(谷中) 根津 千駄木の最近のブログ記事

日暮里駅北口から谷中へ向かう道はそこそこに勾配のある坂になっています。その坂は御殿坂と呼ばれています。名前からすると、昔、どこかの藩主の屋敷でもあったのだろうか?と思います。ところが、この坂、昔は乞食坂と呼ばれていたのだそうです。現在、日暮里駅のうえには陸橋が架けられていて、それが線路の向こう側とこちら側をつないでいますが、それ以前はこの位置に踏切があったそうです。そして、その踏切に名前を付けるときに、乞食坂踏切ではあんまりだからというので、なんと正反対の御殿坂という名前をつけてしまったのだそうです。なんだかウソのような話ですが、ホントのようです。
昨日、西日暮里から歩いて、この御殿坂の上にでました。久しぶりに陸橋から、何本もの線路が通っているだだっ広い景色を眺めていこうかな?と思い、橋のなかほどまで歩き、そこからUターンをして、谷中方面に向かいました。陸橋のたもとまでくると、大きく傾いた太陽が坂の真上にあり、こちらを直射しています。その強烈な光が坂のアスファルトを照らし、照らされた部分が白く光り輝いています。そして、坂の上にある大きな木々の枝が、逆光のなかで、黒々としたアーチを形成しています。その対比が強烈で「ここには絵がある」と感じ、ファインダーからその光景を眺めてみました。するとストーリーが出来上がっていたかのように、背中を丸め、懸命に自転車のペダルを踏みながら坂を上る老人の姿が入ってきました。久々に瞬間的に指がそれに反応し、シャッターを切っていました。

【場所】台東区谷中7丁目あたりです。

秋と焼き鳥とワンコ

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秋らしい、良いお天気でしたね。今日は、西日暮里から谷中を抜け、千駄木まで歩きました。谷中を通るときは、最近は、谷中銀座を避けるようにしていました。というのは、谷中銀座の雰囲気が、昔とかなり違っているからです。各商店の看板が立派な木製のものに統一されたり、商店街のいたるところに切り絵の下町風景画を貼り付けたりと、雰囲気を盛り上げようとしているのですが、これがいただけません。いかにもといった感じで、企画物臭さ丸出しなのです。ここは、アメ横などと同じで、なりふり構わないごった煮的なところが魅力でした。それが何を間違えたのか、ちょっとオシャレしてみちゃったんですね〜。浮いててどうもいけません。が、今日は休日の夕方だったせいか、かなりの人出があります。すると、以前のごった煮感覚が戻ったように感じられます。そこで、今日は谷中銀座を通ってみることにしました。人を避けながら店内の商品を見ていれば、看板や切り絵は目に入らなくなります。そうしてみると、結構昔のままなんですね、これが...。活気もあります。いろんなお店でいろんなものを売ってて、この近くに住んでれば、夕食のおかずを作る必要なんてなさそうです。ということで、ぶらぶらと両側の店を見ながら歩いていると、煙とともにいい匂いがしてきました。焼き鳥です。店内では、谷中散歩客とおぼしき若い女性が二人、焼きあがったばかりの焼き鳥をほおばっているのが見えます。あ〜美味しそう。と思うのは、人間ばかりではありませんでした。ちょうど散歩中のワンコもここを通りかかり、その匂いにやられたらしく、お店の前でじっと立ち止まり、なんとかなかに入ろうと必死です。飼い主がいくらリードを引いてももうダメ。その仕草の可愛いこと...。お店の人も女性客も、みな笑顔、笑顔、笑顔。いや〜、ほのぼのしちゃいました。谷中銀座はまだ大丈夫です。

【場所】台東区谷中3丁目あたりです。

色褪せたプレート

今日は久しぶりに青空が戻って良い天気でしたね。絶好の散歩日和でしたが、都合で、一歩も外に出られませんでしたね。残念無念です。"撮り"逃した魚は大きいと言います。
というわけで、今日は、昨日の夕方撮った住所表記プレートの写真です。これは、谷中の中野パン店の柱に打ちつけてあるものです。ということは、打ちつけられた柱のほうは、およそ100年が経過している木です。この柱は、午前中は真正面から太陽の直射を受けます。そのせいか、もう火であぶったかのような、文字通りの焦げ茶色になっています(これ、クルマの排気による汚れもかなりあるでしょうね)。そしてプレートのすぐ上には小石が食い込んでいますが、これは前の通りが砂利道だった頃にでも、馬車かクルマが轢いた石が跳ねたものでしょうか? もうかなり木と同化しています。まさに刻み込まれた歴史です。たかだか柱1本ですが、上から下までじっくり眺めると、他にも様々な表情があり、想像力を刺激してきます。どうも僕は、こういった題材から離れられません。

【場所】台東区谷中1丁目です。

根津のアメ横

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タイトルはアメ横ですが、根津にアメ横なんてあるわけありません。今日はその謎解きです(^^;
根津の裏通りに、ツルヤさんという雑貨を取り扱う小さなお店があります。この通りは表通り(不忍通り)から3本奥に入っているため、周囲は商店よりも民家が多く、わりとひっそりしています。そのなかにポツンと可愛い姿でたっているのがそのお店です。夕方になると、店先の電球が灯り、よけいにポツン感が増しますが、このお店のポツン感は、詫びしい感じではなく、孤軍奮闘といった感じでです。そして、商品が本当にきちんと整理され、整然と並べられているため、とても清潔感があります。そのツルヤさん、前々から気になっていたのですが、今日、ついにご主人に声をかけ、写真を撮らせてもらうことができました。
よっしゃ、というのでファインダーを覗くと、店内正面に何やら額に入った写真が飾ってあります。四つ切りモノクロプリント。あれ〜、なんとなく誰かさん風です。もしやと思い、ご主人にお尋ねすると、なんと、やはりアラーキー撮影のオリジナルプリントです。これは、荒木経惟さんが「人町(ひとまち)」という写真集出版のために、谷中を中心に撮ってまわったときに撮影されたものだそうで、裏には荒木さんのサインが入っているそうです。これは貴重品です。相手がアラーキーさんだけに、天井に貼られた40年前のアグネス・ラムさんのポスターを絡めて、敬意を表しておきました(^^;
もひとつ気になったのが、商品の並べ方でした。狭い空間なんですが、整然とびっしり並べられていて、品種も豊富です。うかがうと、これ、アメ横式なんだそうです。ご主人は、若い頃、アメ横で商売を学び、その経験をもとに、根津にこの「ツルヤ」を開店なさったのだそうです。それから、かれこれ50年にもなるそうです。「私も歳だから、もうそろそろ」なんておっしゃってましたが、まだまだカクシャクたるものでした。そんなこと言わずに、頑張ってください。
あ、それから、また写真に戻りますが、今度はアラーキーじゃありません。その隣りの額にスナップ写真が何枚か入れてあるのですが、そのなかに、俳優の大滝秀治さんが写っている写真があります。どうして滝沢さんまで登場するんでしょう? その訳ですが、ご主人は、根津小学校で、滝沢秀治さんと同級生だったんだそうです。いやはや、町にはいろんな物語が眠ってるんですね。驚きます。

【追記】コメント欄でご指摘いただくまで、大滝秀治さんのお名前を滝沢秀治と誤記していました。norizoさん、ご指摘ありがとうございました。大汗ものです。
【場所】文京区根津2丁目あたりです。

長屋の梁と柱

雨が上がったので、谷中の中野パン店のおかあさんに、先日撮らせていただいた写真を届けに行ってきました。ま、当然のことながら、カメラは持参です。これがいけませんでした。写真を届けてすぐに帰宅するつもりが、ついつい足が家とは反対の方向に向かってしまいます。そして花美代という花屋さんの前で写真を撮っていると、ご主人が出ていらして、「あそこに古い井戸がある、ここにもある」と、ついには地図まで出して教えてくれます。これも何かの縁、もうその通りに歩いてみました。
歩いてみると、その道は、逆方向から何度か歩いたことのある道でしたが、同じ道でも、方向と天気が違うと新鮮なものです。しかも、その道を歩いていると、なにやら見覚えのある人が向こうからやってきます。ゆったりとした足取りで、穏やかな良い雰囲気です。近づいてみると、奇遇です。夏の暑い日に谷中で偶然お会いし、立ち話をしたことのある方です。いや、こういう出会いって嬉しいものです。またも、しばし立ち話。こんどは連絡先も交換。なにやら今後ともご縁がありそうです。
さて、その方と別れて、また歩きはじめました。先にあるのは、日本家屋と長屋の多いタイムスリップ路地です。今日はお天気が良くないけど、どんな感じかな?などと考えながら...。ところが、なんと、着いてみると、長屋の姿が半分消えています。そして、残りの1軒も取り壊しの最中です。これではタイムスリップどころではありません。ま、せめて記録だけでもと思い、作業にあたっている方(この親方も良い雰囲気)の許可を得て、その写真を撮っておきました。そしてさらに路地を進むと、先のほうにトラックが停まっています。見れば、荷台には、取り壊された長屋の柱や梁が山積みされています。すべてが、数十年以上長屋を支えつづけ、今日、その役目を終えたばかりの材木たちです。とても見過ごすわけにはいきません。廃材と化した木とはいえ、「忘れないよ」という気持ちを込めて、シャッターを押しました。

【場所】台東区谷中1丁目 or 池之端4丁目あたりです。
【追記】取り壊される前の写真です。

谷中の銭湯ギャラリー

この建物、何だとお思いですか? ま、考えるまでもなく銭湯ですよね。正解で〜す。最近は、下町ですら、銭湯が少なくなってきました。残った銭湯も、マンションなどに建て替えて、その一部を銭湯として使うような例が増えています。
そんななか、この銭湯は、典型的な銭湯の外観をそのままに、ギャラリーとして使われています。噂は耳にしていましたが、先日、初めて前を通りかかりました。壁には、目立たない色で SCAI THE BATHHOUSE と描いてあります。が、これを見てもまだ、僕はピンときませんでした。「ひょっとすると、内部がびっくりするほどモダーンな造りになった銭湯なのかな?」という程度。が、道を横切り、正面にまわってみてびっくりです。ガラス張りになった正面の壁越しに、展示してある絵が見えます。「あ、これが噂の...」と、ここで初めて納得した次第です。
しかも、なんとなく、誰でも勝手に入って良いようです。「本当に無料なの?」と、半信半疑で戸を開けて、なかに入ってみました。すると、入口にはまだ下駄箱が残っています。そして番台を改装したカウンターにノートなどが置いてはありますが、誰も居ません。どうやら本当に無料のようです。この時は、たまたま古武家賢太郎さんの展示会が行われていましたが、銭湯なだけに天井が高く、ガラーンとして空気がいっぱいの空間に、作品がパラパラっと置かれているため、圧迫感がまったくなく、とてもノンビリした気分で絵を見てまわることができました。
銭湯の再利用というと、原宿にあるとんかつ屋さんを思い浮かべますが、ギャラリーって手もあったんですね。これはちょっと意表をつかれました。銭湯って、他にどんな使われかたしてるんでしょう? ご存じの方、是非、コメントを残してください。

【場所】台東区谷中6丁目あたりです。
【参考】SCAI THE BATHHOUSE のホームページ

ジオラマ上野桜木

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気がつけば、このところ、寄りの写真ばかりで、空が写っている写真がほとんどなかったようです。しかし、いまの東京の町を実際に歩いていると、空が入った絵が目に飛び込んでくることはまれで、そういう意味では、現実に即した傾向だったと言えなくもありません。
さ、それはさておき、今日の話題はパースペクティブです。人間には、腹時計とともに、自分の生活圏の風景を尺度にした腹遠近感とでも呼ぶようなものが備わっているようです。普段はそれが刺激を受けることはありませんが、旅行などで非日常の空間に身を置くと、この腹遠近感が刺激され、不安感や開放感などが生まれる一要因となっているのではないでしょうか。
ここは谷中6丁目の交差点です。ここで僕の腹遠近感がかなりの刺激を受けました。ここでは、通常の「前景が大きく遠景が小さい」という概念に反し、手前の建物が小さく(と言うか、普通の大きさ)、遠くにいくほど建物が大きくなっていきます。しかも、建物間の距離の割に奥のビルが巨大です。そのため腹遠近感に狂いが生じ、手前の建物が異様に小さなものに見えてきます。そして、建物の外観も一役買っているのでしょうが、なんだか、実物大のジオラマでも見ているような気がしてきます。
しかし、奥のビルがいくら巨大でも、しょせんは手前の花屋さんと瓦屋根の建物の背景にしか過ぎないのが悲しいところですね。その花屋さんの名前は「花風船」。なんだか、のんびりで、いいじゃないですか。そしてそのお隣は、平日の昼間だけ開けるカレーライス屋さんでした。こちらは屋号さえ不明。きっと「あのカレーライス屋さん」で通じるんでしょうね。山椒は小粒でもって、昔の人は良いこと言ったものです。

【場所】台東区谷中6丁目から撮影。道の向こう側は上野桜木です。

上野桜木交差点

根津から善光寺坂(言問通り)をのぼりきり、上野台地のうえをしばらく歩くと、上野桜木という交差点に出ます。ここから先は、住所表記が上野桜木になります。写真でいうと、右に行くと谷中から根津、左は上野桜木、道の向こう側も上野桜木です。まさに、このカヤバ珈琲さんが谷中の角に立っていることになります。このお店は、ここに紹介するまでもないほど有名ですので、説明は割愛。Googleにおまかせします(^^; この辺りは、もうかなり開発が進んでいて、ビルが建ち並んでいます。が、こうして残った古い建物は、気合いの入ったものが多く、下からビルを睨み付けるようにして堂々と居残っています。僕も歳をとったらこうありたいものです(^^; それにしても、このカヤバさんの出桁造りは見事ですね。垂木が太細とダブルになってるのなんて、他で見た記憶がありません。そして道を隔てて反対側にあるのは、古い酒屋さんですが、二階の壁に打ちつけられた看板は「天下一品 キッコーマン」。屋号を示す看板がありません。この建物もかなり古いに違いありませんが、酒屋さんの素性については不明です。次回、現地取材ですね。

【場所】台東区谷中6丁目あたりです。

今日は、青空に雲がぽかりぽかりと浮かび、湿度も低く、歩くと多少汗ばむ程度の陽気で、良いお散歩日和でした。本郷から湯島まで歩き、湯島から地下鉄に乗り、次の根津で降りて、谷中方面に向かいました。

根津の駅を出て1分も歩くと、根津と谷中の境(区境でもある)があります。今日はその境を越えて、上野桜木まで歩く積もりでいました。
ところが、谷中に入った途端です。いつもは閉まっていて、気にも留めず通り過ぎてしまう古い古いお店が開いています。屋号は中野パン店。通りがかりになかを見ると、古色蒼然。もう足が釘付けになってしまいました。ちょうど、ご店主(高齢の女性)が、床を水で洗っていらっしゃるところで、運が良かったようです。いったいいつ頃の建物だろうか?と思い、尋ねてみると、「もう100年は経っている」という答えが返ってきました。う〜ん、古い。さすがに予想外です。その左隣りも谷中では有名なお煎餅屋さんで、かなり古い建物なんですが、そちらは建て替えてあるそうです。右隣りもこれまた古い金物屋さんなんですが、こちらも建て替え組。真ん中の中野パン店さんだけが、古いまま残っているのだそうです。

しかし、やはりと言いますか、最近はカメラファンのマナーが悪く、お店を開けていると、無断で店内まで入り込んで黙って写真を撮って行くヤカラが居るんだそうです。困りものです。ま、しかし、僕は、しばらくお話しているうちに、テストに合格したようで、お店のなかを撮らせていただくことができました。

そして、店内を撮っているうちに、カウンターの後方に、電話機とも貨幣仕分機ともつかない変テコな機械を発見しました。いったい何だろうと思っていたら、これはダイヤル式釣銭機でした。なんでも機関銃職人が造ってくれたものなんだそうです。これが良くできてまして、上から硬貨を入れると、自動的に金種別に仕分けしてくれます。そして、お釣りを出すときには、右側に突き出たロッドを押し込んだり引き出したりして金種を決め、前面のダイヤルをまわすと、左側の穴から下に置いたトレイにチャリチャリッと硬貨が落ちるようになっています。しかも、ダイヤルの1番をまわすと硬貨が1枚、5番をまわせば硬貨が5枚というふうに落ちてくる仕掛けです。さらに驚くことに、完動状態です。いや〜これには参ってしまいました。アナログの迫力満点です。どうしてこんな機械があるのかというと、「食品を扱う店だから、お釣りを渡すときに不潔なお金に触らなくていいように」ということで、これまた非常に納得です。いや、素晴らしい。今日は良い経験をしました。町にはまだまだ宝がざくざく眠っているようですね。

【場所】台東区谷中1丁目あたりです。
【余談】あ、そうそう、あれこれお話を伺っている間に、ご店主が大切になさっているペコちゃんも見せていただくことができました。このペコちゃんも、もう相当にご高齢だそうです。
【追記】中野パン店さんですが、残念ながら、10年ほど前にお営業をお止めになったそうです。

藍染町の丁子屋

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今日は、雨で外にも出られなかったので、以前からずっと気になっていた、根津藍染町の丁子屋さんについてのメモです。このサイトでも、最初の頃に、ガラス戸の写真を掲載したことがあります。
夏のある夕方、谷中を歩き回り、汗だくになって丁子屋さんの前を通りかかると、ちょうどご主人が店先に水を打ってらっしゃいました。かなり日が暮れて、店内に明かりが灯され、昼間とはまた違った趣があります。なんだか、この時間のこの空間だけを切り取って見ると、とても根津とは思えません。日本橋か京都かって感じです。雰囲気あります。そこで、敷居が高そうだな、とは思いましたが、勇気を出して、ご主人に「写真を撮らせてもらってよろしいか」と尋ねてみました。きっと沢山のカメラファンが撮りまくっているにちがいありませんから、無愛想に「何に使うの?」といった反応を予想していたのですが、なんとその予想とは正反対に「どうぞ、どうぞ」ときわめて気軽に承諾していただけたのです。しかも、ご自身が写り込まないようにと、フレームから外れる位置まで移動して、僕が撮り終わるまで待っていてくださるというサービス精神。しかも「(写真を撮ってくれて) ありがとうございます」という一言まで...。もう恐縮あるのみです。ちょっと感動しましたね。いや素晴らしい。こんな経験は過去に記憶にありません。特に最近はカメラを持ってるだけでも嫌な顔されることが多いですからね。
というわけで、気軽に対応してくださるご主人から、ついでというのも何ですが、しばらくお話を伺うことができました。前回から持ち越していた疑問「ガラス戸の内側の板は何だろう?」ですが、これは一種の鎧戸でした。これがま〜良く出来ていて、昼間はガラス戸の上方にスライドして完全収納できるようになっています。しかも、下げたときにはその一部が横にスライドし、そこがくぐり戸になるんですね。すごい工夫です。
また、大正の終わり頃まで流れていたはずの藍染川についてお尋ねすると、わざわざ店の奥から昔の丁子屋さんの写真を出して見せてくださいました。それを見ると、家の敷居をまたぐとそこはもう川だったんですね〜。僕が想像していた藍染川とは随分と雰囲気が違っていました。いや、興味深く奥深いです。

【場所】文京区根津2丁目あたり(藍染大通りのすぐ近く)です。
【余談】丁字屋さんは、店構えを見ると、ちょっと入りずらいですが、まったく心配いりません。ご主人は、ほんとに親切で気軽に対応してくださいます。前を通りかかったら、是非、のれんをくぐってみてください。江戸情緒を満喫できますよ。求めやすい小物もあります。ちなみに僕は、このとき丁子屋オリジナルの扇子入れと菊五郎格子の手拭いをいただいてきました。次は丁子屋さんで伴纏を作ってもらうつもり(^^;

谷中の苦瓜

この家は、谷中の三崎坂から一本奥に入った通りに面して建っています。近頃にしては珍しく、木材を使用して改修されています。経年変化が表れはじめた木材と植物の緑は、当然のことながらよくマッチします。昔は、家の軒先につたわせるなりもの植物と言えばヘチマが定番でしたが、このお宅では苦瓜が二階の屋根近くまではい上がり、小さな実をつけていました。左側には、なんと鉢植えの稲が穂を垂れています。下草にはハーブ。そして右端にはムベが植えられていて、それをつたわせる紐も見えます。面白い取り合わせです。が、花ものではなく、こういった草ものだけを配したというセンスがここでは功を奏し、板の表情と相俟って、通りかかるとハッとさせられます。もうしばらくすると、見事な緑の壁が完成しそうです。

【場所】台東区谷中6丁目あたりです。

家密着型の地蔵菩薩

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谷中を歩いていると、寺町のせいか、お地蔵さんがたいへん多いことに気づきます。そして、それらの多くが生活の場にきわめて接近して立っています。しかし、家の敷地内に立っているお地蔵さんを見るのは、この例が初めてです。家の角をわざわざ鍵型に落としてスペースを作り、そこにお地蔵さん用のスペースを家と一体型で設けてあります。これがお稲荷さんになると、先日ご紹介した根津の例のように、家の敷地内に祀ってある例を時々見かけます。ところで、根津にお稲荷さんが多く、谷中にお地蔵さんが多い理由は、根津が神社の町で谷中は寺院の町ということだと思いますが、お稲荷さんが民家の敷地内にあることが多々であるのに対し、お地蔵さんはめったに民家の敷地内に立っていないという理由は何なんでしょう? どちらもご利益は同じようなものだと思うんですけどね。どなたかお分かりの方いらっしゃいますでしょうか?

【場所】台東区谷中6丁目あたりです。

このサイトを始めたばかりの頃、曙ハウスという根津の古い長屋を紹介しました。その後も何度もその前を通っているのですが、何度通りかかっても、その80年ちかい歴史を圧縮したような姿には圧倒されます。そして、内部がどうなっているのだろうか?という興味は、通りかかる度に強くなっていきます。しかし、興味本位で「なかを見せてください」なんて、とても出来ないことです。(でも、やっちゃうヤツが居るんですよね〜) いつか幸運にもそういった機会が訪れるのを待つことにしましょう。が、明日にも突然「解体工事中」の紙が貼られないとも限りません。例え断片でも、誰かがきちんと記録に残しておかなくては先人に対して申し訳ありません。という理屈の下に、不本意ながら、玄関先にだけプチ不法侵入させていただきました。
扉が開きっぱなしの玄関からなかを見ると、外の光が届いているのはごく手前の部分だけで、あとはほとんど真っ暗です。昼間でも階段の上には裸電球が灯してあります。手持ちで撮影できるような光の具合ではありません。が、しかし、意を決したのですから、とにかく、構図を決め(と言っても、ほとんど確認不可なくらいに暗い)、シャッターを切ってみました。タタキの部分と木造の階段の部分の明るさに差がありすぎて、なかなかうまく撮れません。第一、シャッター速度が遅いので手ブレしてしまいます。ついには、ほとんど座り込むような姿勢でシャッターを切り、やっとの思いで、なんとかブレのない写真が撮れました。
しかし、この階段の木材の磨耗具合にはしびれます。きっと建った当時の部材でしょう。ここは、機会があれば、三脚を立て、大型カメラできちんと撮影しておきたいものです。

【場所】文京区根津2丁目あたりです。
【追記】この曙ハウスは、童話や「七つの子」「雨ふりお月さん」「青い目の人形」などの童謡の発表の場となった児童向け雑誌や絵本の発行元、金の星社の創始者・斉藤佐次郎という人が建てたものだそうです。また、一時は、その金の星社もこの曙ハウスに社を移していたということです。[参考:森まゆみ著「不思議の町 根津 」]。やはり記録しておく価値ありですね。

夕暮れの三崎坂

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夜のうちに台風が過ぎ去り、いいお天気です。空は真っ青。コントラストくっきり。とても家にこもってなんかいられない日です。時間もないのに、ナイキに足を入れてしまいました。足の向いた先はまたも根津〜谷中。空気が澄んでいて、人影もまばら。どこか地方の町にでも迷いこんだ気分です。ところが、家を出たのが遅いせいもあるのですが、根津を抜けて谷中に入った頃にはもう日暮れ間近です。さすがに九月も今日で終わり。もう秋なんですね。太陽が沈むのが早くて、あっという間にあたりは真っ暗です。谷中墓地を経由して、帰路につくため、三崎坂を下りはじめました。すると坂の向こうの空が、太陽の残照でぱっと明るく燃えています。右手には古い長屋がシルエットになってそびえ、いかにも下町の夕暮れって感じがします。三脚がないので手ブレするに違いないと思いつつも、シャッターを押さずにはいられませんでした。すると、どうやら1枚、手ブレのないものが撮れたようです。ところで、この手の下町の夜景というと、木村荘八を思い出します。荷風の「墨東奇譚」(岩波版)の挿絵を画いた人と言ったほうが通りが良いかもしれません。線だけで描かれた、夜の下町の家のなかの光が通りを照らすときの眩しさ。夕暮れの下町を歩くだびにそれが頭に浮かびます。

【場所】台東区谷中5丁目あたりです。

根津に生きて

このお二人とは、昨日、根津神社の前で朽ちた長屋を撮っているときに、偶然お会いした。左側のおばあちゃんは、もう89歳におなりになるという。しかし足取りも受け答えもしっかりしていて、お歳を聞くまでそんなにご高齢だとは思いもしなかった。このおばあちゃんは、24歳のときに他県から根津に嫁いでいらしたという。当時は、根津神社の表門側の通りで乾物屋を営んでいらしたそうで、この辺りのことをよく記憶なさっていた。昔は、毎月(毎月ですよ!) 19日と20日に根津神社の縁日がたち、道の両側に夜店がずらりと列んで、それは賑やかだったそうだ。夕方ともなると、露天商が商品を並べる棚にしようと、通り沿いの家の雨戸を奪い合うほどだったという。現在は隣町・千駄木にお住まいだそうだが、住み慣れた根津神社前の通りが懐かしく、よく散歩にいらっしゃるそうだ。右側のおばあちゃんも、左側のおばあちゃんと同時期に、やはり他県から根津に嫁いでいらしたという。偶然にも同郷だったこともあり、お二人はそれ以来の仲良しだという。お二人を見ていると、良い友に恵まれるというのも、いつまでも元気でいられる秘訣のようだ。

【場所】文京区根津1丁目あたりです。

根津の朽ちた長屋

根津神社の表参道口の真正面に、朽ち果てた古い長屋が残っている。先日のお祭りのときに久しぶりに前を通りかかって以来、ずっとそれが気になっていた。昨日の雨もあがり、秋の空がひろがっている。しのぎやすいとまでは言えないが、散歩日和だ。ちょっとだけ時間をつくって、その長屋まで足を伸ばした。
この長屋は、僕自身の記憶をたどっただけでも、十二、三年前からこの姿でここにたっている。が、通りがかりの地元の人に尋ねてみると、実はそんなものではないらしい。元々六軒長屋だったものが、右側の三軒が建て替えられ、左側の三軒が借り手のないまま放置された状態になったのだという。その三軒のうち、左の二軒(左端から自動販売機まで)は普通の住居として使われていたようだ。そして三軒目は駄菓子屋だったという。そこには剥がれかかった猫の絵が残っていて、いったい何だろう?と思っていたのだが、その名残りだったのだ。そういえば、巻き上げられた日よけのテントがフレームごと残っている。これも商店だった証だ。この通りは、最近では日本医大病院のある裏門側の通りに押され、人通りもまばらだが、本来は神社の表門側にあたり、昔は、縁日ともなると両側に夜店が列をなし、それは賑やかなものだったという。そして、その賑やかな通りにこの長屋はたっていた。だが、想像力をフルに稼働させてみても、いま、この長屋から当時の面影を探り出すことはできなかった。

【場所】文京区根津1丁目あたりです。

ひとすくいのたらいの水

今日、父が病院に行くのに付き添った。病院で診察を待つ間に読もうと思い、森まゆみさんの「不思議の旅 根津」をバッグに入れて行った。
ひと昔まえの話になるが、千駄木の日本家屋式アパートにアンドレ・シトロエンさんというフランス人彫刻家が住んでいらした。奥様は日本の方で人形浄瑠璃師という、アーティストご夫妻だった。ある日、千駄木の路地の単なる石ころを写真に撮っていると、長身の外国人男性に声をかけられた。「僕がカメラマンだったら、僕もその石を撮る」と...。それからしばらく、構図などについて話をしているうちに、その方のお名前がアンドレ・シトロエンということが分かった。とても驚いた。なんと、その1年ほど前に、僕は、長野県の美術館で、彼の作品を写真に撮っていたのだ。茶とベージュが混じり合った大理石から、自然の断面を生かしつつ、直線的な男性の顔を彫り出した力強い作品だった。とても印象的で、本気で欲しいと思った。そのことを彼に話すと、彼も大変に驚き、機会を改めて話そうということになった。それからというもの、互いの家を訪ねるほどに近しくお付き合いさせていただいていた。
話が長引いたが、森さんには、そのシトロエンさんの家の前で、一度だけお会いしたことがある。森さんが中心になって発行された地域雑誌「谷中 根津 千駄木」が、区内の本屋の店頭にちらほらと置かれはじめた頃だった。当時の彼女は、バイタリティと好奇心がいっぱいの、小柄の、女の子と呼ぶにはちょっと年のいった隣人のような女性だった。
そんなことを思い出しながら、待合い室の椅子に腰を降ろし、「不思議の旅 根津」のページをめくった。骨太な文書で、根津の町がありのままに描かれていく。そして、まえがきの最後にこうあった 「思うようにいかない人生、愚かしさ、やるせなさ、抑圧されても諦めきれない人間の業。それでも生活の細部を大切にした時代の、一つ一つの物へのいとおしみ、そんなものが今ある家や樹々やのれんや竹ぼうきからゆらゆらと匂い立ってくる。(中略) 人間が近代合理主義とともに流し去ってしまった たらいのなかの水のうち、一すくいくらいは、やはりそれがなくては人間は生きていけないようなのである。」 と。
「そうだよな」と思いながら、ふと目をあげると、年老いた父が、ソファの背もたれに肘をつき、枯れ枝のような手で頬を支え、いまにも崩れ落ちそうな、だらしない姿勢で眠りこんでいるのが目に入った。「そうなんだな」と改めて思った。

【場所】文京区根津1丁目あたりです。

根津神社の大祭 (三日目)

以前から、根津神社のお祭りは2日間と思っていたのですが、神社のホームページを見ると、期間が18日から21日までになっています。町に貼られたビラを見ても、ものによってはそう記載されています。「いったいどういうことなんだろう?」と気になってしかたありません。という訳で、この際です、今日も根津に行ってみました。やはりお祭りは終わっているようで、境内には人気がなく、ガラーンとしています。露店は数店残っているのですが、そこでも片付けが始まっています。とりあえず、片付けをしている人に祭りの期間について尋ねてみると、「今年は3日目が休日にあたるため、今日も店を出してほしいと要望された。例年は2日間のみ」という答えでした。それでは明日はいったい何の祭りなのか?という疑問を、こんどは神社の人とおぼしき人に尋ねてみました。すると「明日21日は例祭といい、神社側の行事で、神社関係者と氏子代表以外は入場できない。今日20日はその前夜祭のようなもの」という説明でした。そこで、「ということは、初日の18日は、19日の祭りの前夜祭のようなものか?」と尋ねると、それに対しては「初日18日は近くの七倉神社と境神社の祭りを根津神社で執り行ったもの。二日目が根津神社の祭りで、これを神幸祭と呼ぶ」という答えが返ってきました。箇条書きにすると以下のようになります。ま、いまひとつスッキリしませんが、とりあえず喉元のつっかえはひとまず解消です。やはり、いわゆるお祭りは2日間で終わりなんですね。
 18日:七倉神社と境神社の祭り
 19日:根津神社の祭り (神幸祭)
 20日:例祭の前夜祭
 21日:例祭 (例祭式が執り行われる)

【場所】文京区根津1丁目あたりです。根津神社のホームページはここです。
【関連】根津神社の大祭 [初日][二日目]。
【雑記】お気づきの方はお気づき(^^;だったと思いますが、ポストの日付と記載内容が1日ズレになっていました。これが気になりだしたため、本日、強引にズレを修正しました。

「今日は家で仕事かな」と思っているところに、家人から「白山の通りを根津神社の山車が通ってる。馬も。馬車までいる」と電話が入りました。昨日、祭りにやられているところにこの知らせはいけません。仕事のことなど頭からすっ飛んでしまい、カメラをつかんで家を飛び出しました。白山方面へまっしぐらです。歩いている途中にも携帯に連絡が入り、どうやら東大農学部のあたりで待ち伏せすればよさそうだということが分かり、そちらに急行です。すると、やって来ました。お囃子に先導され、白馬が車を引いています。なんでも、馬車が出るのは、東京でも神田明神と日枝神社、そして根津神社のお祭りだけなんだそうで、しかも毎年出るわけではありません。そんなわけで、久々にけっこう本気モードで写真を撮りながら、根津神社まで一緒に歩いてしまいました。神社に到着すると、こんどは境内から和太鼓の音が聴こえてきます。う〜んひとりでは手が足りないくらいに写真の題材に溢れています。溢れると言えば、境内の人出。初日とは比べものにならないほどの人で賑わっています。両側に露店が列んだ参道を人の波をかきわけて進みながら、ここでも写真を撮りまくります。と、またしても携帯が鳴り、「大人御輿が出そうだ」といいます。いま来た道を大急ぎで逆戻りです。すると、祭りの華の華、御輿を人が取り囲んで待機しています。いよいよです。根津の大きな御輿が大勢の人の肩に担ぎ上げられ、ゆらりと持ち上がります。まるで恐竜が目を覚まし、身震いする瞬間のようです。目醒めた御輿は威勢のいいかけ声とともにゆさゆさと重い体を揺らしながら、先を行く宮本町、八重垣町、弥生町、藍染町、宮永町、片町など七基の御輿を追います。ほどなく八基の御輿が列をなし、根津の大通りを練り歩きます。見物する人と入り混じり、通りが人で埋めつくされます。こうして町全体がひとつに解け合ってゆく様は、まさに圧巻というほかありません。僕は初めて、祭りというものの片鱗に触れ、素直に感動を覚えました。明日からもう、来年の"権現様"のお祭りが待ち遠しくなってしまいそうです。

【場所】文京区根津1丁目あたりです。根津神社のホームページはここです。
【余談】可愛いお祭りワンコ発見です。ワンコのベストドレッサー賞でした。
【関連】根津神社の大祭 [初日][三日目]。

今日から根津神社のお祭りです。町全体にお祭りのムードが漂っています[][]。根津っ子にとっては、暑かろうと寒かろうと、この"権現様"の祭りを境に、季節が夏から秋に変わります。それほど根津神社のお祭りは地元に根付いているように思えます。そして江戸時代には三大祭りのひとつに数えられていたくらいですから、御輿をかつぐ子供たちの出で立ちも、他の町とは異なり、大人顔負けの本格派です。その姿、親から代々引き継がれなくては、こうはいきません。さて、神社の境内に入ります。広い敷地のなかには多数の露店が列び、そばや串を焼くけむりが立ち上り、客を寄せる威勢のいい声が響いています。露店をのぞきながら歩いていると、昔懐かしい射的やスマートボール、ボール投げ、あんず飴などに出くわし、遠い昔に覚えたわくわく感が蘇ります。一方で、時勢を反映してか、ニモ釣り(金魚掬いの代わり)やタピオカジュース、インド料理などの露店があったのには、ちょっとびっくりでした。特に面白かったのは"げんごろうゲーム"。周囲に仕切りのある木製のたらいに水がはられ、そのなかに生きたげんごろうが入っています。それを網で掬って中央のジョウロのようなものに入れます。すると中央の穴からげんごろうがすべり落ちて、たらいのなかを泳ぎまわり、自分の好きな場所に入ります。その位置によって景品が違うというゲームでした。ややげんごろうが可哀想な気もしましたが(^^; このお祭り、明日(19日)までだと思っていたのですが、根津神社のホームページを見ると、21日までになっています。文京区内では最大 (いえ、都内有数) のこのお祭り、露店を見て歩くだけでも、行く価値がありますよ。

【場所】文京区根津1丁目あたりです。根津神社のホームページはここです。
【関連】根津神社の大祭 [二日目][三日目]。

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