした"無駄"な空間がまだ見られます。しかし、ひと頃なら「なんだか落ち着くな〜」なんて呑気なことを言ってられる空間でしたが、今では「線量高そうだな...」がまず最初に思うこと...。

旅へ...


@ Shiba, Minato, Tokyo

高輪の看板建築

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今日、東京ではしとしと雨が降っていますが、昨日は、よく晴れた実に気持ちの良い初冬日でした。きれいな光を浴びながら、キリッと冷えた空気のなかを、ペダルを漕いで駆け抜ける爽快感...悪くありませんでした(^^;

そんなことを思いながら、昨日は、蒲田方面に向けて走っていました。そして、田町あたりを過ぎ、品川駅がもうすぐ...というところで目に入ってきたのが、この看板建築です。

この場所は、上記したとおり、品川駅に近く、しかも第一京浜という大幹線道路に面しています。したがって、周辺は、この写真でもその一端を垣間見ることができますが、ピッカピカとしたビルで埋められています。そんな環境のなかにポツンと...しかしガツンと(^^;残っているのがこの建物です。

看板によれば、どうやら、自動車部品を製造する三徳部品という会社のようです。建物は、かなり古そうですが、状態がとても良いのは、現役で使われている証でしょうね。実は、このすぐ右手に同じ会社の社屋が在ることからも、そんなことがうかがえました。

それにしても、この建物、銅板張り・トタン張り・板張り...と、壁面の仕上げ方を網羅した...とも言えます。いやもう、ある意味、豪華絢爛です(^^;(^^; 魅せてくれます...この建物。素晴らしいです。永遠なれ!(^^;

【場所】港区高輪3丁目あたりです。

背伸びする街


汐留から虎ノ門にかけて、いまどき、幅広(40m)の道路が建設中です。その道路については以前にも触れたことがありますが、マッカーサー道路と呼ばれ、基本計画が構想されたのはなんと1946年のこと...。それが、これまたなんと、半世紀後の2005年になって着工された...という、いろんな意味でお化けのような道路です。

昨日、自転車で皇居のあたりを走っていて、ふとその工事のことを思い出し、そちらに向かってみました。

現地に着いてみてビックリです。工事は着々と進んでいて、昨年あたりまでポツリポツリと残っていた古い建物はすべて無くなり、ポッカリと空間の帯が出来あがっていました。

そればかりか...です。昨年までは無かった(と思う)ビルが建ちあがっていました。下階が商業スペースで上階が住宅...というつくりでしたから、きっと、道路建設によって立ち退かれた方々もこちらに住まわれるのだろうと思われます。

それにしても、なんという素早さ、なんという変わりかた...です。そして、こうしてみると、人の暮らす標高平均がどんどん上がっていくのがわかります。さすがに最近のこの傾向...ちょっとまともじゃない気がします。

【場所】港区新橋4丁目あたりです。

煙る東京湾

全国的に雨のところが多いようですが、東京も久々にお天気がぐずついています。

そのぐずついたお天気を記念して(^^;...ってことはありませんが、ま、なんとなく短絡的な発想から、今日のような、どんよりとした日の東京の風景をエントリーすることにしました。が、撮ったのはもうだいぶ前のことで、昨年の7月です。

しかし、東京湾...それもこうしてどんよりと雲が垂れ込めた状態では、撮った時期や季節なんか関係ありませんね。もしや、この辺りで一年を過ごす人だったら、何かを手がかりに、季節を言い当てることができるのでしょうか...。

ま、それはそれとして、晴れた日の港の風景も良いものですが、こうして、小雨に煙る埠頭の風景というものは、なにかもっと確信犯的に人を惹きつけるものがありますね。

【場所】港区港南・品川埠頭あたりです。

地理系基準点景

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昨日、特にどこを目差すわけでもなく自転車を漕いでいると、なんとなく隅田川沿いに出ました。が、佃島にわたる橋に差し掛かったところで陽が沈み、そろそろ戻ろうかな...と思ったところに、なにやら妙なオブジェのようなものが...(左端の写真です)。

そばに行ってみると、説明板があり、霊岸島水位観測所...と書かれています。うかつにも、これまで存在すら知りませんでしたが、どうやら東京湾の水位を観測している施設のようです。しかも、明治6年から明治12年にかけて「日本の標高を測量するときの基準となる東京湾の平均海面を測定した」とあります。そして「この平均海面を基準として、明治24年、 永田町に日本水準原点が設置された」とあります。
(注:地殻変動や埋め立てなどの事情により、場所や数値に多少のズレが生じたりしているようですが、そのあたりについては、ネットで検索するといやというほどヒットしますので、ぜひそちらで...。)



つい先日、ブログを巡回していて "PACIFIC PEDAL LIFE DESIGN / アジア-パシフィックの自転車生活デザイン展" が開催されていることを知りました。

これは、東京ミッドタウンデザインハブなる団体による企画展...という位置づけだそうですが、その主旨は以下のように記されています:
アジアの都市生活の未来は、自転車とともに、快適に楽しく生活することにある。
クリーンでエコロジカルな移動手段として、ファッションやカルチャーとして、またインダストリーとして、いま改めて注目されるのが自転車です。 急速な経済成長をとげつつあるアジア諸国、とりわけ中国では、3.2人に1台、じつに4億台以上の自転車が、移動、運搬、販売など、生活のさまざまなシーンに重要な役割を果たしています。一方、クルマ社会が成熟した欧米では、メッセンジャーなどの仕事をはじめ、マウンテンバイクやBMX、知的に、オシャレに自転車を楽しむ生活など、新しいカルチャーが次々と発信されています。 本展ではこうした自転車を、「働く」「考える」「食べる」「走る」「遊ぶ」の5つの動詞から考え、実車と映像を交えて紹介します。

" s m i l e "

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昨日、六本木の東京ミッドタウンの前庭で出会った笑顔です。

実は、このところ、とかく気持ちが曇りがちでした。が、その曇りをぱっと払ってくれたのが、この最高の笑顔でした。

僕は、彼のことは何も知りません。このとき初めて出会い、彼の足もとにちょこんと佇むイングリッシュコッカー君が可愛くて、写真を撮らせてもらい、その後、コッカー君と彼の組み合わせがこれまた素敵なので、「ご一緒に...」と1枚だけ撮らせていただいたのがこの写真です。

それなのに、なんて素晴らしい笑顔なのでしょうか...。

この笑顔を見ていると、いやがおうにも "Smile" のメロディーが頭のなかを流れだします。「微笑もう たとえ心が痛んでいても / 微笑もう たとえ心が折れそうな時でも / 空が雲におおわれていても / だいじょうぶ...微笑みさえすれば / 人生まだ捨てたもんじゃない...」といった歌詞にのって...。

【場所】港区赤坂9丁目あたりです。

"NO MAN'S LAND" FLAG

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既にウェッブ上で語り尽くされた感もありますが、タイトルの "NO MAN'S LAND" について簡単に説明すると、以下のようになります。

2009年11月にフランス大使館が新庁舎に移転し、旧庁舎(1957年築)は取り壊されることになったが、その前に、あらゆるジャンルの創作の場として、建物と敷地全体を内外のアーティストに提供し、その製作課程や作品とともに旧庁舎建物を広く一般に見てもらう最初で最後の機会とする催し。

この催しについては、発表された頃から気になっていたのですが、何かとバタバタと日々を過ごしているうちに、会期最終日が過ぎてしまいました。が、最後の最後になって、会期が2月18日まで延長されたため、その最終日の夕方にやっと "NO MAN'S LAND" にすべり込むことができました。

時間が無かったため、機関銃を撃つように(^^;写真を撮ってきはしましたが、作品紹介的な写真はネット上に多々見られます。また、 "NO MAN'S LAND" の全貌を二三枚の写真で言い現すことも難しいことですから、ちょっと自己満足的(^^;ですが、こうした素敵な催しを実現してくださったフランス大使館に敬意を表し、3枚の写真を並べ、"NO MAN'S LAND" の国旗に見立てた次第です。

■関連エントリー■
KARAKARA-FACTORYNo Man's Land/ 在日フランス大使館・旧庁舎
MADCONNECTION在日フランス大使館・旧庁舎

【場所】港区南麻布4丁目です。

タワーとツリー

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スカイツリーの背が相当に高くなり、街を歩いていると、「え、ここから...」と思う場所からも、姿が見えるようになってきました。

そんなこともあってか、最近は、ネットや新聞、TVなどで頻繁に目にするようになり、ついには、スカイツリーが見える...ことをウリにしたホテルまで建設されるとか...。スカイツリーを新たな観光資源に...という動きが活発化してきているようです...。

そんなスカイツリーに圧倒され、最近ちょっと影が薄いのが東京タワーです。ライトアップに変化をつけてみたりと、あれこれ工夫はしているようですが、やはり、世界一背が高くなる新人を相手の競争は、なかなかしんどいようです(^^;

ところで、スカイツリーの表情がかなりハッキリしてきたいま感じるようになったことがあります。それは、"人間が造った建造物...東京タワー" に対し "ロボットが造った建造物...スカイツリー" という違いです。そこには決定的な温度差を感じます。

風景として見るときに、この違いは、ボディブローのように、いずれ効いてくるような気がしてなりません。エッフェル塔に比べると貧相な東京タワーですが、スカイツリーに比べればずっと暖かみがある...と感じるようになりました。スカイツリーの世界一はいいですが、競うポイントがもう既に前時代的ですね...。

【場所】港区三田3丁目/芝5丁目あたりです。

芝の看板建築

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ちょっと間があきましたが、また港区の芝から...です。
田町駅に近いビルの谷間に、こんな素ン晴らしい看板建築が潜んでいました。

この連なった看板建築は、一見、長屋に見えますが、左端の棟は独立しています。右の2棟はつながっているのかいないのか...ちょっと判断が難しいところです。中央棟の1階部分が横に張り出したりしていますから、なおさらです。裏手にまわってみると、ひとつ瓦屋根の下...という感じがしましたが、実際にはどうなっているのでしょうか...。

ま、ともかく、そんな看板建築ですが、これはもう、見た途端に一目惚れ...という感じです。上記した中央棟の横方向への凸凹や2階のバルコニー的なデザイン。抑えた黄色と茶...という配色。右隣は渋くグレーにまとめながらも、ガラス戸の格子などキラリとさせ、名脇役を決めています。
ただ、左の餃子屋さんの壁の色にちょっと難あり...のような気がします。デザイン時に、左端棟のことしか頭になく、"トリオで..." という意識が薄かったのでしょうね(^^; 惜しいです。しかし、屋根をピンと跳ねあげて、輪郭面では、トリオの一員としての役割を十分に果たしているようです。

色彩面では減点もありますが、とにかく、この連なった看板建築、総合的に見て、東京に残るもののとしては屈指の名品だと思われます。

【場所】港区芝5丁目あたりです。

芝の種育場&競馬場

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この写真も、ここ二三日エントリーをつづけている芝で撮ったものです。表通り沿いの城壁(ビル)が取り壊されたようで、こうして、まちの内部の様子が外から見える部分がありました。

この辺り一帯は、住所で言うと芝3丁目になりますが、ビルの城壁を越えて、一歩まちの内部に入ってみると、トタンの平家や下見張りの家屋、それらで形成される細い路地などがまだまだ残っています。この都心中の都心にです...。周囲の、高層ビルが林立する区画とは決定的に異なる風景があります。

その様子は、この航空写真をご覧いただくと、お分かりいただけるか...と思います。ここは "建物と時間による真性スリバチ" を形成している...と言えそうです。

その古いまちを歩いていると、あちこちに掲示板があり、それらには"北四国町会"と書かれています。僕はこの辺りのことをよく知りませんから、「え、この辺りって四国出身の人たちが移り住んだ土地ってこと?」としか想像できませんでした。

が、どうも"四国町"というのが気になり、その町名由来について、ちょっと調べてみました。すると、この芝3丁目あたりが、非常に興味深い土地柄であることが分かってきました。

なんと、この辺りには、江戸期に四国の大名の屋敷が在った。そして明治5年にそれらを併せて "三田四国町" とした...というのです。
また、明治10年には、三田種育場という、西洋の種苗・農具の輸入と実験・普及にあたる施設が(旧薩摩藩邸跡に)開設され、明治12年には、種育場内に競馬場まで設けられた...ということです(参考:ニッケミ/東大のHP)。

その後、それらの施設も競馬場も、民間に払い下げられ(明治23年頃から...のようです)、姿を変えたようですし、この一帯は、大戦で被災もしていますから、いま歩いてみても、種育場や競馬場が在った頃を偲ばせるものはありません。ただ"北四国町会"という町会名が、当時の記憶を消さないよう頑張っている...というところです。

そんなわけで、以下に掲載したのは、明治のこの辺りの変遷を示す地図です。残念ながら、江戸期の適当な地図(四国の4藩邸が記されているもの)は探せませんでした。



【左】明治17年頃の地図です。種育場と競馬場が描かれています。残念ながら下部が収録されていません。
【中左】明治30年頃の地図...ということです。種育場と競馬場の全体が描かれています。が、この地図は、年代までは信じ込まないほうが良さそうです。
【中右】明治40年頃の地図です。種育場と競馬場が姿を消し、現在のまちの区割りに近づいていることが分かります。
【右】現在の地図です。

【場所】港区芝3丁目あたりです。

芝のスノーマン

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前エントリーの写真がかなり重い感じでしたので、今日はちょっと軽めに...です。また、外は冷たい雨...なので、この写真(写っているのは雪男ですが(^^;)ですこしでもホワッとしていただけたら...です(^^;

この写真を撮った場所は、前エントリーの写真を撮った場所にごく近いのですが、なんだか、違うまちで撮ったもののようです。東京というところは、ほんとに、感覚のごった煮状態といいますか、分裂的に様々な感覚が混在しているまちですね。ま、そこが面白いのでしょうが...。

ところで、このスノーマンとおぼしき絵ですが、マンションだかテナントビルだか分かりませんが、そんな、まちなかによくあるビルの、使用目的がよくわからない空間の壁に描かれていました。

実は、このスノーマンとおぼしきものには、これ以前にも気づいていたのですが、写真を撮るには至りませんでした。が、このときは、この近所で働いているのだろうと思われる、若い男性が、こうして、壁にもたれかかり、携帯で話しをしていました。

すると、この組み合わせ位置関係になる前は単なる絵でしかなかったスノーマンに生命の息吹が!(^^; というわけで、シャッターを切った次第です。

【場所】港区芝5丁目あたりです。

芝の元うなぎ屋

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ここは港区の芝です。それも、桜田通りからほんの10メートルほど入った場所です。こんな、怪物(^^;とも言えそうな建物が残っていました。

こちら、元うなぎ屋さんのようですが、ちょっと変わった形をしています。どうやら、左手の2階家部分が住居で、右手の平屋部分が店...のようです。建物を斜め前方から見ると、その感じがお分かりいただけるかと思います。こんな感じです。

この芝界隈は、もうかなり再開発が進んでいます。表通りにはビルが立ち並び、一種の城壁(^^;と化しています。したがって、表通りからでは、まちの内部の様子はうかがい知れません。しかし、ここは都心中の都心。まち全体がビルで覆い尽くされているものとばかり思っていました。

が、しかし、一歩なかに入ってみると、意外なことに(僕にとっては...ですが)、こうした古い家や細い路地が、細々ではあれ、残っていました。そこだけ切り取ってみると、まるで時代が違います。なんだか東京とも思えないくらいです。

ところで、この写真を撮るに至った経緯がちょっと面白いので...。
昨日、Twitter画面を眺めていると、やまだsanが、都内のあちこちから、連続的に、写真を撮ってはアップなさっていました。そのなかに、この建物の一部を撮った写真がありました。昨日、僕は田町から高輪方面へ歩こうと思っていたのですが、その写真を見て気が変わり、芝ウロウロに変更...にあいなったのでした(^^;

【追記】店の入口脇に「創業 明治23年」とありました。
【場所】港区芝3丁目あたりです。

義塾のお膝元で

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ここは、田町駅前の慶応仲通り商店街のなかほどです。いまや飲み屋街と化していますが、昔は、どこにでもよくある、フツーの商店街だったようです。

その商店街で目にしたのがこの建物です。周囲の飲食店とはかなり異質です。昔を知りませんので、どんな経緯で現在の姿になっているのか分かりませんが、ご覧のとおりで、立派な建物です。石材+銅板+トタンの外壁に木枠の窓とドア...と、かなり自由奔放(^^;に造られているようですが、違和感はありません。

しかし、この古さで、この感覚...。さすがに慶応義塾のお膝元の街の建物という感じがします。現在は、住まいとして使われているようですが、もしやこれが洋書屋だったりしたら、たまんなくいい感じでしょうね〜。

でも、いまや、それは贅沢というもののようですね...おかしなことですが...。安っぽいケバケバとした電飾看板を掲げた安い(値段ではなく...)飲食物を提供する店は増殖していると言うのに...です。

こういう建物は、それこそ土地の記憶の一部。無くならないで欲しいですね。

【場所】港区芝5丁目あたりです。

高浜橋北詰

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芝浦からの写真がつづきます。ここも、前&前々エントリーの場所から遠からず...の位置にあります。

芝浦の埋立地を南北に走る、旧海岸通りという、雰囲気のある名の通りがありますが、その通りは何度か橋で運河を越えます。そんな橋のひとつに高浜橋があります。今日の写真は、その高浜橋のうえから、北方向を撮ったものです。

ここにも、夕凪橋のたもとと同じように、トタンの家が密集している一画があります。いまでは、お店と住まいとが半々...のようですが、元々は、すべてが店だったのだろうという感じがします。

この一画は、この写真と反対側から撮ると、トタン家の飲み屋街...という雰囲気が強調されるのですが、この方向からですと、家が運河に脚を突っ込んだ状態&運河を渡る太いパイプ...といったところが強調されます。

どちら側からも撮ってありますが、どちらか一方を掲載...ということになれば、やはり問題なく、こちら側からの写真ということになります。いまや、こうして、家が脚を運河に突っ込んでいる...なんて図はそうそうありません。また、この太いパイプは給水管のようですですが、これが、対岸に浄水場が存在することを匂わせます。そのあたり...大事ですね(^^;

港区というと、つい青山や六本木の華やかな風景を思い浮かべますが、前々エントリーからつづけた風景も、間違いなく港区の風景「である」わけですね。ま、背景を見ただけでも、もう少しで「であった」になることは想像に難くないわけですが...。とにかく、物事、一筋縄ではいかないわけです(^^;

【場所】港区芝浦4丁目あたりです。

芝浦4丁目の桟橋

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ここは、前エントリーで言及した運河です。芝浦西運河と呼ばれています。写真は、その運河にかかる橋"夕凪橋"のうえから撮ったものです。

ここは、運河の幅が広く、水面もすごく穏やかですから、ちょっとハーバーのようにも見えます。が、間違いなく運河の一部です。そこに細長い桟橋が設置され、こうして多くの船が係留されています。大半は働く船のようですが...。

この桟橋の風景は、とてもいい感じです。雰囲気があります。その理由は、実用...ということにつきると思います。まず、この桟橋が素っ気ないくらいに実用一点張りの設計であること。そして、上記しましたが、係留されている船が、これまた実用的デザインのものが多いことです。

そんなこともあって、ここは、プレジャーボートの基地となる商業施設ハーバー(マリーナ)とはまるで雰囲気が違います。いわゆるマリーナなどにはほとんど感じられない、日常の匂いがあります。それは、英国の運河を旅するボートの風景などに感じられるものと共通しています。

ということは、日本(東京)だって、やれば...やろうと思えば...出来るんですね(^^; こうして質素で良いから、街から遠くない距離にパブリックの桟橋があって、セルフビルドに近い小型船が浮かんいたら...などと想像すると、かなり国(都市)のイメージが違ってきますね...。

【場所】港区芝浦4丁目あたりです。
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