(谷中) 根津 千駄木の最近のブログ記事

根津遊郭の名残

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昨日、根津・千駄木・谷中あたりで、一箱古本市なる催しがあり、それに、じんた堂さんが参加なさるというので、僕も、午後になって、根津のオヨヨ書林という古書店前に、じんた堂さんをたずねました。そこでは、拙ブログにコメントをくださる菊坂の与太郎さんと、初めてお会いすることにもなっていました。
ま、そんなわけで、じんた堂さんの箱のまわりをウロウロしたり、じんた堂さんの休憩時間に、与太郎さんと3人でお茶にしたり...と、のんびりとした午後を過ごしてきました。
が、実は、一箱古本市を巡るお客さんの数が思ったよりも多く、じんた堂さんは、予想外に(^^;お忙しそうでした。したがって、あまりじんた堂さんにまつわりつくわけにもいかず(^^; 与太郎さんと、近所をかるく散歩することにしました。で、最初に向かったのが、根津遊郭唯一の名残...と言われていた建物です。それが今日の写真なんですが、実は、その建物があった場所に行ってみてビックリです。なんと、もう取り壊され、その跡には、すでに次の建物の柱が立っていました。そのショックで、散歩はそこで取りやめです(^^; いやはや...です。そんなわけで、とりあえず記録...という意味で、在りし日の姿をアップしておくことにしました。

【場所】文京区根津あたりです。

曙ハウス - 再び

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今日の写真は、昨年(2006年)の1月31日の午後4時頃に撮ったものです。背景は、根津にあった曙ハウス。そして、唐草模様の布にくるまれているのは、曙ハウスの玄関にかかっていた「スウハ曙」プレートです。
拙ブログの過去のエントリーを読んでいただければ、「曙ハウスとは何か?」「そして何があったのか?」といった、およそのことはお分かりいただけると思いますが、ひと口で説明すると、「曙ハウスという、根津の象徴的な古い建物が、去年解体された」そして「解体されてみると、それを惜しむ声が、地元の方々をはじめ多くの人から聞かれた」ということです。
解体に先立ち、当然のことながら、各部屋の所有者による荷物の搬出・引取などが行われるわけですが、なかには所有者不明...といった荷物などもあり、最終的には、業者による処分...ということになりました。そして、その処分最終日に、「スウハ曙」プレートも取り外されました。
プレートは、木とトタン(ブリキ?)で出来ていましたが、乾燥しきっているのか、わりと軽く、下手に持ち上げると、ボロリと壊れてしまいそうでした。そこで、業者さんは、ありあわせの布団でプレートをくるみ、トラックの屋根に載せてくれました。これは、あの時のあの場では、できるかぎりの丁寧な保護措置だったと思います。
こうして、ごみとして処分されずに、運び出された「スウハ曙」プレートですが、その後、公的機関である「文京ふるさと歴史館」に収蔵されました。そして、今月の10日から、そのプレートが、曙ハウスの解体後はじめて、我々の前に姿を現わすことになりました。以下は、そのお知らせです。
企画展「文京・まち再発見2 近代建築 街角の造形デザイン」
会場:文京ふるさと歴史館 文京区本郷4-9-29
会期:2007年2月10日(土)〜3月18日(日)
時間:10:00〜17:00 月曜日休館

■ 文京ふるさと歴史館での展示風景を追加しました。(2月12日)

この企画展と連携するように、愛らしい建物で知られる根津教会で、建物写真展が開催されます。こちらにも曙ハウスの画や写真が展示されます。以下は、そのお知らせです。
まちかどの近代建築写真展 in 根津
会場:日本基督教団根津教会 文京区根津1-19-6
会期:2月10日(土)〜2月17日(土)
時間:10:00〜17:00(最終日は15:00まで)

■「曙ハウス」関連エントリー:
曙ハウス・プレートの行方 / 曙ハウス / 曙ハウス最後の日 / 曙ハウスの路地で / 曙ハウスの階段 / 根津のブラックホール

谷中M類栖 /1f

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谷中界隈では、今月15日から、谷中芸工展と称する、町をあげてのアート展が行われています。そのため、日頃からお世話になっているM類栖さんが、大阪から帰京なさり、期間中は谷中にいらっしゃるというので、かなり出遅れ気味ではありますが、展示室にもなっているご自宅をお訪ねしてきました。
展示されているのは、M類栖さんの御祖父・丸井金猊(きんげい)画伯の作品10点他です。構成としては、絹地に彩色された絵が中心ですが、展示の核となっているのは、やはり、大作屏風絵『壁畫に集ふ』です。今日の写真は、その大作のほぼ全体を撮らせていただいたものです。この屏風は、以前にも拝見したことがあるのですが、その時は、半分が閉じた状態でした。なにしろ、横3.6メートル、縦2.6メートルという大作ですから、「ちょっと開いて全体を見せて」というわけにはいきません。そんなわけで、今回はじめて、全体を拝見する機会が得られた...というわけです。この絵を前にして、まず感じるのは、その迫力もさることながら、「なんとモダンでお洒落な感覚だろう...」ということです。制作されたのが1938年(昭和13年)ということを考えると、なおさらです。
他の作品は、上記したとおり、絹地に彩色された絵で、植物や花、鳥などがモチーフになっています。こちらは、非常にきめ細やかにに描き込まれたものが多く、精緻という言葉がぴったりと当てはまる感じです。例えばこんな感じです。部分によっては、ちょっとリアル過ぎて怖いくらいです(^^; が、構図には、やはり、どこか洒落たものが感じられます。
この芸工展ですが、期間は、明後日の22日までです。ちょっとご紹介するのが遅れてしまいましたね〜。でも、もしお時間がおありでしたら、ぜひ足を運んでみてください。こんな絵を、間近で鑑賞できる機会なんて、そうはありませんから...。

【場所】台東区谷中1丁目あたりです。

サオカメおじさん

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根津の祭りの2日目のことです。宮御輿や山車などが出発した後の藍染大通りを、弓のような釣り竿のような棒をひっさげたおじさんが向こうから歩いてきます。その棒が、なんとも言えない形と雰囲気をしています。気になります。
失礼か?とは思いながらも、好奇心が押さえきれず、その方に声をかけてみました。すると、意外(と言うのも変ですが)にも、穏やかな良い方で、快く、その棒が何であるか...を説明してくださいました。これは、なんと、カメラを高い位置に上げて撮影するための装置でした。説明によれば:

■棒の上端には、デジカメとミラーが取り付けてある。そのミラーにデジカメのモニタ画像が映るようになっている。
■上端のミラーに映った画像が、下端(手許)のミラーに映るように、ミラー角度が調節されている (一種の潜望鏡状態)。これで構図を確認する。
■撮影するときは、スライド式になっている棒を延ばし、先端のカギ形部分を、電柱のボルトなどにひっかけて固定する。これはブレ防止。
■長いケーブルレリーズが、デジカメから手許まで伸びている。これでシャッターを切る。

と、ま、言葉で説明すると分かりにくいですね。要するに、使用するときはこんな具合になります。上のミラーにデジカメのモニタが映っているのがご覧いただけるでしょうか?
この竿、コロンブスの卵のようなものですが、ご経験から、様々な工夫が凝らされ、あれこれと部品も追加されています。これには感心するやら呆れるやら...でしたが、ご本人はいたって真面目。この装置を使って撮影なさった写真アルバムも見せていただきましたが、なかなか素敵な写真をお撮りになっています。が、しかし、かなり毒気にもヤラれました(^^;

【場所】文京区根津2丁目あたりです。

祭りのあとの町

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映画「もんしぇん」イベントにからみ、今日の午後は上野に居ました。上野と言っても、一角座のある場所は、上野駅よりも谷中に近いため、帰りは、ふと思いたって谷中ボッサに立ち寄り、その後、祭りの終わった根津の町を通ってみることにしました。
実は、今日も、根津神社の祭りはつづいているのですが、主には神社内部での行事が行われるため、いわゆる目に見える祭りは昨日で終わり...ということになります。
そうでなくても、今日は祝日ということで、交通量は少なめでです。そして、当然のことながら、祭り目当ての観光客の姿はありません。根津在住の方々も、それぞれの家で、祭りの疲れを癒やしていらっしゃるのでしょう。なにしろ人影がまばらです。昨日の人混みが嘘のように...というやつです。
今日の写真は、3枚ともに、谷中ボッサを出て、根津駅に向かいながら撮ったものです。祭り提灯は灯っていても、ひっそりと人影の無い根津の町。なんだか、やはり根津は不思議の町か?という感じでした。やや不気味なくらいに...。

ところで、言い忘れましたが、谷中ボッサさんって、ほんとに心地よいです。ま、波長が合う...ってこともあるのでしょうが...。そして、ご主人の身内の方が有機農法で栽培なさったというカボチャを使用したカボチャプリン、これがまた美味しかった...。ま、敬老の日だし(^^; 自分への慰労もかねて(^^; 良い一日でした。

【場所】文京区根津です。






昨日にひきつづき、根津神社御遷座三百年大祭でに賑わう根津の町に繰り出してきました。祭りは今日が本番。さすがに昨日とは町の雰囲気が違います。なんといっても人出の多さ。根津神社を中心に、町は人で溢れていました。心配されたお天気も、夕方まではどうやらもって、行事なども、まあ恙なく進行できたようです。

根津の祭り (初日)

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今日から根津はお祭りです。しかも、根津神社御遷座三百年大祭とやらで、例年とは気合いの入り方が違うようです。それでも、今日は、まだ前夜祭という感じで、いつものような根津の祭りムードでしたが、明日は、宮御輿3基と山車が町内を練り歩くといいます。三百年大祭ならでは...の壮麗なものになるようです。
ということで、「祭りだ!」という写真は、明日お届けすることにして(お届けできる予定(^^;)、今日は、ちょっと裏をかくような、静かな祭り風景をアップすることにしました。
左の写真は、根津神社の参道にある表具屋さんのガラス戸です。わりと煌びやかな三百年大祭のポスターと、経年変化した造作との組み合わせが、なんとなく侘びしさを感じさせます。祭りというものは、興奮ばかりではなく、実は、寂しさも感じさせますね。
中央の写真は、夕刻になって不忍通りを練り歩く御輿です。この写真では、1基がぽつん...という感じがしますが、実際には、10基(だと思う)の御輿が一列になって練り歩くため、実に壮観です。
右の写真は、根津神社の境内で撮ったものです。やはり、例年通りに、多くの出店が軒を連ねています。こちらはの主役はやはり子供たち。この子たちは、出店を物色しての獲物を、出店のきれた空き地で確認中のようです。ちょっと懐かしさを覚える光景でした。

【場所】文京区根津です。

根津日常景

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午後、根津で人に会っていました。このところ、話題があちこちに飛び、かなり目まぐるしくなっていましたが、今日は、久々に根津からです。
根津の...なんでもない...ふつ〜の日常風景ですが、近頃は、壊れたような風景ばかりが目につき、もう、こういった風景をふつ〜とは呼べないのかな?とさえ思います。
この2枚の写真は、根津神社に向かって歩いているときに、連続的に撮ったものですが、見ると、ごちゃごちゃしていますし、カッコ良くもありません。色もくすんでいます。でも...です。「これがまちだ」という感じがするのです。アラーキー氏が、根津のまちを撮った写真集のタイトルを「人町」としていますが、さすがですね。このあたりを歩いていると、まだ、そんな匂いを感じます。
今日は、自然の食物が身体にとっては栄養であり薬でもあるように、こういったまちは、人の気持ちや精神の、栄養であり薬にもなっているのではないか?と感じた次第です。風景って、ただ眺めるだけのものじゃなくて、人にとって、かなり大切なものなんですよね...きっと。

【場所】文京区根津1丁目あたりです。

今日は、曙ハウス関連の、たいへんに喜ばしい報告をさせていただきます。今年の2月に、惜しまれつつも解体された曙ハウスですが、その後、ハウス入口にかかっていた「あのプレートはどうなったの?」という声が、曙ハウスファンのみならず、多くの友人や近隣の方々からも上がっていました。あの建物と同様に、あのプレートは、想像以上に多くの人たちの記憶に焼き付けられていたようです。
実は、あのプレートは、建物解体と同時にゴミになる運命でした。それを何としても阻止したかった僕は、ある古物商さんに、かなり無理なお願いをして、プレート(+手摺り支柱) を取り外し、保管していただいていました。
それが、あれこれと紆余曲折はあったのですが、先月末、ついに、文京ふるさと歴史館に収蔵されることが決定しました。そして、本日、ふるさと歴史館より、「収蔵の最終手続きが終了した」とのお知らせをいただいたのです。もう、これは、このブログを始めて以来、最もうれしい出来事です。これで、あの曙ハウス・プレートは、半永久的に公的機関で保存されることになります。曙ハウスファンにも「最善である」と感じていただける結末ではないでしょうか...。

古物商さんがどなたであるかは、ご商売に差し支えなどがあってはいけませんので、明言しませんが、とにかく、一本気な方で、僕の気持ちを汲んでくださり、ねばり強く誠実に事を運んでくださいました。心から感謝したい思いでいます。
また、以前のエントリーでは、僕は、「ふるさと歴史館あたりが乗り出すべきだ」などと書いてしまいましたが、実は、今回、プレート収蔵に向けて動いてくださった学芸員さんは、そのエントリーをご覧になり、心痛めていらっしゃったことを、後になって知った次第です。曙ハウス解体時には、ふるさと歴史館では企画展準備などに追われ、気になりながらも一歩も動けない、という状況だったということです。また、今回の曙ハウス・プレート収蔵についても、ふるさと歴史館内で賛否両論があり、担当学芸員の方が相当にご努力してくださった結果、なんとか...という状況だったようです。担当学芸員の方には、この場をかりて、お詫びと御礼を申し上げたい気持ちです。
今日の写真は、言うまでもありませんが、文京ふるさと歴史館の倉庫に収まった、曙ハウスのプレートと手摺り支柱です。まったく痛んでいません。久々に会えて、ほんとうに懐かしい思いがしました。
なお、この曙ハウス・プレートなどは、来年2月10日〜3月18日に予定されている企画展「文京まち再発見 II - 近代建築 街角の造形デザイン (仮称)」で、初お目見えすることになりそうだ...ということです。

【場所】文京区本郷4丁目あたりです。

ヒ鉢植えのゼラ

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昨日、バック・フロム・ザ・ブートの3人と一緒に、根津の赤札堂の裏手あたりを歩いているときに撮った写真です。この一画は、路面はしっかりと舗装されてはいるものの、まだ、昔ながらの面影を感じることのできる長屋が残っています。下見張りと波形トタンが、ともに経年変化し、互いに解け合った状態が美しく、時々、気になって立ち寄る場所です。
昨日は、この一画のどこかに、3人の若いアーティストに立ってもらい、そこを撮影しようと思い、立ち寄りました。そして、この辺りで撮ったには撮ったのですが、結果は、ほぼ全滅(^^; どうにもわざとらしくて...ってやつですね。原因は、僕は彼らに「ポーズ無しのポーズ」を期待し、彼らは僕から「ポーズや立ち位置の指示」が出ると考えていたに違いない、という意思疎通不足につきます。あ〜、言葉と文化の壁は厚かった(^^;
が、まあ、そんな感じですが、とにかく、この場での撮影は切り上げ、次ぎの場所に移動しようと、歩き始めたときに、ふと目に飛び込んできたのがこの光景でした。火鉢にストンと嵌め込まれた鉢植えの先端(実際には後方の鉢植え)に、赤いゼラニュームの花がついていました。周囲の地味な色との対比からか、それが、蛍光色のように際だって見えます。それが、この一画の空気を一変しているようです。ファインダーを通して見ると、トタン家の屋根が、なかなか良いリズムを作っています。というわけで、シャッターを押したのが今日の写真になりました。

【場所】文京区根津2丁目あたりです。

曙ハウス跡地が...

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先日、わきた・けんいちsanが、「曙ハウス」関連記事を総まとめするエントリーをアップなさったのをかわぎりに、neonさんもご自身の作品<スウハ曙>をネット公開なさり、それを追うように、m-louisさんが「曙ハウス」談義記事、そして「曙ハウス」マニア必見(^^;の「曙ハウス」図面(準備版)+「曙ハウス」リンク集をアップなさいました。皆さん...ほんとに凄いです。
その熱さに引きずられ、僕も、久々に曙ハウス関連の写真をアップすることにしました。と言っても「ハウス跡地の現在」写真なんですが...。
実は、先日、根津にお住まいのneonさんから、「曙ハウスの跡地が駐車場に...」というお知らせをいただいていました。そこで、neonさんの作品を撮らせていただくため、根津に行ったついでに、その様子も写真に収めてきました。ま、実は、「neonさんの作品<スウハ曙>は曙ハウス跡地で撮ろう」と思っていたのが、すでに工事が始まっていて、ちょっと予定が狂ってしまった...ということなんですけどね。
そして、ついで...です。対比のため、左の写真とほぼ同じ角度から撮った、在りし日の曙ハウス(パースペクト修正)です。風景が変わりましたね〜、当たり前ですが...。

【場所】文京区根津2丁目あたりです。

今日は、ブログを通じた奇特(^^;な友人たち (wakkyken, m-louis, GG_1, greenagain, J16, and neon:敬称略) が根津に集合し、皆で食事をしながら「曙ハウス談義」をやってきました。そしてメインは、neonさんの個展「ピアニシモな建築たち」です。

あの「曙ハウス」が、neonさんの筆でどう蘇るのか、実のところドキドキワクワクです。で、会場である CAFE NOMAD に入ると、渋い緑を基調とした「スウハ曙」の画が目に飛び込んできました。う〜ん良い! なんだか感無量といった感じ...と同時にドカンときましたね〜。蘇っちゃってます、あの曙ハウスが...。
neonさんの網膜に焼き付いた映像や印象もあるのでしょうが、やはり、何人もの関係者に直接お会いになって聞き取りをなさったり、GG-1さんがお撮りになった写真などを子細に観察なさったたりと、画を描くという行為から離れた部分でも、曙ハウスに切り込んでゆく情熱と姿勢を持続なさったことが、作品「スウハ曙」の、愛らしい迫力を生んでいるのかな?と感じました。(neonさん、生意気なこと書いてます。すみません)

作品「スウハ曙」は、写真に撮らせていただきましたが、今日はアップするのをやめておきます。やはり「根津のカフェに展示中の実物がどんなものなのか?」と、ドキドキワクワクしながら足を運んでいただきたい、と思ったからです。
neonさん、曙ハウスの素晴らしい姿を再び見せていただき、ありがとうございました。感動しました。そして、今日、根津に集結したブログ仲間の皆様、たいへんありがとうございました。楽しかった〜。また、何かの機会にお会いしたいですね。では、では...。

【追記】明日から3-4日、東京を留守にします。その間、ブログの更新ができません。帰り次第、更新再開しますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
【場所】文京区根津2丁目あたりです。

動坂下の錆看板

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よく晴れた気持ちの良い日でした。太陽の直射を浴びると暑いけれど、そよ吹く風はひんやりとしていて、ちょうど良い案配でした。しかもゴールデンウィーク中なので、都心の路上は車も人も少なく、街全体がいつもよりずっと静かです。空気もきれいなら光もきれいで、街路樹の緑が色濃く輝いて見えます。そんな街を歩いていると、なんだか避暑地にでも居るような、のんびりとした休日感覚に陥りました。久々です、こんなことは...。
で、今日の写真ですが、緑だ避暑地だなどと言ったわりには、いつものように錆関係です(^^; この平屋の看板建築(実は後部が2階建て)は、不忍通り沿いに建っています。こちらは乾物屋(主に豆)さんだったそうですが、すでに廃業なさっていて、去年か一昨年に気づいたときには、もうこの姿でした。通りに面した部分は、この通り廃屋状態ですが、後方の二階家部分は現役で、ご老人が住んでいらっしゃるということでした。
この建物、ずっと気になっていたのですが、実は、すぐ前にパーキングメーターが設置されており、いつ通りかかってもクルマが停まっていて、「う〜んまたか...」というパターンがつづいていました。が、今日はゴールデンウィーク。さすがにクルマも停まっていませんでした。

【場所】文京区本駒込4丁目あたりです。

路地暮らし

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ここは、根津の、不忍通りから2本裏に入った路地です。日が暮れて、根津駅に向かう途中に出会った光景です。
暗い路地で、街灯の灯りに照らされて、ちょこんと座ってこちらを見ている猫の様子が愛らしく、カメラを向けました。そして、猫が逃げないように、そろりそろりと、猫に近づいていました。すると、向こうの角から突然、お風呂帰りのご老人の姿が現れました。浴衣を着て、手には風呂敷包みを提げ、杖をつきながら、こちらに向かって歩いてきます。その姿が、突き当たりの言問通りのネオンの明かりで、黒いシルエットになって浮かんで見えます。
こんな状況は、どちらかの家の庭先でならともかく、誰もが通る路上では、なかなか遭遇できません。路地というのは、細い道というだけではなく、誰もの庭といった感覚と匂いが溢れているからこそ...という光景でした。

【場所】文京区根津2丁目あたりです。

藍染夕闇景

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僕が立っている場所は、谷中のあかぢ坂。横断歩道の見える通りは、昔、藍染川が流れていた通りです。いまは暗渠になっていて、川を見ることはできませんが、この通りが、文京区根津と台東区谷中を分けています。
この交差点の角に、いまとなっては珍しい平屋が残っています。平屋、しかも相当に間口が広い平屋を見慣れないせいか、そばに立つと、やけに軒が低く、適切な表現ではないかもしれませんが、「うすらデカい」感じがします。いつ頃の建物なのかは、残念ながら、まだ確認する機会がありません。戦災消失区域が表示された地図を見ると、この角は消失を免れていますので、かなり古い建物なのかもしれません。
この建物は、ずっと以前から気になっているのですが、上記したとおり、横長であるため、構図がとり難く、なかなか写真に収められずにいました。
この日(4月18日)は、オヨヨ書林さんで本を購入するため、久々に根津に居ました。根津は、しばらく留守にしていましたから、ついでのパトロール(^^;を兼ねて、ぐるっとひとまわりしてみました。先日コメント欄に「旧・上海楼の隣りのお屋敷が取り壊された」という情報をいただいたので、それも確認してきました。確かに、そこはもう、きれいさっぱり更地になっていました。さらに、根津神社裏の日本医大病院看護婦寮でも取り壊し作業が始まっていました。今年になって、なんと取り壊しの多いことよ!です。
そんなことをしているうちに、いつの間にやら時刻は6時をまわり、あたりが暗くなってきました。最後に藍染め通りの建物たちを確認しておこうと思い、不忍通りを渡りました。そして、藍染通りを町境まで歩いて、引き返そうか?と思った時に、ふと気になったのがこの光景でした。

【場所】台東区谷中2丁目あたりです。

サイタ質店夜景

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根津に古くからあるサイタ質店さんについては、すでに何度が紹介させていただいてますが、ここで、もういちど登場願うことにしました。というのは、まだ、サイタ質店さんの、夕方や夜の姿をアップしていなかったからです。
こちらは、根津でももっとも重厚な和建築のひとつですから、昼・夜を問わず、その姿は堂々たるものです。が、昼間は、トタンやその色、暖簾など、後日手を加えられた部分的にも興味深いところが多いため、目があちこちに移動してしまいます。
が、夕方以降になると、それらが闇に隠され、太陽が沈んだあとの群青色の空を背景に、黒々とした、重量感のあるシルエットが浮き上がります。こうなると、シルエット以外には目が行かなくなり、そのせいか、この風景が途端に時代がかって見えてきます。
夜になると電飾看板や街灯が点灯し、それらが、時代感を損ねてはいますが、そこはイマジネーションの世界...です。ちょっとだけ、都合の悪いものから目を逸らしましょう(^^;
このシルエットは、大正時代、いや、もしかすると、それ以前からずっと、根津のこの場所に存在していたのでしょうね。

【場所】文京区根津2丁目あたりです。

消えた四軒長屋

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先日、曙ハウスの斜め前に建っていた四軒長屋がシートで囲われた状態をアップしましたが、その後、重機械による取り壊しが進んでいます。もうしばらくすれば、曙ハウス跡地と同様に、更地になってしまうでしょう。
この長屋は、曙ハウスほどに特徴が無いため、あまり注目を集めていないようですが、やはり、曙ハウスとともに、路地風景をつくってきた重要な脇役です。そこで、今日は、その四軒長屋が取り壊される前の写真をアップすることにしました。
右の写真が、曙ハウス(写真中右)と四軒長屋(写真中、電柱手前)ともに健在だった頃の根津の路地風景です。四軒長屋にお住まいだった旦那が、まだ寒い季節というのに、首にタオルをかけ、シャツ1枚で闊歩しています。宮の湯からの帰りなんでしょう...。いかにも下町根津という感じですが、これで、この風景は見納めです。
左の写真は、曙ハウスの真正面にあった、細い細い路地です。右側の壁が四軒長屋の側面ということになります。そして、その奥にも下見張りの家屋がありました。濃密な空間でした。その後、この路地の左の建物と、奥の家屋が取り壊され、そこが更地になっていました。その更地から、四軒長屋の裏側を撮ったのが、以下に掲載した写真です。

根津の表通り

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振り返ってみると、拙ブログでは、町の裏通りの風景ばかりで、表通りの風景をほとんど掲載していませんでした。ま、表通りには縁がありませんからね...歩行も人生も...(^^; そこで...、今日は、根津の表通りの風景をアップすることにしました。
ここは、不忍通りと言問通りの交わる根津1丁目交差点の、不忍通りに面した一画です。僕の立ち位置のすぐ右手には、地下鉄の入口があります。地下鉄を降りて、階段をのぼると、この一部が、最初に目に飛び込んでくる根津の風景になります。
昔の、看板建築がずらりと並んだ根津の風景に比べると、なんだかペラペラした建物揃いに見えます。風景の味としては、明らかに退化しています。「映画のセットのように見えます」と言いたいところですが、こうなると、「現実にセットそのもの」と言っても過言ではない出来です。これらが経年変化しても、とても雰囲気なんて期待できそうもありません。現役から直に廃墟景になるだけのような気がします。
それでもここを撮った理由は、細長く素っ気ないマンションが林立したところよりはるかにマシだからです。こうした、2階建て看板建築が軒を連ねている風景というのは、この辺りでも、もう殆ど目にすることはできません。この裏手にまわってみると、勝手口と勝手口が向き合う、路地本来の姿が残っています。まだ、家の外に石の流しが置かれていたりします。こう見えても、下町商店の原型をとどめている貴重な一画です。やはり、その良い表情を、残しておいてあげなくては...と思います。こうして見ると、なかなか可愛らしいでしょ(^^;

【場所】文京区根津2丁目あたりです。

あぶない階段 (3)

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あぶない階段シリーズの第3弾です。はい、まだたったの3弾目です。というのも、このシリーズは、単に「あぶない」だけではなく、造形的に見て優れている(^^;という条件をクリアする必要があるからです。たは〜(^^;
この階段は、谷中の大名時計博物館の崖下にある、袋小路の突き当たりにあります。この路地は、まさにこの路地に面した家の方々のための生活路です。こういう場所には、通常、入りにくいのですが、僕が、ここまで入り込めた理由は、その突き当たりに稲荷神社(真島稲荷)があるからです。
昔、この一帯が真島藩(岡山県)の下屋敷であったことに由来する稲荷神社であるためか、なかなか立派で、雰囲気もあります。そして背の高い鳥居が、ぱっと目に飛び込んできます。それにおびき寄せられるように、この路地の奥まで入り込んだわけですが、入ってみると、その鳥居もさることながら、この階段にも魅せられてしまった、というわけです。
このアパートらしき建物は、もう無人かな?という感じでしたが、まだそう荒れてはいません。しかし、この階段の傾斜はすごいです。そして幅が狭いです。そして、ハイライトは、下のほうの折れ曲がり方ですね。どう見ても、後から付け足したもののように見えますが、よくもまあ...という感じです(^^; しかし、魅力は十分でした。

【場所】台東区谷中2丁目あたりです。






根津の象徴のひとつだった「曙ハウス」が、ついに取り壊されました。曙ハウスは、童話や「七つの子」「雨ふりお月さん」「青い目の人形」などの童謡の発表の場となった児童向け雑誌・絵本の発行元、金の星社の創始者・斉藤佐次郎という人が、大正末期から昭和初期にかけて何棟か建てたものだそうで、この曙ハウスは、その最後の1棟だったようです。一時は、金の星社もこの曙ハウスに社を移していたということです。
そんな歴史もある、この曙ハウスですが、そんなことを知らなくても、前を通りかかると、その古色蒼然とした姿に圧倒され、誰しもが、うなり声をあげるほどでした。家霊というものがあるとすれば、間違いなく、この曙ハウスにはそれが住み着いていた、と思わせる佇まいでした。
そんな曙ハウスですから、根津の町に住む人、足繁く訪れる人の記憶には、その存在が深く刻まれていました。もちろん僕の記憶にもです。

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