ペインター

| コメント(4)

最近、まちなかで、こうした手仕事の現場を目にする機会が激減していますね。道路工事は非常に...否...異常によく目にしますが(^^;

とにかく、最近は、どんな工事をするにしても、基本的には隣近所や通行人への配慮ということなのでしょうが、シートなどで覆いをして作業が行われますから、その向こう側で何が行われているのか...分からないケースがほとんどです。
したがって、こうして、ペンキ屋さんが、塗料を入れた缶を片手に、慣れた手つきでハケを動かす...なんて姿も久々に目にした気がします。いや実際に久々です。

ま、脚立と手道具の時代はとうに過ぎ去り、クレーンと電動工具の時代になってはいますが、それでも、人が手足を動かし、道具を使い、仕事をしている現場・姿を見る...というのは、なにか大切なことに思えてなりません。

この脚立と足腰との一体感、手の動きと目線の動き...など、かなり腕のある人だからでしょうが、見ていると、ホレボレなのですが、そればかりではなく、なんだかほのぼのと暖かいものを受け取った感じがします。

【場所】北区王子1丁目あたりです。

豊島の戦後

| コメント(6)
前々エントリーと同じく、北区の豊島からです。

豊島一帯は、ごく一部を除き、大戦の空襲により、ほぼ全体が焼け野原になっています。この家は、よくぞ残っていたものですが、前々エントリーで話題になった日産化学の工場から遠からずの位置にあります。戦災焼失区域表示地図と照合してみると、もしや、戦災に遭わなかったごく一部の、そのまた生き残りと思われます。愛らしいですが、迫力があります。

先日、たまたま、終戦後 日産化学の近く(ということは、この家の近くでもあります)にお住まいだったという高齢のご婦人にお話を伺う機会がありましたので、簡単に...ですが、その内容をメモがてら記載しておきます。

●この辺りの建物は、おが屑をコールタールのようなもので固めたブロックを基礎に使っていた。戦災で焼け落ちたときは、それらがたくさん露出していた。
●焼け野原の頃は、豊島から、王子駅そして富士山まで見えた。富士山はその後も見えていたが、池袋にサンシャインが建ってから見えなくなった。
●日産化学は、戦後、様々なものを製造していた。例えば醤油なども製造していた。それらは配給された。
●日産化学の従業員の作業着がすぐに赤茶色に変色していた。そこから、彼らは"あかご"と呼ばれていた。戦後、工場は3交代制・24時間操業していた。
●日産化学の周囲の建物のトタンはすぐに錆びていた。また、タンスの取っ手などもすぐに錆びた。
●豊島には、日産化学へ引き込まれた貨物線とは別に、火薬工場用の軍用鉄道と運河(現緑地公園)があった。(こちらを参照してください)

ま、そんなことなんですが、なんだかズーンと重い言葉が多いですね...。ところで、最後の項の運河ですが、いまは豊島緑地公園に姿を変えています。が、その運河についてネット検索しても、何もヒットしないに等しい状態です。となると益々興味が湧いてきます。何かご存知の方、いらっしゃいませんでしょうか...。

【場所】北区豊島あたりです。

小さな風景

| コメント(4)
このブログでは、"寄った"写真はほとんど掲載していません。が、昔ほど撮らなくなったとはいえ、"寄った"写真を撮らないというわけではありません。というわけで、今日は、そこそこに"寄った"写真を...。

ご覧のとおり、黒いビニールのようなもので出来たミッキーマウスとミニーマウスです。千住の路地にある、看板を見なければそれと分からないような、小さな美容院のガラスのドアに、こうして貼り付けてありました。

このミッキーとミニーですが、さほど大きいものではありません。身長10cm程度でしょうか...。そんなわけで、実は、最初に通りかかったときは、「うん?ドアに何か汚れのようなものがあったな」という程度で立ち止まりもしませんでした。が、通り過ぎてからも、何か気になり、戻ってみると、その汚れはミッキーとミニーだった...というわけです。

まちの美容院というと、通常、入口ドアには店名が書かれているものですが、こちらは、屋根近くに看板は出ていますが、ドアには何も書かれていません。店名の代わり...というわけではないでしょうが、こうして、小さなミッキー&ミニーが置かれているだけです。

が、これが、なんとも心を和ませてくれます。最近は、とにかく、まちがギスギスしてきているように感じられてなりません。トゲが強くなっているように感じます。そんななかにそっと在ったこの小さな風景...。こうした心持ちがまちを覆ってくれたらな〜と...。

【場所】足立区千住柳町あたりです。

闇光景

| コメント(12)
全国的に台風の影響で雨風が...というときに、それに輪をかけるようなクラ〜イ写真をアップすることになってしまいました(^^;

ここは北区の豊島というところです。この地を踏んでみるまでは、豊島...という語の響きから北区を思い浮かべることはありませんでしたが、どうやら、豊島という地名の本家は豊島区にあらず...こちらのようです。

そんな豊島ですが、ちょっと調べてみると、数年前に、土地がカドミウム(訂正:ダイオキシンでした)に汚染されていたことが判明し、大騒ぎになったのが同5丁目でした。「そうだ、そういえばそんな問題があったな...」と、思い出した次第です。

この豊島という土地は、元々、隅田川を挟んで対岸となる足立区側に深く食い込むような形をしていて、天狗の鼻...と呼ばれていたようです。が、荒川放水路の掘削でかなり形が変えられています。下の地図でその変化をご覧いただけると思います。



地図の年代は以下のとおりです:
左端:現在 [Yahoo地図]
左から2番目:平成14年頃(orそれ以前) [3層重ね地図]
右から2番目:昭和初期 [東京日々新聞付録 / 昭和7年 隣接町村併合記念]
右端:明治後期 [3層重ね地図]

かなりな変化がありますね。そして、もうひとつ、重大な変化が見てとれます。元肥料製造会社の敷地だったところが、現在、団地になっている...ということです。その素性が表面化したのが、以前話題になったカドミウム(訂正:ダイオキシン)汚染問題だったわけですね。で、今日の写真ですが、いまどきにしては、やけに闇が濃いな...などと思っていたのですが、もしや、そんな土地の暗い影が写ってしまったのかも?です(^^;

【場所】北区豊島あたりです。

ブリキヤさんの角

| コメント(6)
北千住駅から西の方向にしばらく歩いたところに、トタン系の建物が寄り集まっている一画があります。今日の写真に写っているのがその一画なんですが、とんでもなく惹きつけるものがあります。

ここは、先端が八の字(の上のほう)のような形になっているため、交差点というよりも、家屋群の岬が広場に突きだしている...という感じがします。その感覚は、かつてはどぶ川であったであろう道がこの家の前あたりに集まってきていることでも強められているようです。

そういったことを別にして、実は、この一画...というよりも、先端のトタン家は、いわゆる町歩き系のひとたちの間ではよく知られた存在のようです。波形トタンとガラスの引き戸の組み合わせだけでもかなりなものですが、加えて、ガラスに書かれた"ブリキヤ"の文字と"サイドカー式チャリ"の存在です。これを見れば、まあ、町歩き系にかぎらず、たいていの人は参りますね(^^; 懐かしさもありますし...。

こちらは、僕も、過去に何度も通りかかった場所です。が、しばらく遠ざかっているうちに、すっかり記憶から飛んでいました。ところが、つい先日、じんた堂さんのブログでこれがとりあげられていました。思い出しましたね〜。そして、うまくしたもので、そんな時は、ちょうど北千住に行く用事ができたりするんですね(^^;

【場所】足立区千住柳町あたりです。

パッチワーク系

| コメント(4)
この建物は、虎ノ門、それも、昨日アップした建物からそう離れていない場所に在ります。が、こちらは、マッカーサー道路とは関係なさそうです。

この右に見えるフェンスの外は、狭い道になっていますが、その道を挟んで反対側には、すでにかなり広い更地がひろがっています。そんな周囲の様子からすると、この建物のたつ一画は、完全に狙われているようです。もう時間の問題...という感じがします。

実は、この建物の隣(写真で言うと手前)には、ぴったりとくっつくようにして、日本家屋が建っていました(僕自身がその存在を確認しているのは昨年の6月までです)。したがって、この建物の壁は、長らく、人目に触れない状態でした。

それが、先日、ここを通りかかると、この手前にあった建物が取り壊されていました。しかし、そのときは、手前にかなり高いフェンス(テント地だったか?)が巡らされていましたので、壁面の上端部しか見ることができませんでした。パワーショベルのアームなども邪魔していましたし...。

が、その壁面の一部を見ただけでも、複雑なパッチワーク具合に惹きつけられます。見過ごすわけにはいかない出来です(^^; 特に、右上の、ベレー帽を斜にチョコンと乗っけたような屋根なんてこれまで見たこともありません。
てなわけで、これは何としても全体像を...と思い、工事の進行具合から推し量り、撮ってきたのがこの写真...というわけです。そのあたり結構苦心してますね(^^; が、それだけの価値はあった気がするのですが...。

【場所】千代田区虎ノ門1丁目あたりです。

亡霊道路の工事現場

| コメント(4)
ここは、東京の中心部・虎ノ門です。以前にも拙ブログで触れていますが、その虎ノ門で、とんでもない道路建設工事が進行中です。

その道路は、マッカーサー道路と呼ばれるもので、発案されたのが1946年。そして事業化されたのが2003年です...。なんと計画から実施までに約60年が経過しています。で、さらに、当初の計画では、2009年完成の予定が、用地買収の遅れなどにより、完成は2013年度末にずれ込んだとのこと...。なんだか呆れます。

なんとも馬鹿げた計画だとは思いますが、とにかく、建設工事は進行しているわけで、その計画にかかる土地では、次々に建物が取り壊され、確実に、道路の幅の更地が伸長しています。

今日の写真の風景もその道路用地で撮ったものです。去年の夏頃には、まだこの手前に建物が在ったのですが、それが取り壊され、隣の建物の側面が晒されていました。この建物は、正面から見ると、けっこう洒落たモルタル造りのパスタ屋さんだったのですが、素顔を見ると、かなりなものでした(^^; しかも、後方に見えるビルとの組み合わせに、妙に一体感が感じらるのが不思議です。

【場所】千代田区虎ノ門1丁目あたりです。

トマソン川

| コメント(4)
新小岩駅北口の、さほど規模の大きくない商店街を抜けたあたりです。右端に少しだけ見えているのは蔵前橋通り。その先(写真でいうと奥のほう)は、ほどなく、中川/荒川放水路にぶつかります。そして、僕の背後には、荒川放水路とほぼ平行にはしる平和橋通りがあります。要するに、蔵前橋通りと平和橋通りの交差点ですね(^^;

が、その交差点、2本の通りが交差するだけの、素直な交差点ではありません。そこには、「どうしてここにも通りが?」と思わせるような、脇道...にしては立派な道路が合流しています。ちょっと不可解な交差点です。

そんな交差点ができた理由がこの写真です。橋(巽橋)の欄干が残って(残した?)いることから、ここに川が流れていたらしいことが分かります。その川は、西堀井川と呼ばれる運河だったようですが、それが暗渠化され、このような風景が生まれた...というわけです。

しかし、この欄干があるばかりに、立派な道路(もと川)が、突き当たりになっています。これは無用の長物...としか言いようがありません。が、そのおかげで、ちょっと想像力を働かせると、川の流れはよく見えますね! 暗渠にされた川がこれだけよく目に見える風景もそう多くはありません。トマソン川 水清く...(^^; かなり貴重な風景かもしれません(^^;

【場所】葛飾区東新小岩1丁目あたりです。

ご、ご主人さま...

| コメント(4)
昨日はシルバーウィークと称する連休の最後の日でしたね。ま、僕にとっては、いつもと変わらぬ一日...なだけなんですが、皆様は良い休日をお過ごしになられましでしょうか?

そんな日の午後、神保町に行ってきました。散歩がてら、拙ブログにコメントをくださった鈴木カツさんの『ボブディランを語りつくせ! 』をゲットしに...です。

で、せっかくですから、『ボブディランを語りつくせ! 』を超はしょり紹介しますと、これは、鈴木カツさんを筆頭にしたディラン・ヘッド3人~4人による鼎談放談集。軽妙な会話のなかに、肩肘張らない、けれど濃い、ディラン蘊蓄が埋め込まれています(^^;) ちょうど、ディランも公式盤くらい揃えようか...なんて思っていたとこでしたので、良い相談相手になってもらえそうです。
しかし、この本、表紙のディラン(あの人相の悪い汚ヤジ(^^;)がまあチャーミングなこと(^^; それだけでも買う価値あり...かも?です(^^;

で、やっと今日の写真です。三省堂で上記の本を買って、外に出ると、もうかなり暗くなっていました。ので、「今日はもう帰るか...」と、駅に向かって歩きはじめました。が、その途端、わりと最近できたアート系の古書店が気になり、そちらに向かいました。そこで出くわしたのがこの光景でした。なんだか出来上がっています(^^; 撮ってくださいと言わんばかりです。なので、素直に撮らせていただきました。が、これを撮ったら、本のことが一瞬にして頭から吹っ飛んでしまい、書店には入らず、そのまま帰ってきてしまいました。いやはや...です(^^;

【09.10.10 追加】こちらにも、『ボブディランを語りつくせ! 』紹介エントリーがありました。そちらのブログ主も相当なディランヘッドでいらっしゃいます。

【場所】千代田区神田神保町1丁目あたりです。

墨田鳥瞰景

| コメント(8)
前エントリーのつづきです。やはり曳舟駅前に完成した超高層マンション・イーストコア曳舟二番館の38階からの眺望です。前エントリーは南西方向を撮ったものですが、こちらは南東方向を撮ったものです。

右下からカーブを描いて中央上に向かって伸びている道路のような筋が見えますが、それは曳舟と亀戸を結ぶ東武亀戸線の線路です。あらく言うと、その線路の右側が押上〜文化、左側が京島です。左端のあたりは八広。その先には荒川放水路が見えています。

しかし、この、ごちゃごちゃとした戸建ての押しくらまんじゅう状態...。この風景は、再開発の進んだ山の手側では、もう目にできないような気がします。展望台などから、高層ビルが並ぶ風景を見たときも、おお〜っという驚きは感じますが、この低層の家の拡がりを目の前にすると、なんだかそれ以上の驚きを伴う感動のようなものを感じます。

ま、とにかく、下手な文を添えるより写真です(^^; とにかく、この景色を見た人はきわめて少ないはずですし、これからもいつでも見られるというものではありません。したがって、これはできるだけ多くの人とシェアする価値があろうか?と思い、アップすることにしました。

【場所】墨田区京島1丁目あたり(から)です。
<<前のページへ 45678|9|1011121314 次のページへ>>


写 真 集 (by masa)

月別アーカイブ


Photo Gallery

おことわり

エントリー、コメント、トラックバックにつきましては、管理者の判断により削除させていただく場合があります。予めご了承ください。