文京区 - Bunkyoの最近のブログ記事

目白台の病院跡

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目白台にある東大付属病院の分院です。実際には「分院だったところです」と、過去形で言わなくてはなりません。この分院は、本郷の東大病院本院と統合されたことから、2001年6月22日で診療を打ち切り、その後、閉鎖されたようです。それから、もう4年半にもなるんですね。
実は、こんな場所に東大分院があるとは知りませんでした。まわりは閑静な住宅地です。そこに、相当に敷地の広い病院、けっして医院などというスケールではなく、れっきとした病院があるというのは、ちょっと意表をつかれる感じです。しかも、住宅地と病院の敷地との間に高低差はなく、境となる塀もさほど高くありません。背伸びをすれが、なかの様子が見えてしまう程度です。
そんなわけで、周囲を歩きながら、背伸びをし、塀越しに撮ったのが今日の写真です。もう4年半も放置(草などの状況から、多少の人手は入っているのか?)されているわけですが、細い道1本隔てたところまで、人の生活の匂いが寄せて来ているからか、さほど廃墟という匂いがしません。凄い経年変化だな〜という程度です。なんとなく、米軍基地内の朽ちた木造住宅にも似た雰囲気を感じさせました。ここは、敷地内に入って撮っておきたいですね〜。

【場所】文京区目白台3丁目あたりです。

この辺りの住所表記は目白台です。そして実際に目白台(台地)の崖縁にあたります [「東京の凸凹地図」をお持ちの方は92頁の陰影図参照(^^;]。昔、崖下を流れていた弦巻川が、神田川に注ぐ手前で、ほぼ直角に曲がっている箇所がありますが、その崖上に腰掛稲荷と呼ばれる神社があります。
文京区のサイトによれば、『三代将軍徳川家光公鷹狩りの折この地にご休息され、切株に腰を掛けられ、傍の小祠を拝して立ち去られた。(略)』という由来をもつ神社だそうです。
その神社の境内から撮ったのが今日の写真です。「ふぬ、鷹狩りか...」という風景ですね。家光公がここで休息した頃は、眼下に川が流れ、左手には雑司ヶ谷、中央から右手にかけて小石川(現・大塚)や巣鴨あたりが見渡せたに違いありません。
が、現在ではこの有様です。右に見えるのは首都高速道路㈱の建物です。こうして、ビルが路面から突然立ち上がっている図というのは異様な感じがします。そのすぐ向こうには首都高速5号線が通っています。その高速道路の下にちょっとだけ見えているのが不忍通りです。そして、高速道路の向こう、屋上にドームが見えるのが日大豊山高校の建物(校舎って感じはしないので...)です。
なんとも、洒落にもならない風景ですね。ま、これは「東京の凸凹地図」発売記念エントリー(^^;ということで...。

【場所】文京区目白台3丁目あたりです。

朝、四国に住む娘から妻に電話が入り、「こっちは雪だよ〜」とのこと...。その余波か、東京も、晴れてはいるものの、冷え込んでましたね。外を歩いていると、ゾクゾクするほどでした。
今日の写真は、日が暮れてから、近所のスーパーに立ち寄った時に撮ったものです。買い物は妻にまかせ、柳町あたりをちょこっとまわってみました。まだお正月気分が抜けない連休だからか、相変わらず人通りは少なく、お店の明かりもポツポツという感じです。
当たり前の話ですが、町は、人や車の数、灯りの具合によって、随分と表情を変えます (このところ、こればかりですが(^^;)。すると、いつも気にも留めず通り過ぎていた電話ボックスが、やけに目につきます。周囲に注意をひくものが無いからなのでしょうか...。
最近は、携帯がデフォルトになってしまい、公衆電話を使っている場面を目にすると、「おっ珍しい」なんて感じるほどです。いまに「昔は、町中に電話ボックスってのがあってさ〜」なんて、昔話をする日も近いでしょう(^^; ま、そんなことは関係なく、この電話ボックスのある風景、なんだか淋しげでした...。寒かったし...。

【場所】文京区小石川3丁目あたりです。

黒い路地

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お天気の芳しくない日に散歩したい、という人は少ないですよね。ま、例外もあるでしょうが...。
この写真は、曇天で薄ら寒い日の午後に撮ったものです。もしもこの日が、元旦でなければ、僕も家を出ることはなかったと思います。が、元旦の根津・谷中を歩いた記憶がなかったため、いちどは見ておこうと思い立ち、家を出ました。
さすがに元旦でした。生活路である路地にも、人影は少なく、表通りを通る車もまばらで、どこもシーンと静まりかえっていました。
この日は気温も低く、いくらせっせと歩いても、体が暖まるどころか、手足からどんどん冷えていきます。そんなことも手伝ってか、太陽が沈む頃になると、どういうわけか、随分と遠いところまで歩いたような、妙に人里離れてしまったような感覚に襲われ、きびすを返しました。三崎坂をくだり、そして根津の路地を抜けて駅に向かおうとしていました。その時です。この光景が目に飛び込んできました。元旦だからなのか、両側の家がいつもよりさらに暗く、真っ黒なシルエットになっています。その暗く細い路地の先に、自動販売機だけが、ぱっと明るく見えています。
そういえば、正月の都心は、何処を歩いても、暗くガラーンとした街中で、街路灯と自動販売機だけが、誘蛾灯のように、明るい光を放っているのが印象的でした...。

【場所】文京区根津2丁目あたりです。

大晦日の菊坂

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夕方、大晦日の菊坂をまわってきました。どちらの家も、すっかりお正月を迎える準備が整っていました。風はなく、菊坂の路地には、澄んで冷えた空気が満ちていました。歩いていると、カメラが氷のように冷たくなり、それを持つ手がかじかんでくるほどでした。
今年最後のエントリーは、いつも素晴らしい軒下園芸で楽しませてくださるお宅の夜景ということになりました。右に伸びる路地が暗渠である菊坂下道、左に伸びているのは菊坂でも最も路地らしい路地です。時とともに姿・形が変わるのは仕方がないけれど、この風情は失いたくない、と思わせる風景です。

今年は、ブログが現実的な道具となることを実感した年になりました。多くのブロガーの方々との交流・交遊を通じ、ひじょうに多くのことを学ばせていただきました。コメントを残してくださった方々、一緒に散策してくださった方々に、御礼いたします。ありがとうございました。来年も、ひきつづき、どうぞよろしくお願いいたします。では、良いお年をお迎えください。

【場所】文京区本郷4丁目あたりです。

すごい薬局

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エントリーすごい床屋以来、いつの間にか、「すごい○○」が、シリーズのようになってしまいましたが、今日は同シリーズ「すごい薬局」です。薬局とは言っても漢方専門のようですが...。
最近、春日通りを通って川越街道に抜ける機会が多くなり、そのたびに、この薬局が目につき、気になっていました。場所は、地下鉄の茗荷谷駅から大塚方向に歩いて数分のところ。春日通り沿いに建っています。ちょうどお茶の水女子大のはす向かいあたりになります。
こちら、おそらくは木造モルタルの3階建でしょうが、かなり古く、苔むしながらも真っ黒に日焼けした(^^;という感じです。が、なんと言っても、目を惹くのは、3階部分で睨みをきかせている薬祖神農、暖簾や豊富な看板類、軒下園芸ならぬ軒下庭園(^^;などです。これはもう、ひとつの完結した漢方薬局ワールドです。なんだか超越しちゃってますね。
そのわりに1階の看板にある「試してみませんか? 体にやさしい漢方薬」というのが、妙に普通で、逆に笑えます。そんな気楽に入るような感じじゃないですよね。「これは三百年前に中国から渡来した...」なんて秘薬が眠っていたりしても不思議はない感じじゃないですか?(^^;

【場所】文京区大塚3丁目あたりです。

湯島のアースバーグ

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もう、ちょっと前のことになりますが、湯島の切り通しを通りかかると、その坂の途中に建っている湯島ハイタウンという古い集合住宅が、白いシートですっぽりと覆われていました。この集合住宅は、天神下交差点手前のカーブに沿って建っているため、この坂を下っていると、正面に壁のように立ちはだかります。そして、その立ち現れ方が、なんとなく「変」なのです。「変」と言って悪ければ、「極めて特異」とでも言えばよいのでしょうか...。
余談ですが、この集合住宅は、1968(昭和43)年頃に、財団法人 中央労働福祉センターが所有する旧岩崎邸の土地に、勤労者のための福祉施設建設の費用を捻出するために建てられ分譲されたものだそうです。そんなエピソードがあったとは、今まで知りませんでしたが、「極めて特異」な存在に見えるのは、そんな素性もひと役買っているのでしょうか...。とにかく周囲から浮き上がっています。
そんな建物が、今回は、すっぽりと白いシートで覆われているわけですから、これはもう「異様」です。この日は、根津で友人と待ち合わせていたため、湯島駅に向かって歩いていました。珍しく午前中に...。すると、このシートの塊が、正面から太陽の光を浴びて、真っ白に輝いています。その後ろには真っ青な空が広がっています。まるで湯島天神に氷山[アイスバーグ]でも流れ着いたような感じでした。でも、こいつは氷じゃないので、アースバーグというわけです(^^;

【場所】文京区湯島4丁目あたりです。

今日、地下鉄丸の内線の小石川検車区周辺の道を歩く機会を得ました。ここは文京区なのですが、通るのは初めてでした。茗荷谷駅で下車し、後楽園方面に向かいながら坂を下って行くと、実に奇妙な変形四つ辻に出ました。四つ辻というよりも、1本の道が3方に分岐した、と言ったほうがイメージがつかみやすそうですね。
この辺りは、いかにも古そうな石垣があると思えば、それに愛想も何もないコンクリートの塊が接していたりと、実にちぐはぐな風景が随所に見られました。かなり強引に丸の内線を通した傷跡なのでしょうか...。
今日の写真も、そのとばっちりを受けたのかな?と思われる一画で撮ったものです。左のコンクリート壁の上には検車区の引き込み線が通っています。したがって、電車が停まっています。その壁に、古そうな石垣がつづき、さらに新しい素っ気ない建物がつづいています。右側には、建物と道路がつくる三角地帯に祀られたお稲荷さんがあります。そのうえ、ご丁寧なことに、道路の舗装の色が緑と赤茶ときています。なんともはや...です。こんな組み合わせ、考えてできるものじゃありませんよね。でも、それが、夜目と灯りの具合でしょうか、妙にシュールに見えたりするから困りものです(^^;

【場所】文京区小日向1丁目あたりです。

お気づきになった方もいらっしゃると思いますが、先日、本郷在住の方からメールを頂戴し、「東大三四郎池の紅葉がピークを迎えていますよ」と教えていただきました。「あ、そう言えば、東大構内を歩こうシリーズを随分さぼってるな〜」とも思い、今日の夕方、三四郎池に行ってみました。メールをいただいてから二三日経過してしまったため、「もう紅葉は望めないかもな〜」と思いながら...。
一歩構内に入ると、大きなイチョウの木が黄色く色づいていて、それを更に、黄色みを強めた太陽の光が照らし、素晴らしい光景が出来上がっています。「うぬ、これはまだ期待できるかも」と、歩調が早まります。そして、三四郎池付近まで来てみると、道が完全に落ち葉で覆われています。まるで、黄色い雪が降り積もったよう...。
その落ち葉を踏みしめながら、池まで下りると、眼前に拡がっていたのが、今日の写真の風景です。風はなく、周囲の木々や空と雲が、鏡と化した水面に映し出され、そこに落ち葉が浮かび、まるで別天地です。原生林の奥地の池に、ようやく到達したような気分で、しばし見とれてしまいました。
東大構内でこんなですから、皇居のなかはさぞかし...なんて考えてしまいます。

【場所】文京区本郷東京大学構内です。

剥げかかった看板

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この古いガラスの看板を掲げたたばこ屋さんは、後楽園駅から江戸川橋方面に向かう通りに面して建っています。この看板は、かなり以前から気になっていました。僕が気が付いた時点で、すでに相当に汚れやかすみが目立ち、惹きつけるものがありました。昼間見ると、赤地に白い文字が入り、その文字が金色で縁取られています。
よくあるショーケースとは異なり、家のガラス窓のようなものですから、裏側から塗られた塗料が、年月とともに少しずつこすれ、剥がれていったようで、もう半透明に近い状態になっています。退色も目立ちます。
先日、暗くなってからここを通りかかりました。すると、このガラスの看板が、昼間とはまったく違う表情を見せていました。部屋の蛍光灯の明かりが、この看板を、裏側から照らしだしています。そして、皮肉にも、看板の傷みや汚れを、はっきりと浮かび上がらせ、塗料が剥げた部分からは、ひときわ強く光が漏れています。
侘びしい光景と言ってしまえばそれまでですが、いま東京ドームのある場所に青空の後楽園球場や競輪場があった頃には、こちらで、ヤニ臭い男達が群がるようにしてばこを買い求めていたのだろうな〜と想わせるだけの「含み風景(^^;」というパワーを秘めた看板でした。

【場所】文京区春日1丁目あたりです。



秋山さんのaki's STOCKTAKINGに「本妙寺坂から、アースダイビングへ」がエントリーされていました。そこには拙サイトの「本妙寺坂」が始点となったように記されていますが、実のところ、当時、僕は、谷戸などという概念を持ち合わせず、ただ単に風景を眺めているだけでした。それを「この風景の骨格は谷戸である」と見抜き、実際にフィールドワークまでなさり、実証なさったのは秋山さんでした。
僕の視野を大きく拡げていただいた出来事でした。それ以来、町を歩いていても必ず地形を意識するようになり、それがハンドヘルドGPSやカシミール3Dというソフトに親しむようになる動機にもなりました。そこで、今日は、本妙寺坂のある菊坂の原地形「本郷の谷戸」を、カシバードというソフトを利用して眺めてみようと思います。

左の図は、本郷三丁目交差点あたりにある谷頭(やとがしら)近くから谷戸全体を眺めたところです。この谷底を抜けているのが菊坂通りなんですね〜。その奥左手に一段深くなっている溝がありますが、そこを通っているのが菊坂下道になります。
そして、右の図は、まさに本妙寺坂を、以前にアップした写真と同じ方角から眺めたものです。左の図で言えば、右側の台地から、谷底と左側の台地を眺めていることになります。ぼうっとではありますが、本妙寺坂の本来の姿が見えるような気がします。また、中央水色部分に一段深くなるところがありますが、そこが現在、柴田商店が建っている位置です。柴田商店の位置から、菊坂は上道と下道に分岐しています。柴田商店の裏手に菊坂下道の入口がありますが、そこからはっきりと一段低くなっているのが確認できますね。

ところで、本妙寺坂の途中(左図では左側の台地)に「1万8千年位前に使われたと思われる黒曜石の矢じりが発見された」と記した看板が立っていますが、この図を眺めていると、「そりゃそうだろう(^^;」と思ってしまいます。



本日早朝にアップしたアースダイブ地図 (谷根千用)をご覧くださった方のコメントに、興味深いことが書いてありました。それはneonさんとciceroneさんのやり取りで、「根津より東上野のほうが低いんだ〜!」というものでした。僕も同様の興味を感じていましたので、この際です、根津から東上野を直線で結んだ位置の断面図を作ってみました。
やはり「カシミール3D」に「数値地図5mメッシュ(標高) 東京区部」(国土地理院発行)を読み込み、それを「カシミール3D」で断面図にしたのがこの図です。これを見ると、根津から上野の高台、東上野にかけての高低が一目瞭然ですね。こうして見るのもまた面白いですね。ただし、感覚的に把握しやすくするため、高低を強調してあります。実際には水平方向の距離がもっと長いため、よりなだらかです。

先日のアースダイビング@下北沢で、初めて、我等がアースダイブ隊用の地形地図を作ってみたわけですが、これが意外と面白く、都内のあちこち用に、同様のものを作って眺めてみたくなってきます。で、手始めに、何と言っても、拙サイトのいちばんの拠点である、谷中・根津あたりの地形がどうなっているのか? それを解明しなくてはなりません。そんなわけで作ってみたのが、この地形地図です。

この地図は、フリーの地図ブラウズソフト「カシミール3D」に、「数値地図5mメッシュ(標高) 東京区部」(国土地理院発行)を読み込み、「5m以下を青系グラデ」「10m以上を茶系グラデ」に着色した地形図に、Garmin社製 GPS 日本語版に添付の地図ブラウズソフト「Mapsource」に読み込んだ「シティーセレクト日本道路地図」を、"ほぼ"等倍にして重ね合わせ、透過度を調整したものです。

まだまだソフトが使いこなせませんので、後日改めて見ると、赤面ものなのでしょうが、他にこのような地図は見あたらないため、自作してしまいました。僕と同じような興味で谷中・根津を歩いていらっしゃる方には、少しは興味を抱いていただけるかな?と思いアップしました。また、この地図を見て「あ、面白い!」と感じてくださる方が出現するといいな〜とも思って...。

晩秋の菊坂

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陽が落ちてから、ぶらりと家を出ました。炭団坂をくだり、菊坂に下りると、谷底に溜まったようなヒヤリとした空気があたりを包んでいました。静かです。いつもの、日暮れの菊坂...なのですが、何か少違っています。何だろう?と思いながら、しばらく歩いていました。そして思い当たったのが、街路灯です。なんだか、以前よりも、町全体が明るいのです。町のあちこちに設置された街路灯の明かりが町の印象を変えていたのです。
暗い夜道は危険ですし、最近は、本郷も物騒な事件が起きるようになりましたから、街路灯の設置に異を唱えるつもりはありませんが、やはり、ここは電柱に傘つきの裸電球にして欲しかったな〜と、やや残念に思いながら、菊坂の空気を体内に摂り込んできました。
左の写真は、都内有数(^^;の園芸路地の入口です。大木に成長したピラカンサが、真っ赤な実を数珠なりに付けていました。夜目にも艶やかで、妖しくさえ感じられました。
右の写真は、いつも素晴らしい軒先園芸で、道行く人を楽しませてくれるお宅です。ここにも街路灯が設置されていました。その光だけを見ると、ぼんやりと周囲を照らし出し、雰囲気があるのですが、これが、先に書いたように、電柱と裸電球の組み合わせだったらな〜と、悔やまれてなりません。[下の王子の写真と比較してみてください]

【場所】文京区本郷4丁目あたりです。

本郷4丁目の路地に描かれていた、ケンケン(?)用の落書きです。
ここは、昔は本郷田町、そのまた昔は小石川片町と呼ばれていた辺りで、元々は、高崎藩松平右京亮の中屋敷だった場所です。その中屋敷は、本郷台地から崖下までつづいていて、ここはその崖下にあたり、庭にでもなっていたのか、江戸切絵図などを見ると、ドーナツ型の池が描かれています。
最近では、路上の落書きというものをあまり目にしません。路上で遊んでは危険なことが多いので、当然の成り行きかもしれません。が、車の通れないような細い路地や袋小路などでは、いまでも時々、子供の落書きを目にすることがあります。見ると、なんだかホッとして、気分が和らぎます。
ここは袋小路になっていました。写真奥のGOALの文字の数メートル先で行き止まりになっています。そのせいか、この落書きの保存状態が良く、常設(^^;のようです。しかし、この落書き、周囲の雰囲気と相俟って、素晴らしい出来ですね (かなり大きいお子さんの仕業でしょうか?)。つづきの路地にも、多くの落書きが残っていましたが、同じお子さんが描いたのでしょうか、そのどれもが、生き生きとしたアイデアに満ちていて、大人の目を引く出来でした...。

【場所】文京区本郷4丁目あたりです。

白山御殿町の路地

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この写真を見るかぎり、どこが御殿?って思いますよね。実は、ここは、小石川植物園のすぐ下に位置している区画です。
小石川植物園を含む一帯は、将軍になる前の綱吉の御邸が在ったところで、そこが白山神社の鎮座地でもあったため、白山御殿と呼ばれていたのだそうです。その跡地に出来た町だから白山御殿町と言うことなんですね。もっとも、現在では、町会名こそ「白山御殿町町会」ですが、住所表記は白山3丁目になっています。
さて、この白山御殿町は、植物園沿いの通りと千川通りに挟まれた長方形の区画で、そこには、2本の通りをつなぐ細い路地が何本も見られます。今日の写真は、そのうちのいずれかの路地で撮ったものです。

左の写真:言わずとも分かりますよね。アパートの階段です。建物と樹の隙間から、ス〜ッと、傾いた太陽の光が射してきました。途端に路地が表情を変えます。左上奥に見えるのは、小石川植物園の樹です。

中の写真:この一帯には、工場や工場兼住居といった建物がひしめいています。ここもご多分に漏れず製本工場です。路地の両側が同じ会社であるため、路地の上に雨避けが設けてありました。一種のトンネル路地ですね。トンネルを抜けた先右手には、戦後建った下見張りが...。その下に立って、洗濯物を取り込むために顔をのぞかせたオバサンとしばし立ち話しです。

右の写真:基本的には、建物と建物の隙間である路地は、太陽が傾くと、一気に暗くなり、表通りとの明暗差が大きくなります。ここでは、路地に水が撒かれていました。そのパターンがなかなかよろしいですね。そこに空の明るさが反射して、路地にリズムが生まれていました。

【場所】文京区白山3丁目あたりです。

Wabi-Sabi 小石川

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東京に戻ったとは言え、ブログのエントリーには萩の写真がつづき、地元散歩もできずで、かなり吾が界隈から遠のいていました。が、今日、ちょっとだけ、小石川・白山界隈を歩くことができました。いや、なんだか久しぶりです。で、やはり、いまの僕にとっては、この界隈が地元かな?という感触です。体細胞が、この界隈用に入れ替わった感じです(^^;
さて、しかし、その第一弾がこれです。萩の侘錆に対抗して、「どうだ!スゲ〜だろう!こちとら空気が汚ねぇんだよ!」という感じでしょうか(^^; ま〜、そんなこと自慢にもなりませんが...。
ここは、旧柳町と旧表町との境あたりで、戦災で焼け残った区画もある場所です。ここも、まわりの建物と比べると、「こりゃ古いな〜」という感じですが、焼け残ったものか否かは不明です。なんとなく、戦後建てられた建物かな?という感じではあります。
近くに凸版印刷があることも手伝ってか、このまわりは製本工場(こうば)だらけで、昼間は、小型のフォークリフトが狭い道をクルクルと行き来しています。が、夕刻になり、工場が終わると、とたんに活気が失せ、町全体が死んだように静かになります。加えてこの雰囲気ですから、ここは、ちょっとした廃墟のような匂いすら発散させます。小石川から無くなって欲しくない風景のひとつです。

【場所】文京区小石川3丁目あたりです。

日暮れの小石川

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ここは、小石川の千川通りから1本裏に入った通りです。この通りの右側はかなり急な斜面になっていて、その斜面は、徳川家ゆかりの寺・伝通院のある高台につづいています。したがって、ここは、その高台と本郷の高台に挟まれた低地、ということになります。
ちょっと目を左にやると、千川通り沿いにズラリと立ち並んだ高層マンションの壁があるのですが、1本裏に入ったこの通り沿いには、まだマンションの姿がありません。昔ながらの長屋というのも少ないのですが、戦後建った小さな戸建てが連なり、昭和の匂いを強く感じさせてくれる場所です。
この日は、友人2人と、本郷から小石川を歩いていました。そして、「日も暮れたことだし、そろそろ散策も終わりかな」というところで撮ったのがこの写真です。
両側の家は、一階が仕事場で、裏手がお勝手。2階が寝室といった感じの間取りの家が多いのか、暗くなっても、家々からは、ほとんど明かりが漏れてきません。その結果、点在する街灯の明かりが、スポットライトのように、その周囲だけを照らし出し、通りや町に陰影を付けています。その効果でしょうか、昼間見れば何でもない通りが、ぐんと情緒的に見えます。何てことない通りの風景なんですが、「夜目遠目...」なんでしょうね、思わずシャッターを切らされました。

【場所】文京区小石川2丁目あたりです。

菊坂の老婦人

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菊坂の下道を歩いていると、上道から下道に通ずる階段に、ひとりの老婦人の姿が見えてきました。背が曲がり、足腰もだいぶ弱っているようで、杖をつき、足元を確かめるように、一段一段ゆっくりと下りてきます。きっと、ままならない自分の体にもどかしさを感じていらっしゃるに違いありません。ですが、弱っているのは体力だけのようです。身なりはきちんとしていますし、ブラウスと靴下の色を合わせているところなどを拝見すると、お洒落心も失っていらっしゃらないようです。
が、昨日、実は、この反対のケースを目にしました。丸山福山町を歩いているときでした。何か様子がおかしい老婦人が。危なっかしい足取りではありますが、杖もつかず、路地を歩いています。見れば、長めのTシャツのうえにブルーの薄手のセーターを重ねているだけで、下半身には何も着けていません。そして裸足です。そのうえ、両足の付け根から足首にかけて、排泄した汚物が、茶色く付着しているのです。間違いなく認知症が進行しているようです。その表情からは、羞恥心など微塵も感じられません。
間もなく、心配そうに見守る近所の方々のうちのお一人が、おそるおそるではあれ、老婦人の両肩に手をかけ、支えるようにして、その老婦人を、老婦人の住むアパートに導きはじめました。周囲の人の話によれば、老婦人はご主人と二人暮らし。でも、そのご主人も寝たきりに近い状態だということです。どうにもなりません。
実は、僕の母も、認知症が進行し、既に入院生活を送っています。その老婦人を目にした途端、僕には母の姿が重なって見えました。僕の母だって、病院に居なければ、その老婦人と同じ行動をとる可能性が十二分にあるからです。しかし、僕は、悲しさでいっぱいになり、固まったようにその場に立ちつくすだけで、どうすることもできませんでした。やっとできたことと言えば、バッグに入っていたタオルを、老婦人を支えている女性に差し出したことだけです。自分で、近所からお湯をもらい、それにタオルを浸し、老婦人の足を拭くことができなかった自分を恥じます。
長屋というコミュニティがまだ残っている丸山福山町ですらこれです。この写真の菊坂では、この日、スーツ姿の若い不動産屋数名が、家々をまわっている姿を目にしました。丸山福山町で目にしたケースが増えることはあれ、減ることはないのだと思うと、実に暗澹たる気持ちになります。が、泣いてばかりいる時間はありません...。
今日はちょっと重くなりました。でもね、時々、こんなことを考えるんですよ。そして、文京区は立派な庁舎を持っているのにな〜って...。

【場所】文京区本郷4丁目あたりです。

日無坂の家

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これは昨日撮った写真です。目白通りから神田川に向かって下る崖(斜面)に、途中で二手に分岐する坂道が通っています。坂上から、その分岐点を見ると、こんな感じです。右側の坂道は富士見坂と呼ばれ、明治以後に通されたようですが、左側の日無坂は、江戸切絵図にも記載されている、古くからの坂道です。
その分岐点に建つこの家の先端は、信じられないほど鋭角になっていて、まずそこに目を奪われます。まるで舟の舳先を見ているようです。その舳先をかすめるようにして日無坂に入ると、人がやっとすれ違えるほどの細い急な坂道が待っています。途中で階段になっていますが、その辺りまで降りると、街灯の支柱と右側の建物が作る長方形のフレームのなかに高層ビルが収まり、それはそれで風情があります。昨日は、空が澄んでいて、遠くに、新宿のビル群がくっきりとシルエットになって見えていました。
その日無坂に入ってすぐ左手に、こじんまりとした空き地があります。そこに立つと、分岐点に建つ家の全景を見ることができます。今日の写真は、その空き地から撮ったものです。久しぶりに見る、サンセット後の群青色の空にシルエットになって浮かぶ家。しかもここは日置坂。情緒がありました。気分が和みます。

【場所】文京区目白台1丁目と豊島区高田1丁目の間です。

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