山口県 - Yamaguchiの最近のブログ記事

山陰の漁村で

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山口県で撮った写真を三日連続でお届けです(^^; 一昨日が山陽側の平地から。昨日が県中央の山間部から。そして今日は、山陰側の平地...の漁村から...です。

その山越えの移動を住所で書くと、山陽小野田市〜美祢市〜長門市...となります。僕の生まれ故郷は、長門市の三隅町にありますので、従来はそこで到着!となるのですが、今回は萩に滞在しましたので、長門市を通過して萩市に向かいました。今日の写真は、その途中で撮ったものです。

長門市から萩市に行くには、従来は、山間を通る、曲がりくねった道を通っていました。それが、昨年のことですが、長門市と萩市を結ぶ海沿いのバイパス "萩・三隅道路" が開通しました。これが、トンネルと橋を組み合わせた、とんでもないスケールの自動車専用道路で、巨額の税金投下が一目瞭然です。
それにしても、従来から在った191号線が混雑して...などという不満を感じたことはいちどもありません。そこになぜそんな豪華道路を...と、利用しながらも憤懣を覚えます。しかも、その道路は、まだ延長工事がつづいているのですから呆れかえります。

さて、で、税金の無駄使い問題ではなく、写真ですが(^^; この家が在る場所は、萩市の三見というところです。従来はアクセスしにくい場所だったのですが、こればかりは、その馬鹿げた道路のお陰で、楽に訪ねることができるようになった漁村...と言えます。
そこで目にしたのが、この、実にフラットな、木造の家です。見た途端に、大田区のこの家を思い出しました。木とトタンの違いはありますが、地を這うような...というスタイルは、何か惹きつけるものがありますね(^^;

【場所】山口県萩市三見あたりです。

山間の於福で

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昨日の写真は、山口県の山陽側の低地、厚狭で撮ったものでしたが、今日の写真は、県中央部の山間にひろがる美祢市の於福(おふく)という村落で撮ったものです。

昨日と同じように、谷戸の小屋風景なのですが、背景に山が写り込んでいることから、お分かりいただけると思いますが、谷戸の彫りが深くなっています。いかにも、"山間"という語が適切である...という感じがしてきます。

さて、この小屋ですが、実は、山越えのドライブルートからは、かなり離れたところにあります。が、魅力があり、見過ごすわけには...。というわけで、脇道に逸れ、できるだけ近くまでクルマを走らせてみました。が、そう近くまで行くことはできず、実際には、この写真右上のほうに、クルマを停め、あとは、斜面につくられた棚田のあぜ道を伝ってここまでおりてきました。

で、最初は、この小屋に寄った写真を撮るつもりで、斜面をくだったわけですが、そばまで来てみると、「小屋としてはいまいちだったかな?(^^;」という気がしないでもありません。が、この山間の農村風景は、撮るに値する...どころか、おつりまでくる...という感じです(^^; というわけで、今日は、山口県中央部の山間から...でした。

【場所】山口県美祢市於福あたりです。

山陽の畑で

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20日に東京を発ち、昨日まで、山口県の萩市と長門市を行ったり来たり...ということをしていました。そんなわけで、ブログの更新ができませんでしたが、昨夜、東京に戻りましたので、まずは、山口土産エントリーで更新再開です。

山口に行くときは、まずは飛行機で山口宇部空港まで飛びますが、空港は山陽(南)側にあります。しかし、僕が用のある萩や長門は、山陰(北)側にありますから、空港でレンタカーを借り、県中央部に横たわる山脈を越えて行くことになります。

この写真は、その山越えのずっと手前...山陽側の小野田市厚狭(あさ)で撮ったものです。いったんクルマを走らせてしまうと、途中、何か興味深いものを発見しても、クルマを停めて...とはなかなかならないものですが、この小屋が視界に入ったときは、躊躇なく、非常点滅灯をオン! 道が空いていることもありますが、クルマの流れを妨げない場所に駐車し、カメラを持って、久々にあぜ道を走りました(^^;

なんとも良い小屋です。板を横に張った壁面などを見ると、かなりしっかり造られているようです。が、ドアの取りつけ部分を見ると、ややいい加減だったりします。休憩スペースのひさし?と思われる、右に伸びた部分などは、風で飛ばされて当たり前...という感じです。

しかし、まあ、この手の作業小屋というものは、理屈云々ではなく、実利一点張りってところが魅力の根源でしょうから、つべこべ言う積もりはありません(^^; この、押しつぶされ首が埋まったようなプロポーションに、すっかり魅せられてしまいました。

それにしても、この小屋、どことなく明るい雰囲気があります。それがやはり山陽側なのかな?と思わせるところです。

【場所】山口県山陽小野田市厚狭あたりです。

山間の橋

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今日の午後、山口から東京に戻りました。
僕の郷里のある山陰から、宇部空港のある山陽に向かうには、国道316号線を走り、中国山地を越えることになります。いわゆる、峠越え…というやつです。今日の写真は、その途中で、気になり、ちょっと車を停めて撮った、山間の、橋のある農村風景です。
場所は、定かではありませんが、峠を越えてしばらく行った辺りだった…と思います。小さな集落があり、その近くに、ほぼ自然のままと思われる土手の残る川が流れています。そして、その川をまたぐ橋のたもとに、大きな樹がたっています。山降ろしの強い風に吹かれるのか? 水平方向に枝を張り、手入れしてもなかなかこうはゆかない…という、こんもりとした枝振り・樹形になっています。その佇まいが、なんとも、ゆったりとしておおらか、かつ印象的で、通るたびに、気になっていました。
しかし、一本道をひたすら目的地に向かって走行しているときは、「おっ」と気になる風景などが目に行っても、停車して…という気にまでは、なかなかなれないものです。が、今日は、光の具合が良かったのか、気分が良かったのか…、ブレーキペダルを踏まされた…という感じでした。

【場所】山口県美祢市あたりです。

萩城跡からの眺め

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これは、萩城の外周に巡らされた石垣の切れ目から、浅い湾を挟み、対岸の鶴江台を眺めたところです。この石垣の上には、昔は、土塀が築かれていて、そこに点々と四角い窓が開けられていたそうです(現在、部分的に再現されていました)。その開口は、敵が海から上陸を試みた際に、弓矢を放つために設けられたものだそうです。
ま、実は、それは後で分かったことで、この写真を撮ったときは、「あ、砂浜に草が生えてて、なんとなく海外のビーチ風でもあるな〜。そこに石垣があって、面白い」と思っていました。しかし、撮った後になって、けっこう考えさせられることになりました。
ご覧いただければお分かりか?と思いますが、この写真には、現在を特定できるものが全く写り込んでいません。写っているものと言えば、石垣と砂利道、草と海、対岸の緑と台地、上空の曇り空…だけです。
萩城(指月城とも呼ばれる)は、慶長9年(1604年)から12年(1608年)にかけて築城されたそうです。ということは、1608年ころには、砂浜にこんなに草が生えたままではなかったかもしれませんが、ほぼ今日と同じ風景が存在していた、ということになります。
したがって、当時から今日まで、この場所に立った人の目にはこの風景が映っていた、ということになります。が、「いったい、当時の人に、この風景がこんな風に見えたのかな?」ということを考え始めてしまったのです。なにしろ、当時の人と現代人とでは、脳にインプットされている情報がまるで違うはずです。それが、風景を見るときに、影響を及ぼさないわけがありません。
最初に僕は「…海外のビーチ風に感じた…」と書きましたが、昔の人がそんな風に感じるなんてことはあり得ないと思われます。そう考えると、同じ風景でも、見る人によって、映り方はかなり違ってくるんですね。写真って、簡単なだけに、やはり難しいですね〜。

【場所】山口県萩市です。

山腹の侘錆景

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長らくお休みさせていただきました。実は、法要のため、郷里・山口に行っていました。昨夜、東京に戻りましたが、山口滞在中、けっこう神経を使ったためか、家に着くと、もうグッタリ。でも、しばらく放っておいた拙ブログをのぞいてみると、コメントスパムでいっぱいです。やれやれです。とりあえずそれらを削除。が、昨夜は、それ以上は何をする気にもなれず、休んでしまいました。

が、今日からリセットです。まずは、山口土産「侘びしい錆びつき波形トタン屋根」(^^;です。この建物は、長門市日置にある、千畳敷という見晴らしの良い丘に上る道沿いに建っています。
とにかく、凄いトタンの継ぎ接ぎぶりです。場所によっては、いったい何枚重なっているものやら?です。錆びて穴が空いた箇所にその上から…という作業の繰り返しが、この姿を生んだことは想像に難くありません。
もう左の端から植物と絡み合った状態で、自然に戻りつつある家ですが、まだまだ現役です。それは、軒下に置いてある自転車が使える状態であることからもお分かりいただけると思います。また、この建物は右に続いていて、途中から瓦屋根になっています。そして、その隣りにも古い別棟の家があり、以前に、その家の煙突から煙りがのぼっているのを見たことがあります。
しかし、ここは小高い山の中腹です。交通手段は車以外にありません。集落があるわけでもなく、ほんとうに人里離れた位置にポツンと建つ1軒家です。ここに家を建て、今日に至った理由が気になります。が、この家の玄関が開き、誰かが姿を現すのを待つ時間はなく、それは分からず仕舞いのまま帰ってきてしまいました…。

場所】山口県長門市日置あたりです。

萩 土塀群

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萩の写真は、昨日で終わり、と思っていたのですが、トタン錆古屋同好会(^^;の方々から、思いがけないお褒めの言葉を頂戴いたしましたので、もう1日だけ、萩の写真をアップさせていただくことにしました。それにしても萩は、写真の題材が豊富な町です…。

今日の写真は3枚ともに、言うまでもありませんが、土塀を撮ったものです。

左右の土塀は、ツタが絡んでいるせいか、表面の漆喰(?)が、剥がれ落ちていません。もっと観光地化された地区では、最近になって補修した、真っ白な漆喰の、きれいな土塀を多々目にしましたが、この写真の土塀は、オリジナルかも?と思わせる肌をしていました。ほとんどの土塀が(中央の写真のような)黄色い土色の肌を見せているなか、これは珍しいケースだと思います。

中央の写真は、観光地化されている城下町で撮ったものです。その城下町でも、やはり再開発は避けられないようで、更地にされ、工事を待っている区画もありました。この土塀は、その更地の周囲にたっていました。したがって、建物が在った間は、人目に触れることはなかった土塀です。そして、工事が始まれば、また人目に触れることはなくなります。これは、その立地を考えると、まったく手つかずで風化しながら残った土塀、と言えるようです。

【場所】山口県萩市です。

萩 侘 錆

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今日の写真は萩の断片です。波形トタンこそありませんが、いわゆる僕好み(^^;です。「これぞ経年変化だ〜! 文句あっか〜! 美しいだろ〜!」って感じでしょうか(^^; いや、真面目な話、こうした、忘れられたような、時間の堆積を感じさせる風景には、どうしても惹きつけられます。

左の写真は、藍場川の最上流に位置する家の垣根です。その家には、もう誰も住んでいないようでしたが、庭には流水の池があり、その中から、屋根を支える柱の土台となる石が立ち上がり、その上に木の柱が据えられているという、かなり風流な造りの家でした。その家を、垣根越しに撮っている時に気づいたのがこの場面です。近づいてよく見ると、なんと、萩焼が垣根の竹の頭に被せてあるのです。それも全ての竹に…。きっと、これらの製作者にとっては失敗作なんでしょうが、僕が見た限りでは、どれも立派に使える代物でした。東京下町では、サザエの殻やビールの空き缶を、このように使っているのを目にしたことはありますけどね〜。萩では萩焼ですよ、萩焼(^^;

中の写真は、鍵曲で撮ったものです。何故に置いてあるものやら、とにかく、唐突に大八車が置いてありました。相当に風雨に晒されているようで、いまにも崩れてしまいそうでした。錆びたリヤカーではないところが、さすがに萩です(^^; 背景が苔むした板塀というのもよろしいですね。

そして右の写真ですが、ここは、萩観光の中心地である城下町から100メートルほど離れた場所です。この辺りは住宅が多く、観光コースからも外れているようで、ほとんど人影はありませんでした。表通りを歩いているときに、奥にチラリと見えた土塀に惹かれ、迷い込んでみると、ありました。手の加えられていない土壁群です。なかでも、この写真の部分は迫力がありました。門前には「萩の変七烈士殉難之地」と記した石碑が立っていました。ま、萩の変についてはgoogleで(^^; しかし…です。不謹慎かもしれませんが、この石碑、この位置には立てないで欲しいですね〜。せっかくの侘錆情緒ぶち壊しとしか思えません。

【追記】けっして「寂」と「錆」を取り違えているわけではありません(^^;(^^;(^^;
【場所】山口県萩市です。

萩・藍場川で

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萩の東南端に藍場川と呼ばれる堀割があります。そこには、松本川から引かれた清水が流れ、大きな鯉がゆったりと泳いでいます。藍場川沿いの地区は、昔は、下級武士が住んでいたそうですが、今日でも、その名残りを目にすることができます。今日の写真は、そのうちのひとつ「旧湯川家屋敷」で撮ったものです。
藍場川沿いに建つこの屋敷では、藍場川の水を庭に引き入れ、いったん流水の池にし、その池からさらに家のなかに通して、台所用水として利用した後、再び藍場川に戻しています。
左の写真は、その台所の様子を撮ったものです。これは完全に家の内部ですが、土間から石段を下りれば、そこに清らかな流水があるというわけです。その流水を利用して、食材や食器を洗ったりしたのだそうです。右の写真は、その水場に寄って撮ったものですが、ここは家の内部とは言え、流水で藍場川とつながっているわけですから、炊事などをしていても、こうして鯉が顔をのぞかせたりするわけです。風流ですね〜。しかも、右手にある竹で作られた棚は、食器を乾燥させたりする時に使うのだそうですが、竹の間に確保された隙間が、明かり取りであると同時に、食器などの乾燥も促進するのだそうです。このアイデアにも参ります。事実、見回すと、周囲の土がカラカラに乾燥しているのが確認できました。ところで、この部分を外から見るとこんな感じです。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、石橋の向こう側に見える石垣の切れ目が、この水場の位置になります。
そして、こちらの屋敷では、お風呂も同様に、藍場川の水を利用する造りになっていました。しかも、お風呂で使用した水は、石で出来た洗い場の下部に設けられた、砂利と砂と炭のフィルターで濾過して藍場川に戻す工夫がなされているとのこと…。うぬぬ〜、まさに「先人の知恵を思い知らされる」とはこのことです。感嘆します。そこで、ついでに、そのお風呂部分を外から見た写真もアップしておきます。

【場所】山口県萩市です。

萩の鍵曲

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ここは萩です。鍵曲と書いて「かいまがり」と読むそうです。鍵曲というのは、城下に進入した敵を迷わせるため、高い土塀を巡らせ、道をカクカクと直角[鍵]に曲げて迷路のようにした道筋を言うようです。これは城下町にはよく見られる手法だと思いますが、萩の場合は、それを、できるだけ昔のままの姿で残そうという努力がなされています。ま、そのために土塀の補修なども行われていて、逆に言うと、観光地化されているとも言えるのですが…。
萩には、その鍵曲と呼ばれる場所が2カ所残っているようです。そして、僕が訪ねたのは、南側に残された鍵曲でした。後になってネットで調べてみると、北側の鍵曲のほうが、より古いままの姿が残っているようで、うぬぬ、と残念なのですが、ま、そちらは次ぎの機会にでも…。
そんな南側の鍵曲ですが、そうは言っても、やはり風情はあります。特に、僕が訪ねた時間が遅かったせいもあるのか? この辺りに、ひと気はなく、静寂に包まれていました。鍵に曲がった土塀の向こうから突然、刀をかざした侍が現れても不思議はないような、そんな時代を感じさせる雰囲気でした。途中、犬を散歩させる洋服姿の老婦人とすれ違いましたが、その姿が実に不釣り合で、可笑しく感じられるほどでした。

【場所】山口県萩市です。

三隅町の草原景

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ここは三隅町です。言うに事欠いて草原なんて書いてますが、実は、そんなに広くもない、単なる空き地です。放置すると、人の背丈を越える草で覆われてしまいますが、適当な時期に、その草を刈っておくと、野生のクローバーが花を咲かせ、まるで草原を想わせる風景が出現するようです。
ところで、「…ようです」と書きましたが、僕はこれまで、この空き地がこんな表情を見せることを知りませんでした。または、こんな空き地の表情には興味もなかった、のかも知れません。
この日は、山口に到着した翌日でしたが、朝からよく晴れて、そうでなくともきれいな空気が、いっそう清々しく感じられました。しかし、朝ここを出るときは、クローバーの鮮やかなピンクの花が印象的ではありましたが、ほぼ逆光であったためか、カメラを向けるには至りませんでした。が、用事を済ませ、ここに戻ってみると、太陽の位置が変わり、柿の木などが草の上に影を落とし、左手の板塀もその直射を受けて輝いています。なんだか、郷里である三隅町の表情が、いつもこんなだったら良いな〜と思える風景で、思わずシャッターを切りました。ま、かなりウソもついている写真(^^;というのが残念なんですが…。

【場所】山口県長門市三隅町です。

青海島にて

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昨日は愛媛県の大三島[おおみじま]でしたが、今日は山口県の青海島[おうみじま]です。発音するとほぼ同じに聞こえますね。
僕の生家の裏庭からは、この青海島が正面に見えます。したがって、この島の名は子供の頃からよく耳にしていました。いまでも、郷里というと、この島の名がセットになって思い起こされます。ですが、実際に青海島に渡った経験はさほどありません。特に大人になってからは…。そんなわけで、今回、ざっとでも良いから島内を見ておこうと思い、車を走らせてみました。今日の写真は、そのときに撮った島の断片です。
左の写真は、通[かよい]と呼ばれる地区の港で撮ったものです。青海島を表現しているとは思いませんが、この光景を目にしたときに、なんとなく人恋しいような気分にさせられ、シャッターを切りました。海辺にある電話ボックスって、なんだか雰囲気がありますね。
中の写真は、道端の小屋(^^;です。以前は家でも建っていたのか?と思わせる空間です。野草が可憐な花を咲かせていました。陽射しの強い日でしたが、そのお陰で、涼しげですよね。
右の写真は、やはり通[かよい]と呼ばれる地区で撮ったものです。かなり古そうな家で、家屋密着型のお地蔵さんがありました。それにしても凄い陽射しでしょ。暑かったんですよ〜。これが、今年最後に感じた夏かもしれません…。

【場所】山口県長門市青海島です。

三隅町にて

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ここは山口県の三隅町です。中央の写真は、お墓参りしたときに撮ったものですが、僕の生家は、この写真で言うと、なかほどに見える赤い屋根の左手の木立の向こう側にあります。生家のある地区は沢江と呼ばれています。もう海に近く、昔は、裏庭に舟が繋がれていて、そのまま海に出られたと父から聞いています。
左手奥には半島が見えますが、その先端が仙崎です。さらにその向こうに、やや霞んで見えるのは半島ではなく、青海島と呼ばれる島です。仙崎とは橋で結ばれていて、車で渡ることができます。
左右の写真は、家屋が集まっている、沢江と呼ばれる地区で撮ってものです。決してこんなに朽ちた家ばかり(^^;の地区ではありませんが、やはり目が行くのはこういう光景ですね。
この日は良く晴れて、とても光がきれいでした。僕がここに住んでいたのは3歳までですが、かすかに当時の記憶が残っています。やはり懐かしい光景です。

【場所】山口県長門市三隅町です。



4泊の事務処理小旅行が終わり、昨夜、帰京しました。が、息つく暇もなく、今日は早朝から父の通院を支援。帰宅後爆睡していました。やっと一息ついたところで、我がブログを見てみると、何やらスパムが届いていたり、フォームが崩れていたりと、たかだか5日ほどで結構変化が起きているものですね。
ところで、今回は写真を撮る時間がなく、5日間で撮った写真がRAWで2GB少々。これは、普段下町を歩くときの半日分にも相当しません。というわけで、断片的なイメージの羅列になりますが、まず僕の生まれた三隅町の隣町である仙崎の風景からアップします。

都会の忘れもの

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左側の家は、千畳敷という、小高い山のうえの見晴らしの良い場所に向かう道の途中に、たった一軒ぽつんと建っていました。僕には、老人が腰をおろし、両手で持った杖のうえに顎をのせて体を休めているように見えてきます。しかし、こんな山中の集落も何もない場所に、どういう理由で家を建てたのでしょうか。かなり傷んでいますが、いまも無人ではありません。この写真を撮ったときには、家の裏手にある煙突から煙が立ちのぼっていました。
右の写真は、黄波戸で、僕に醤油工場のことをあれこれと話してくださった方とその方の愛犬です。僕は醤油工場の写真を撮りながら彼の話を聞いていたのですが、彼の職業が映画の大道具作りだと分かったときに、「おや、それじゃ写真撮らせてください」と彼にレンズを向け、「いやいや〜(こんなおやじ撮らんでもいい)」と表情が崩れたときにシャッターを切った写真です。
この2枚の写真は一見無関係に思えますが、僕にはむしろ共通する匂いが感じられ、並べることに不自然さを感じませんでした。何故だろうと、しばらく考えていたのですが、それは「疑念の無さ」ということのようです。おそらく、この家の玄関の戸には鍵がかかっていません。そして、この男性の気持ちにも鍵はかかっていませんでした。それが、都会生活のなかで無意識のうちに鍵をかけていた僕の気持ちをほぐし、その鍵を解いてくれたようです。この写真を見ていると、その時の穏やかな気持ちが蘇ってきます。

【場所】山口県大津郡日置町あたりです。
【追記】山口編は今日でおしまいにします。明日からは通常営業(^^;に戻ります。

海辺の醤油工場

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山口県の日置町というところに黄波戸[きわど]という温泉の出る村[集落?]があります。深川湾に面した半農半漁の村です。その村の海辺に、煙突のある古い建物が残っています。何だろうと思い、ちょうど犬の散歩で通りかかった年配の方にたずねてみると、醤油工場だという答えが返ってきました。しかも、現在も稼働しているといいます。廃屋だとばかり思っていましたから、これにはちょっと驚きました。
その方の話によれば、この建物は昭和5年に他所から移築されたもので、最初は倉庫として使われていたそうですが、戦後は一時的に塩を作り、その後しばらくの間は彼岸花の根から粉を作っていたそうです。この粉は片栗粉のようなもので、食用だったといいます。彼岸花の根の粉を食べたなんて初耳でした。戦後の食料事情の悪さをうかがわせる話です。そして、その後はずっと醤油工場として使われ、今日に至っているということでした。
この話をしてくれたのは、写真に写っている男性で、仕事は映画 - 主に時代劇 - の大道具作りなんだそうです。これまた意外でした。あ、それから、この男性は黄波戸温泉の発見者でもあるんだそうです。どんな土地にも、興味深い歴史や人って潜んでいるものですね。改めて実感です。

【場所】山口県大津郡日置町あたりです。

海を望む丘のうえで

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黄波戸は、海辺から小高い山の中腹にかけて家が点在する村で、その中腹、村としては一番高い位置に、山陰本線の駅があります。本線とはいっても単線です。電車も1時間に上り下り各1本が停まるだけの鄙びた無人の駅です。
その駅の正面にこの建物がたっています。倉庫のようですが、古く、もう傾いています。表面の板は、潮風と雨に晒され、太陽に焼かれ、相当に経年変化が進んでいます。しかし都会のそれとは違い、すすけていません。黒ずむのではなく、かぎりなく白に近づいていっているようです。この写真を撮っているときには気づかなかったのですが、こうして写真にして見ると、小屋に打ちつけられた板や傍らの老木、ちょっとした丘になった草地などの表情、そしてそれらの色調が、なぜか日本の田舎らしく見えません。僕には、アメリカの画家アンドリュー・ワイエスが、海を望む丘のうえで描いた風景に重なって見えるのですが…。

【場所】山口県大津郡日置町あたりです。

萩の路地で

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山口滞在中に空き時間のある日が月曜だったので、美術館系は休館日。そこで萩の古い町並みを歩いてみることにしました。
とは言っても、萩に関する予備知識などはほとんどなく、とりあえず現地に入り、観光案内板とにらめっこです。すると、なんとなく旧萩藩御船庫と書かれた辺りが臭います。というわけで、萩の北東のはずれにあたるその場所を目指しました。が、はずれとは言っても、東京の感覚で走っていると、通りこしてしまいそうな程の近距離です。あっという間に東浜崎町に到着。旧萩藩御船倉はすぐに見つかりました。が、「あ、これがそうなの」という程度。驚いたのはその周辺の町並みです。
やはり谷中で培った僕の嗅覚は鋭かったようです(^^; ここ浜崎町では、百年前なんて昨日の延長でしかないという雰囲気で、どこを見ても、古びた家[主に町屋]がごろごろしています。そして、ただ古いだけではなく、一軒一軒が趣向を凝らした厚みのある建物であることに驚かされ、圧倒されます。しかも、その多くが現役です。今日アップした写真の建物は、もちろん史跡指定など受けていないごく普通の家ですが、さすがに今年で開府400年の萩です。近隣の町の家には感じられない趣味性や意匠が強く感じられます。この浜崎町の町並みは、まるで町屋の博物館のようで、歩いていて飽きません。しかし、時間がなく、後ろ髪を引かれながら、この被写体の宝庫を後にせざるをえませんでした。残念。

【場所】山口県萩市浜崎町あたりです。

実は、僕の生まれ故郷は山口県の長門市に近い三隅町というところです。ですが、三歳の頃にその地を離れ、それ以来、住んだことがありませんので、故郷と言われても、いまひとつピンときません。
先祖からの家や土地は残っていて、戦争未亡人だった叔母が、たった一人でそれらを守りつづけていました。彼女にとっては、その三隅町の家が世界中でいちばん大切な場所であったことは疑いの余地がありません。叔母は昨年の暮れに亡くなりましたが、それ以前に入院先である宇部市の病院に見舞いに行くと、決まって「三隅に帰りたい」と口癖のように言っていました。が、彼女の言う「三隅町」とは、すなわち「三隅町にある我が家」のようでした。
同郷の画家に香月泰男さんがいます。彼も三隅町を愛し、あの有名な「シベリヤシリーズ」を描き、画壇に揺らぐことのない位置を確保した後も、三隅町に住みつづけ、三隅町で一生を終えた人です。彼の愛した「三隅町」とはいったい何だったのでしょうか。三隅町の自然なのでしょうか。彼が生まれ、育まれた家だったのでしょうか。家族の居る地だったのでしょうか。
叔母を見舞い、そして葬儀を執り行なうため、僕は昨年から何度も山口の三隅町に帰りました。その度に、いずれ住むために帰らなくてはならないかもしれない三隅町を、これまでとは違う目で見ている自分に気づいています。きっと僕には、叔母の三隅町に住むことはできないかもしれません。しかし、ひと頃のように「三隅町のような田舎は僕の住める場所ではない」とは思わなくなっています。それが人なのか土地なのか自然なのか、まだ分かりませんが、三隅町というところは、僕への当たりがまろやかで、それが僕を惹きつけ始めたのです。
香月泰男さんの三隅町とは何だったのか、このところ、そこに大きな興味を感じています。彼は、ブリキでオモチャもたくさん作っていました。そのレプリカが香月美術館のまわりの道路に置かれています。それらを見ていると、無邪気で愉快で優しく、とてもあの陰惨とも言えるほど暗いシベリヤシリーズを描いた画家が作ったものとは思えません。が、間違いなく、両者は同一人物の感覚から生まれたものです。おそらく、香月泰男という人がこのオモチャを作った感覚は、彼が三隅町に住みつづけたことと深く関わっているような気がします。その秘密に少しでも触れてみたいと思い、昨日、香月美術館に行ってみたのですが、なんと月曜で休館日です。彼に「出直せ!」と突っ返されてしまいました。でも、その突っ返し方は、やはりまろやかでした。

【場所】山口県大津郡三隅町です。

山陰のビーチ

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山陰、山口県、日本海、の文3字から、どんな海辺の風景を想像しますか? きっと、たれ込めた暗雲、鉛色の海、切り立った断崖に砕け散る波、といった寒々とした風景ではないでしょうか? 実は、そこに生まれた僕も、そんな風景を思い描いていました。特牛[こっとい]の海を見るまでは…。特牛には、鴨川グランドホテルが経営する西長戸リゾートというホテルがあります。今回、昼食を兼ねて行ってみたのですが、そこのビーチを見て驚きました。砂は珊瑚礁が砕けてできるタイプのベージュがかった白で、海の色は透き通ったエメラルドグリーンです。まるで南の島のビーチそのものです。我が目を疑いたくなる程です。この日は、生憎、雨が降ったり止んだりでしたので、ビーチ本来の魅力は出ていませんでしたが、太陽が輝いたときのそれは簡単に想像できます。山口県の海とビーチを見直してしまいました。しかし、素晴らしいビーチとは裏腹に、このホテルでの昼食はおよそいただけませんでした。これがちょっと残念。

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